イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > トレヴィーゾ市立美術館

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聖ビアージョ?


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カンポサンピエトロのサン・ビアージョ教区教会にありました。


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トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「聖オルソラの物語」(1355-58c)のフレスコ画が展示されてます。


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トレヴィーゾのサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会です。
「聖オルソラの物語」のフレスコ画は、この教会にありました。


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現在は、教会活動を停止しています。
トンマーゾ・ダ・モデナは、トレヴィーゾに少なくても10年滞在しました。その間、幾つかの教会でフレスコ画などを制作しました。


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サントルソラ礼拝堂にあったフレスコ画は、11場面に分割されて展示されてますが、その展示は聖オルソラの物語の順番通りになっていません。
「大使に結婚申し入れを渡すイングランド王」
イングランド王は、ブルターニョ王の娘オルソラを息子の嫁に迎えようとして、大使を派遣して、その申し入れ文書をブルターニョ王に渡すように命じます。


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この場面がサントルソラ礼拝堂の何処にあったのかを示してます。


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イングランド王からの文書を読むブルターニョ王


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聖オルソラの船出


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ローマに到着して教皇に歓迎される聖オルソラ


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教皇チアリ―コの夢


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教皇帽を放棄する教皇


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聖オルソラの母との別れ


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この人がここから去りません。


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話す、話す、話す


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お手上げです。私が観ているのは当然気が付いてます。それでも立ち止まってます。呆れました。


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イングランド王の息子、王子の洗礼
聖オルソラと結婚するために異教を放棄してキリスト教の洗礼を受ける王子です。


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栄光の聖オルソラ(写真再掲)


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ローマへの巡礼(写真再掲)


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聖オルソラの殉教(写真再掲)


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キオストロ回廊に出ました。


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回廊の壁に描かれたフレスコ画を見ます。


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墓石の展示


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外に出ます。


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絵画部門の展示室が未整備のようで、見ることが出来た作品が相当限定されました。それが残念でした。


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柱廊のフレスコ画を見ます。


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これです。


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非常に充実した市立美術館です。
(おわり)

旧サンタ・カテリーナ教会の続きです。
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磔刑の礼拝堂です。


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サンタ・カテリーナ教会にあった、この教会オリジナルのフレスコ画です。


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トリッティコ(1352)


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トレヴィーゾのサン・パオロ修道院にありました。


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永遠なる父(1525-50c)


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何処にあったのか、は不明のようです。


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磔刑像(14世紀末-15世紀初頭)


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サン・テオニスト教会にありました。


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小作品が展示されてます。


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象牙細工の磔刑像です。


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「聖人たち」(14世紀後半-15世紀初頭)
左端はアレッサンドリアの聖カテリーナです。


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聖ルチア


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詳細不知


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聖アガタ


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天井


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三位一体


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受胎告知


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アレッサンドリアの聖カテリーナ


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14世紀後半のフレスコ画


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騙し絵


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ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370-ローマ、1427)の「聖母子と聖マルゲリータ」(1412)
何処にあったのか、分からないようです。


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聖母子と四聖人
サンタ・カテリーナ教会にあったフレスコ画です。


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磔刑(1450-55c)


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ダーリオ・ダ・トレヴィーゾ(ポルデノーネ?、1420c-コネリアーノ、1498)の作品は、トレヴィーゾのサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会にありました。


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磔刑


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天井


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詳細不知


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聖ビアージョ


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(つづく)

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絵画、彫刻部門です。


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ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480c-ロレート、1556/1557)の「ドメニコ会修道士の肖像」


102
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジローラモ」


103
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「キリストの復活」


104
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430-1516)の「聖母子」


105
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370-ローマ、1427)の「聖母子と聖マルゲリータ」(1412)
現在は旧サンタ・カテリーナ教会で展示されてます。


106
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「スペロ―ネ・スぺローニの肖像」(1544)


107
フランチェスコ・アイエツ(ヴェネツィア、1791-ミラノ、1882)の「家族の肖像」(1807)


108
ジャンドメニコ・ティエポロ(ヴェネツィア、1727-1804)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


109
ロザルバ・カッリエーラ(ヴェネツィア、1673-1757)の「女性の肖像」(1720-21c)
ロザルバ・カッリエーラは、パステルによる肖像画を得意にした女流画家です。


110
ロザルバ・カッリエーラ(ヴェネツィア、1673-1757)の「若い女性の肖像」(1720-21)


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旧サンタ・カテリーナ教会の中に入りました。


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旧サンタ・カテリーナ教会の構造図


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「サン・マルコの有翼のライオン」(15世紀)


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「磔刑像」(15世紀初め-中頃)


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旧教会内にあるフレスコ画は、元々サンタ・カテリーナ教会にあったものと、他の教会にあったものを剥離して移設されたものが混在しているので、注意が必要です。


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「受胎告知される聖母」


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詳細不知


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トレヴィーゾにあったサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会にあったトンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)のフレスコ画「聖オルソラの物語」(1355-58c)が展示の中心です。


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相当イタミがあるフレスコ画です。


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トレヴィーゾのサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会のサントルソラ礼拝堂にあったフレスコ画です。


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「最後の審判」


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トレヴィーゾのサン・バルトロメオ教会にあったフレスコ画です。


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サンタ・カテリーナ教会のフレスコ画(14世紀)


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柱のフレスコ画(14世紀)はサンタ・カテリーナ教会に元々あったものです。


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ここでも剥離フレスコ画が展示されてますが、サンタ・カテリーナ教会サントルソラ礼拝堂にあったものです。


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トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「玉座の聖母子」(1355-57c)


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「栄光の聖オルソラ」


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(つづく)

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引き続き考古学部門の展示です。


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ローマ時代の肖像頭像です。


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有名な皇帝頭像もあります。


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皇帝ネロ


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女神フォルトゥーナ像(2-3世紀)


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女性の頭像(3世紀中頃)


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若きマルクス・アウレリウスの頭像(130-138c)


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男の頭像(2世紀)


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ローマ時代の「ヴィーナス」


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ローマ時代のボウル


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モザイク(2-3世紀)


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モザイク(3世紀)


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モザイク(3世紀)


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モザイク(3世紀)


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モザイク(2世紀中頃)


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ローマ時代の副葬品


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ローマ時代の副葬品


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副葬品(1世紀)


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副葬品(1世紀)


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副葬品(1世紀)


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ローマ時代のガラス製品


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墓碑(1世紀)


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墓石(1世紀)


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墓石(1世紀)


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墓石(1世紀)


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ローマ時代のランプ


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ローマ時代のランプ


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ローマ時代のランプ


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碑文(1世紀)


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ローマ時代のブロンズ製品


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解放奴隷の墓(1世紀)


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ローマ時代のガラス製品


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これで考古学部門を終わります。
(つづく)

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引き続き考古学部門の展示です。


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ローマ時代のモザイク


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(つづく)

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カルロ・アルベルト通りの突き当りにサンタ・カテリーナ教会修道院があります。


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サンタ・カテリーナ教会です。1772年に閉鎖されてから宗教活動が再開されることがない旧教会です。


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こちらはサンタ・カテリーナ修道院だった建物です。


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サンタ・カテリーナ教会修道院が建っている場所に、1283年からトレヴィーゾのシニョーリを務めるダ・カミーノ家の宮殿が建っていました。


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1306年、ダ・カミーノ家当主がその長男に宮殿内で殺害され、その長男も宮殿のロッジャで反乱軍によって暗殺され、ダ・カミ―ロ家はトレヴィーゾから追放されました。
追放後、ダ・カミ―ロ宮殿は放置され、荒廃しましました。


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1346年、マリアの下僕托鉢修道会が修道院建設を当時のポデスタに願い出ました。ポデスタは、荒廃したダ・カミーノ宮殿の土地と建物を与えました。
宮殿だった建物の一部を利用して、1346年、修道院と教会の建設が開始されました。


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1348年、ペスト禍によって建設工事が中断しましたが。ペストの流行が落ち着くと工事が再開され、15世紀初頭に完成しました。
当初は、サンタ・マリア修道院教会と呼ばれていましたが、後にサンタ・カテリーナ教会修道院と改称されました。


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1772年、修道院抑圧政策によってサンタ・カテリーナ教会修道院は閉鎖され、ヴェネツィア共和国の国有財産となりました。同年、競売が行われ、ベルフィオーレのフランチェスコ会三次尼僧の所有となりました。修道院抑圧政策で修道士を追放したにも拘らず、尼僧に落札させたのは矛盾のように思えます。


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1806年、ナポレオンの抑圧令によって、サンタ・カテリーナ教会修道院の建物はフランス軍に接収されて、軍事施設に転用されました。フランス軍の撤退後も国有の軍事施設として継続使用され、その状態は第二次世界大戦の終戦まで続きました。


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1944年4月7日と1945年3月10日の、ドイツ軍によるトレヴィーゾ空爆の際、修道院教会の建物は爆撃を受けて大きな被害を受けました。
戦後になっても建物の修復は未着手のまま放置されました。


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1974年、サンタ・カテリーナ修道院教会の建物に市立美術館の設置が決定されましたが、資金難のために建物の修復が中々進捗しませんでした。


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修復が済んだ建物の一部を使用して、市立美術館が2003年に部分開館しました。本格的な開館は2015年のことでした。
現在も建物の修復工事が継続されており、美術館は更に拡大されることになってます。


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修道院のファサード


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市立美術館の入り口です。


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月曜日が休館ですが、月曜以外は開館するものの毎日昼休みがあります。


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サンタ・カテリーナ修道院教会の鐘楼です。


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後陣


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修復が少し進んだ後陣


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サンタ・カテリーナ教会ファサードの隣にあるCappella degli Innocentiのファサードです。


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Cappella degli Innocentiファサード上部にあるモノグラム


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サンタ・カテリーナ教会の構造図


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美術館の扉が開きました。


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入館します。


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美術館は、考古学部門、絵画彫刻部門、サンタ・カテリーナ教会の三部門構成です。


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入館すると先ずキオストロ回廊に出ます。


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長期間、軍事用に転用され、第二次世界大戦における二度の爆撃を受けたので、20世紀後半に復元された回廊です。


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それでもフレスコ画が僅かに残されてます。


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回廊の壁のフレスコ画断片


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回廊を経由して展示室に向かいます。


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現代抽象画が回廊にありました。


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現代抽象画は特別展示であって、常設ではないと思います。


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この日は階上で展示されていました。


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考古学部門から見て回りました。


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石器時代の展示


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青銅器


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鉄器


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(つづく)

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