イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ピエモンテ州 > ビエッラ

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サン・セバスティアーノ修道院教会近くにある建物です。


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この写真で修道院教会と、この建物(写真右手前)との距離感が分かると思います。


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子供用の市立図書館です。


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建物の詳しいことが分かりません。


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建物のフレスコ装飾


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サン・セバスティアーノ修道院教会の前を通り過ぎます。


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日が高いですが、夏時間なので、もう夕方です。


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ジュゼッペ・アルヌルフォ通りです。


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セミナリ通りとの交差点を越えます。


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姿を見せた鐘楼はサンタ・クローチェ教会のものです。


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ヴェスコヴァド通りに入りました。


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まだ暑いので、人通りが極端に少ない夕方です。


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ヴェスコヴァド通りを右折してイタリア通りに入ります。


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イタリア通りです。


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一本の通りでも場所によって通りの名称が変わるイタリアですが、ビエッラのイタリア通りは何処に行っても呼称が変わりません。


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この辺がリオーネ・ボルゴ地区の中心地です。


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木製扉の面白い浮彫


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イタリア通りとアントニオ・グランシ通りとの交差点です。


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交差点に建つ建物


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イタリア通りを更に進みます。


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ホテルに向かってます。


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ホテルは駅前にあります。駅前には殆どレストランがないので、夕食に困りそうです。


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高級アパートでしょうか?


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夕食のレストランを探しながら駅方向に向かいました。


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Fons Vitae


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適当なレストランが見つからない。


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Villa Redaが見えてます。


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こうなってみると、やはりリオーネ・ボルゴ地区のホテルに泊まれば良かったと後悔。


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サン・パオロ地区に戻りました。


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外食を止めて部屋飲みを考えるようになりつつありました。


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スーパーも見つからず、ホテルに戻りました。


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この日はこれで終わりです。


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翌朝です。


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この日も快晴でした。


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駅に向かいました。


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(おわり)

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写真左の建物は、サン・セバスティアーノ修道院です。


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修道院の壁が続きます。


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サン・セバスティアーノ修道院だった建物にビエッラ・テリトリー博物館 Museo del Territorio Bielleseが置かれてます。


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通りを左折します。


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Palazzo La Marmolaの塔が見えます。


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修道院を一周すると、大規模な修道院だったことが分かります。


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ビエッラ領主ラ・マルモラ家は、ドゥオーモよりもサン・セバスティアーノ修道院教会の方に重要性を認めたのでしょう。


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塀がない所は、頑丈な鉄柵に囲まれてます。


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突き当りを左折して、Via Quintino Sellaを進みます。


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この建物も修道院の一部です。


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旗があるので、初めて来たとしても迷うことはないと思います。


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時々旗がないこともあります。


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キオストロ回廊への入り口です。博物館の入り口はキオストロ回廊にあります。


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サン・セバスティアーノ修道院のキオストロ回廊です。


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夏の間、キオストロはコンサート会場になります。


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修道院は1500年から1505年に建設されました。


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ビエッラの支配者ラ・マルモラ家の庇護を受け、興成を極めた修道院でした。


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1797年、ナポレオンの抑圧政策によって修道院は閉鎖され、フランス軍の兵舎に転用されました。


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フランス軍が撤退すると、サヴォイア家の兵舎として使用されるようになりました。イタリアが統一されると修道院だった建物は、民間に払い下げられ、倉庫として使用されるようになりました。


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2001年、修道院だった建物に博物館を置くことが決定され、建物の大規模修復工事が始まりました。工事終了と博物館オープンのための準備期間を経て、2011年に考古学部門が開館しました。2016年に芸術部門が開館しました。現在、博物館は考古学部門と芸術部門の2つから成ってます。


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中は写真不可でした。(今はどうなっているのか、その辺が分かりません)
仕方がないので、博物館HPから作品画像を拝借して作品紹介することにします。


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ロンバルドの逸名彫刻家作「ライオン像」(12-13世紀)


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「磔刑」(1550c)


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ジローラモ・ジョヴェノーネ(ヴェルチェッリ、1490-1565)の「嘆き」(1520c)


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ジローラモ・アラシナ(1585-1650)の「聖母子と聖セバスティアーノと聖ロッコ」(1611)


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ピエモンテの逸名画家作「聖母」(18世紀前半)


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17世紀のロンバルドの逸名画家作「光悦の聖フランチェスコ」


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ジュゼッペ・マッフェイ(グラーリア、1821-1901)の「移民の出発と帰還」(1878c)


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ロレンツォ・デッレアーニ(ビエッラ、1840-トリノ、1908)の「ビエルス山脈の放牧」(1886)


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ジーノ・ピッチョ―ニ(フォリーニョ、1873-ビエッラ、1941)の「母と娘」(1926)


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シルヴェストロ・レーガ(モディリアーナ、1840-フィレンツェ、1895)の「音楽のレッスン」(1864c)
これは本当にシルヴェストロ・レーガの作品でしょうか?レーガは私の大好きな画家なので、多くの作品を観ています。題材はレーガの良く取り上げるものですが、筆使い、筆致が見慣れたレーガのものとはかなり違います。
比較のために、レーガの作品画像を幾つか載せておきましょう。


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シルヴェストロ・レーガの「労働の教育」(1863)
これは傑作です。


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シルヴェストロ・レーガ(モディリアーナ、1826-フィレンツェ、1895)の「ぺルゴラ」(1868)
ブレラ絵画館にあります。


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フィレンツェの近代美術館にある作品です。


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かなり脱線してしまいました。


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外に出ました。
(つづく)

引き続きサン・セバスティアーノ聖堂です。
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ベルナルディーノ・ラニーノの多翼祭壇画を詳しく見ます。
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「聖母被昇天の多翼祭壇画」(1543)
制作者と制作された年が画面に描かれてます。


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昇天する聖母を見る聖人たち


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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プレデッラの聖母の誕生


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マギの礼拝


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1543年と記されてます。


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聖母の聖人との別れ


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聖母の遺体の移送


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ボニフォルテ・オルドーニ(ミラノ、1412-ヴェルチェッリ、1477)の「聖バルトロメオ」


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ボニフォルテ・オルドーニ(ミラノ、1412-ヴェルチェッリ、1477)の「聖ドメニコ」


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オドアルド・タバッキ(ヴァルガンナ、1831-ミラノ、1905)の「Giovanna Berthie Mathew(1808-1876)像」(1877c)
ジョヴァンナは、アルフォンゾ・ラ・マルモラ将軍(1804-1878)の妻です。


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ジョヴァンナ像の顔


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ラッファエーレ・ジョヴェノーネ(ピエモンテ、1572-1604消息)の「受胎告知」(1579)


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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16世紀のロンバルドの逸名画家作「磔刑」


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磔刑の細部を見ます。


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聖マリア・マッダレーナ


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磔刑のキリスト


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16世紀のロンバルドの逸名画家作「ピエタのキリスト」


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詳細不知の碑文


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ヴィンチェンツォ・ヴェーラ(スイス、リゴルネット、1820-1891)の「アルベルト・ラ・マルモラの胸像」


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詳細不知のモニュメント


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クーポラ


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聖堂内はこれで終わりです。


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次はサン・セバスティアーノ修道院です。



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修道院だった建物にMuseoがあります。


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サン・セバスティアーノ聖堂前の交差点です。


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Costa San Sebastianoです。


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(つづく)

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引き続きサン・セバスティアーノ聖堂です。


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アーキトレーヴ(台輪)


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右翼廊の礼拝堂です。


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右翼廊礼拝堂の祭壇画です。


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「聖母被昇天」(1543)


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右翼廊のモニュメントです。


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オドアルド・タバッキ(ヴァルガンナ、1831-ミラノ、1905)の彫刻


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左側廊第一礼拝堂です。


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左側廊第二礼拝堂です。


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左側廊第三礼拝堂です。


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詳細不知


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デフェンデンテ・フェッラーリ(キヴァッソ、1490-トリノ、1540)の「聖母子と四聖人」(1520-30c)


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中央礼拝堂前から見た出入口方向


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ジローラモ・デ・トルニエッリの内陣天井のフレスコ画(1519)


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逸名画家作「三位一体と音楽天使たち」


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詳細不知


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アレッサンドロ・フェッレ―ロ・ラ・マルモーラ(トリノ、1799-クリミア、1855)のモニュメント


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右側廊第四礼拝堂です。


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逸名画家作「聖家族」


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セバスティアーノ・ノヴェッリ(ヴェネツィア、1853-ペルージャ、1916)の「聖フランチェスコと修道士たち」


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セバスティアーノ・ノヴェッリ(ヴェネツィア、1853-ペルージャ、1916)の「聖アゴスティーノ」


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右側廊のロレート聖母礼拝堂です。


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制作者情報不知の「ロレートの聖母」


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)による礼拝堂天井のフレスコ画


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聖堂内に幾つかの紋章があります。


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私には紋章の詳細が分かりません。


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右側廊第三礼拝堂です。


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磔刑の礼拝堂とも呼ばれてます。


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ロンバルドの逸名画家作「嘆き」(17世紀)


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ロンバルドの逸名画家作「嘆き」(17世紀)


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ロンバルドの逸名画家作「十字架降下」(17世紀)


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右側廊第三礼拝堂の天井


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右側廊第二礼拝堂の天井


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右側廊第一礼拝堂の天井


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)に帰属する「聖ピエトロ」


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)に帰属する「聖セバスティアーノ」


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)に帰属する「聖アゴスティーノ」
(つづく)

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Costa San Sebastianoです。


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通称サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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ピアッツォの城壁外村人のための祠が前身です。現在の礼拝堂は1997年に修復されたものです。


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ギアーラ門の先にPalazzo La Marmolaの塔が写ってます。


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道を下ります。


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写真では急坂には見えません。上るのは大変です。


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丘上のピアッツォと丘下のリオーネ・ボルゴ地区とは高低差が60メートルあります。


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ピアッツォに上るときはフニコラーレ、下るときは徒歩がお勧めです。


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リオーネ・ボルゴ地区に下ります。


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振り返って撮った写真です。
写真左に続く壁はピアッツォの城壁です。


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Costa San Sebastianoの終わりにサン・セバスティアーノ聖堂があります。


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写真左奥にサン・セバスティアーノ聖堂が写ってます。


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Via Agostino de FangoとVia Quintino Sellaの交差点に建つ建物です。


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サン・セバスティアーノ聖堂です。


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1498年から1499年にビエッラに移されたCanonici Lateranensi(オーストリアのサンタゴスティーノ会分派)のために、ピアッツォの領主セバスティアーノ・フェッレロ(ビエッラ、1438-ガリアニコ、1519)が建設した修道院教会です。


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エウセビオ・フェッラーリまたは”Magistro Eusebio”の指導によって、1500年から1504年に建設されたブラマンテ様式の建物です。


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現在のファサードは、初代のファサードが劣化したので、建築家アンドレア・ボーノ・ディ・ヴェルチェッリの設計によって、1885年に建設されました。


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右側壁です。


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規模の大きな修道院教会です。修道院は1550年に完成しました。


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高さ51メートルの鐘楼です。


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美術的には、その重要性に於いてビエッラでは見逃せない教会です。


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クーポラ


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ファサードを見ます。


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ファサードの紋章


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この紋章については、私は全然分かりません。


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ファサードの中央扉


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中央扉上ルネッタに描かれた「聖セバスティアーノ」のフレスコ画(詳細不知)


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ファサードに向かって右の扉


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右扉上ルネッタの「聖ピエトロ」のフレスコ画(詳細不知)


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ファサードに向かって左の扉です。


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左扉上ルネッタに描かれた「聖アゴスティーノ」のフレスコ画(詳細不知)


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ファサードの丸窓


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ファサードのFregio


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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ピエモンテの画家たちの作品が充実しています。


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クーポラ


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クーポラの天使たちのフレスコ画は、ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)によって1866年から1867年に描かれました。


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クーポラ四隅に預言者たちのフレスコ画があります。
ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「預言者ダニエーレ」(1866)


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「預言者エゼキエル」(1866)


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「預言者ジェレミア」(1866)


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「預言者イザヤ」(1866)
(つづく)

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サン・ロッコ祈祷所です。


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この祈祷所の坂下に、食用肉動物の屠殺場がありましたが、そこで働く人たちの家族の信仰の場として16世紀に建設されました。


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ファサードの柱廊が特徴です。


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柱廊にフレスコ画の痕跡が認められます。


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柱は修復されたようですが、フレスコ画の方は保存状態が最悪です。


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フレスコ画は一度も修復されてない?


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ただ建物が危険という訳ではありません。


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今でも地元の人たちの信仰の場となってます。


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祈祷所内部(外部サイトから拝借した写真です)


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鐘楼


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外壁も殆ど修復されていないようです。


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人通りが全くありません。


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Strada delle Moleです。


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Strada delle Moleを下ると、行き止まりになっていました。


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仕方がありません、引き返します。


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チステルナ広場方向に戻ります。


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サン・ロッコ祈祷所まで戻りました。


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Costa Vernatoに戻りましたが、サン・ロッコ祈祷所からの下り側は見どころが無さそうです。


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チステルナ広場方向に戻ります。


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ピアッツォの支配階級が住んでいた一画です。


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Palazzo Ferreroの八角形の塔です。


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Palazzo Ferrero前を通り過ぎます。


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Corso del Piazzoです。


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写真左は、Palazzo Gromo Losa di Praroloです。


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修復工事中のPalazzo La Marmolaの前を通り過ぎます。


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ピアッツォの城壁外に出ます。


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右折します。


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Corso del Piazzoを右折してCosta San Sebastianoに入ります。


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塔はPalazzo La Marmolaのものです。


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Palazzo La Marmolaの下を進みます。


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La Marmola家使用人の住居が並ぶ一画です。


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Casa Ferreroです。


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Palazzo La Marmolaです。


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直ぐに門に出ます。


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14世紀に建設されたギアーラ門です。


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ギアーラ門を潜ります。


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ギアーラ門の存在を知っている観光客は非常に少ないそうです。


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ピアッツォから城壁外に出ました。


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道を下ります。


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(つづく)

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Corso del Piazzoを進みます。


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振り返ってチステルナ広場方向を見ました。


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ガックリです。お目当ての建物が修復工事中です。これでは多分立ち入り禁止になっていると思いました。


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Palazzo La Mormolaです。


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1160年、ピアッツォ地区の領有権を保持していた、当時のヴェルチェッリ司教が司法権、肉用動物の屠殺権、市場の開市権の三権を認めて、ピアッツォ地区への入植が始まりましたが、入植者の有力家だったフェッレロ・デッラ・マルモラ家が1165年頃に建設した住居が前身です。
14世紀に再建されましたが、16世紀にフェッレッロ・デッラ・マルモラ家の一族ラ・マルモラ家の所有となりました。
16-18世紀に拡張、改造されて現在の姿になりました。


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修復工事後のPalazzo La Marmolaのファサード


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Palazzo La Marmolaの庭園


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入口には近付けそうでした。


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鉄扉は閉まったままでしたが、中庭を覗くことが出来ました。


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Palazzo La Marmolaですが、約半分は今もラ・マルモラ家が所有しており、ラ・マルモラ家が住んでます。ラ・マルモラ家所有部分の一部はMuseoとして一般公開されている他、大広間などは結婚式会場になってます。
Palazzo La Marmolaの約半分は、ビエッラ州当局が所有しており、州立公文書館になってます。


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この日は、修復工事のため、一般非公開となっていました。


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写真左は、Palazzo La Marmolaの一部です。写真右は、ラ・マルモラ家の使用人の居住部分です。


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ラ・マルモラ家の使用人の住居です。


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次は煉瓦造りの建物です。


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道を挟んで、Palazzo La Marmolaの向かいにあるPalazzo Gromo Losa di Praroloです。


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グロモ・ローザ伯爵が、自己の邸宅として15世紀に建設したPalazzo Gromo Losa di Praroloです。


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19世紀末までグロモ・ローザ伯爵の末裔が住んでいましたが、1896年に売却されて寄宿学校になり、さらに普通の学校と変わりました。
2004年からBeata Vergine d’Oropa(福祉団体)の本拠地となってます。


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Palazzo Gromo Losa di Praroloの庭園です。


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道を挟んで、Palazzo Gromo Losa di Praroloの教会のような建物があります。


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この建物です。恐らく教会の建物と思いますが、調べても分かりません。ビエッラの教会リストに記載がないので、機能を停止していると思います。


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この建物の直ぐ傍にサンタ・カテリーナ女子修道院があったので、サンタ・カテリーナ教会でしょうか?


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次は、写真左奥の建物です。


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Palazzo Ferreroです。


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フェッレ―ロ家の住居として15世紀から16世紀に建設されたPalazzo Ferreroです。後にラ・マルモラ家に売却されました。


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1900年、ビエッラ市当局に売却され、1945年まで兵舎などに転用されました。
依然として市保有の物件ですが、2017年からビエッラ文化協会が管理しており、展示会など様々な用途に使用されてます。


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Palazzo Ferreroの入り口です。


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Palazzo Ferreroの中庭に入ると、この建物のシンボルである八角形の塔が見えます。


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八角形の塔は、近くでは中々見ることが出来ません。


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少し離れないと、よく見えない塔です。


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見所が多いCorso del Piazzoです。次はサンタ・カテリーナ女子修道院です。


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16世紀に建設されたサンタ・カテリーナ女子修道院だった建物です。


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修道女が孤児となった女児の養育をしていましたが、1802年に抑圧令によって修道院が閉鎖されると、建物は孤児院に転用され、その状態が1970年頃まで続きました。


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孤児院が丘下に移転すると、この建物は女子寄宿学校となりましたが、現在は経営状態が悪化して、その存続が危機に瀕しているようです。


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更に道を下ります。


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振り返って撮った写真です。


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この付近から通りの名称がCosta Vernatoと変わります。


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この道の先に門があります。


P1340807
門に行く途中に教会があります。


P1340808
滅多に開かない教会、或いは既に機能を停止した教会なので、期待薄です。


P1340809
サン・ロッコ祈祷所です。
(つづく)

P1340754
ビエッラ旧市街の中心チステルナ広場です。


P1340762
広場に面した柱廊にある店で簡単な昼食を食べることにしました。


P1340764
前夜に暴飲暴食したので、食欲があまりなかった。


P1340763
ビールさえも飲まず、水だけにしました。


P1340721
それでも完食しました。


P1340722
昼食を食べた店の奥に教会があります。


P1340723
サン・ジャコモ教会です。


P1340745
1160年、ピアッツォの所有権を保持していたヴェルチェッリ司教が、司法、肉の屠殺権、市場の開市権の三権をピアッツォ地区に与えたことを機に、人が集まり徐々に栄えたピアッツォにおける最初の教会として、1180年以前に建設されたサン・ジャコモ教会です。1180年の文書に、その存在が初めて記載されたそうです。1227年に奉献式が執り行われました。


P1340747
その後、増築され、数度の改造、改修を経て現在の姿になりました。


P1340746
ファサードの柱廊が、17世紀に追加されました。


P1340748
ファサードのスタッコ彫刻は、1862年の修復工事の際に追加されました。


P1340752
13世紀末から14世紀初頭に建設された鐘楼です。


P1340743
ファサードの柱廊天井のフレスコ画


P1340744
入口天井上のフレスコ画は、劣化が著しくて何が描かれていたのか、分かりません。


P1340724
中に入りました。


P1340726
三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


P1340725
右側廊方向


P1340728
この教会の作品帰属が全く分かりません。(私が、です)


P1340731
主祭壇画


P1340732
Presbiterio


P1340733
Presbiterio天井


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詳細不知


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P1340739


P1340742


P1340749
外に出ました。


P1340750
「聖母子」のフレスコ画(詳細不知)


P1340754


P1340756
旧市庁舎です。


P1340769
ピアッツォに町が出来た12世紀末頃には、市庁舎の原形となる建物が建設されました。現在の建物は、17世紀初頭に再建されたものです。


P1340770
19世紀に毛織物業が盛んになるに従い、旧市街ピアッツォの重要性が薄れるようになり、丘下に現市庁舎が建設され、1848年に移転したのです。


P1340757
19世紀末に競売にかけられ、現在は個人の民家になってます。


P1340758
民家ですが、旧市庁舎の柱廊部分は一般に公開されており、見学することが出来ます。


P1340760
フレスコ画の断片が残されてます。


P1340761
観光客は私一人でした。


P1340765
Corso del Piazzo


P1340767
緩い下り坂を丘下に向けて進みます。


P1340771
歴史的建造物が建ち並んでます。


P1340772
(つづく)

P1340678
Porta della Torrazzaを潜って、旧城壁外に出ました。


P1340690
門から旧城壁外に出ると、直ぐに陸橋があります。


P1340679
陸橋の上は、ビエッラの全景が楽しめるスポットです。


P1340681
ドゥオーモの鐘楼が見えます。


P1340680
サンティッシマ・トリニタ教会の鐘楼です。


P1340683


P1340684


P1340685
チェルヴォ川が見えます。


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山の頂にサン・ジローラモ修道院教会が見えます。


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鐘楼の先の建物は市立病院です。


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山頂のサン・ジローラモ修道院教会は、この写真の方が良く写ってます。


P1340689


P1340691
旧城壁外には見どころが無さそうなので、陸橋を渡り、戻ることにしました。


P1340682
城壁と門の防衛上の必要性が薄れたので、1780年に再建されたPorta della Torrazzaです。


P1340692
旗が掲げられている門左の建物は、旧城壁の監視塔です。1780年に塔の上部が破壊されて、現在の高さになりました。


P1340693
城壁があった頃には、Porta d’Oropaと呼ばれていたそうです。


P1340694
Porta della Torrazzaを潜って、Via Amedeo Avogadro di Quaregnaに入りました。
写真左の建物に、通りの名称の由来となったアメデオ・アボガドロが一時滞在していたのです。


P1340696
人通りが余りないようです。


P1340695
サンタンナ教会の鐘楼です。


P1340698
写真左手前の建物は、塗装が新しいので新しいと思われますが、16世紀に建設されたそうです。


P1340700
フニコラーレの駅を通り過ぎます。


P1340702
Piazza Mario Cucco


P1340709
19世紀、毛織物産業によって丘下地区が栄えるようになると、急速に寂れたピアッツォ地区です。


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14世紀に建設された古い建物です。


P1340706
木製の梁がある建物です。


P1340705


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木の梁がある建物の隣にある建物は、15世紀に建設されました。


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P1340701
Piazza Mario Cuccoに面して煉瓦造りの塔が建ってます。


P1340707
塔について調べましたが、何なのか分かりませんでした。


P1340710
ピアッツォの中心の広場に向かいます。


P1340711
Portici del Piazzo


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ピアッツォの中心Piazza Cisternaです。


P1340715
広場に面して歴史的建造物が建ち並んでます。


P1340713
写真右の建物がPalazzo Cisternaです。


P1340720
13世紀に創建されたPalazzo Cisternaですが、その後、何度も改造されました。現在のファサードは16世紀末に行われた改造後のものです。


P1340717
フレスコ画の痕跡が認められる建物があります。


P1340719
フレスコ画の痛みが激しくて、何が描かれていたのかサッパリ分かりません。


P1340716
広場の突き当りの建物は市庁舎です。


P1340751
広場名称の由来となった水槽です。


P1340721
(つづく)

P1340635
サン・フィリッポ・ネリ教会から外に出ました。


P1340637
丘下地区は大体見たようです。


P1340638
丘上のピアッツォ地区に向かいます。


P1340639
ピアッツォに行くには、フニコラーレが便利です。


P1340640
道の突き当りにフニコラーレが見えます。


P1340641
フニコラーレは1885年に開業しました。


P1340642
丘下の駅がある広場に向かいます。


P1340643
写真左の建物は神学校です。


P1340644
クゥリエル広場にやってきました。


P1340645
クゥリエル広場から見たRione Borgo地区です。


P1340646
フニコラーレの丘下の駅があるクゥリエル広場です。


P1340647
フニコラーレの高低差は60メートルです。


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P1340650
フニコラーレの丘下駅の入り口です。


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フニコラーレに乗りました。定員25人です。


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複線です。


P1340654
下り列車とすれ違います。


P1340655
ピアッツォ駅の建物です。


P1340656
ピアッツォに到着しました。


p130175
ピアッツォ駅です。


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フニコラーレのピアッツォ駅の建物です。


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ピアッツォのメイン道路Via Amedeo Avogadro di Quaregnaです。


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通りの突き当りに門があります。


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フニコラーレのピアッツォ駅前のチステルナ広場です。


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フニコラーレのピアッツォ駅横にあるサンタンナ教会です。


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サンタンナ同信会によって17世紀から18世紀に建設されたバロック様式の教会です。


P1340662
現在のファサードは1782年に建設されました。


P1340663
保存状態があまり良くない教会です。


P1340665
通りを門の方に進みます。


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ピアッツォ地区は、標高480メートルのビエッラ市の西にあります。


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ピアッツォ地区は、ヴェルチェッリの司教が管轄する教区領域の一部として所有権を持ってました。1160年、当時のヴェルチェッリ司教が、ピアッツォ地区に司法、肉の屠殺権、市場の開市権を認めました。それに伴い、近くから人々が集まり、急速に繁栄するようになりました。
やがて、城壁が築かれ、町としての体裁が整えられました。


P1340668
柱廊の壁にフレスコ画があります。


P1340670
フレスコ画の詳細が分かりません。


P1340671
ピアッツォは自治都市になりましたが、その期間は非常に短く、直ぐにピエモンテ貴族フェッレ―ロ・デッラ・マルモラ家の支配を受けるようになりました。


P1340672
写真左の建物は学校です。


P1340673


P1340674
アボガドロ定数、アボガドロの法則をご存知でしょうか?
通りの名称Via Amedeo Avogadro di Quaregnaは、定数、法則のアボガドロに由来します。


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写真右の建物に、アボガドロ定数、アボガドロの法則で有名なロレンツォ・ロマーノ・アメデオ・カルロ・アボガドロ(トリノ、1776-1856)が短期間滞在したことがあります。


P1340676
それにしても長い名前ですね。


P1340677
Porta della Torrazzaです。
(つづく)

P1340559
新しい作品ばかりで、美術ファンとしては、物足りないドゥオーモでした。


P1340560
イタリア通りです。


P1340561
ビエッラで最も賑わいを見せるイタリア通りです。


P1340562
イタリア通り37番地です。


P1340563
この辺は丘下の新市街です。


P1340565
この街に関してのガイドブックの記載を見たことがありません。


P1340567
イタリア通りを更に進みます。


P1340568
この辺では最古の建物で、18世紀に建設されました。


P1340569
18世紀に建設された建物の柱頭です。どうも最近復元されたものに見えます。


P1340571
左折すれば、直ぐにサン・フィリッポ・ネリ教会に出ますが、フィウメ広場とリベルタ広場を経由して遠回りして教会に向かいます。


P1340572
写真左先に広場があります。


P1340573
フィウメ広場です。


P1340575
19世紀に建設されたアパートです。


P1340576


P1340578
この街はトリノの北方にあります。


P1340579
リベルタ広場に出ました。


P1340580
広場の先に、丘上の旧市街ピアッツォ地区に向かうフニコラーレがあります。


P1340581
リベルタ通りからサン・フィリッポ・ネリ通りに入り、少し後戻りします。


P1340582
サン・フィリッポ・ネリ教会の鐘楼です。


P1340583
教会のファサード側に回ります。


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振り返ってリベルタ広場方向を見たところです。


P1340585
教会のファサード前に出ました。


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サン・フィリッポ・ネリ教会です。


P1340632
18世紀初め、Padri Filippiniは、ドゥオーモ近くにあった建物で細々と活動開始しました。


P1340631
1742年、Padri Filippiniは自前の教会の建設を決定しましたが、資金難のため、教会の建設計画は中々進捗しませんでした。


P1340633
サヴォイア家のレジーナ・マルゲリータのサポートなどにより、教会建設が具体化して、建築家カルロ・チェロ―ニ(トリノ、1749-?)の設計によって、1789年に工事着工、1827年に完成したバロック様式の教会です。1827年に奉献式が執り行われました。


P1340634
ファサードは、教会建築計画が持ち上がった段階で、当時の花形建築家フィリッポ・ユヴァラ(メッシーナ、1678-マドリッド、1736)によって設計されたと言われてます。


P1340588
鐘楼は、ガスパーレ・マッジャの設計によって1823年に建設されました。


P1340589
教会内に入りました。


P1340591
単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


P1340590
左右にそれぞれ3つづつの礼拝堂があります。


P1340592
天井


P1340593
Presbiterio


P1340599
Presbiterioの天井


P1340594
主祭壇画


P1340596
ジュゼッペ・ピエトロ・マッツォーラ(ヴァルトゥッジャ、1748-ミラノ、1838)の「聖フィリッポ・ネリへの聖霊降臨」(1797)


P1340600
ヴァルフレの礼拝堂です。


P1340602
19世紀のピエモンテの逸名画家作「ベアート・セバスティアーノ・ヴァルフレに顕現する聖母子」(1836)


P1340607
Maestro Piemontese Borrelloに帰属する「磔刑像」(17世紀)


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フェリーチェ・サヴィリアーニの「光悦のアヴィラの聖テレーザ」(1836)


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ピエモンテの逸名画家作「聖母子と聖カルロ・ボッロメオとサレスの聖フランチェスコ」(18世紀後半)


P1340618
詳細不知


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詳細不知


P1340625
詳細不知


P1340627
詳細不知


P1340629
詳細不知


P1340630


P1340606
カウンターファサード


P1340604
外に出ます。


P1340586
(つづく)

P1340489
引き続きドゥオーモです。


P1340463
磔刑の礼拝堂です。


P1340464
彫刻があるように見えますが、だまし絵です。


P1340466
ジョヴァンニーノ・ガッリアーリ(トレヴィーリオ、?-1819)の「磔刑」(1795)
ジョヴァンニーノは、画家ファブリツィオ・ガッリアーリ(トレヴィーリオ、1709-1790)の息子です。ファブリツィオの兄弟、息子4人が画家の画家一家でした。


P1340467
ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の「最後の晩餐」(1806)


P1340469
ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の「聖餐式」


P1340472
ピエトロ・フェアの騙し絵


P1340473
ピエトロ・フェアの騙し絵


P1340475
ジュゼッペ・アントニオ・グロモの「嘆き」


P1340476
聖心の礼拝堂


P1340477
ベアータ・ヴェルジネ礼拝堂


P1340478
詳細不知


P1340479
フェリーチェ・マランドーノの「キリストの復活」


P1340481
カルロ・コグロッソ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「栄光の聖母子」


P1340483
ピエトロ・フェアの騙し絵


P1340484
ピエトロ・フェアの騙し絵


P1340485
右側廊


P1340486
右側廊からの眺め


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ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の騙し絵


P1340488
ピエトロ・フェアの騙し絵


P1340462
カウンターファサードに「聖ステファノの殉教」があります。


P1340491
ジョヴァンニーノ・ガッリアーリ(トレヴィーリオ、?-1819)の「聖ステファノの殉教」


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ピエトロ・フェアの騙し絵


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左側廊


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左側廊からの眺め


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ピエトロ・フェア?の騙し絵


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フェリーチェ・マランドーノの「無原罪の御宿リ」


P1340498
詳細不知


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フランチェスコ・バルバラ(1927-1970)の「聖母」


P1340501


P1340504
ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の「キリストの洗礼」


P1340506
ロレートの聖母礼拝堂


P1340507
詳細不知


P1340508
詳細不知


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マギの礼拝の礼拝堂


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フェリーチェ・マランドーノの「マギの礼拝」


P1340514
礼拝堂天井


P1340516
ピエトロ・フェア?の騙し絵


P1340517
ピエトロ・フェア?の騙し絵


P1340519
詳細不知の「磔刑像」


P1340523
カルロ・コグロッソ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖ジュゼッペの死」


P1340525
詳細不知


P1340558
外に出ました。
(つづく)

P1340451
Palazzo Oropaです。


P1340449
市庁舎となってます。


p130172
この場所には、解体廃棄されたサント・ステファノ修道院がありました。19世紀に建設されたPalazzo Oropaです。


P1340450
市庁舎の横にロンバルド・ロマネスク様式の洗礼堂が建ってます。


P1340448
1000年頃に建設された、現在のドゥオーモの前身であるサンタ・マリア教会の洗礼堂として、11世紀に建設されました。


P1340553
洗礼式が行われる時を除いて、扉が開くことがない洗礼堂です。


P1340556
洗礼堂の入り口


P1340557
入口上の彫刻


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ドゥオーモのファサード側に回ります。


P1340552
写真左の建物が市庁舎、写真右の建物はドゥオーモです。


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ドゥオーモ広場です。


P1340453
ビエッラのドゥオーモ、Cattedrale di Santo Steranoです。サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂とも呼ばれてます。
ビエッラ司教区の司教座教会です。


P1340548
現在のドゥオーモの敷地内に1000年頃に建設された小さなサンタ・マリア教会が前身です。


P1340550
ビエッラで多数の犠牲者を出した1348年と1399年のペスト禍を経て、市民のニーズに応えるために教会の再建が決定され、1402年に創建され、1404年に完成しました。完成を機に、サンタ・マリア・マッジョーレ教会と改称されました。
1772年、ビエッラ単独の司教区が設定されることになり、司教座がサンタ・マリア・マッジョーレ教会に置かれることになりました。司教座教会としては、既存の規模では狭かったので、増築拡大、改修工事が1772年に開始され、1803年に一応の完成を見ました。Cattedraleとしての奉献式が1804年に執り行われました。
その後、さらに拡張工事が続けられ、1826年に現在の姿になりました。


P1340551
ドゥオーモの鐘楼が少し離れた場所に建ってます。


p130173
ゴシック様式の鐘楼は、実は、5世紀に建設された初期キリスト教会を前身とするサント・ステファノ教会がサンタ・マリア・マッジョーレ教会と並行する位置に建っていましたが、元々はサント・ステファノ教会の鐘楼でした。


P1340455
鐘楼のドゥオーモ広場側に建っている建物の場所には、サント・ステファノ修道院がありました。
ビエッラ司教区新設の1772年、サンタ・マリア・マッジョーレ教会は、サント・ステファノ司教座教会と改称されました。それに伴い、従来のサント・ステファノ教会と修道院は、サント・ステファノ・ヴェッキオ修道院教会と呼称されることになりました。
鐘楼は二つの教会の共用となりました。
サント・ステファノ・ヴェッキオ修道院教会は、1872年に閉鎖、解体されました。


P1340456
サンタ・マリア・アッスンタ司教座教会とも呼ばれてます。


P1340541
ファサードの下に柱廊が設けられてます。


P1340536
柱廊の彫刻を見ます。


P1340537
彫刻の作品帰属など詳細が分かりません。


P1340538
18世紀頃の彫刻でしょうか?


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柱頭


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P1340542
拝観します。


P1340457
中に入りました。


P1340459
三廊式、ラテン十字形、ネオ・ゴシック様式の内部です。


P1340458
左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。


P1340460
天井の装飾


P1340535
中央通路の装飾


P1340461
中央礼拝堂を見ます。


p130174
Presbiterio


P1340528
クーポラ


P1340531
主祭壇画は、カルロ・フランチェスコ・コグロッソ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖母被昇天」(1784)


P1340533
(つづく)

P1340442
聖三位一体教会、サンティッシマ・トリニタ教会です。


p130166
ドゥオーモの隣に位置する、この場所に1459年に建設されたサン・セバスティアーノ礼拝堂がありました。
17世紀初頭、聖三位一体同信会は、サン・セバスティアーノ礼拝堂を取り壊し、その上に新教会の建設を決めました。そうして、1626年に創建されたのがバロック様式のサンティッシマ・トリニタ教会です。最終的な建物の完成は1750年でしたが、奉献式は後陣と内陣が一応の完成を見た1631年に行われました。


p130167
現在のファサードは、地元の建築家二コラ・モッゾの設計によって1956年に再建された二代目のものです。


P1340446
1630年に建設された鐘楼です。


P1340394
ファサードに柱廊が設けられてます。


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入口扉上ルネッタの浮彫


P1340395
「三位一体」


P1340445
柱廊天井のフレスコ


P1340396
中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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左右に煌びやかに装飾された礼拝堂があります。


P1340399
スタッコ彫刻とフレスコ画で壁が埋め尽くされてます。


P1340400
Presbiterio


p130168
主祭壇が有名です。


p130169
ジョヴァンニ・アントニオ・ヴァ―リオ・ディ・ぺッティネンゴ(ビエッラ、1660-1697)の主祭壇(1682-84)


p130170
巧緻な彫刻


p130171
高く評価されていたジョヴァンニ・アントニオ・ヴァ―リオでしたが、病弱のため、37歳の若さで没してしまいました。そのため、残された作品は僅か数点に終わりました。


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ヴィンチェンツォ・コスタンティーノ(ピエモンテ、17世紀前半活動)の「三位一体」(1640)


P1340403
アントニオ・チャンチャ・ペッローネ(カプリエーレ、ビエッラ、1822-1890)の「カルヴァリオへの上り」(1865)


P1340405
ヴィンチェンツォ・コスタンティーノ(ピエモンテ、17世紀前半活動)の「受胎告知」(1640)


P1340433


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17世紀のピエモンテの逸名彫刻家作「磔刑像」


P1340407
ヴィンチェンツォ・コスタンティーノ(ピエモンテ、17世紀前半活動)の「エジプトへの逃避」(1640)


P1340434


P1340409
詳細不知


P1340410
カウンターファサードにオルガンがあります。


P1340411
アントニオ・チャンチャ・ペッローネ(カプリーレ、ビエッラ、1822-1890)の「聖母被昇天」(1865)


P1340415
アントニオ・チャンチャ・ペッローネの作品


P1340417
アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「ロレートの聖母と聖人たち」


P1340418
詳細不知


P1340426
アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「キリストの誕生」(1640)


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「割礼」(1640)


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「マギの礼拝」(1640)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・アラシ―ナ(1611-1664)の「キリストの神殿奉献」(1640)
ジョヴァンニ・フランチェスコはアンセルモの息子でしょうか?


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17世紀のピエモンテの逸名画家作「聖母戴冠」


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「父なる神」(1641)


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もう一度祭壇を見てから外に出ます。


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後陣の先にドゥオーモがあります。


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ドゥオーモの洗礼堂です。
(つづく)

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学校です。


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新しい建物ばかりが目立ちます。


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中心地に向かってます。


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この辺は、19世紀に造成された新開地です。


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都市計画で敷設された道路は直線です。


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カザレ―ニョ広場です。


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Via Alfonso Lamarmora


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Giardini Zumagliniです。公園の端に観光案内所があります。


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観光案内所で、地図を頂戴するとともに教会とMuseoが開く時間を確認しました。係員は非常に有能、且つ親切でした。


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この公園も都市計画に基づき整備されました。


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Ex-Casa di Giorgio Aiazzoneです。現在はVilla Redaと呼ばれてます。


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1931年に建設されたアール・ヌ―ヴォ様式のVilla Redaです。


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持ち主が何度も変わって、現在、オークションにかけられようとしているようです。


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コロナでの世相が落ち着かないとオークションが成立しないようです。何度かオークションにかけられたそうですが、売買不調に終わってます。


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Via Losanaです。


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ドゥオーモに向かってます。


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マッツィーニ映画館です。


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閑話休題。イタリア人と国際結婚している日本人ですが、圧倒的にイタリア人男性、日本人女性の組み合わせが多いと思います。


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ガリバルディ通りに出ました。


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新しい建物ばかりで興味が薄れてきます。


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この辺が街の中心になりますが、旧市街ではありません。


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ガリバルディ通りを更に進みます。


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旧市街は、丘上のピアッツォになりますが、現在は幾分寂れた感じが否めません。


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見どころに欠けますね。


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学校です。


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ここで一休みしました。


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写真左奥の広場に面して教会が建ってます。


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(つづく)

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前泊地は、キヴァッソでした。


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雨上がりの朝でした。


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普通列車に乗車して、キヴァッソからビエッラに向かいます。


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車内は非常に空いてました。


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ビエッラ・サン・パオロ駅に到着しました。


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ビエッラ・サン・パオロ駅の駅舎です。


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前日は大雨で、この日の朝に漸く雨が上がりましたが、急速に天気が回復して快晴になりました。


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広い駅前広場(サン・パオロ広場)です。


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駅前広場に面した、この日のお宿に行き、大きな荷物を預けました。身軽になって、街歩きに出発しました。


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駅横の公園、Giardini Donatori del Sangueです。


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公園の名称が、この辺でGiardino Associazione Nazionale Prtigiani d’Italiaと変わります。


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カルソ通りです。
ビエッラは、人口43,362人(2020年8月31日現在)のピエモンテ州ビエッラ県の県都です。街の歴史は古く、発掘された遺跡から先史時代の12万年前に集落があったことが分かっているそうです。


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旧市街の中心ピアッツォは、駅から約2キロメートル離れた丘上にあります。
19世紀、ビエッラは世界的な毛織物産業で栄えましたが、旧市街周辺には工場や事務所を建設するための土地が狭かったので、都市計画に基づき新たにサン・パオロ地区が造成されたのです。その入り口に鉄道駅が設けられました。


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ネオ・ゴシック様式のサン・パオロ教区教会が見えてきました。


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サン・パオロ地区は、造成前は畑と森林から成る広大な農地と荒地が広がっていました。造成された土地は新教区として認められ、住民の信仰の中心として教区教会の建設が計画されました。


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そうして、1913年に創建され、早くも翌1914年に完成しました。1915年9月にオープンしました。


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しかし、教会はオープンしたものの、肝心の教会へのアクセス道路がなく、荒地に教会だけが建っている状態に加えて、造成された土地に住む住民が少なかったので、教区教会とは名ばかりの存在でした。


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更に第一次世界大戦が勃発してしまい、教会の運営にも支障が出ました。


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奉献式は、オープンから25年後の1940年9月26日に執り行われました。
しかし、毛織物業で栄えたビエッラは、第二次世界大戦を迎えて、最初はムッソリーニ政権を攻撃する連合軍から、降伏後は連合国に加わったことからドイツ軍から爆撃を受け、この教会も被爆したのです。


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入口扉上ルネッタのモザイク


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聖エリザベッタ


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聖パオロ


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入口扉横柱の彫刻


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入口扉の彫刻


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中に入りました。


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三廊式、ネオ・ゴシック様式の内部です。


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一見して富裕な教会であることが分かります。


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天井


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Presbiterio


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主祭壇


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チーロ・コロモイの「キリストの神殿奉献」(1948)
この画家を全く知りません。


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チーロ・コロモイの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1948)


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構造がゴシック様式なので、古く見えなくもない。


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フェリーチェ・カゾラーティ(ノヴァーラ、1886-トリノ、1963)の「トリッティコ(パドヴァの聖アントニオと聖マウリツィオと聖エウセビオ)」(1941)


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左側廊


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右側廊


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詳細不知


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Presbiterio前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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