イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:エミリア・ロマーニャ州 > カルピ

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ドゥオーモがこれではどうにもなりません。


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ファサードが修復されたものの、聖堂内部への立ち入りが禁止されていた時の写真。


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修復工事が完了して、その祝福のミサが行われた2017年4月25日の写真です。


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修復工事完了後の姿


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カルピのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ司教座聖堂です。カルピ司教区の司教座が置かれてます。


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聖堂内部


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カルピ領主アルベルト3世・ピオ(カルピ、1474-パリ、1531)に指示によって、1514年に創建され、18世紀末に完成したバロック様式の教会です。1791年に奉献式が執り行われました。


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1979年、Basilica Minoreに格付けされました。


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2012年の地震ではマントヴァも大被害を受けました。


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Corso Sandro Cabassi


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次は教区美術館です。


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地震の影響を受けて、教区美術館は多分休館だろうと予想していましたが、ダメ元で行ってみることにしました。


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教区美術館は、サンティグナツィオ・デ・ロヨラ教会だった建物にあります。


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サンティグナツィオ・デ・ロヨラ教会は直ぐ傍です。


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Corso Manfredo Fantiです。


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サンティグナツィオ・デ・ロヨラ教会です。


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イエズス会によって1670年から1682年に建設されたバロック様式の教会です。


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既に宗教活動を停止して、教会だった建物に2008年から教区美術館が置かれてます。


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地震のため、建物が危険とされて立ち入り禁止となってました。休館は予想通りだったので、残念とは思わず。


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この時の旅で、エミリア地方を回りましたが、地震の被害が大きかったのはカルピ、グアスタッラでした。


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教会巡りをしようと思いましたが、教会は多分開いてない。


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次はサンタ・キアーラ修道院教会です。


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カルピ領主の庇護を受けた裕福な修道院として知られているサンタ・キアーラ修道院です。


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サンタ・キアーラ修道院教会は予想通り閉まっていました。


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カルピ領主のピオ・ディ・サヴォイア家のカミラ・ピオ・ディ・サヴォイア(カルピ、1440-1504)によって、1490年に創建され、15世紀初めに完成したサンタ・キアーラ女子修道院です。初代院長にカミラが就任しました。


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女子修道院は、今でも現役で10人の尼僧が生活しているそうです。


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サンタ・キアーラ教会の後陣


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サンタ・キアーラ修道院の建物


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旧市街の教会には大体行ったようです。


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フレスコ装飾がある建物


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これ以上にカルピにいても見どころが無さそうです。


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泊まらなくて良かったと思いました。


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泊まったならば、時間が余って大変でした。


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ドゥオーモのクーポラ


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マルティーリ広場です。


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モデナに戻ることにしました。


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Corso Sandro Cabassiです。


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復路も鉄道利用です。


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柱廊天井のフレスコ装飾を見ます。


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これです。


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駅に向かいました。


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駅前広場です。


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駅に戻りました。
(おわり)

引き続きピオ城の市立博物館です。
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ジョヴァンニ・マルコ・バルツェッリ(カルピ、1637-モデナ、1693)に帰属する「祭壇前飾り」(1660-90c)
雪花石膏製です。


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ジョヴァンニ・マルコ・バルツェッリ(カルピ、1637-モデナ、1693)に帰属する「祭壇前飾り」(1660-90c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・マッサ(1680-1730)の「祭壇前飾り」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・マッサ(1680-1730)の「祭壇前飾り」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・マッサ(1680-1730)の「祭壇前飾り」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・マッサ(1680-1730)の「祭壇前飾り」


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エミリアの職人作「祭壇前飾り」(18世紀)


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カルピの職人作「祭壇前飾り」(17世紀後半)


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カルピの職人作「祭壇前飾り」(17世紀後半)


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カルピの職人作「祭壇前飾り」(17世紀後半)


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カルピの職人作「祭壇前飾り」(17世紀後半)


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カルピの職人作「祭壇前飾り」(17世紀後半)


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カルピの職人作「祭壇前飾り」(1690c)


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印刷機(19世紀末)
カルピ市立博物館を終わります。


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ピオ城前のマルティーリ広場です。


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長い柱廊がある建物が広場に面してます。


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Cassa Risparmioが入居してます。


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文化的、経済的な発展をサポートする非営利団体です。


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日差しが強い日でしたが、意外にも暑くなく湿度も低くて快適でした。


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柱廊の壁にフレスコ画があったそうです。


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市庁舎です。


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17世紀に建設されたPalazzo Scacchettiです。18世紀後半に市庁舎として使用されることになり、現在に至ってます。


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市庁舎でカルピの観光地図を頂戴しました。


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市立劇場は、大修復工事が行われていました。


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修復工事後の市立劇場です。
1857年から1861年に建設された新古典様式の市立劇場です。


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市立劇場ファサードの装飾


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いたるところで修復工事が行われていました。


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柱廊のバールで一休みしました。


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実は、この時、強制収容所に行こうか、随分迷いました。


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バスがあるのですが、バスが不便(帰りの便が夕方)でした。


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タクシー利用が無難でしたが、タクシー乗り場が見当たらない。


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それ程の熱意がなかったので、強制収容所行きは止めました。


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次はドゥオーモです。


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2012年のエミリア地震と、その後に2年ほど続いた余震によって、大きな被害を受けたドゥオーモは修復工事のために長らく閉鎖されていました。


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ポー―川の堆積によって出来たモデナ低地の中で、地盤が弱いカルピは、地震による被害が大きかったそうです。


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ドゥオーモのクーポラ


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(つづく)

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ベルナルディーノ・ロスキ(パルマ、1460-カルピ、1540)の「トレンティーノの聖二コラ」(1495)


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ベルナルディーノ・ロスキ(パルマ、1460-カルピ、1540)の「栄光のトレンティーノの聖二コラ」(1495)


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アントニオ・モンタナーリ通称イル・ポステッタ(カルピ,1747/1749生まれ、1773-1796活動記録)の「ウーゴ・ダ・カルピの肖像」(18世紀)
ウーゴ・ダ・カルピ(カルピ、1480-ボローニャ、1523)は版画家です。


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アントニオ・モンタナーリ通称イル・ポステッタ(カルピ、1747/1749生まれ、1773-1796活動記録)の「ニコロ・ビオンドの肖像」(18世紀)
二コラ・ビオンド(カルピ、1456-1516)は、中世におけるカルピの主要産業だった麦藁帽子製造に於いて画期的な製造法を考案した人です。


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アントニオ・アルベルティ(フェッラーラ、1390/1400-ウルビーノ、1442/1449)の「聖母子と聖人たち」(15世紀)


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ウーゴ・ダ・カルピ(カルピ、1480-ボローニャ、1523)の「シモーネ邸のキリスト」(1500-23c)
ラッファエッロ作品の複製木版画です。


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ウーゴ・ダ・カルピ(カルピ、1480-ボローニャ、1523)の「ダヴィデとゴリアテ」(1500-23c)
ラッファエッロ作品の複製木版画です。


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ウーゴ・ダ・カルピ(カルピ、1480-ボローニャ、1523)の「十字架降下」
ラッファエッロ作品の複製木版画です。


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ウーゴ・ダ・カルピ(カルピ、1480-ボローニャ、1523)の「ディオゲネス」(1523c)
パルミジャニーノ作品の複製木版画です。


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ウーゴ・ダ・カルピ(カルピ、1480-ボローニャ、1523)の「アナニアの死」(1518)
ラッファエッロ作品の複製木版画です。


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ウーゴ・ダ・カルピ(カルピ、1480-ボローニャ、1523)の「イサクの犠牲」(1515)
ティツィアーノ作品の複製木版画です。


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ウーゴ・ダ・カルピ(カルピ、1480-ボローニャ、1523)の「Sigilla Che Legge」
ラッファエッロ作品の複製木版画です。


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エミリアの逸名版画家作「アルベルト3世・ピオの肖像」(17世紀)


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エミリアの逸名彫刻家作「聖アントニオ・アバーテ」(1450c)


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エミリアの逸名彫刻家作「聖母子」(16世紀)


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カルピの逸名彫刻家作「聖母子」(16世紀)


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エミリアの逸名彫刻家作「聖母子」(15世紀後半)


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ロマーニャの逸名彫刻家作「聖母子」(1610c)


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カルピの陶器職人作「壺」(1590c)


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カルピの陶器職人作「絵皿」(1510c)


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カルピの陶器職人作「聖母被昇天」(16世紀)


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城内は広い。


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ヴェネツィア製の本(1588)


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教皇ニッコロ5世(第208代教皇 サルザーナ、1397-ローマ、1455 在位:1447-1455)による修道院建設の認可状(1449)


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カルピのサン・ニッコロ修道院の交唱聖歌集(16世紀)


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プロイセンの交唱聖歌集(15世紀)


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ヴェネツィア製の本(1502)


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カルピの遺跡からの出土品「厄払いの男根」(紀元前2世紀)


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カルピの遺跡からの出土品「厄払いの悪魔」(紀元前2世紀)


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カルピの遺跡からの出土品「ブロンズ像」(紀元前6世紀-紀元前5世紀)


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カルピの遺跡からの出土品「ブロンズ像」(紀元前6世紀-紀元前5世紀)


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カルピの遺跡からの出土品「青銅製の鐘」(紀元前2世紀-紀元前1世紀)


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アントナン・メルシエ(トゥールーズ、1845-パリ、1916)の「ダヴィデ」(1874-80c)


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アルベルト3世・ピオのメダル


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アルベルト3世・ピオのメダル


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戦車の装飾とハーネス(19-20世紀)


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戦車の矢(19-20世紀)


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戦車の矢(19-20世紀)


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Giogo(19-20世紀)


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Giogo(19-20世紀)
(つづく)

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引き続き、ピオ城内部です。


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次はSalone dei Moriです。


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壁の全面がフレスコ画で覆われてます。


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保存状態が良いフレスコ画は少ない。


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Salone dei Moriのフレスコ画は、ジョヴァンニ・デル・セガ(フォルリ、1450-1527)によって1506年に制作されました。


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ジョヴァンニ・デル・セガは、主にカルピで活動した画家ですが、メロッツォ・ダ・フォルリ(フォルリ、1438c-1494)の弟子でした。1472年、メロッツォはローマへと旅立ちますが、ジョヴァンニはそれ以前にフォルリでメロッツォに師事したようです。


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ジョヴァンニ・デル・セガ(フォルリ、1450-1527)によるフレスコ画(1506)


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次は、愛の部屋 Stanza dell’Amoreです。


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愛の部屋の壁のフレスコ画も保存状態が良くありません。


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Stanza dell’Amoreのフレスコ画は、エミリアの逸名画家によって、1490年から1510年頃に制作されました。


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Stanza dell’Amoreのフレスコ画


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Stanza dell’Amoreのフレスコ画


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Stanza dell’Amoreのフレスコ画


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Stanza dell’Amoreのフレスコ画


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次は、装飾の部屋 Stanza Ornata です。


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Stanza Ornata の天井です。


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16世紀前半のスタッコ彫刻


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Stanza Ornata のフレスコ画は、ベルナルディーノ・ロスキ(パルマ、1460-カルピ、1540)の作品です。


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スペインの塔への入り口上ルネッタのフレスコ画「ライオン」は、エミリアの逸名画家によって1490年に制作されました。
次は、市立博物館の絵画部門です。


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ヴィンチェンツォ・カテーナ(ヴェネツィア、1470/1480c-1531)の「受胎告知」(1500-10c)


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「受胎告知」の大天使下半身


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エミリアの逸名画家作「聖母子と聖人たち」(1500-10c)


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ロンバルドの逸名画家作「老人の頭」(1550c)


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ピオ城ファサードのニッチです。ピオ城ファサードは解体されました。


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ジョヴァンニ・デル・セガ(フォルリ、1450-1527)に帰属する「ローマ皇帝」(1506-18)
ピオ城ファサードのニッチです。


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エミリアの逸名画家によるスペイン塔ニッチのフレスコ画(1450以前)


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ベルナルディーノ・ロスキ(パルマ、1460-カルピ、1540)の「聖母子」(1490c)


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ベルナルディーノ・ロスキ(パルマ、1460-カルピ、1540)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1520c)


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ベルナルディーノ・ロスキ(パルマ、1460-カルピ、1540)の「ご誕生」(1510以前)


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ベルナルディーノ・ロスキ(パルマ、1460-カルピ、1540)の「幼きキリストへの崇拝」(1500-10c)


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ベルナルディーノ・ロスキ(パルマ、1460-カルピ、1540)の「幼きキリストへの崇拝」(1510以前)


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寄進者
(つづく)

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次は、ピオ城 Castello dei Pioです。


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カルピの中心であるマルティリ広場です。マルティリ広場は、イタリアで最大の広場の一つです。


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広場に面してピオ城(写真右)が建ってます。
写真正面の工事中の建物は、カルピのドゥオーモです。2012年に起きたエミリア大地震とその後に起きた余震によって大きな被害を受けたので、長らく修復工事が行われていたドゥオーモです。


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ピオ城は、建設された時代が異なる幾つかの建物から成る複合施設です。


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ピオ城は、11世紀から17世紀の約600年に渡る長期間に建設されました。


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11世紀、当時のカルピは、トスカーナ辺境伯の支配下にありましたが、モデナ平原の防衛力強化のために、トスカーナ辺境伯によって建設された要塞がピオ城の前身です。平原に築かれた要塞だったので、要塞の四方は深い堀に囲まれていました。


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1288年、カルピは、モデナのエステ家の支配を受けるようになりましたが、要塞はエステ家によって拡大整備されました。


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1329年からモデナで摂政を務めていたマンフレード1世・ピオ(?、?-カルピ、1,348)は、1336年、エステ家からカルピ領主に任じられました。マンフレード1世は、ピオ・ディ・サヴォイア家の当主でした。
新たに領主となったマンフレード1世は、要塞から城へと更に建物を増築しました。


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建物は中世の武骨な城でしたが、15世紀前半、アルベルト3世・ピオ(カルピ、1,475-パリ、1,531)によってルネサンス様式の邸宅へと改造されました。


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1527年、イタリアに進軍してきたハプスブルグのカルロ5世(1500-1558)によって、アルベルト3世・ピオは、パヴィア戦争で敗走すると共にカルピから追放されてしまいました。


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城の入り口です。その前には堀を渡る跳ね橋があったそうです。
1530年、カルピは、モデナ公国領となり再びエステ家の支配下に置かれることになりました。時計塔が17世紀に追加されました。


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時計塔の側面


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ドゥオーモは、その後修復工事が完了しました。


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Piazzale Re Astolfoに面した側のピオ城です。


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18世紀末、ナポレオンのイタリア侵攻に伴い、ピオ城はフランス軍に接収され、フランス軍の駐屯地となりました。


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中庭です。


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ナポレオンの失脚後、カルピは、1815年から1860年までハプスブルグのオーストリア・エステ家領となり、ピオ城は、その政庁として使用されました。


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1860年、カルピはイタリア王国に組み込まれ、ピオ城は軍事施設に転用されました。


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1936年、ピオ城は、カルピ市所有となり、修復改装工事を経て、博物館、図書館として一般公開されるようになりました。


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現在、ピオ城は、市立図書館、市の歴史博物館、市立博物館となってます。
カルピ観光の唯一無二の見所がピオ城でしょう。
市立博物館は、城、美術部門、政治的部門の3部門からなってます。政治的部門は、分離集落フォッソーリのユダヤ人強制収容所関係となってます。


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入館します。


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Museo dei Palazzoの部分です。


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礼拝堂です。


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壁全面がフレスコ画で覆われてます。


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礼拝堂のフレスコ画は、ベルナルディーノ・ロスキ(パルマ、1460-カルピ、1540)によって制作されました。


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ベルナルディーノ・ロスキは、1500年頃からアルベルト3世・ピオに仕える画家ですが、マンテーニャの影響を受けた画風でした。


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礼拝堂天井


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復活したキリスト


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)の彩釉テラコッタ


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礼拝堂の床


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城内の部屋にフレスコ画が残されてます。


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次は、凱旋の間 Sala dei Trionfiのフレスコ画です。


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凱旋の間のフレスコ画もベルナルディーノ・ロスキ(パルマ、1460-カルピ、1540)によって制作されました。


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(つづく)

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モデナ駅の駅舎です。
モデナに2泊してましたが、その中日にカルピへの日帰り遠足をすることにしました。


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モデナ駅から普通列車でカルピに向かいます。


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カルピ駅に到着しました。


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カルピは、人口72,510人(2020年8月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州モデナ県にあるコムーネで、モデナの北西約20キロメートルにあります。


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カルピ駅の駅舎です。


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駅前広場です。


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駅からViale Darfo Dallaiを200メートルほど歩けば旧市街の入り口に出ます。


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旧市街の先端がもう見えてます。


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ニコロ・ビオンド通りを渡れば旧市街の入り口です。


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ニコロ・ビオンド通りです。


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モデナ方向のニコロ・ビオンド通りです。


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ニコロ・ビオンド通りを渡ります。


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旧市街に入りました。


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旧市街に入ると通りの名称が変わります。


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カルピには暗い歴史があります。
カルピ郊外に、カルピの分離集落 Frazioniの一つにフォッソーリ Fossoliがありますが、1942年、フォッソーリの刑務所が拡大整備され、新たに強制収容所が設けられました。イタリアに居住していたユダヤ人はフォッソーリ強制収容所に収容され、そこからドイツへと強制送還されたのです。イタリア居住のユダヤ人犠牲者は約8千人と推定されてます。フォッソーリ強制収容所がホロコースト直接の舞台になったという証拠はないようです。
現在、フォッソーリ強制収容所はMuseoとして一般公開されてます。観光気分で行く場所ではないので、私は訪れたことがありません。


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アルド・マヌツィオ通りです。


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コドルフォ・ピオ通りに入りました。


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マルチメディアの図書館です。


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1902年に建設された麦藁帽子工場だった建物がマルチメディア図書館に使用されてます。


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振り返ると、Festa del Raccontoを見落としたことに気付きました。


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Castello del Pioです。


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ピオ城は、Museoとして一般公開されてます。


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ピオ城博物館の入り口です。広場側の入り口から入館する人が殆どです。


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Piazzale Re Astolfoです。


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モデナ裁判所カルピ支所です。


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サンタ・マリア・イン・カステッロ教区教会です。


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ロンゴバルドによって、752年に建設されたカルピ最古の教会です。


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12世紀後半に拡大され、ロマネスク様式の建物になりました。1184年に奉献式が執り行われました。


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1515年、建築家バルダッサッレ・トンマーゾ・ペルッツィ(ソヴィチッレ、1481-ローマ、1536)の設計によって、ルネサンス様式のファサードが建設されました。


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1886年から1887年にかけて改装工事が行われました。現在の外観は、この工事後のものです。


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高さ49.5メートルの鐘楼が目立ちます。


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鐘楼の先端


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説教壇


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入口扉上ルネッタの彫刻が必見です。


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c-1230c)派逸名彫刻家の作品です。


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ロマネスク様式の彫刻です。


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中はフレスコ画が沢山あります。


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15世紀のフレスコ画


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15世紀のフレスコ画


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マギの礼拝(15世紀)


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マンフレード1世・ピオ(?、?-カルピ、1348)の石棺(1351)
マンフレード1世・ピオは、最初のカルピ領主です。


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(つづく)

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