イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ピエモンテ州 > モンカリエーリ

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サン・フランチェスコ教会です。


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Via Real Collegio


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アーチを潜ってジェズ教会に出ます。


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ジェズ教会の扉は固く閉じられたままでした。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に来ました。先ほどの小雨が止みました。


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サン・フランチェスコ教会の扉も閉まっていました。


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カルロ・アルベルト通りです。


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沢山の鳥が広場の上を旋回していました。


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Palazzo Duch


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フレスコの日時計があります。


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Via Martino


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Vicolo Carlo Botta


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Via Vittorio Alfieriに出ました。


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Via Vittorio Alfieriを城方向に進みます。


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直ぐにモンカリエーリ城が見えてきました。


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小高い場所に上ります。


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モンカリエーリ城が見えます。


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家の先下にポー川が流れてます。


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サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会の鐘楼です。


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Via Vittorio Alfieriを更に進みます。


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モンカリエーリ城の城壁です。


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アーチを潜ります。


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トリノが見えます。


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サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会です。


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モンカリエーリ城の前に出ました。


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バーデン・バーデン広場です。城の博物館はもう閉館しました。


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市庁舎分庁舎を通り過ぎます。


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振り返ってモンカリエーリ城に別れを告げました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に戻りました。


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サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会も閉まっていました。


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夕方にも拘らず広場の人出が少なかった。


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見所が少ないと思いました。


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市庁舎


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ホテルに戻ることにしました。


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Salita Padre Denza


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道を下って旧市街の外に出ます。


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ホテルに戻りました。


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翌朝です。サンテジーディオ・アバーテ教会はこの日も閉まっていました。


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Piazza Caduti per la Libertaに青空市が立っていました。


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モンカリ―エリ駅から次の目的地に向かいました。


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(おわり)

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サンテジーディオ・アバーテ教会です。


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11世紀頃、モンカリエーリを流れるポー川に架かる四本の橋は、テンプル騎士団によって管理されていましたが、騎士団はこの場所に住んでいたそうです。


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この場所にあった教会は、1196年の文書に初めて記録されたそうです。


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最初の建物が経時劣化したので、16世紀に再建されました。18世紀と19世紀に改装され、現在の姿になりました。


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残念ながら教会の扉は閉まっていました。


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鐘楼は、1196年の文書に記載されている最初の建物のものです。


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トリノに向かう列車の時間が迫ってきたので、クリストフォロ・コロンボ通りの先には進まず。


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駅に向かいます。


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Piazza Caduti per la Libertaです。


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発車まで、あと3分。焦りました。


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車内は非常に空いてました。


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トリノ・ポルタ・スーザ駅に到着しました。


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地下駅なので、地上に上がるまで多少時間がかかります。


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本題から外れるので、この日のトリノは省略します。


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復路の列車も空いてました。


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トリノからモンカリエーリ駅に戻りました。


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切りピザ1つの昼食だったので、お腹が空いてましたが頑張ります。


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もう一度サンテジーディオ・アバーテ教会に行ってみます。


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扉が開いているかも知れないと淡い期待を抱いてました。


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残念! やはり扉は閉まっていました。


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ミロッコ、ユグラリスなどの作品があります。


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この当時、サンテジーディオ・アバーテ教会の扉が開くのは土曜の夕方と日曜の朝だけだったことを後で知りました。


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見上げるとPalazzo Alfieri di Sostegnoがありました。


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クリストフォロ・コロンボ通りを進みます。


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トリノのベッドタウンらしい佇まいです。


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このまま進めばサンタ・クローチェ病院に出ます。


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同じ場所を見ても詰まらないので左折します。


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Vicolo Ferrucciに入りました。


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Collegio Carlo Albertoの建物です。


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この辺に城壁があったそうです。


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サン・フランチェスコ教会の鐘楼です。


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Via Torquato Tasso


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に行っても詰まらないので、違う道を選びます。


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小雨が降ってきました。


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天気予報は快晴でした。


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イタリアの天気予報は日本よりも簡単です。


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旧城壁です。


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(つづく)

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次はジェズ教会です。


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古くてバロック、ロココの作品ばかりで気合が入りません。


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Palazzo Duchも見どころがあまりなさそうです。


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カルロ・アルベルト通りを下ります。


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突き当りの、一見教会のような建物は、1838年に設立されたFondazione Collegio Carlo Alberto(学校)です。突き当りを右に進めばジェズ教会があります。


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ジェズ教会です。


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Confraternita del Santissimo Nome di Gesuによって1619年に建設されました。


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ファサードの壁龕に聖ロッコと聖シルヴェストロの彫刻があったそうですが、経時劣化のため、20世紀初めに失われたそうです。


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中にミロッコ、ボーモントのフレスコ画があります。


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鐘楼


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扉が閉まっていて拝観出来ず。


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教会巡りは、美術鑑賞の手段としては効率が悪いのです。


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レアル・コッレジョ通りです。


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一旦ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に足を踏み入れます。


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サン・マルティーノ通りに入りました。


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緩い下り坂になってます。


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サン・マルティーノ通りを駅方向に向かいます。


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道と思うのですが、通りの名称は何故かウンベルト1世広場です。


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ワインを飲みながら昼食を楽しむか、それともトリノに出てサバウダ美術館に行こうか、迷っていました。


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モンカリエーリだけでは、日がな一日が持ちません。


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無原罪の聖母のタベルナコロ


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振り返ってヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場を見ました。


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トリノに数泊して、モンカリエーリへの日帰り遠足をするのが正解だった、と後悔しきりです。


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街一番の目抜き通りです。


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昼食を楽しもうと思っても適当な店が見つかりません。


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Vicolo Muratoriです。


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午後はトリノに行くことにしました。


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電車で数分もすればトリノです。


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マルティーノ通りを進みます。


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バスの便も非常に良いのですが、何処を経由するのか分からないので、鉄道が無難です。


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門が見えてきました。


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Porta Navinaです。門の内側が旧市街です。


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Via Adolfo Arduino


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Porta Navinaを潜ります。


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門を潜って城壁外に出ました。


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Piazza Caduti per la Libertaです。


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駅前広場になります。広場の先にポー川が流れており、この広場だった場所に河岸がありました。


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鐘楼が見えてます。


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トリノは急ぎではなく単なる暇潰しなので、サン・エジーディオ教会に道草です。


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クリストフォロ・コロンボ通りです。
(つづく)

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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に面して、もう一つ教会があります。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場の左下部に教会があります。


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サン・フランチェスコ教会です。カルロ・アルベルト通りの角にあります。


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サン・フランチェスコ教会の歴史は古く、7,8世紀頃にこの場所にあった初期キリスト教会が前身とされてますが、確実な記録がなく初期キリスト教会は伝説という説もあります。


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1210年、フランスへの旅の途中で、聖フランチェスコはモンカリエーリに立ち寄ったそうです。その直後に聖フランチェスコに捧げる礼拝堂がこの場所に建設されました。その礼拝堂を組み込んで、13世紀前半にゴシック様式の教会が建設されました。
18世紀前半、ゴシック様式の建物が老朽したので、建物の再建が決まりました。建築家フィリッポ・カステッリ(サン・ダミアーノ・ダスティ、1738-トリノ、1,820?)が起用され、1755年に最初の建物が取り壊され、その上に1756年から1788年にかけて建設された建物が現在の姿です。


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18世紀末、ナポレオンのイタリア侵攻に伴い、サン・フランチェスコ修道院教会はフランス軍に接収され、軍事用途に転用されました。ナポレオンの失脚後も宗教活動を再開されることはなく、サヴォイア家、イタリア王国の軍用施設として使用されました。
教会機能を再開したのは20世紀になってからでした。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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華美な装飾が目立ちます。


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天井


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天井のフレスコ画


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浮彫とスタッコの天井


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ピエモンテの逸名画家作「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(19世紀)


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カルヴァリオへの上りがあります。


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リグーリアの逸名彫刻家作「無原罪の御宿リ」(18世紀)


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トンマーゾ・ユグラリス(モンカリエーリ、1844-1925)の「聖フランチェスコに顕現する聖母子」


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トンマーゾ・ユグラリスは、地元で生まれ、地元で没しましたが、画家としてはその生涯の殆どをアメリカで活動しました。


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エルコーレ・ルスピ(ローマ、1845-1868活動)の「聖母子」(1848)


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主祭壇


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Presbiterio天井


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フェリーチェ・バルッコ(トリノ、1830-ヴァルペルガ、1906)の「聖母子」(1860)


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主祭壇画は、ジュゼッペ・ピアッティ―ニ(スイス、1814-1885)の「祈る聖フランチェスコ」(1860)


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エンリコ・レッフォ(トリノ、1831-1917)の「キリストの聖心」


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エンリコ・レッフォ(トリノ、1831-1917)の「聖アントニオ・マリア・ザッカリア」
聖アントニオ・マリア・ザッカリア(クレモナ、1502-1539)は、初期宗教改革の指導者です。


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エンリコ・レッフォ(トリノ、1831-1917)の「聖アントニオ・マリア・ザッカリア」


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詳細不知


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トンマーゾ・ユグラリス(モンカリエーリ、1844-1925)の「コルトーナの聖マルゲリータ」(1906)


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主祭壇前から見た出入り口方向


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カウンターファサード


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カウンターファサードにオルガンがあります。


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外に出る前に、もう一度教会内を眺めました。


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旧修道院には行けないようになっていました。


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古い作品が全くありません。


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外に出ました。
(つづく)

引き続きサンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会です。
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左側廊です。


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ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「アヴィーラの聖テレーザに聖心を授けるキリスト」


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「嘆き」(15世紀前半)


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ステファノ・マリア・クレメンテ(トリノ、1719-1794)の「パドヴァの聖アントニオ」


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詳細不知


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左翼廊にある礼拝堂です。


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ネオ・ゴシック様式のサンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


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ジャコモ・アンドレア・カセッラ(カローナ、1619-1685)の「聖フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(1663c)


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アンジェロ・モハ(ミラノ、1828-ドーロ、1885)のサンティッシモ・サクラメント礼拝堂天井装飾


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フランチェスコ・ラダッテ(1706-1787)の「銀製聖遺物容れ」(1749)


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「天上の聖母子とバーデンのベアート・ベルナルドと聖ロッコと聖セバスティアーノと聖グラート」


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ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「聖母マリアの神殿奉献」


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ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「聖母マリアの誕生」


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急に明かりが消えました。


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写真写りが良くありません。


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2€コインを入れました。
ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「キリストの神殿奉献」


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主祭壇画上の装飾


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クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖母被昇天」(1766)


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カウンターファサード方向


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カウンターファサードにオルガンがあります。


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外に出ました。


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バロック期、ロココ期の作品が多い教会です。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場です。


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1615年に建設されたPalazzo Comunaleです。


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1786年に改築されたファサードです。


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バッチョ・ポンテッリ(フィレンツェ、1450-ウルビーノ、1492)派建築家によって16世紀に建設されたPalazzo Duchです。


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古い建物が建ち並んでいる広場です。


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Palazzo Accorsiです。


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イタリア統一前はマッジョーレ広場と呼ばれていたそうです。


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これは何でしょうか?


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(つづく)

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Via Principessa Maria Clotildeを進みます。


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次は、サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会です。写真右の建物が参事会教区教会です。


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Via Principessa Maria Clotildeからヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に入ります。


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旧市街の中心ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に入りました。


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振り返ってVia Principessa Maria Clotilde方向を見ました。


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サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会と市庁舎(写真右の建物)です。


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Fontana del Saturnio(1773)です。


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教会存在の最初の記録が1232年の文書に記載されてます。


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創建は13世紀第1四半世紀と思われますが、資金難のため、建設工事は中々進捗しませんでした。


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1312年、当時のトリノ司教による多額の寄付があり、建設工事が進んで1330年頃に完成しました。


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18世紀以降、何度も改装、修復工事が行われました。現在のファサードは、1857年に行われた改造工事後の姿となってます。


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鐘楼は15世紀に建設されました。


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鐘楼の時計が1730年に追加されました。


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ファサード前に階段があります。


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階段を上って入口扉に出ます。


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ファサードの横ニッチにある「キリストの聖心」


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教会内に入りました。


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四廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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左側に2つの側廊があります。


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交差ヴォールト


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Presbiterioを見ます。


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1330年頃に完成した建物のPresbiterioは、1745年に取り壊されました。現在のPresbiterioは、18世紀中頃に再構築されたものです。


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16世紀の磔刑像


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主祭壇画は、クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖母被昇天」(1766)です。


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主祭壇画上の紋章


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右後陣の礼拝堂


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左後陣の礼拝堂


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「聖母子と聖アガタと聖ルチア」


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ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「ご誕生」


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チャールズ・クロード・ドーフィン(ナンシー、1615-トリノ、1677)の「受胎告知」


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詳細不知


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チャールズ・クロード・ドーフィン(ナンシー、1615-トリノ、1677)の「コスタンティーノ帝を洗礼する聖シルヴェストロ」(1668)


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右側廊


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右側廊からの眺め


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古いフレスコ画が残されてます。


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14世紀末から15世紀初めに制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画の制作者は不明とされてます。


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(つづく)

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塀の向こうにカステッロが建ってます。


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カステッロに向かいます。


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モンカリエーリ城です。


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トリノの南、ポー川の丘陵にあるモンカリエーリは、陸上と河川交通の要衝でした。


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トリノ防衛の前線基地として、10世紀以前に築かれた砦が前身のようですが、砦に関する記録が残されていません。


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城に関する確実な記録によれば、モンカリエーリ伯爵だったトンマーゾ1世・サヴォイア(カステッロ・ジャンボニエール、1178-モンカリエーリ、1233)がトリノへの南防衛基地として、1200年頃に建設した要塞が前身とされてます。


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15世紀後半、トリノ公爵アメデオ9世・ディ・サヴォイア(トノンレバン、1435-ヴェルチェッリ、1472)は、要塞をサヴォイア家の別荘に増築改装することにしましたが、アメデオ9世の妻イオランダ・ディ・ヴァロア公爵夫人(イオランダ公爵夫人)(トゥール、1434-モンクリヴェッロ、1478)が自身の住居として使用することを欲しました。
イオランダ公爵夫人は、フランス王シャルル7世の娘であり、ルイ11世の姉でした。そのため、城は防御よりも華美な宮殿として増築改装されました。


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17世紀前半、サヴォイア家は、モンカリエーリ城の拡大整備を図るために建築家カルロ・ディ・カステッラモンテ(トリノ、1571-1640)を起用して、1633年から1660年にかけて拡大整備させた建物が現在の姿となってます。


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1798年、ナポレオンのフランス軍によって城は占領され、フランス軍基地となりました。ナポレオンの敗退後の1814年、モンカリエーリ城は、サルデーニャ王ヴィットリオ・エマヌエーレ1世・ディ・サヴォイア(トリノ、1759-モンカリエーリ、1824)に返還されました。


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1921年、城は警察署に転用されると共に、建物の一部はMuseoとして一般公開されるようになりました。


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1997年、サヴォイア家の他の宮殿と共に、モンカリエーリ城はユネスコの世界遺産になりました。


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2008年4月8日、火災が発生し、鎮火まで3日要しました。そのため、Museoは長らく閉鎖されました。


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城の壁に碑時計があります。


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表庭に入りました。


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バラの庭 Giardino delle Roseと呼ばれてます。


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中庭です。


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城の内部


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城の礼拝堂


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バーデン・バーデン広場から見たモンカリエーリ城です。


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カルメロ・サン・ジュゼッペ修道院教会です。


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バーデン・バーデン広場は、モンカリエーリの高所にあるので、絶景ポイントになってます。


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バーデン・バーデン広場です。


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バーデン・バーデン広場から見たモンカリエーリ城です。


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Via Principessa Maria Clotilde


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Vicolo Silvio Pellico


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市庁舎の分庁舎です。出生届や婚姻届などを担当する部署があります。


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Via Principessa Maria Clotildeに入りました。


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振り返って撮ったモンカリエーリ城の写真です。


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市庁舎分庁舎の門があります。


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ここに観光案内所があります。


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モンカリエーリの地図を頂戴しました。


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分庁舎から外に出ます。
(つづく)

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前泊地はブラでした。写真はブラ駅の駅舎です。


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ブラ駅から鉄道でモンカリエーリ駅に向かいます。


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列車内は空いてました。


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モンカリエーリ駅に到着しました。


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モンカリエーリ駅の駅舎です。


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この日のお宿に向かいます。


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モンカリエーリは、人口56,506人(2020年8月31日現在)のピエモンテ州トリノ県にあるコムーネです。


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駅前広場です。


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この日のお宿です。トリノに近いモンカリエーリなので、トリノに泊まる人が殆どのようで、この街の宿泊設備は非常に限られてます。


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ホテルに大きな荷物を預けてから街歩きに出発しました。


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モンカリエーリに来る切っ掛けは、ジェノヴァ~トリノを鉄道で何度も往復するうちに、車窓から見えた、丘上に聳える城に興味を持つようになったことです。


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モンカリエーリを囲むようにポー川が流れており、川横の丘陵に街が築かれてます。


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中世の頃、モンカリエーリに四本の橋がありましたが、それらの橋はテンプル騎士団によって管理されていました。


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旧市街は丘陵にあり、丘陵下に新市街が広がってます。


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トリノの南東8キロメートルにあるので、現在はトリノのベッドタウンになってます。


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ホテルは新市街にあります。緩やかな坂を上って旧市街に向かいます。


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トリノのベッドタウンだけあって、アパートが沢山あります。


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クリストフォロ・コロンボ通りです。


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フェルディナンド広場に出ました。


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広場の先の建物はサンタ・クローチェ病院です。


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サンタ・クローチェ通りです。


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サンタ・クローチェ通りを西に向かって進みます。


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通りの突き当り(実際は突き当りではありません)にサンタ・クローチェ教会があります。


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写真左下に城壁がありました。


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この辺は城壁外に当たります。


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18世紀に建設された建物が多い通りです。


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サンタ・クローチェ教会です。


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教会がある場所にPorta di Piacentinaがありました。門近くにエルサレム騎士団によって1452年に建設された病院と礼拝堂がありました。16世紀後半、礼拝堂ではなく教会の建設計画が持ち上がりました。


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Porta di Piacentinaを取り壊し、門跡に1602年に創建され、1691年に完成したサンタ・クローチェ教会です。ここでは、礼拝堂の名称のままになってます。


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サンタ・クローチェ教会の内部です。


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教会の横を右折します。


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サンタ・クローチェ通りの先は後で見ます。


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通りの先に鉄道駅があります。


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サンタ・クローチェ通りを右折してVicolo Girolamo Savonarolaに入りました。


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Vicolo Girolamo Savonarolaの上に修道院があります。


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写真左が修道院教会です。


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カルメロ・サン・ジュゼッペ修道院教会です。


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跣足カルメル会修道女の修道院教会です。


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聖ルイージ・ゴンザーガ一族の貴族の娘であるベアータ・マリア―ナ・デリ・アンジェリ本名マリアンナ・フォンタネッラ(トリノ、1661-1717)によって1703年に建設された女子修道院です。


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現在も修道女が寝起きしています。


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建設された当初は、大変裕福な修道院として知られていました。


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Vicolo Girolamo Savonarolaを上り切ります。


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観光客を受け入れていないようです。


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(つづく)

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