イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ウンブリア州 > ペルージャ再び

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アーチの上はチェーザレ・バッティスティ通りです。


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アッピア通りをモルラッキ広場に向かって進みます。


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通りの突き当りがモルラッキ広場です。


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モルラッキ広場に出ました。


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丁度一周したことになります。


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11月4日広場に向かいます。


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サンタ・スザンナ門です。


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聖母子と二聖人のタベルナコロ


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プリオーリ宮


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11月4日広場です。


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大聖堂付属美術館の入り口


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ドゥオーモが開いていたので拝観しました。


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サンタガタ教会は閉まっていました。


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サンタゴスティーノ教会です。


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ペルージャ最古の教会の一つですが、確実な存在記録によれば、12世紀に既に存在していたことが裏付けされてます。


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現在のファサード装飾は、1473年に施されたものです。


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中は単廊式で、バロック様式に改造されてます。


1006
古いフレスコ画が僅かに残されてます。ペッリーノ・ディ・ヴァンヌッチョの「磔刑」(1377)


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ジャン二コラ・ディ・パオロ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1478-ペルージャ、1544)に帰属する「グラツィエの聖母」(16世紀初頭)


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エトルリア時代の城壁に隣接して10世紀に建設されたサン・ベネデット・ヴェッキオ教会です。


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荒廃が進むエトルリア時代の城壁と共に、18世紀に危険とされて放棄された教会です。


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これで大体見終わりました。


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意外にも昼食代わりの軽食が胃にもたれて困りました。


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教会だった建物です。


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旧サン・イシドーロ教会です。


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中にフレスコ画の痕跡があるそうです。


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すっかり夕方になりました。


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ホテル前のイタリア広場に戻りました。


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お腹が空くのは午後9時過ぎになりそうでした。


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午後9時過ぎに夕食のために外出するのは億劫だし、ホテル併設のレストランも気が進まない。


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自室の簡易キッチンで簡単に料理して、お腹が空いたら食べることにしました。


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善は急げとばかりに食料品の買い出しに。


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何故かサンタンナ駅に来てしまいました。


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夕食分の食料を買って部屋に戻ります。


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早朝のイタリア広場です。


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朝一番のバスでペルージャ駅に向かいました。


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FS駅前の広場です。


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ペルージャ駅の駅舎です。


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フォリーニョ行きの普通列車を待ちます。


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次の目的地はスペッロでしたが、フォリーニョで乗り換えます。


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車内は空いてました。
(おわり)

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引き続きVia dell’Acquedottoです。


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写真左下はアッピア通りです。


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道の左右の建物は、水道橋の使用が廃止されてから建設されたように思います。


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このような状態なので、そう思うのです。


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Palazzo Gallenga Stuartです。


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水源地の方に進みます。


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Arco Etrusco o di Augustoが見えます。


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Via dell’Acquedotto沿いの家の庭


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橋のような通りはそろそろ終わりです。


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普通の道路になりました。


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通りの名前も変わりません。


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この辺も水路になっていました。


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馬車の車輪除けがついている普通の道です。


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これ以上普通の道路を歩いても面白くなさそうです。


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引き返すことにしました。


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ドゥオーモです。


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エトルリア時代の城壁だった所です。


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写真右の階段はアッピア通りになります。


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振り返って撮った写真です。


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水路は暗渠の中を進みます。


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アッピア通りの階段を上ります。


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(つづく)

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モルラッキ広場を通り過ぎます。


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チェーザレ・バッティスティ通りです。


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チェーザレ・バッティスティ通りを進みます。


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道は、丘の縁を縫うように走り、眼下に風景が広がります。


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Via dell’Acquedottoが見えました。


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水源地のモンテパッチャーノから11月4日広場のFontana Maggioreまで水を導くために、約4キロメートルにわたって、1225年から1280年に築かれた水道橋です。


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1835年まで水道橋と使用されていました。その後、修復工事が行われ歩道となりました。
暇なので、Via dell’Acquedottoを歩くことにしました。


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ベアータ・コロンバ修道院の鐘楼が見えてます。


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Via dell’Acquedottoには、ペルージャ外国人大学の方からは入ることにしました。


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丘の縁に沿ってエトルリア時代に築かれた城壁がありました。


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チェーザレ・バッティスティ通りです。


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通りの突き当りにサン・フォルトゥナート教会があります。


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Arco Etrusco o di Augustoです。


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ペルージャ外国人大学です。


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18世紀に建設されたPalazzo Gallenga Stuartに大学が置かれてます。


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ここはペルージャの代表的景観の一つです。


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ペルージャ外国人大学横の階段を下ります。


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アーチの先に水道橋が見えてます。


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アーチを潜ります。


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水道橋です。


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保存状態が良さそうに見えます。


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振り返ってペルージャ外国人大学の方を見ました。


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ドゥオーモの鐘楼が見えます。


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Via dell’Acquedottoを歩くことにしました。


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写真左の階段を上ります。


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階段の先でVia dell’Acquedottoに合流します。


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Via dell’Acquedotto上に来ました。


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ペルージャ外国人大学の方に向かって歩きます。


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(つづく)

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何か食べなくては。


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写真左の店で軽食です。


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暑かったので、屋外ではなく冷房が効いた店内で食べました。


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40℃近い猛暑にも拘らず、ヨーロッパ人は屋外で食べるのが好きなようです。


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熱中症が気になりますが、コロナ流行下では、暑くても屋外食事の方がベター?


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午前中に一服した店が人気でした。


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軽食にも拘らず、ワインを一本空けてしまい、眠くなったので一旦ホテルに戻ることにしました。


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Corso Pietro Vannucci


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軽食でデザートを食べ忘れたので、代わりにジェラートを。


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イタリア広場に戻りました。


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このような場合、旧市街に宿を取ると何かと便利です。


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30分程小休止してから、ホテルを出ました。


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Corso Pietro Vannucciを何回往復したことか。


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ホテルで小休止している間に、気のせいか、多少気温が下がったと思いました。


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本屋が入っている建物です。


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建物の詳細が分からないのですが、ファサードの浮彫が見事です。


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ベルマーレの中田選手が移籍したことで、ペルージャが日本で知られることになりました。


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夕方になって人出が多くなってきました。


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ファーニ通りです。


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変なオブジェが置かれる場所です。


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プリオーリ宮


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次は大聖堂付属美術館です。


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開いている筈のドゥオーモでしたが、扉が閉まっていました。


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入館する前にFontana Maggioreにご挨拶。


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ペルージャに来たからには一度はじっくりと見ます。


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大聖堂付属美術館は問題無く開館してました。


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この時の展示は、貸出、差し替え、修復などがなかったようで、前回と全く同じでした。


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アンドレア・ヴァンニの作品


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メオ・ディ・グイド・ダ・シエナの作品


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ペルジーノの作品


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ルカ・シニョレッリの作品


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ジローラモ・ダンティの作品


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外に出ました。


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次はサンタ・スザンナ門です。


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この辺は13世紀に築かれた城壁に当たります。


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サンタ・スザンナ門です。写真左端にPorta Coliという有名なお店です。教会だった建物で、店内にフレスコ画があります。


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サンタ・スザンナ門のタベルナコロです。


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地震で崩落しない限り、数百年後でも変わらない光景でしょう。


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アーチを潜りました。


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(つづく)

024
ペルージャのバスターミナルです。


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イタリア広場に向かいます。


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エスカレーターを乗り継ぎます。


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イタリア広場に出ました。この時のお宿が写ってます。


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チェックインを済ませて自室に入りました。


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通りに面していない部屋だったので静かでした。


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外に出ました。


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Palazzo Cesaroniです。


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夏休み中だったので、人出が多かった。


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初日にやることは何時も同じです。


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美術作品を見たいがために何度も足を運びます。見慣れた所ばかりですが、飽きることがありません。


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MuseoがあるPalazzo Baldeschiです。


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Fondazione Cassa Risparmio Perugiaが所有する作品を見ることが出来て幸せでした。相変わらず写真不可でした。


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早くも、ここで一休みしました。


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プリオーリ宮に向かいます。


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国立ウンブリア美術館に入館する前にファサードの彫刻を見ました。


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ふと振り返って通りを確認すると、変なオブジェが撤去されていたので変に安心しました。


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入館しました。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品


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ルカ・シニョレッリの作品


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ペルジーノの作品


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コッレージョ・デル・カンビオにも入りました。


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この日は鑑賞日でしたが、外に出ると疲れていることが分かりました。


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11月4日広場です。


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気温が急上昇した影響でしょうか、観光客の姿が少なくなりました。


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Fontana Maggiore


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イタリアでは、夏至の頃が最も暑いように思います。


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ドゥオーモの階段にも人が殆どいなかった。


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大学生に大人気のプリオーリ宮の階段ですが、この日は不人気でした。


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次はドゥオーモの拝観です。


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説教壇


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聖堂内に入ります。


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堂内は相変わらずの写真不可でした。


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外に出ました。


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(つづく)

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次はサン・フィリッポ・ネリ教会です。


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サン・フィリッポ・ネリ教会です。


437
この場所に、初期キリスト教会のサン・ジョヴァンニ・ロトンド教会がありましたが、11世紀に解体されて荒地になっていました。


434
17世紀初め、Padri Filippiniは、反宗教改革のための教会建設を決め、ローマの売れっ子建築家パオロ・マルチェッリ(ローマ、1594-1649)に建設を委嘱しました。


436
当時、パオロ・マルチェッリは、ローマでのマダーマ宮建設などで多忙でした。ファサードの設計と工事途中までは関与したようですが、地元の建築家が後を継いだようです。


p1130
1627年から1665年に建設されたバロック様式のサン・フィリッポ・ネリ教会です。


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ファサード前の手すり付き階段は1647年から1665年に建設されました。
美術品が多い教会として知られてます。
他のペルージャの教会と同じく、ナポレオン軍のイタリア侵攻に際して、この教会にあった幾つかの作品がフランスに持ち去られました。


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持ちされた作品の代表的なものが、グイド・レーニのこの作品です。現在、フランス、リオンのMusee de Beaux di Lioneにあります。
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「聖母被昇天」(1637)


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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主祭壇画は、ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596-ローマ、1669)の「無原罪の御宿リ」(1662)


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クーポラのフレスコ画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1678-ローマ、1758)の「聖母戴冠」(1728)です。
クーポラ四隅のフレスコ画は、ジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639-1697)の「四福音書記者」(1668)です。


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身廊天井のフレスコ画は、フランチェスコ・アッピア―ニ(アンコーナ、1704-ペルージャ、1792)によって1762年に制作されました。


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身廊天井の格子装飾は、二コラ・ジュリによって1762年に施されました。



p1137
制作者情報不知の「グイド・レーニ作『聖母子を崇める聖フィリッポ・ネリ』のコピー画」です。


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こちらは、グイド・レーニの作品写真です。
本物は、ローマのサンタ・マリア・イン・ヴァッリチェッラ教会にあります。


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シモーネ・チブッリ(ペルージャ、1591から活動記録-1624没)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(17世紀)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリ(ヴィテルボ、1610c-1662)の「チントラの聖母」


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フランチェスコ・トレヴィサーニ(カポディストリア、1656-ローマ、1746)の「受胎告知」(1710)


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ジュゼッペ・パッセリ(ローマ、1654-1714)の「ご訪問」(1709)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ通称イル・バチッチョ(ジェノヴァ、1639-1709)の「聖母子の勝利」


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セバスティアーノ・チェッカリーニ(ファーノ、1701-1783)の「聖母戴冠」


435
沢山の作品がありますが、そのうち多くの作品帰属がよく分かりません。


438
Corso Pietro Vannucciに戻りました。


440
ホテルに戻ることにしました。


001
出発する日の朝です。


002
この日の目的地はチッタ・ディ・カステッロです。鉄道で向かいます。


001
ここで切符を買いました。


007
ウンブリア中央鉄道のサンタンナ駅です。


003
サンセポルクロが終点です。


008
古い気動車が使用されてます。


009
この時の旅はこれで終わりです。


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次のペルージャの旅です。
この時の前泊地はアッシジでした。


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アッシジからペルージャ行きの直通バスがあります。


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アッシジのバスターミナルに向かいます。


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季節は、夏至に旬日に迫った暑い日でした。


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天気に恵まれ快晴でした。


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道の突き当りがバスターミナルの広場です。


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広場に出ました。


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ペルージャ行きのバスがいます。


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始発のバスターミナルからの乗客はどうやら私一人のようです。


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ローマから直通バスでペルージャに行ったこともあります。


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(つづく)

384
次はサン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂です。


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聖堂は谷に建てられてます。この場所は、ペルージャ旧市街の丘下に位置し、農地と埋葬地でした。


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12世紀、農地だった、この場所にサンタ・スザンナ教会が建設されました。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と同じ構造の上教会と下教会にするため、サンタ・スザンナ教会の上に1251年から1253年に建設されたのがロマネスク様式のサン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂の上教会です。サンタ・スザンナ教会は聖堂の下教会となって、呼称されなくなりました。
同時に聖堂の横に広大な修道院が建設されました。


412
丘下の谷のこの場所は、地盤が弱い上に地下を流れる川があったようで、地滑りや地震によって建物は大きな被害を受けました。活動を停止して、大掛かりな改造、修復工事が何度も行われました。


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聖堂のファサードは、18世紀以前に崩落していました。
現在のファサードは、建築家ピエトロ・アンジェリーニ(リピ、1892-ペルージャ、1985)の設計によって、1926年に完成した再建されたものです。


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再建の設計に際して、ピエトロ・アンジェリーニは、ベネデット・ボンフィーリ(ペルージャ、1420-1496)によって描かれた「慈悲の聖母のゴンファローネ」(1464)から崩落したファサードの形状を知ったとされてます。


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ファサードが描かれてないような気がしますが・・・・・


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ピエトロ・アンジェリーニによる大修復工事にも拘らず、1968年に屋根が崩落してしまいました。
この写真は1980年頃に撮られましたが、ご覧のように聖堂内部は荒廃する一方だったそうです。


413
1990年に漸く修復工事が開始され、徐々に修復が進みましたが、それの束の間の1997年の大地震によって、またもや大被害を受けてしまいました。
21世紀になって、修復作業がさらに本格化されて、2015年頃から文化イベント会場として建物が使用されてます。


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修復工事完了後の後陣だった場所


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コンサートが行われていた時の写真


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サン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂は美術品の宝庫でした。
ナポレオンのイタリア侵攻の際、ウンブリアで没収された美術品の三分の一がサン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂からだったとされてます。
ラッファエッロ、ペルジーノ、ピントゥリッキオなど多くの作品が失われました。フランスに持ち去られた作品の返還交渉が行われましたが、多くは戻されず、今なおフランスの美術館で展示されてます。返還交渉でペルージャに戻されず、何とヴァティカンの所有になった傑作があります。
このラッファエッロの「オッティの祭壇画」もそのうちの一つです。


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ペルジーノの「キリストの復活」
サン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂にありましたが、ナポレオン軍によって没収されました。その後の返還交渉で、ヴァティカン絵画館所蔵となりました。
また、国立ウンブリア美術館でサン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂にあった作品が幾つか展示されてます。


417
こちらは、サン・フランチェスコ・アル・プラート修道院だった所で、20世紀初頭からピエトロ・ヴァンヌッチ美術アカデミーとなってます。


418
ピエトロ・ヴァンヌッチ美術アカデミーが所有する作品が美術館として一般公開されてますが、この日は休館日でした。


419
サン・フランチェスコ・アル・プラート修道院の鐘楼です。


416
広大なサン・フランチェスコ・アル・プラート修道院聖堂でした。


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サン・ルカ教会です。


422
1320年頃、マルタ騎士団によって建設されました。


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現在の建物は16世紀に再建された二代目となるものです。


421
しかし、経時劣化したので、1973年に復元修復されました。今なおマルタ騎士団によって管理されてますが、扉が開くことは年に数回のようです。


423
サン・ルカ教会の隣にマドンナ・デッラ・ルーチェ教会があります。


426
2つの教会は、サン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂から近い距離にあります。


p1119
1513年から1519年に建設されたマドンナ・デッラ・ルーチェ教会は、今も現役?の教会です。


424
マドンナ・デッラ・ルーチェ教会の横にあるアーチは、エトルリア時代のPorta Trasimenaの名残だそうです。


425
この辺は教会が多い場所です。


427
サンタ・テレーザ・デリ・スカルツィ教会です。


428
14世紀、洗足カラメル会によって創建され、1718年に完成したサンタ・テレーザ・デリ・スカルツィ教会です。


429
現在は、ヤハフェの僕が所有してます。


p1120
教会としては一般公開されていないようです。
美術品の見所が数点あります。


p1121
アントン・マリア・ガルビの「アンニーバレ・カッラッチ作『十字架降下』の複製画」


p1123
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バッソッティ(ペルージャ、1600-1665)の「受胎告知」(17世紀)


p1122
カルロ・ランパレッリ・ダ・スペッロ(ウンブリア、1716-1727消息)の「聖テレーザに顕現する聖母子」(18世紀)


p1124
それにしても見所が多いペルージャです。


430
旧サンタ・テレーザ・デリ・スカルツィ教会は修復工事中でした。


p1125
次はサンティ・ステファノ・エ・ヴェレンティーノ教会です。


431
ちょっと見ただけでは、教会とは分からない建物です。


p1126
1163年に建設され、14世紀に拡大されたサンティ・ステファノ・エ・ヴァレンティーノ教会です。


432
私の知る限り、扉が開いていたことがありません。


p1127
サンティ・ステファノ・エ・ヴァレンティーノ教会の鐘楼


433
(つづく)

p1081
引き続きサン・ベルナルディーノ礼拝堂ファサードの浮彫です。


p1082
アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)によって、1457年から1462年にかけて制作されたファサードの装飾です。


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ファサードはこれで終わりです。


396
サン・ベルナルディーノ礼拝堂の中に入りました。


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交差ヴォールトの簡素な造りです。


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4世紀中頃の祭壇です。


397
オラツィオ・アルファーニ(ペルージャ、1510-ローマ、1583)の「慈悲の聖母」(1464)


p1108
ゴンファローネなので、裏面にも描かれていると思います。


399
オラツィオ・アルファーニ(ペルージャ、1510-ローマ、1583)の「ラッファエッロ作『バリオーニの祭壇画(1507)』のコピー画」
この作品がここにある理由がよく分かりません。
ラッファエッロの「バリオーニの祭壇画」は、サン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂バリオーニ礼拝堂にありましたが、1607年、第233代教皇パオロ5世(本名カミッロ・ボルゲーゼ)(ローマ、1552-1621)の命によって、秘かにローマに運ばれました。そうして、甥で美術収集家で名高いシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿(ローマ、1577-1633)に秘かに与えて、ボルゲーゼ家の収集物となったのです。シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿は、美術品の収集に熱心になる余り悪辣な方法を用いたことが知られてます。
オラツィオ・アルファーニは、ラッファエッロ作品がサン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂にあった時にコピー画を制作したのでしょう。
なお、バリオーニ家は、ペルージャの有力貴族で、サン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂に家族礼拝堂を所持していました。


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ラッファエッロの「バリオーニの祭壇画」は、現在、ボルゲーゼ美術館で展示されてます。


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何処にあったのか、については触れてません。教皇がローマに移送することを命令し、秘かに甥に与えた後ろめたさがあるのでしょう。


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このような背景を知ると、美術鑑賞がより一層楽しくなります。
少し脱線しました。


401
次の礼拝堂は、サン・ベルナルディーノ礼拝堂とは関係がありません。


402
Oratorio dei Santi Andrea e Bernardino o della Giustiziaです。
残念ながら中に入ることが出来ません。


403
主祭壇画は、ガエターノ・ラピス通称イル・カッラッチェット(カーリ、1706-ローマ、1773)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖アンドレアと聖ベルナルディーノ」


405
沢山の作品があります。


410
展示されている作品の案内板が完備されてますが、中に入れない。


407


409
マルチェッロ・レオパルディ(ポテンツァ・ピチェ―ナ、1750-ローマ、1795)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1787)


408
外に出ます。
(つづく)

002
この日の朝もホテル前で放送してました。


366
やることは毎日大体同じです。美術館、博物館、教会に行くと共に歴史的建造物を見て回ります。


367
違うのは、この日は鑑賞日だったことです。私の場合、美術館などで作品写真を撮ることと、作品鑑賞は両立しないのです。小規模なMuseo Civicoなどでは、両立しますが、ペルージャの美術館は展示作品が多くて、全展示作品の写真を撮ることで精一杯、疲れてしまうので鑑賞どころではなくなるのです。


368


369
このオブジェには参りました。


373
前日も、この日も普通の平日でしたが、混雑してました。


374
前日よりも混んでました。


375
この日もドゥオーモの中に入りました。


376
何も敷かないで座るのは、土足で家の中に入る習慣があるからでしょうか。


377
ヨーロッパは日本よりも不潔ですね。近世まで、ホテルにトイレがないので、宿泊客はオマルにしたり、ホテル前で大小便したのですから。宮殿にもトイレがないので、貴婦人は裾が地面を引きずるドレスを着たまま庭で大小便してから、宮殿に出入りしていたそうです。ドレスの裾は大小便でぐちゃぐちゃ。


378
コロナがヨーロッパで大流行するのは、土足で家の中に入るからと思ってます。


379
11月4日広場です。広場や通りの名称に〇月〇日というのがありますが、覚えるのが難しいし、混同してしまうので非常に困ってます。


380
モリアッキ広場です。


381
次の予定は、サン・ベルナルディーノ礼拝堂です。道を下ってサン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂に向かいます。


382
サン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂が見えてきました。


383
サン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂の横、写真左にある建物が、目的のサン・ベルナルディーノ礼拝堂 Oratorio di San Bernardinoです。
オラトリオは、祈祷所とか小礼拝堂という意味ですが、隣接するサン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂の一部なので、この場合、礼拝堂と訳すのが良いと思いました。


385
シエナの聖ベルナルディーノに捧げる礼拝堂です。


p1067
シエナの聖ベルナルディーノ(マッサ・マリッティマ、1380-ラクイラ、1444)は、Ordine dei Frati Minori(フランチェスコ修道会)所属のシエナ司教でしたが、15世紀前半、度々ペルージャに来て、サン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂前の広場で説教を行いました。
その説教は、ペルージャ市と市民に大きな影響を与え、市当局の法令改革に資することが大でした。


p1068
聖ベルナルディーノの死後6年の1450年、第208代教皇ニッコロ5世(サルザーナ、1397-ローマ、1455 在位:1447-1455)によって、聖ベルナルディーノは列聖されました。
それを機に、ペルージャのOrdine dei Frati Minoriは、聖ベルナルディーノに捧げる礼拝堂建設を決めました。
建物の設計に際して、レオン・バッティスタ・アルベルティ(ジェノヴァ、1404-ローマ、1472)の設計によって建設されたマントヴァのサンタンドレア聖堂を模したと言われてます。
そうして、1451年に創建され、1452年に完成したサン・ベルナルディーノ礼拝堂です。1452年に奉献式が執り行われました。


P2730612
ご参考までにマントヴァのサンタンドレア聖堂ファサードの写真を載せておきます。


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サン・ベルナルディーノ礼拝堂の最大の見所はファサードの装飾です。


386
ファサードの装飾は、アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)
によって、1457年から1462年に行われました。これは、アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョの代表作の一つです。


387
ルネッタ上の聖ベルナルディーノ


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浮彫の詳細を見ます。


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祈るキリストと2天使


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聖ベルナルディーノと音楽天使


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入口扉上の浮彫を見ます。


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p1079
(つづく)

引き続きサン・ドメニコ聖堂です。
p1039
1476年に制作された聖歌隊席です。


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1498年に制作された交唱聖歌集を置く台


p1041
アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)の「誓いの聖母の祭壇 Altar della Madonna del Voto」(1459)


p1042
テラコッタ彫刻は、アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョの作品です。聖母子がありますが、誓いの聖母と呼ばれてます。


p1043
誓いの聖母のテラコッタ彫刻の背後にフレスコ画があります。この部分には、ベルナルド・ディ・ジローラモ・ロッセッリ(1530-1560c活動)によって1534年に制作されたフレスコ画があったそうです。経時劣化が酷く全て塗り潰されて、その上に1869年にドメニコ・ブルスキ(ペルージャ、1840-ローマ、1910)によって描き直された「音楽天使たちと天使たち」です。


p1044
彫刻は、アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)の「大天使ガブリエーレ」(1459)
フレスコ画は、ベルナルド・ディ・ジローラモ・ロッセッリ(1530-1560c活動)の「ダヴィデ」


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アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)の「大天使ガブリエーレ」(1459)


p1046
アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)の「聖母」(1459)
ベルナルド・ディ・ジローラモ・ロッセッリ(1530-1560c活動)の「預言者イザヤ」


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アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)の「聖母」(1459)


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アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1459)


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アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)の「聖ロレンツォ」(1459)


p1050
アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1598-ローマ、1654)の「エリザベッタ・カントゥッチ・デ・コリスの墓」(1648)


p1051
アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1598-ローマ、1654)の「エリザベッタ・カントゥッチ・デ・コリスの胸像」(1648)


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ドメニコ・グイディ(カッラーラ、1625-ローマ、1701)の「アレッサンドロ・ベニンカーザの墓」(1694)


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ドメニコ・グイディ(カッラーラ、1625-ローマ、1701)の「アレッサンドロ・ベニンカーザ(1649-1694)の胸像」(1694)


p1054
ウルバーノ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1426-シエナ、1504)に帰属する「ベネデット・グイダロッティの記念碑」


p1055


p1056
ヴァレリオ・チョーリ(セッティニャーノ、1529-フィレンツェ、1599)の「ダンティ家の墓」


p1057
ヴァレリオ・チョーリ(セッティニャーノ、1529-フィレンツェ、1599)の「彫刻家ヴィンチェンツォ・ダンティの胸像」


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ヴィンチェンツォ・ダンティ(パル―じゃ、1530-1576)の「法律家グリエルモ・ポンターノの記念碑」(1555)


p1059


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ロレンツォ・マイターニ(シエナ、1275以前-オルヴィエート、1330)の「教皇ベネデット11世の墓」


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p1066
サン・ドメニコ聖堂はこれで終わりです。


834
すっかり夕方になりました。


835
1297年から1326年に建設されたサンテルコラーノ(聖エルコラーノ)教会です。


836
サンテルコラーノ教会の扉が閉まっていました。


837
Arco di Sant’Ercolanoです。紀元前3世紀後半に築かれたエトルリアの城壁にあった7つの出入口のうちの一つです。


838
Arco di Sant’Ercolanoの上にイタリア広場があります。


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急に雨が降り始めました。


P1720326
大した降りではなく、夕日が差してました。


P1720338
虹が出てきました。


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先ほどまで拝観していたサン・ドメニコ聖堂です。


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サン・ピエトロ修道院聖堂の鐘楼


P1720343
この日はこれで終わりです。
(つづく)

814
ジャン二コラ・ディ・パオロの作品です。


p1016
ジャン二コラ・ディ・パオロ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1478-ペルージャ、1544)の「1494年のゴンファローネ」


815
詳細不知


816
制作者不詳の「ピエタ」


817
制作者不詳のフレスコ画(18世紀)


p1017
次は礼拝堂に描かれたフレスコ画です。


793
Presbiterio天井のフレスコ画です。


p1018
逸名画家によって1410年頃に制作されたフレスコ画です。描かれているのはドメニコ会の聖人たちです。


p1019
ドメニコ会聖人(1410c)


p1020
ドメニコ会聖人(1410c)


p1021
ベネデット・ディ・ビンドのフレスコ画がある礼拝堂です。


810
保存状態が良くありません。


809
ベネデット・ディ・ビンド(カスティリオーネ・ディ・ヴァルドルチャ、1380/1385-ペルージャ、1417)に帰属フレスコ画で、1415年頃に制作されました。


796



808


p1022


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797
次の礼拝堂です。


p1027
14世紀から15世紀にかけて描かれたフレスコ画です。聖母子が3つあります。


p1028
明らかに制作者が異なります。


p1029


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p1031


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p1036
礼拝堂天井のフレスコ画は、アッレグレット・ヌーツィ(ファブリアーノ、1315-1373)によって描かれた四福音書記者です。


p1038


p1037
(つづく)

011
次はサン・ドメニコ聖堂です。


p1001
聖堂の歴史については、(その34 国立博物館)に既に触れましたが、幾つか補足しておきます。


832
聖堂はジョヴァンニ・ピサーノ(ピサ、1248c-シエナ、1315c)の設計と言われてます。


606
ドメニコ会出身の第194代教皇ベネデット11世(トレヴィーゾ?、1240-ペルージャ、1304 教皇在位:1303-1304)は、コロンナ家との確執を避けて、教皇選出直後にペルージャに避難しました。
ペルージャに到着すると、サン・ドメニコ聖堂の建設を強く推進し、1304年に創建されました。
しかし、教皇は直ぐに急死してしまいました。毒殺説もあります。


767
ベネデット11世の墓はサン・ドメニコ聖堂にあります。墓のある右翼廊にベネデット11世博物館が2019年にオープンしたそうですが、博物館に未だ行ったことがありません。


833
ファサード前の階段が17世紀に追加されました。


p1002
1961年、第261代教皇ジョヴァンニ23世(ソット・イル・モンテ、1881-ヴェティカン、1963)によってBasilica Minoreに格付けされました。


769
聖堂内に入りました。


771
三廊式、バロック様式の内部です。建設された当初は、外観と同じくゴシック様式の内部でした。


770
1862年から1879年と、1999年から2009年に行われた二度の改修を経て、すっかり新しく見えるようになった内部です。


772
最初にPresbiterioを見ます。


795
主祭壇と後陣


p1011
ピエトロ・カラット―リ(ペルージャ、1703-1762)によって、1740年頃に制作された主祭壇


794
15世紀の見事なステンドグラスが見所です。頭頂部は1759年に制作されたもので重要性が薄れます。


p1014
高さ23メートル、横8.5メートルのステンドグラスです。


p1003
ステンドグラスの原画は、マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1365c-1424)とバルトロメオ・ディ・ピエトロ(1410から活動記録-1437没)によるものです。


p1004
ステンドグラスは1411年(確定)に制作されました。


p1005


p1006


p1007
次に祭壇画を見て回ります。
この聖堂はかって美術品の宝庫でしたが、ナポレオンのイタリア侵攻に伴い、多くの傑作がフランスに持ち去られ、ナポレオンの失脚後の返還交渉にも拘らず、奪われた作品の殆どが戻されずに現在に至ってます。
それでも、サン・ドメニコ聖堂には多くの見るべき作品があります。


774
プラウティッリ・ネッリ(フィレンツェ、1524-1588)の「無原罪の聖母」


776
ジュゼッペ・ラウダ―ティ(ペルージャ、1672-1718以降没)の「シエナの聖カテリーナの神秘な結婚」


p1008
ジュゼッペ・ラウダ―ティはカルロ・マラッタの弟子です。


777
ジュゼッペ・ラウダ―ティ(ペルージャ、1672-1718以降没)の「象徴的にキリストと結婚するリマの聖ローザ」


p1009
リマの聖ローザはドメニコ会の修道女です。


780
詳細不知


781
詳細不知


782
詳細不知


783
オルガンとその下にある祭壇画が見所です。


p1013
1638年から1641年に製造されたオルガン


812
オルガンの下にある祭壇画


p1012
ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582-ローマ、1647)の「天上の聖母子と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」(1647)


784
詳細不知


785
詳細不知


803
詳細不知


804
詳細不知


805
プラウティッリ・ネッリ(フィレンツェ、1524-1588)の「聖霊降臨」


p1015


807
詳細不知
(つづく)

768
サン・ドメニコ聖堂の拝観を後回しにして、ウンブリア国立考古学博物館に入館します。


819
国立考古学博物館は、サン・ドメニコ修道院だった建物にあります。


p110041
博物館の前に、サン・ドメニコ修道院教会について触れておきましょう。


820
門を潜りキオストロに出ました。


821
この場所には、5世紀に建設されたサント・ステファノ・デル・カステッラーレ教区教会がありました。
一方、13世紀前半に建設されたペルージャのサン・ドメニコ教会は、別の場所にありました。
しかし、既に13世紀前半には宗教活動と政治の両面で、サン・ドメニコ修道会がペルージャにおける重要性が増大しており、、修道会とペルージャ当局の双方から、サン・ドメニコ修道院教会のより大きな建物の必要性が高まり、その場所としてサント・ステファノ・デル・カステッラーレ教区教会が建っている場所が選ばれました。


823
そうして、1304年、サント・ステファノ・デル・カステッラーレ教区教会の建物が取り壊され、その上にゴシック様式のサン・ドメニコ聖堂の建設が始まりました。1632年に完成しました。


824
修道院の建物は、1233年に創建され、1700年まで拡張されました。修道院が先に建設され、聖堂はその後に建設されたのです。


831
キオストロ回廊は、1455年から1579年に建設されました。


826
鐘楼は、1464年から1500年に建設されました。


825
建設された当初、高さ126メートルあった鐘楼ですが、現在の高さは60メートルです。


831
1797年、ナポレオンの抑圧令によって、修道院は閉鎖され、修道士が追放されました。その後、一度も再開されることなく現在に至ってます。


828
ナポレオンによって閉鎖された後、建物はフランス軍に接収され、軍用に使用されました。フランス軍の撤退後、サヴォイア家の所有となり、軍基地と軍用倉庫に転用されるようになりました。イタリア王国成立後は、イタリア国軍の本拠地になりました。
第二次世界大戦後、建物は修復され、1952年にウンブリア国立考古学博物館とウンブリア州立公文書がオープンしました。


822
回廊に遺跡からの発掘物が展示されてます。


829


830


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回廊の壁ルネッタ上にジョヴァンニ・バッティスタ・ロンバルデッリ(オストラ・ヴェ―テル、1532-ペルージャ、1587)によって、1579年から1582年に制作された「サン・ドメニコの物語」のフレスコ画がありましたが、軍用に転用されている間に劣化が進み、第二次世界大戦後に行われた修復の際に、修復不能と断定され、全て塗り潰されてしまいました。


827
キオストロの古井戸
入館します。


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考古学博物館の展示は、何処も大体同じで区別がつきません。例外は、ポンペイからの発掘物を展示するナポリの国立考古学博物館と思います。


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骨壺です。考古学博物館の定番というべき展示物です。


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石棺


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人間の死に関する展示が多い考古学博物館です。


p110065
古代ギリシャ時代の壺(紀元前600-575)


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古代ギリシャ時代の壺(紀元前600-575)


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古代ギリシャ時代の壺(紀元前425-400)


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ローマ時代の彫像(140-150)


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ローマ時代の彫像(54-69)


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石器


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石器


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金属製品


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ローマ時代のコイン


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エトルリア時代の彫刻(紀元前350-300)


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骨壺の蓋(紀元前2世紀-紀元前1世紀)


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骨壺の蓋(紀元前150)


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浮彫


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石棺(紀元前510)


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石棺


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石碑(紀元前3世紀-紀元前2世紀)


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石碑
国立考古学博物館はこの辺で終わりにします。


p110083
(つづく)

引き続きサン・ピエトロ聖堂です。
736
身廊横壁上に描かれた絵画です。


737


738
これらの絵画は、アントニオ・ヴァッシラーキ通称アリエンセ(マロ、1556-ヴェネツィア、1629)、パオロ・ヴェロネーゼ派逸名画家、ティントレット派逸名画家によって、1591年から1611年に制作されましたが、各場面の帰属は明らかになっていないようです。


739
絵画のテーマは、旧約聖書と新約聖書の逸話となってます。


740


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638


746
聖堂内からキオストロに出ました。


750
見所が豊富で大満足でしたが、一部見ることが出来なかった作品があるのが残念です。


p110045
ここでペルジーノによって描かれた「サン・ピエトロのポリッティコ」について触れておきましょう。
サン・ピエトロ聖堂Presbiterioの主祭壇を飾っていたのが、ペルジーノによって1496年から1500年に制作された多翼祭壇画の大作です。
その配置は以上のようになっていました。
1797年、ナポレオン軍のイタリア侵攻に伴い、ペルージャからも多くの作品がフランスに持ち去られましたが、その一つがこの多翼祭壇画でした。
一旦は、ルーブル美術館ですべてのパネルが揃った完全な形で展示されていました。ナポレオンの失脚後、奪われた作品の返却交渉が行われました。
この多翼祭壇画も交渉されましたが、その途中で何故かパネル毎に分解されて、戻されたのはプレデッラの7パネルのみで、分解された主要パネルは今でもフランスの美術館で展示されてます。プレデッラの「聖スコラスティカ」は失われてしまいました。


p110046
キリストの昇天と聖なる父なる神(フランス・リオンの美術館にあります)


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キリストの昇天


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マギの礼拝(フランス、ルーアンの美術館にあります)


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キリストの復活(フランス、ルーアンの美術館にあります)


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キリストの洗礼(フランス、ルーアンの美術館にあります)


p110050
預言者イザヤ(フランス、ナントの美術館にあります)


p110051
預言者ダヴィデ(フランス、ナントの美術館にあります)


p110054
聖エルコラーノ(国立ウンブリア美術館蔵)


p110055
聖コスタンツォ(国立ウンブリア美術館蔵)


p110056
聖マウロ(国立ウンブリア美術館蔵)


p110057
聖ピエトロ・ヴィンチョーリ(国立ウンブリア美術館蔵)


p110058
聖ベネデットのコピー
戻された時、劣化が激しく、返還直後に制作されたコピーです。オリジナルは存在しないようです。


p110059
聖フラヴィアのコピー
聖ベネデットと同じです。


p110060
聖プラチドのコピー


751
少し脱線しました。


752
ナポレオンのイタリア侵攻で、戦利品としてイタリアの傑作を多数奪ったフランス人ですから、ドイツ軍のパリ進軍時に、美術品没収に喜んで応じるべきだったと思います。自国が奪うのは良いが、奪われるのは嫌とは道理が通らない。
このことでフランス人の美術ファンと仲違いして、絶交して今に至ってます。


753
サン・ピエトロ修道院聖堂の建物から外に出ました。


756
次は、サン・ドメニコ聖堂です。


759
Borgo XX Giugno


758
サン・ピエトロ門の先にサン・ドメニコ聖堂の鐘楼が見えました。


760
サン・ピエトロ門を潜ります。


765
カヴール通りです。


766
サン・ドメニコ聖堂に戻ってきました。


p110044
(つづく)

688
オラツィオ・アルファーニ(ペルージャ、1510-ローマ、1583)の「キリストの復活」(1553)


689


691
ジャン・ドメニコ・チェッリーニ(ペルージャ、1609-ローマ、1681)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


692


693
クーポラ


694


695
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「聖フラヴィアと聖アポッロニアと聖カテリーナ」


696
詳細不知


697
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「聖マウロと聖母子と聖プラチド」(1678)


698


699
ジャン・ドメニコ・チェッリーニ(ペルージャ、1609-ローマ、1681)の「聖母子」


701


702
セバスティアーノ・デル・ピオンボ派逸名画家作「ピエタ」(1650)


704


p110038
アントニオ・ヴァッシラーキ通称アリエンセ(マロ、1556-ヴェネツィア、1629)の「ベネデット会の勝利」


p110039
逸名彫刻家作「聖プラチド」


637
詳細不知


706


707


709
ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「聖グレゴリオ・マーニョ」(1602)


710


712
ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「ダヴィデ」(1602)


713


715
チェーザレ・セルメイ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1581c-アッシジ、1668)の「聖マウロの奇跡」(1648)


716


717
ジャチント・ジミニャーニ(ピストイア、1606-ローマ、1681)の「コロンナの奇跡」(1679)


719


721
フランチェスコ・アッピアーニ(アンコーナ、1704-ペルージャ、1792)の「聖スコラスティカ」(1751)


722


724
オラツィオ・アルファーニ(ペルージャ、1510-ローマ、1583)の「聖母被昇天」


725


727
ウンブリア派逸名画家作「玉座の聖母子と聖マリア・マッダレーナと聖セバスティアーノ」


728


731
オラツィオ・アルファーニ(ペルージャ、1510-ローマ、1583)の「聖ピエトロの奇跡」(1556)


732


729


730


733
身廊の横壁上部に絵画が沢山あります。


734
これらの絵画は、アントニオ・ヴァッシラーキ通称アリエンセ(ミロ、1556-ヴェネツィア、1629)、パオロ・ヴェロネーゼ派逸名画家、ティントレット派逸名画家によって、1591年から1611年に制作されたもので、テーマは旧約聖書、新約聖書から取られてます。


736
(つづく)

636
聖堂内に入りました。


p110035
三廊式、ロマネスク様式の内部です。


p110036
非常に見所が豊富です。ペルージャでは、国立ウンブリア美術館、大聖堂付属美術館に次いで美術的に重要です。


639
壁の殆どが装飾されてます。


643
左側廊天井


p110037
身廊天井


640
ジャチント・ジミニャーニ(ピストイア、1606-ローマ、1681)の「聖ベネデットの物語」(1677)


644
ジャチント・ジミニャーニ(ピストイア、1606-ローマ、1681)の「聖プラチドを救う聖マウロ」(1677)


645



646
フランチェスコ・アッピア―ニ(アンコーナ、1704-ペルージャ、1792)の「聖ピエトロ・ヴィンチョーリ・アバーテ」(1751)


647



648
ベネデット・ボンフィーリ(ペルージャ、1420-1496)に帰属する「ピエタ」


650
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・テデスコ(ピサ、1386以前生まれ-パレルモ、1402c)に帰属する「磔刑」


651
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「受胎告知」


653



655
オラツィオ・アルファーニ(ペルージャ、1510-ローマ、1583)の「聖母被昇天」


656



658
エウセビオ・ダ・サン・ジョルジョ(ペルージャ、1470c-ローマ、1583)の「マギの礼拝」(1508)


659



660
こちらの礼拝堂が閉鎖されていたのでガックリです。


661
傑作が6点あるので、心残りでした。


662
ジョルジョ・ヴァザーリの「カナの結婚」など3作品、ロ・スパーニャレットなどの作品があります。


663
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「ユディト」


665



668
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「十字架降下」


669



671
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「聖母子」


672



673
ジャン・バティスト・ウィカー(リール、1762-ローマ、1834)の「聖ピエトロ」


675
15世紀の逸名画家作「ピエタ」(1469)


676



678
ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555-1619)の「園のキリスト」


679



680
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖パオロ」


682



683
683
Presbiterioのフレスコ画


684
ジョヴァンニ・バッティスタ・ロンバルデッリ(オストラ・ヴェ―テレ、1532-ペルージャ、1587)の「聖パオロの回心」(1586)


685
ジョヴァンニ・バッティスタ・ロンバルデッリ(オストラ・ヴェ―テレ、1532-ペルージャ、1587)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」(1586)


686


687
(つづく)

610
カヴール通りを進みます。


611
サン・ピエトロ門が見えてきました。写真左奥に教会があります。


612
サンタ・マリア・ディ・コッレ教会です。


615
教会の歴史は1216年に遡るそうです。1303年の文書に、この場所に同名の礼拝堂の存在が記載されてます。


614
14世紀後半、最初の礼拝堂を組み込んで教会が建設され、教区教会となりました。


613
1957年に宗教活動が停止され、現在、Auditorium Marianum "Frescobaldi"となってます。


616
サンタ・マリア・ディ・コッレ修道院だった建物は宗教音楽学校になってます。


617
修道院入り口にあるフレスコ画


618
サン・ピエトロ門です。ロマーナ門とも呼ばれてます。


619
市域の拡大によって、13世紀に新しい城壁が築かれましたが、ローマに向かう道の門として14世紀に築かれたサン・ピエトロ門です。
城壁内のファサードは、14世紀当時の外観を保持しているそうです。


620
城壁内ファサードのフレスコ画「ロザリオの聖母と聖ドメニコと聖フランチェスコ」(1817)
私には制作者が分かりません。


762
サン・ピエトロ門のアーチに描かれた「慈悲の聖母」のフレスコ画(詳細不知)


764
門の内側


763
サン・ピエトロ門を潜って城壁外に出ました。


761
サン・ピエトロ門の城壁外ファサードは、アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)とポリドーロ・ダ・ステファノによって、1475年から1480年に建設されました。アルベルティの影響を受けた門です。


621
写真左の建物は、サン・ピエトロ門に隣接しています。


622
サン・ピエトロ聖堂の鐘楼が写ってます。


623
Borgo XX Giugno


624
サン・ピエトロ門とサン・ピエトロ聖堂の真ん中辺りにあるマドンナ・ディ・ブラッチョ教会です。


p110027
1497年に建設されましたが、1782年、Borgo XX Giugnoの道路拡張によって身廊が半分に縮小されてしまいました。


p110028
中に、ティベリオ・ラニエーリ・ディ・ディオタッレヴィ(アッシジ、1470c-1524)の「聖母子」のフレスコ画があります。


625
現在でも活動をしている教会です。


626
サン・ピエトロ聖堂に向かいます。


p110030
聖堂の歴史は古く、4世紀の初期キリスト教会に遡ると言われてます。
この場所に、ペルージャ最初の司教座教会がありましたが、それを取り壊して、996年に建設されたサン・ピエトロ修道院が現在の姿の原形です。その修道院は、1002年に文書に初めて記載されているそうです。修道院内の教会が1398年に拡大されました。


757
1591年、建築家ヴァレンティーノ・マルテッリ(ペルージャ、1550c-1630)の設計、工事監督によって改造拡張工事が着工され、その30年後に完成した建物が現在の姿になってます。


754
教会には、この入り口からキオストロに出て、キオストロ回廊を経由して中に入ります。


755
Basilica Minoreに格付けされてます。


629
キオストロに出ました。
サン・ピエトロ修道院は、ナポレオン軍のイタリア侵攻に伴う抑圧令によって、1799年に閉鎖され、フランス軍に接収されて軍用施設に転用されました。その後、民間倉庫として使用されましたが、イタリア王国の成立後は軍施設になりました。
1887年、ペルージャ市の所有となりました。現在は、ペルージャ大学の農業・食品・環境科学部の学舎になってます。


630
鐘楼


p110029
1463年から1468年に建設された、この鐘楼は非常に目立ちます。


631
キオストロ回廊です。


633
回廊の壁の一角にフレスコ画があります。


634
残されているのはこれだけのようです。


p110031
受胎告知


p110032
14世紀に制作されたフレスコ画の制作者などの詳細が分からないようです。


p110033


632
回廊から聖堂内に入れます。


747
案内板があるので迷うことはないと思います。


748
鐘楼の下の聖堂の入り口があります。


749
この下に入り口があります。


p110034
聖堂の入り口です。閉まってますが隣の扉が開いてます。
入口扉上ルネッタにフレスコ画があります。


635
ジャン二コラ・ディ・パオロ(ペルージャ、1460c-1544)に帰属する「聖母子と二天使」
(つづく)

p110014
コッレージョ・デル・カンビオの公判の間の続きです。


p110015
ペルジーノのフレスコ画です。


p110016


p110017


p110018


p110019


p110020


581
両替商が使用した金銀のギルド公認錘です。これを基準にして持ち込まれた金銀の重量を量っていました。


582
次は、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂です。


567
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂です。1506年から1509年に礼拝堂に改造されました。両替商ギルドの礼拝堂ではなく、プリオーリ宮の礼拝堂だったと思います。


568
「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂は、フレスコ画で装飾されてます。


569
「キリストの洗礼」
礼拝堂のフレスコ画は、ジャン二コラ・ディ・パオロ(ペルージャ、1460c-1544)によって1513年から1529年に制作されました。非常にゆっくりと制作されたフレスコ画ですが、その理由はフレスコ画制作費の支払いが遅れたからのようです。
ジャン二コラ・ディ・パオロは、ペルジーノの弟子でしたが、初期の頃はペルジーノの協力者として制作に参加することが多かったそうです。後にラッファエッロの影響を強く受けた画風に転じました。


570
「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


571
「サロメ」


572
「ご訪問」


573


574


575


576


577


578


579


580


372
ゆっくりと鑑賞できました。


599
コッレージョ・デル・カンビオは、それ程人気がないようで、大体空いてます。


600
イタリア人好みのヘンテコなモニュメントがありました。


p110021
次は、商人組合の間、コッレージョ・デッラ・メルカンツィアです。


p110022
プリオーリ宮の国立ウンブリア美術館入り口の横、11月4日広場寄りにあります。


p110023
Museoとして一般公開されてますが、コッレージョ・デル・カンビオとは別料金となってます。


p110024
四つの基本的美徳、正義、不屈、慎重、節制


p110025
北欧の職人によって14世紀に制作された四角形の装飾


p110026
商人組合の間は、1390年にこの場所に置かれるようになりました。


601
次は、サン・ピエトロ聖堂です。


602
サン・ピエトロ聖堂は城壁外にあります。


603
サンタ・クローチェ門を潜ります。


604
カヴール通りに出ました。


605
サン・ドメニコ聖堂です。


607
サン・ドメニコ聖堂の扉が開いてましたが、夕方遅くまで開いているので拝観を後回しにしました。


608
サン・ドメニコ聖堂を通り過ぎます。


609
(つづく)

374
Corso Pietro Vannucciに面したプリオーリ宮のイタリア広場方向の端にコッレージョ・デル・カンビオがあります。


370
Nibile Collegio del Cambioです。


371
ペルージャにおける最強ギルドの一つである両替商ギルドの本部が置かれていました。


p110002
入り口横にある銘板
プリオーリ宮の一部に両替商ギルドの本部が置かれることになり、1452年から1457年に改造されました。


p110001
美術的な見所は、公判の間に描かれたペルジーノのフレスコ画とサン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂に描かれたジャン二コラ・ディ・パオロのフレスコ画です。


560
Museoとして一般公開されてます。入館しました。


p110003
最初は、公判の間 Sala delle Udienzaです。
両替商ギルドにとって最重要なことは金銭的な訴訟でした。この部屋で、金銭的な民事訴訟の公判、判決が行われました。


p110004
公判の間は、ピエトロ・ディ・クリストフォロ・ヴァンヌッチ通称ピエトロ・ペルジーノまたはイル・ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1448c-フォンティニャーノ、1523)によって、1498年から1500年に制作されたフレスコ画で装飾されてます。


566
羊飼いの礼拝


p110005


561
古代の戦士などの有名人


p110008


562
ペルジーノは自画像を描き込んでます。


p110007
ペルジーノの自画像


586
古代の有名人


p110006


563
キリストの変容


p110009


564


565
預言者たち


p110010


585
ベネデット・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1442-フィレンツェ、1497)の「正義の黄金のテラコッタ」(1492)
木彫り彫刻は、ドメニコ・デル・タッソ(フィレンツェ、1440-1508)の作品(1491-1493)です。


587


588


589


590
アントニオ・ベンチヴェンニ・ダ・メルカデッロ(14世紀後半-15世紀前半活動)の寄せ木細工(1501)


583
アントニオ・ベンチヴェンニ・ダ・メルカデッロの寄せ木細工(1501)


584
アントニオ・ベンチヴェンニ・ダ・メルカデッロの寄せ木細工(1501)


591


592


593


594


595


596


597


598
ドメニコ・デル・タッソ(フィレンツェ、1440-1508)の作品(1491-1493)


p110011


p110012


p110013
(つづく)

468


P2330353


P2330358


469


P2330357


470


P2330408


472


P2330402
詳細不明


475


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476


478


479


481


482


483


484


486


487


532
詳細不明


P2330421


P2330424


P2330427


P2330431


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P2330438


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P2320996
美術館から外に出ました。


P2320994
キオストロを通って外に出ます。


554
薄暗い館内から広場に出ると、強烈な日差しで目がチカチカしました。


555
Fontana Maggiore


556


557


553
プリオーリ宮を見ます。


558
次は、プリオーリ宮のコッレージョ・デル・カンビオと商人組合の間です。


559
(つづく)

446


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447


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454


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456


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466


P2330346


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467


P2330349


P2330351
(つづく)

419


549


551


420


552


422


P2330125


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424


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512


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443


P2330265


502


444


504
(つづく)

380
次は、サン・ロレンツォ大聖堂付属美術館です。


383
サン・ロレンツォ大聖堂身廊に向かって左側に付属美術館の入り口があります。


384
ドゥオーモを飾っていたルカ・シニョレッリの作品があるので、ペルージャに来れば必ず入館します。


386
キオストロに出ます。


385
聖堂内は今でも見所満載ですが、古い主な作品の多くは付属美術館で展示されてます。


387
展示作品の殆どはドゥオーモにあったものですが、他の場所にあった作品もごく一部展示されてます。


388
キオストロ回廊も見逃せません。


389
回廊にドゥオーモの初代の建物の柱や彫刻などが展示されてます。


390


391


393
入館しました。


394
展示物が何時も同じとは限りません。


395


396


397


398
逸名画家作「祈る聖母」(15世紀)


399
詳細不明


400


401


402


403
フォロの遺跡です。大聖堂は、エトルリア時代とローマ時代のフォロの遺跡の上に建設されました。


404


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538


539


544


545


415


547


542


543
(つづく)

166
Via Maesta della Volte


167
15世紀に建設されたアーチです。


168
アーチの下にあるピエトロ・アンジェリーニの「Fontana di Via Maesta delle Volte」


170
モラッキ広場です。


169
モラッキ広場に面して建つPalazzo Manzoniです。アウレリ家が1681年から1703年に建設した邸宅です。


172
現在、ペルージャ大学の人文関係の学舎として使用されてます。


171
あちこち動いて、足が重くなってきました。


173
日が傾いてきました。


174
アーチに戻りました。


175
疲労を感じたので、この日はこれで終わりにしました。


176
大学生が未だ屯してました。


177
プリオーリ宮の見学は翌日に回します。


178
ホテルに向かいます。


006
朝になりました。


007
快晴になりました。


008
サン・ドメニコ教会が見えます。(写真左)


011
サン・ドメニコ教会は必訪です。


012
遠くサン・ピエトロ教会の鐘楼が見えます。(写真右)


009
サンタンナ駅が見えます。


010


013
サンタ・ジュリアーナ修道院教会が見えます。


014


015


001
早い時間なので観光客がいません。


002
イタリア広場


003


004
何回も泊まったことがあるロゼッタです。


005
今回のお宿です。朝食が高過ぎて困惑。


018
イタリア広場横で、何やら放送中でした。


016
ホテルに戻って朝食です。


017
午前中はホテルで色々なことをやりました。


369
午後になって外出しました。


370
この日は人出が多かった。


371
先ず国立ウンブリア美術館です。


372
私の場合、ペルージャに来る最大の目的は国立ウンブリア美術館に入館することです。


373


374
入館しました。


375
国立ウンブリア美術館のこの時の様子は省略します。


376
美術館から外に出ました。


377
11月4日広場です。


379
プリオーリ宮


380
Fontana Maggiore


378
(つづく)

124
サン・セヴェーロ礼拝堂から外に出ました。


126
この先に行きたいと思いましたが、ドゥオーモで待ち合わせがあるので断念。


127
古い建物ばかりが建ってます。


128
ラッファエッロ広場に面して建っている建物です。


130
道を下ってドゥオーモに向かいます。


131
崖崩れの危険がありそうな一画を通り過ぎます。


p130522
ルネサンス関係の団体と一緒に中に入ります。写真不可ですが、この時は撮ることが出来ました。


132
聖堂内に入りました。
ペルージャ=チッタ・デッラ・ピエーヴェ大司教区の大司教座が置かれているサン・ロレンツォ大聖堂です。


153
エトルリア時代とローマ時代のフォロがあった場所に936年から1060年に最初の建物が建設されました。
1300年頃、最初の建物が経時劣化したので、建物の再建が決められました。そうして、1345年に創建され、1490年に完成したゴシック様式の二代目の建物が現在の姿になってます。1569年に奉献式が執り行われました。


p130523
ドゥオーモにあった主な作品は、隣接する大聖堂付属美術館に移されてます。


p130524
サン・ロレンツォ大聖堂の構造図です。
三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


154
華やかな感じがする内部です。


p130528
Presbiterio


152
Presbiterioは立ち入り禁止でした。


p130525
主祭壇


p130526
天井の殆どがフレスコ画で覆われてます。


p130527
フランチェスコ・アッビアーニ(アンコーナ、1704-ペルージャ、1792)、ヴィンチェンツォ・モノッティ、ヴァレンティーノ・カラット―リなどによって18世紀に制作されたフレスコ画です。


149
7,8人の画家がフレスコ画制作に参画しましたが、場面毎の作品帰属は不明のようです。


150


151


141
火事によって痛みが激しいフレスコ画


p130529
サン・ベルナルディーノ礼拝堂です。


136
サン・ベルナルディーノ礼拝堂の祭壇画


p130530
フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535-1612)の「十字架降下」(1569)


p130532
洗礼堂礼拝堂です。


p130531
洗礼盤


138
詳細不知


143
オラツィオ・アルファーニ(ペルージャ、1510-ローマ、1583)の「聖セバスティアーノの殉教」(1572)


p130533
サント・ステファノ礼拝堂です。


145
サント・ステファノ礼拝堂の祭壇画


p130534
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566-1643)の「聖ステファノの殉教」


p130535
左側廊の礼拝堂


148
礼拝堂の祭壇画


p130536
詳細不知


p130537
ゴンファローネ礼拝堂です。


156
ベルト・ディ・ジョヴァンニ(ペルージャ、1475-1529)の「ゴンファローネの祭壇画」(1526)


157


160
フランチェスコ・アッビアーニ(アンコーナ、1704-ペルージャ、1792)の「天上の聖母と聖人たち」(1740)


p130538


163
イッポリート・ボルゲーゼ(シジッロ、1568-1627)の「聖母被昇天」(1620)


p130539


164
グループで行くと、写真の数が限られてしまいます。


165
外に出ました。
(つづく)

109
国立ウンブリア美術館から外に出ました。


073
展示作品があまり変わらない方に属する国立美術館でした。


074
チェーザ・ファーニ通り


075
ドゥオーモは、この時間閉まってます。


076
Fontana Maggiore


077
プリオーリ宮です。


078
大司教館です。


079
11月4日広場です。


080
Corso Pietro Vannucci


081
この日は4月23日でしたが、観光客がかなり少なかったと思いました。


082
プリオーリ宮の見学は、この日の翌日にしました。


083
学生の憩いの場になっているドゥオーモ前の階段です。


084
ドゥオーモのファサード前を通り過ぎます。


085
次はサン・セヴェーロ礼拝堂に行く予定でしたが、Museoとして一般公開されている礼拝堂は未だ昼休み中でした。


086
サン・セヴェーロ礼拝堂美術館が開く時間まで、暫く時間潰しをしました。


087
バルトロ通りを下ります。


088
バルトロ通りのアーチに向かって進みます。


089
アーチの先にサン・フォルトゥナート教会の鐘楼が見えます。


090
アーチ下のタベルナコロがあります。


091
潜ったアーチを振り返って撮った写真です。


092
Arco Etrusco o di Augustoに出ました。紀元前3世紀後半に建設されました。


093
エトルリア時代、8つの門が築かれましたが、そのうちの一つです。現存するのはこれを含めて2つの門です。


097
紀元前40年頃、アウグストゥスがペルージャを包囲したので、別名アウグストクス門とも呼ばれてます。


096
門を潜るとウリッセ・ロッキ通りに出ます。


094
門外に建っているサン・フォルトゥナート教会です。


099
チェーザレ・バッティスティ通りから見た景観です。


100
サン・セヴェーロ礼拝堂美術館の開館時間が迫ってきました。


101
開館日とされている日でも閉まっていたことがありました。


113
イタリアでは、突発的臨時休館は頻繁に起きます。


114
案内標識があるので、道に迷うことなくサン・セヴェーロ礼拝堂美術館に行くことが出来ます。


115
次を左折すれば、サン・セヴェーロ教会に出ます。


116
サン・セヴェーロ教会です。


125
教会と修道院は15世紀に建設されました。現在の新古典様式のサン・セヴェーロ教会の建物は1758年に再建されたものです。


117
教会横に修道院だった建物です。建物の扉が開いていたのでホッとしました。


123
この中に美術館として公開されているサン・セヴェーロ礼拝堂があります。


120
中に入りました。


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あるのは、これだけです。


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上部がラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483-ローマ、1520)によって1505年から1508年に描かれました。
下部は、ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1448-フォンティニャーノ、1523)によって1521年に描かれました。
師弟によって描かれた珍しいフレスコ画です。
ラッファエッロに注文されましたが、ローマで多忙を極めていたため、ペルージャに来る機会が遠のき未完のまま放置されてしまいました。
1520年、ラッファエッロが没してしまったので、フレスコ画の完成が不可能となりました。師匠のペルジーノに完成が依頼されたのです。
ニッチの「聖母子」のテラコッタは、15世紀後半にトスカーナの逸名工房によって制作されたものです。
現存するフレスコ画は、オリジナルからかなり欠落していると言われてます。


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ラッファエッロによって描かれた上部


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三位一体


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ラッファエッロの聖人たち


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ペルジーノの聖人たち(聖スコラスティカ、聖ジローラモ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ)


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ペルジーノの聖人たち(聖グレゴリオ・マーニョ、聖ボニファチョ、聖マルタ)


121
ラッファエッロ像(制作者不知)が置かれてます。


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(つづく)

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先ほどまで修復作業をやっていた女性が中座しました。


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2013年4月の国立ウンブリア美術館はこれで終わりです。
(つづく)

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第33室のフレスコ画です。


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最後の晩餐


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ピエトロ・ダ・コルトーナの作品は修復中でした。


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第37室に入室します。


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(つづく)

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第31室に入室します。


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第33室に入室します。この辺から部屋番号表示があったりなかったりです。


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Collezione Martinelli


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部屋のフレスコ


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Daと書かれてますが、アレッサンドロ・アルガルディ作品のコピー作品(複製品)という意味になります。


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(つづく)

第28室の続きです。
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第29室に入室します。


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32室の作品が29室に移されていました。


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第30室に入室します。


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(つづく)

引き続き第27室です。
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第28室に入室します。


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(つづく)

第24室の続きです。
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第25室に入室します。


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第26室に入室します。


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第27室に入室します。


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(つづく)

第21室の続きです。
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第22室に入室します。


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第23室に入室します。


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第24室に入室します。


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(つづく)

第18室の続きです。
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ピエロ・ディ・コジモの作品がなかった!


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第19室に入室します。


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第20室に入室します。


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第21室に入室します。


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フレスコ画が描かれてます。


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(つづく)

第18室の続きです。
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部屋のフレスコ画、天井装飾を見ます。


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私にはフレスコ画制作者等の詳細が分かりません。


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天井装飾の詳細も分かりません。


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ルカ・シニョレッリの作品を見ます。


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(つづく)

第16室の続きです。
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第17室入室します。


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第18室に入室します。


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(つづく)

引き続き第14室です。
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第15室に入室します。


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第16室に入室します。


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(つづく)

引き続き第11展示室です。
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第12室に入室します。


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第13室に入室します。


P1710331
表裏両面に描かれてます。


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両面に描かれてます。


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第14室に入室します。


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(つづく)

P1710211
第9室に入室します。


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第10室に入室します。


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第11室に入室します。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品の前に誰もいません。


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独り占めでゆっくりと鑑賞出来ました。


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(つづく)

第6室の続きです。
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P1710135


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第7室に入室します。


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第8室に入室します。


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第8室の展示作品はベアート・アンジェリコの多翼祭壇画一点だけです。


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P1710203


P1710205


P1710209
(つづく)

P1710047
第5室に入室します。



P1710058


P1710061


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第6室に入室します。


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(つづく)

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第4室です。


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表裏両面に描かれてます。


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表裏両面に描かれてます。


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詳細不明です。作品紹介プレートがありません。
(つづく)

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第2室に入室します。


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シエナ派画家の作品が多いようです。


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第3室に入室します。


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第4室に入室します。


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詳細不明です。作品紹介プレートがありません。
(つづく)

065
大満足のバルデスキ美術館でした。


066
プリオーリ宮です。


067
国立ウンブリア美術館に入館します。


068
メインポータル上の彫刻はコピーです。


069
ライオン像


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柱の彫刻


071


102
プリオーリ宮の中に入りました。


103
国立ウンブリア美術館に入館しました。


104
展示作品については既に取り上げました。


108
これは何でしょうか?


107
美術館や博物館の展示作品は何時も同じとは限りません。特に展示作品が多い所は、行く度に展示作品が微妙に変わります。
国立ウンブリア美術館に付いては既に取り上げましたが、改めて取り上げるのは展示作品が変わっていたからです。
展示作品の差し替えが行われる理由ですが、限られた展示スペースに比べて所蔵作品が多いこと、修復が必要、長く展示していると作品が劣化する等の理由が挙げられます。
ここで取り上げるのは2013年4月時点の展示作品です。


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作品画像と美術館の作品プレートの写真を掲載します。余計と思われる私自身の解釈を排除するのが目的です。


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作品プレートがありません。


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第一室に入室します。


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(つづく)

1107
次はドゥオーモです。


1109
ドゥオーモを拝観しましたが、写真不可でした。


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ドゥオーモのファサード


1116
ルネサンスの特別ツアーで撮ったドゥオーモ内部の写真があるので、何れ紹介させて頂きます。


1110
この建物を見ると、何時も危険ではないの?と思います。


1113
ペルージャは何度も地震に見舞われて、大きな被害を受けたことがあります。大きなお世話か?


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Chiesa della Compagnia dell’Orazione e della Buona Morte


1112
ペルージャは非常に見所が豊富です。


1114
ほぼ毎年訪れてました。


1115
鉄道駅から旧市街まで、バスターミナルから旧市街まで、行くのが結構大変です。


1117
夏休み前にも拘らず混雑していました。


1118


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Corso Pietro Vannucci


1120
写真左のお店で軽食を食べました。


1157
同じ年の11月です。


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薄暗いですが、午前11時頃です。


1150
雨が降り続く寒い日でした。


1151
観光客が殆どいません。


1152
大司教館


1153
Fontana Maggiore


1154
風雨が強くなる一方でした。


1155
美術館を楽しむには全く問題なかった。


1156
傘が役に立たない天候だったので、レストランで食事してから直ぐにホテルに戻って寝ました。このような日もあります。


053
2013年4月です。この時のお宿です。何時も利用するホテルは修復工事のため臨時休館中、もう一つのホテルは恐らく大学関係の会合があるらしく満室でした。ペルージャは観光客に人気ですが、便利な旧市街にあるホテルの収容力が少なく困ることがあります。


049
ホテル自室ベランダからの眺め


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ウンブリア特有の特徴ある屋根の家


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部屋で暫く寛いでから外出しました。


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エブルネア門です。


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階段を上ってイタリア広場に出ました。


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イタリア広場に立つヴィットリオ・エマヌエーレ2世像


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Palazzo Cesaroni


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Palazzo della Provincia


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1716年から1726年に貴族の館として建設されたPalazzo Doniniです。現在、ウンブリア地方議会が置かれてます。


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Corso Pietro Vannucciです。


063
この日の最初の目的はバルデスキ美術館です。


062
Palazzo Baldeschiです。


064
ご存知の方が少ないように思いますが、Palazzo Baldeschiに美術館があります。
この当時、中は写真不可でした。


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Palazzo Baldeschiは、現在Fondazione Cassa di Risparmio di Perugiaが所有してます。Palazzo Baldeschiの一部が美術館になっており、Fondazione Cassa di Risparmio di Perugiaが保有する約200点の作品が展示されてます。


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Fondazione Cassa di Risparmio di PerugiaのHPから拝借した美術館の写真を載せてます。


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この美術館の展示作品は非常に充実してます。


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ルカ・シニョレッリ、ペルジーノ、ニッコロ・ラルンノ,ピントゥリッキオ、グエルチーノ、ジョヴァンニ・バリオーネ、フェデリーコ・ツッカリ、クリストフォロ・ロンカリなどの作品があります。


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美術ファンなら必訪でしょう。


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近代画、現代画も展示されてます。
(つづく)

コロナ禍に加えて、私自身の老いがあって、2019年4月を最後にイタリアへの旅が出来ない状態が続いてます。そのため、未発表の写真が残り少なくなってきました。(日当たり平均40枚の写真をアップすると、一年で14,600枚の写真が必要となります)
また、皆様があまりご興味を抱かないと思われるコムーネばかりを取り上げることに正直躊躇いがあります。
その様な状況を勘案して、ブログを書くなんて夢想だにしなかった時に撮った写真を載せて、暫く時間稼ぎをしようと思いました。

ペルージャは、人口164,417人(2020年8月31日現在)のウンブリア州ペルージャ県の州都であり、県都です。
1065
ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ルカ・シニョレッリ、ペルジーノ、ラッファエッロ・サンツィオ、ピントゥリッキオなどが活動した街ペルージャが大好きです。


1066
強烈な日差しの初夏の日でした。


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バスターミナルのパルティジャーニ広場からイタリア広場に向かいます。


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エスカレーターを数度乗り継いで地上のイタリア広場に向かいます。


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イタリア広場です。広場に面したホテルがこの日のお宿でしたが、当時、ホテルの写真を撮ろうと考えたことがなかったので写真がありません。


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1895年から1898年に建設された、新古典様式のPalazzo Cesaroniです。ウンブリア州議会が置かれてます。


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澄み切った、いかにもイタリアらしい青空です。


1072
イタリア広場から見たサン・エルコラーノ教会です。


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サン・ドメニコ教会が見えます。


1074
イタリア広場に面して建つPalazzo della Provincia 県庁舎です。パオリーナ要塞の跡上に1867年から1873年に建設されました。


1075
Corso Pietro Vannucciをドゥオーモ方向に進みます。


1076
お目当ての国立ウンブリア美術館です。


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入館しました。


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2010年当時、美術館や博物館の殆どが写真不可だったので、作品写真は一枚もありません。


1077
ドゥオーモに向かいます。


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旧市街の中心、11月4日広場です。
ドゥオーモは、当時も今も写真不可です。


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広場にあるFontana Maggioreです。


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ニコラ・ピサーノ(ピサ、1220c-1284c)と二コラの息子ジョヴァンニ・ピサーノ(ピサ、1248c-シエナ、1315c)によって1275年から1278年に制作されました。


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見所豊富なプリオーリ宮です。


1083
コッレージョ・デル・カンビオは見ませんでした。


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大司教館です。


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Via Antonio Fratti


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ピエトロ・アンジェリーニ(フォルリ、1888-ローマ、1977)のFontana di Via Maesta delle Volte(1928)です。


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ジェズ教会です。


1096
ドゥオーモのキオストロです。


1099
ここに大聖堂付属美術館があります。


1097
入館しました。


1098
ドゥオーモです。


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観光案内所に行きました。


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一休みしました。


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1106
人出が多い日でした。
(つづく)

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