イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:トスカーナ州 > コッレ・ディ・ヴァル・デルザ再び

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フィレンツェ派逸名画家作「ご訪問」(17世紀)


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ジュリアーノ・ビアージ(フィレンツェ、16世紀末活動)の「聖母の誕生」
フランチェスコ・ボルドーニ(フィレンツェ、1580c-パリ、1654)の「コジモ1世の胸像」


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右翼廊礼拝堂


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制作者情報不知の「聖母子」


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右側廊


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左側廊


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アッタヴァンティ家礼拝堂


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ロレンツォ・ガンベライ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、17世紀初頭活動)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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制作者情報不知の「磔刑像」


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制作者情報不知の「聖ロッコ」


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制作者情報不知の「聖セバスティアーノ」


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15世紀のフレスコ断片


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大天使聖ミケーレ礼拝堂


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ジョヴァンニ・マリア・トロサーニ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、16世紀前半活動)の「聖モニカ」


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16世紀の逸名画家作「聖アゴスティーノ」


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16世紀の逸名画家作「聖人のフレスコ画断片」


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トロサ―ニ家礼拝堂


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左翼廊第二礼拝堂


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ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554-1627)の「受胎告知」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554-1627)の「聖人たち」


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左側廊


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ボロニーニ家礼拝堂


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逸名画家作「ピエタ」(1515)


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洗礼盤


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制作者情報不知の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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詳細不知


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リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1483-1561)の「ピエタ」


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外に出ます。


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拝観中に日が沈みました。


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黄昏時です。


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明かりが殆ど見られない丘上の家々


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一泊二食のホテルなので、夕食まで時間がたっぷりありました。


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丘下の教会はサンタゴスティーノ教会以外に見どころがありません。


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果物を少し買いました。


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この日は、これで終わりです。


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翌朝です。


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この日も天気に恵まれました。


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アルノルフォ・ディ・カンビオ広場


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バスターミナルに向かいます。


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次の目的地はサン・ジミニャーノでした。


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バスを待ちます。


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(コッレ・ディ・ヴァル・デルザの項はこれで終わりです。)
写真は、サン・ジミニャーノの城壁前

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広場を経由してサンタゴスティーノ教会に向かいます。


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アルノルフォ・ディ・カンビオ広場に戻りました。


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広場の噴水


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日が沈むまでには時間がまだ少しあります。明るいうちにサンタゴスティーノ教会に行きたかったのです。


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第一次世界大戦の戦争記念碑(1925)


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サンタゴスティーノ教会の扉が開いてました。


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1305年に建設されたゴシック様式の教会でした。
16世紀前半、建物をルネサンス様式に改造することになり、建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ’フィレンツェ、1453c-1534)に委嘱されました。
アントニオの設計によって、1531年に改造工事が着工されました。アントニオの死後の16世紀後半に完成しました。


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ファサードは未完成のまま現在に至ってます。


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後陣

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鐘楼が少し新しく見えます。


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従来の鐘楼が経時劣化して19世紀に崩落したので、地元の建築家アントニオ・サルヴェッティ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1854-1931)の設計によって、20世紀前半に建設されたネオ・ゴシック様式の新鐘楼です。


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美術的に見所豊富な教会です。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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一見新しそうに見えるのは、20世紀前半の修復の際、壁、天井、柱などが塗り直されたからです。


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天井


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左側廊


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右側廊


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエの祭壇


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362-1422)の「聖母子」


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これがあるので助かります。


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明かりが灯されました。


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頭頂部の聖人を見ます。


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逸名画家作「カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1616-1686)作『聖人』のコピー画」


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逸名画家作「アレッサンドロ・カソラーニ(カーゾレ・デルザ、1552-シエナ、1606)の『聖バルトロメオの殉教(1604)』のコピー画」


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14世紀のフレスコ断片


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トンマージ家礼拝堂


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祭壇の天使たちの彫刻(詳細不明)


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逸名画家作「ブオン・コンジーリオの聖母のコピー画」(18世紀)
1467年に発見された「ブオン・コンジーリオの聖母」のコピー画です。


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詳細不知の「磔刑」


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アレッサンドリアの聖カテリーナ礼拝堂


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ジョヴァン・バッティスタ・ポッツォ(ヴァルソルダ・ラーゴ・ディ・コモ、1561-ローマ、1589)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」


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Presbiterio


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詳細不知


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂


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ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(サン・ミニアート、1559-ローマ、1613)の「ピエタと聖人たち」


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(つづく)

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Porta Nuovaを潜って城壁外に出ます。


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城壁内と城壁外の門の雰囲気がかなり異なります。


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城壁外に出ました。


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写真右の建物については、全く分かりません。


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Porta Nuovaの名称とは異なり、要塞のような造りです。


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実際は要塞でした。その理由ですが、この街の歴史を知れば分かります。


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15世紀後半、コッレ・ディ・ヴァル・デルザは、フィレンツェの統治下にありました。
当時、フィレンツェは、ロレンツォ・イル・マニフィコ(フィレンツェ、1449-1492)の実質的支配下にありました。


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Porta Volterranaとも呼ばれてます。


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ロレンツォ・イル・マニフィコの権力の源泉たるメディチ銀行は衰退の途にありました。ロレンツォ自身が銀行業にあまり熱心ではなかったのが原因とも言われてます。
1478年4月26日、フィレンツェのドゥオーモで、所謂パッツイ家の陰謀事件によってロレンツォと弟ジュリアーノが襲われ、ロレンツォは傷を負いながらも辛くも難を逃れましたが、弟ジュリアーノは暗殺されてしまいました。
陰謀事件については、このブログで何度も触れたので、改めて触れることはしませんが、事件後のロレンツォのパッツィ家など関係者への報復は凄まじく、過度な報復に激怒した教皇シスト4世(シクストゥス4世)(在位:1471-1484)は、ロレンツォ・イル・マニフィコとフィレンツェ政庁を破門すると共にフィレンツェに対して宣戦布告したのです。
所謂パッツィ戦争が勃発しました。
教皇庁は、ナポリ王国とシエナ共和国と同盟関係にありました。
コッレ・ディ・ヴァル・デルザは、ナポリのアルフォンソ2世(ナポリ、1448-メッシーナ、1495)に包囲され、現在、Porta Nuovaがある場所にあったPorta Selvaとその周囲の城壁が攻撃を受け、破壊されてしまいました。
ナポリ王国軍がコッレ・ディ・ヴァル・デルザから撤退すると、ロレンツォ・イル・マニフィコは要塞風の新門の建設を、お抱えの建築家ジュリアーノ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1445-1516)に命じたのです。
ジュリアーノ・ダ・サンガッロが多忙だったため、ジュリアーノの師匠フランチェスコ・ディ・ジョヴァンニ通称イル・フランチョーネやジュリアーノの友人フランチェスコ・ダンジェロ通称イル・チェッカ(フィレンツェ、1446-1488)、パオロ・ディ・フランチェスコの協力を仰いで、1481年に完成したPorta Volterrana o Porta Nuovaです。


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城壁内に戻ります。


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門を潜り、Via Gracco del Seccoに出ました。


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写真左は四つ星ホテル、写真右は旧サン・ピエトロ修道院です。


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サン・ピエトロ教会です。


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1606年から1610年に建設されました。


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ファサードの碑文


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来た道をそのまま戻るのは詰まらないですが、城壁内を貫く道はこれしかないので仕方がないのです。


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すっかり夕方になりました。


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夕方になると人出が増えるイタリアですが、この街では例外のようです。


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Piazza Baiosに戻りました。


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共同洗濯場(写真左奥)を通り過ぎます。


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道草をしないでアルタに戻ります。


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市庁舎(写真左)を通り過ぎ、Palazzo Campanaのアーチを潜ります。


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Palazzo Campanaのアーチを潜り、カステッロに入りました。


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Via del Castelloです。


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カステッロ内も人出が殆どありません。


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歴史的建造物に挟まれた道を歩くのは実に楽しいひと時でした。


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ドゥオーモにも寄り道しないで、先を急ぎます。


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サンタ・マリア・イン・カノーニカ教会にも寄り道しません。


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写真右がサンタ・マリア・イン・カノーニカ教会です。


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エレベーターに乗ります。


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地上階に下りました。
(つづく)

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サンタ・カテリーナ教会のファサード側に回ります。


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サンタ・カテリーナ教会のファサードです。


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13世紀に建設されたロマネスク様式のサンタ・カテリーナ教会です。13世紀終わりの文書に、サンタ・カテリーナ教会の存在が初記載されているそうです。
18世紀に改造されて現在の姿になりました。


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鐘楼


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ファサード側の入り口扉は大体閉まってます。
ファサードに向かって左横が開いている時が多いと思いますが、教会内には、こちらから入ることになります。


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サンタ・カテリーナ教会左横はOratorio della Compagnia della Croceです。


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Oratorio della Compagnia della Croceの入り口です。


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オラトリオの中に入りました。
オラトリオの「嘆き」が有名ですが、後で見ることにして、サンタ・カテリーナ教会に入ります。


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サンタ・カテリーナ教会の中に入りました。


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18世紀に行われた改造のため、創建時のロマネスク様式の趣は全くありません。


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祭壇画が四点あります。


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詳細不知の彩色磔刑像


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熱心に祈りを捧げていた人が立ち去り、中は私一人になりました。


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Presbiterio


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詳細不知


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ベルナルディーノ・メイ(シエナ、1612-ローマ、1676)の「聖母子の絵画を崇める四聖人」(17世紀中頃)


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詳細不知


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18世紀のフィレンツェの逸名画家作「玉座の聖母子と四聖人」(18世紀)


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カウンターファサード


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オラトリオに戻りました。


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ザッカリア・ザッキ(アレッツォ、1473-ローマ、1544)の「嘆き」(1510c)


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見事なテラコッタです。


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テラコッタが置かれている後陣は、立体感があるように描かれた騙し絵です。


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クーポラに見えるように天井に描かれた騙し絵


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外に出ます。


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この教会にあった古い祭壇画は市立美術館で見ることが出来ます。


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日が低くなって、通りは建物の影の中です。


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通りの名称がVia Gracco del Seccoと変わりました。


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同じ通りが場所が違うとその名称が変わることがあるので、私にとっては困ることがあります。


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小さな広場が見えてきました。


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Piazza Baiosです。


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Via Gracco del Seccoは写真左に続いてます。


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街角のタベルナコロ


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サン・ピエトロ教会です。


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写真左は、サン・ピエトロ修道院だった建物で、ここに市立美術館が移転することになっていました。既に移転が完了し、開館しました。その展示作品については既掲載ですので、ご興味のある方は参照願います。


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Porta Nuovaです。
拡張された市域はこの門までということになります。
(つづく)

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カステッロ通りを進みます。


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城壁の先にサン・フランチェスコ修道院教会が見えました。


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城壁の下にブドウ園が広がってます。


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Palazzo Campanaの下にアーチが設けられてます。


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Palazzo Campanaの手前を右折すれば、城壁沿いの道に出ることが出来ます。


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Palazzo Campanaまでがカステッロ地区になります。


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アーチを潜って、陸橋の前に出ました。


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建築家バッチョ・ダーニョロ(フィレンツェ、1462-1543)の設計によって、1536年に建設されたPalazzo Campanaです。
建物の先に跳ね橋がありましたが、16世紀初めに崩壊したので、陸橋に改められました。


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城壁の下に下りてからサン・フランチェスコ修道院教会に向かいました。


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13世紀初め、フランチェスコ会修道士がコッレ・ディ・ヴァル・デルザに来訪し、やがて定住するようになりました。


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1229年、市当局から現在地に修道院建設が認められました。


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そうして、13世紀から17世紀に建設されたのがサン・フランチェスコ複合施設です。


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1866年、抑圧令によって複合施設は閉鎖されました。その後、複合施設は病院、軍施設、倉庫などに転用されました。修道院は一度も再開されることなく現在に至ってます。
教会は1992年に修復されて、活動が再開されました。


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教会の内部


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修道院だった建物


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Palazzo Campanaの前に戻りました。


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カンパーナ通りです。


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歴史的建造物が並んでますが、カステッロ内の建物よりは新しいものが殆どです。


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Palazzo Renieri di Sottoです。


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現在は市庁舎になってます。


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中世の頃は、Palazzo Comunaleはカステッロ内にありました。


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入口の上にメディチ家の紋章があります。


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市庁舎の壁にあるコッレ・ディ・ヴァル・デルザの紋章


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Palazzo Lupardiです。


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ホテルになっていた気がします。


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カンパーナ通りを西方向に進みます。


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小さな広場が見えてます。


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小さな広場にやってきました。


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共同洗濯場です。


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中世の頃に造られ、19世紀中頃に改造されて現在の形になったそうです。洗濯機が一般的になるまで、女性たちの交流の場だったそうです。


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共同洗濯場から城壁沿いのVia Dietro Le Muraに出ました。


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サンタ・カテリーナ教会です。
サンタ・カテリーナ教会のファサードはカンパーナ通りに面してます。


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Via Dietro Le Muraからの景観が楽しめます。


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サン・フランチェスコ修道院教会です。


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ドゥオーモが見えます。


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(つづく)

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プレトリオ宮は、市立考古学博物館として一般公開されてます。


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正式名は、ラヌッチョ・ビアンキ・バンディネッリ考古学博物館と言います。
ラヌッチョ・ビアンキ・バンディネッリ(シエナ、1900-ローマ、1975)は、シエナの名門貴族ビアンキ・バンディネッリ家出身の考古学者、美術史家で政治家でもありました。


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考古学博物館の入り口です。
プレトリオ宮が博物館として一般公開されるようになったのは、1970年からで当時は宝物館でした。考古学博物館としての開館は、1990年からでした。旧サン・ピエトロ修道院の建物に美術館がオープンするまで、ここで美術品の展示が行われていました。


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現在は、これらの美術品は旧サン・ピエトロ修道院の市立美術館に移され、展示されてます。


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考古学博物館の展示は、何処の博物館でも似たり寄ったりで、その区別がつきません。石棺、遺跡からの発掘物が主な展示物となってます。


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展示物よりも部屋の壁に描かれたフレスコ画の方に興味があります。フレスコ画といっても、外壁と同じく紋章のフレスコ画が殆どです。


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刑務所だった部屋も見学可能です。


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コッレ・ディ・ヴァル・デルザの丘から出土した石棺の蓋


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石碑断片(紀元前510c-紀元前490c)


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サン・サルヴァトーレ教区教会(ドゥオーモの前身)の柱頭(12世紀)


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壺(紀元前325c-紀元前300c)


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壺(紀元前300c-紀元前280c)


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ブロンズ製の壺(紀元前250-紀元前100c)


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金属製骨壺(紀元前250c-紀元前100c)


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ブロンズ製の容器(紀元前3世紀)


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火口(紀元前320c-紀元前300c)


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石棺(紀元前4世紀)


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Fontana(14世紀)


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エトルリア時代の鏡(紀元前3世紀)


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エトルリア時代の鏡(紀元前3世紀)


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刑務所の階段


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刑務所の囚人部屋


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囚人によって独房の壁に書かれた落書き


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囚人によって書かれた落書き


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メディチ家の紋章


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描かれているのは大半が紋章です。


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ジョヴァンニ・マリア・トロサーニ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1471c-1549)の「受胎告知」(1514)


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リドルフィの紋章


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紋章の数々


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Trigramma


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アルドブランディ家の紋章


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アレマンニ家の紋章(写真左)


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リドルフィ家の紋章


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パッツィ家の紋章


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コルシーニ家の紋章


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バルトリーニ家の紋章


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ドゥオーモ広場に戻りました。


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小礼拝堂です。


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彩釉テラコッタの聖母子がありました。


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(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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クリプタから内陣に戻りました。


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外に出る前にもう一度聖堂内を見て回ります。


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右側廊


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右第一礼拝堂


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右第二礼拝堂


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右第三礼拝堂


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右第四礼拝堂


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右翼廊礼拝堂


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左翼廊礼拝堂


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左第四礼拝堂


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左第三礼拝堂


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左第二礼拝堂


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左第一礼拝堂


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カウンターファサード


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外に出ました。


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ドゥオーモのクリプタは、破壊された初代の建物の地下墓地だったので、外から直接入ることが出来ます。


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ドゥオーモ広場です。


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広場の、プレトリオ宮の前にFontanaがあります。


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14世紀、またはそれ以前に造られました。


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この水は飲むことが出来ます。


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次は、ドゥオーモの隣に建つプレトリオ宮です。


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14世紀に建設されました。


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コッレ・ディ・ヴァル・デルザの政治の中心として使用されてきました。主に司法、警察の機能を担いました。
裁判所と刑務所が置かれていましたが、後に刑務所専用となり、それが1920年代まで続きました。
1990年に修復され、元の姿に戻されました。


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取り壊されたドゥオーモの初代の建物の一部がプレトリオ宮に組み入れられました。


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プレトリオ宮の裏側です。


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この場所は、中世の頃、処刑場でもありました。


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中庭の塀で囲まれた部分は囚人たちの運動場でした。


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プレトリオ宮左隣の建物の中に重罪人独房がありました。
プレトリオ宮に壁に沢山の紋章がありますが、それは執政長官や警察署長の紋章です。


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ベンチ家の紋章


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カルネセッキ家の紋章


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マッツォ―ニ家の紋章


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ユリはフィレンツェの紋章です。


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(つづく)

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左第四礼拝堂です。


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左第四礼拝堂の天井装飾


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左第三礼拝堂


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詳細不明


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見所が多い聖堂です。


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ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の「人々の安寧を祈る聖アルベルト」


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左第三礼拝堂右側壁の祭壇画です。


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ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の「聖家族と聖アルベルト」


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左第三礼拝堂の左側壁の祭壇画です。


p1005
ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の「聖人たち」


p1006
ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の「聖母子」


p1007
ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)による左第三礼拝堂天井の装飾


p1001
左第二礼拝堂です。


P1160287
こちらの方の祭壇画はキリストの昇天になります。


P1160299
キリストの昇天とキリストの復活は似てるようでも表現が違います。


p1008
ジュゼッペ・バルトロメオ・キアーリ(ローマ、1654-1727)の「キリストの昇天」


P1160293
左第二礼拝堂の右側壁にある祭壇画です。


p1009
デイフェボ・バルベリーニの「我に触れるな」(1673)
この画家は全く知りません。


P1160298
左第二礼拝堂の左側壁にある祭壇画です。


p1010
デイフェボ・バルベリーニの「聖トンマーゾの不信」(1673)


P1160305
左第一礼拝堂です。


P1160307
左第一礼拝堂の祭壇画


p1011
ジョヴァンニ・オダッツィ(ローマ、1663-1731)の「聖母の結婚」


P1160306
左第一礼拝堂の天井装飾


P1160317
アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1583-1665)による左第二礼拝堂の天井装飾


p1012


P1160311
左第一礼拝堂の右側壁にある祭壇画です。


p1013
アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1583-1665)の「エジプトへの逃避途中の休息」


P1160322
左第一礼拝堂の左側壁にある祭壇画です。


p1014
アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1583-1665)の「エジプトへの逃避」


P1160323
左側廊です。


p1015
次はクリプタです。


p1016
Cripta della Misericordia、ドゥオーモのクリプタです。


p1017
この場所は、取り壊された建物の下にあった墓地でした。コッレ・ディ・ヴァル・デルザが独立した司教区になった時、司教座教会に相応しい建物(現在のもの)を建てる際、墓地だった土地の地盤強化のために、墓を掘り起こし地盤強化工事と土地を平坦化してから、17世紀末から18世紀初頭にかけて改めてクリプタが建築されました。


p1018
クリプタの壁がフレスコ画で覆われてます。


p1019
フレスコ画の制作者は、一応ジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692-1768)とされてますが、帰属は不確実とされてます。


p1023
クリプタの主祭壇


p1022
主祭壇画は、アンニーバレ・マッツゥオーリ(シエナ、1658-ローマ、1743)の「聖母子と聖アルベルトと聖ロッコと聖ルチアと聖ジュゼッペ」


p1020
祭壇がもう一つあります。


p1021
ピエトロ・アルデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)の「聖マルゲリータ」
(つづく)

P1160219
右第四礼拝堂の右側壁にある祭壇画です。


p1009
フランチェスコ・ナシーニ(ピアンカスタニャ―ロ、1621-カステル・デル・ピアーノ、1695)の「聖パオロの回心」(1690)


p1010
右第四礼拝堂の左側壁にある祭壇画です。


P1160221
フランチェスコ・ナシーニ(ピアンカスタニャーロ、1621-カステル・デル・ピアーノ、1695)の「聖ピエトロの逆さ磔」(1690)


P1160222
右第四礼拝堂の天井装飾


P1160223
アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1583-1653)によって制作されたフレスコ画


p1011


p1012
右翼廊のCappella del Sacro Chiodoです。


P1160224
閉まっていることが多い礼拝堂です。


p1013
聖体容器のタベルナコロです。


P1160225
聖体容器とタベルナコロはミーノ・ダ・フィエゾレ(ポッピ、1429-フィレンツェ、1484)の帰属作品と言われてます。


P1160227
右翼廊の側壁にある祭壇画です。


p1014
フランチェスコ・モランディ―ニ通称イル・ポッピ(ポッピ、1544-フィレンツェ、1597)の「ご誕生」(1567)


p1017
右側廊の突き当りに聖歌隊席があります。


P1160231
聖歌隊席


P1160234
聖歌隊席の下に洗礼盤があります。


p1015
1465年に制作されました。


p1016
聖ジョヴァンニ・バッティスタの制作者は不祥のようです。


P1160235
左側廊


P1160236
次は左側の礼拝堂です。


P1160237
左翼廊にある「授乳の聖母」(15世紀)


p1018
制作者不詳のようです。


P1160239


p1023
左翼廊の礼拝堂です。


p1019
この礼拝堂は必見です。


P1160245
「最後の晩餐」があります。


P1160249
オッタヴィオ・ヴァンニーニ(フィレンツェ、1585-1643)の「最後の晩餐」(1636)


p1020


P1160250
左翼廊礼拝堂の天井


P1160247
オッタヴィオ・ヴァンニーニ(フィレンツェ、1585-1643)によって制作されたフレスコ画(1636)


p1021
左翼廊礼拝堂は洗礼堂に繋がってます。


p1022
洗礼堂です。洗礼堂に二点の祭壇画があります。


p1024
洗礼堂にある、コジモ・ガンベルッチ(フィレンツェ、1562-1621)の「受胎告知」(1619)


p1025
洗礼堂にある、コジモ・ガンベルッチ(フィレンツェ、1562-1621)の「二聖人」(1619)


p1026
左第四礼拝堂です。


P1160251
フィリッポ・タルキアーニ(フィレンツェ、1576-1645)の「キリストの復活」


P1160254
「キリストの復活」が左第二礼拝堂にもあるので混同しそうです。


P1160255
左第四礼拝堂天井


P1160256
左第四礼拝堂右側壁の祭壇画


p1027
制作者不詳の「天上の聖母子と二聖人」


P1160258
左第四礼拝堂左側壁の祭壇画は、制作者不詳の「無原罪の聖母」


p1028
(つづく)

P1160171
ドゥオーモ内部です。


P1160173
三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


P1160172
取り壊された最初の建物にあった作品が一部残されています。


P1160174
装飾がなくスッキリした天井


P1160349
ドゥオーモの構造図


P1160350
礼拝堂、翼廊、後陣の見所が示されてます。


P1160351
これ以外にも見所があります。


P1160352
これがあると後で助かります。


P1160353


P1160354


P1160175
クーポラ


P1160339
17世紀に施されたクーポラの装飾


P1160177
Presbiterioと主祭壇


P1160340
後陣は無装飾です。


P1160338
鋳造ブロンズの磔刑像があります。


P1160176
ピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577-フィレンツェ、1640)の「ジャンボローニャ作『磔刑像』の鋳造ブロンズ複製」


p1001
ピエトロ・タッカは、ジャンボローニャ(フランス、ドゥエ、1529-フィレンツェ、1608)の弟子です。


P1160179
14世紀に造られた説教壇


P1160180
説教壇外壁に浮彫が施されてます。


P1160181
浮彫は1465年に制作されましたが、制作者が不詳のようです。


P1160182
説教壇の天蓋


p1002


p1003


p1004


P1160186
右側廊です。右側廊の礼拝堂から見て回ります。


P1160187
右第一礼拝堂(サン・マルツィア―レ礼拝堂)です。


P1160194
右第一礼拝堂の祭壇画


P1160188
ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の「聖マルツィア―レの奇跡」


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フィリッポ・タルキアーニ(フィレンツェ、1576-1645)の「聖マルツィア―レと聖アルベルト」


P1160197
フィリッポ・タルキアーニ(フィレンツェ、1576-1645)の「聖アルベルト」


P1160192
ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の右第一礼拝堂天井のフレスコ画


p1005
右第二礼拝堂です。


P1160199
右第二礼拝堂の祭壇画は、ヴィンチェンツォ・ダンディーニ(フィレンツェ、1607-1675)の「マギの礼拝」


P1160210
右第二礼拝堂右側画は、ディフェーボ・ブルバリーニ(シエナ、1619-1680)の「銭を洗う聖ピエトロ」


P1160209
右第二礼拝堂左側画は、ディフェーボ・ブルバリーニ(シエナ、1619-1680)の「キリストの洗礼」


P1160205
ディフェーボ・ブルバリーニ(シエナ、1619-1680)の右第二礼拝堂天井のフレスコ画


p1006


P1160211
右第三礼拝堂です。


p1008
右第四礼拝堂です。


p1007
右第四礼拝堂の祭壇画は、ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1639)の「ご誕生」(1635)


P1160213


P1160216
(つづく)

P1160145
Via del Castelloです。


P1160147
旧市街を縦貫するメイン道路です。


P1160146
鐘楼はドゥオーモのものです。


P1160148
メッツォ通りに下る階段は閉鎖されてました。


P1160149
振り返って撮った写真です。


P1160150
次はドゥオーモですが、その前に劇場を見ておきます。


P1160151
Teatro dei Variiです。


P1160153
この場所に、中世の頃(具体的な時期は不明のようです)に建てられた病院がありましたが、経時劣化のため廃墟になってました。


P1160152
18世紀中頃、元病院だった土地をアカデミア・デイ・ヴァリイが購入して、1762年に完成した劇場です。


P1160154
小規模なコンサートや前衛的な演劇が上演されてます。


P1160155
来場するのが大変そうな劇場に思えました。


P1160156
プリオーリ宮です。


P1160158
13世紀に建設され、14世紀にほぼ現在の形に改造されたプリオーリ宮です。


P1160161
プリオーリ宮の外壁にフレスコ画が描かれてます。


P1160157
以前は、プリオーリ宮に市立美術館が置かれていましたが、現在は他の場所に移転しました。この時は、移転のために休館中でした。


P1160159
プリオーリ宮に観光案内所があります。


P1160160
この時は、市立美術館の移転に伴って観光案内所も閉鎖されていました。


P1160162
現在は市庁舎の分庁舎兼博物館になってます。


P1160163
プリオーリ宮の隣の建物にタベルナコロがあります。


P1160164
聖母子のタベルナコロ


P1160165
プリオーリ宮の斜め向かいにドゥオーモがあります。


P1160166
Concattedrale dei Santi Alberto e Marzialeです。


P1160367
1592年、コッレ・ディ・ヴァル・デルザは、独立した単独の司教区となり、それ以降、この教会は司教座教会でしたが、1986年の司教区見直しによって、シエナ₌コッレ・ディ・ヴァル・デルザ₌モンタルチーノ大司教区の再編合区に伴い、Concattedraleに格下げされました。大司教座教会はシエナのドゥオーモとなってます。


P1160168
ドゥオーモ前にあるドゥオーモ広場です。


P1160357
10世紀から11世紀に、この地に建設されたサン・サルヴァトーレ教区教会が前身です。


P1160364
サン・サルヴァトーレ教区教会の存在は、1115年の文書に初めて記載されました。
その後、奉献する聖人として聖アルベルトが追加され、教会の名称がPieve dei Santi Salvatore e Albertoに改称されました。


P1160167
1592年、コッレ・ディ・ヴァル・デルザは、単独の司教区になりました。1602年、司教座教会に相応しい建物の建設が決定され、Pieve dei Santi Salvatore e Alberto(一時的にCattedraleでした)だった建物を取り壊し、その上に新築することになりました。


P1160358
そうして、1603年に創建され、1623年に一応の完成を見た建物が現在のドゥオーモの原形となってます。
1623年、奉献式が執り行われましたが、それを機に奉献する聖人が聖アルベルトと聖マルツィア―レに変更されました。


p1022
教区教会の鐘楼は、1623年に取り壊され、新鐘楼の建設が開始されましたが中々進捗せず、1833年になって漸く完成しました。


P1160359
砂岩を使って新築されたファサードは荒廃してしまいました。現在のファサードは、1833年に再建されたものです。


P1160369
ドゥオーモの隣にプレトリオ宮が建ってます。


p1026
14世紀に建設されたプレトリオ宮には、現在市立考古学博物館が置かれてます。


p1023
プレトリオ宮の背後に取り壊された教区教会だった建物が残されてます。


p1024
教区教会だった建物の一部は、プレトリオ宮に組み入れられてます。


p1025
ドゥオーモの洗礼堂


P1160361
ファサードの入り口扉


P1160360
入口扉上ルネッタ


P1160363
入口扉の彫刻


p1027
聖堂内に入ります。


P1160169
中に入りました。
(つづく)

P1160103
四階建ての建物は、アルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ。ヴァル・デルザ,1245c-フィレンツェ,1302/1310c)の生家です。


P1160105
建物の前にアルノルフォ・ディ・カンビオの胸像があります。(制作者不知)


P1160101
次はロマネスク様式のサンタ・マリア・イン・カノーニカ教会です。


P1160106
かなり古い起源を持つ教会と言われてます。


P1160107
初期キリスト教会が前身説がありますが、それを裏付ける文書記録がなく、今では伝説とされてます。


p1010
確実な記録として、1183年の文書に、この教会の存在が初めて記載されているそうです。
丘上の城壁で囲まれた、この場所は要塞化されてカステッロ地区と呼ばれてますが、この教会はドゥオーモが建設される前はカステッロ地区の教区教会でした。


p1011
身廊外観


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鐘楼


P1160108
ファサードの丸窓


P1160109
入口扉上のルネッタ
ルネッタ上にフレスコ画があったかも知れませんが、その痕跡すらもありません。


P1160110
教会内に入りました。


P1160112
単廊式、ロマネスク様式の内部です。


P1160111
簡素な造りです。


P1160123
木組みの梁天井


P1160113
主祭壇画を見ます。


p1013
ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1444/1445-1497以降没)の「聖母子と四聖人」(15世紀)です。


P1160127
裾絵と端絵がついてます。


P1160116
四聖人とは、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ロレンツォ、聖マルコ、バーリの聖二コラです。


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裾絵


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三個の金の玉を娘たちに与えるバーリの聖二コラ


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福音書を記す聖マルコ


P1160118


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キリスト教徒への迫害


p1018
マギの礼拝


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1017
聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教、聖ロレンツォの殉教


P1160121
端絵


P1160128
詳細不明の聖母子


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保存状態があまり良くないフレスコ画があります。


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ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1444/1445-1497以降没)の「聖なる父なる神」(15世紀)


p1014


P1160133
こちらも古いフレスコ画です。


P1160135
アレッソ・ディ・ベノッツォ(フィレンツェ、1473-1528)の「聖アントニオ・アバーテ」(15世紀)


p1015
アレッソ・ディ・ベノッツォは、ベノッツォ・ゴッツォーリ(スカンディッチ、1420-ピストイア、1497)の息子です。アレッソは、父と仕事をすることが多く、父の死後、単独で仕事をするようになりました。


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詳細不明の聖心


P1160143
詳細不明


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祭壇前から見たカウンターファサード


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外に出る前に、もう一教会内を眺めました。


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左側壁


P1160138
右側壁


P1160144
外に出ました。
(つづく)

コッレ・ディ・ヴァル・デルザは、人口21,833人(2020年1月1日現在)のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネで、その歴史は古く、遺跡発掘調査の結果から紀元前400万年頃には既に人々が居住していたと推定されてます。
P1150757
前泊地はヴォルテッラでした。


P1150756
ヴォルテッラからバスでコッレ・ディ・ヴァル・デルザに向かいました。
(写真は、ヴォルテッラのバスターミナルです)


P1160659
コッレ・ディ・ヴァル・デルザのバスターミナルに到着しました。


P1160064
コッレ・ディ・ヴァル・デルザは、丘上に築かれた旧市街と、丘下に広がる新市街に分かれてますが、新市街の中心アルノルフォ・ディ・カンビオ広場です。


P1160066
アルノルフォ・ディ・カンビオ広場至近にある、この日のお宿です。この町にある真面なホテルはここくらいです。旧市街に趣のある良いホテルがありますが、大きな荷物を持って旧市街に行くのは容易ではないので、避けた方が無難という訳です。
お気に入りのレストランが定休日なので、ハーフボード(一泊二食)にしました。(コロナ禍以後、このホテルのレストランは休業中のようです。)


P1160065
チェックインを済ませてから外出しました。


P1160067
Via dei Fossiです。


P1160068
サンタゴスティーノ教会の後陣です。


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ファサード側に回ります。


P1160071
創建時の鐘楼は幾度か修復されて19世紀まで健在でしたが、経時劣化が進んだので、取り壊され、20世紀に再建されたのが現在の鐘楼です。


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ファサードが面しているサンタゴスティーノ広場に入ります。


P1160073
サンタゴスティーノ広場は駐車場になってます。


P1160079


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サンタゴスティーノ教会です。


P1160076
毎日開く教会です。拝観は夕方にすることにして先を急ぎます。


P1160077
先ず丘上の旧市街を目指します。


P1160078
エレベーターがあるので簡単に丘上に行くことが出来ますが、肝心のエレベーターが時々運転休止するので、気が気ではありません。


P1160080
サンタゴスティーノ教会を後にしました。


P1160082
Via Pieve in Pianoです。


P1160081
アーチを潜ります。


P1160083
アーチを潜り、二本の道路を横切った先にエレベーターの入り口があります。


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ジュゼッペ・ガリバルディ通りを横切ります。


P1160085
更にヴィットリオ・メオーニ通りを横断します。


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トンネルの先にエレベーターがあります。


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エレベーターが運転休止の時は、遠回りして急坂の道を上る必要があります。


P1160088
エレベーターが点灯されていたので、どうやら運転しているようです。


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無料のエレベーターです。


P1160097
無事に丘上の旧市街の入り口に着きました。
ここから丘下の新市街が一望できます。


P1160090
この日のお宿、サンタゴスティーノ教会が見えてます。写真手前は丘上と丘下を結ぶ道路です。


P1160091
木がある所にエルザ川が流れてます。写真手前にバスが写ってますが、そこにバスターミナルがあります。


P1160092
写真左にアルノルフォ・ディ・カンビオ広場が写ってます。


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P1160094
旧市街は写真左方向の横長になってます。


P1160089
Torre di Arnolfo di Cambioです。


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セバスティアーノ通りを進みます。


P1160096


P1160098
旧市街を貫くメイン道路に出ました。


P1160099
サンタ・マリア・イン・カノーニカ教会です。


P1160100
旧市街には古い建物ばかりが建ち並んでます。


P1160102
(つづく)

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