イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:トスカーナ州 > コルトーナ再び

106
サン・ベネデット教会からサンタゴスティーノ教会の鐘楼が見えました。


109
次はサン・ドメニコ教会です。


110
サンタゴスティーノ教会前を通り過ぎます。


111
同じ通りを通っては詰まらないので、違った道を通ります。


112
そうは言っても狭い旧市街なので、見慣れた家並みばかりになります。


113
旧市街の中心の広場を経由しないと城壁外のサン・ドメニコ教会には行けません。


114
トンネルの階段を上ります。


116
骨董品の青空市が賑わっていました。


115
骨董品の品定めに忙しい飼い主に置いて行かれて寂しそうなワンちゃん。


117


072
サン・ドメニコ教会にやってきました。


501
1230年、城壁外のこの場所にドメニコ会修道士によって小さな修道院と教会が建設されました。1258年の文書に、サン・ドメニコ修道院と教会の存在が初めて記載されました。


p1001
しかし、14世紀後半になると手狭になったので大きな建物の必要性が高まります。小さな修道院と教会に隣接する土地の取得が出来たので、14世紀末に再建工事が着工し、1438年に完成しました。その時の後期ゴシック様式とルネサンス様式折衷の建物が現在の教会の原形となってます。
1557年に改造されて現在の姿になりました。


499
1797年、ナポレオンの抑圧令によってサン・ドメニコ修道院教会は閉鎖されてしまいました。1817年、修道院だった建物は破壊され、その土地は公園となりました。
教会の方は、1822年に活動が再開されて現在に至ってます。


p002
鐘楼


p1003


500
入口扉上ルネッタのフレスコ画ですが、2012年頃までは微かに識別できました。
ベアート・アンジェリコによる「聖母子と聖ドメニコと聖ピエトロ・マルティーレ」のフレスコ画がありました。
この時は、完全に塗り潰されていたのですが、このフレスコ画のシノピエが残されており、それを基に復元される予定です。(現在は復元されたフレスコ画がルネッタ上にある?ようです。この2年間、行ったことがないので本情報の真贋については分かりません。)


P2170156
これがベアート・アンジェリコのシノピエです。


P2170157
コルトーナの教区美術館にあります。


073
教会の中に入りました。


535
サン・ドメニコ教会は今も昔も美術品の宝庫です。


556
主祭壇画です。


P2170230
ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ディ・マルティーノ(フィレンツェ、1373?-1412)の「聖母戴冠のポリッティコ」


p1004
サン・ドメニコ教会の主祭壇画は、当初、ベアート・アンジェリコに発注されましたが、制作に取り掛かる前にローマに旅立ってしまいました。
ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ディ・マルティーノのこの多翼祭壇画はフィレンツェの教会のために15世紀初頭に制作されましたが、ベアート・アンジェリコの主祭壇画の代わりとして、1440年、フィレンツェの支配者だったコジモ・イル・ヴェッキオが寄贈したのです。


531
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445-1523)の「聖母子と聖人たち」(1515)


P2170234
後陣左の礼拝堂にあります。


533
ピエトロ・コロンバーティ(18世紀中頃消息)の「天上の聖母子」


P2170242


551
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549-1628)の「聖母被昇天」


P2170246


537
バッチョ・ボネッティ(フィレンツェ、1557-コルトーナ、1645)の「嘆き」


P2170286


539
バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「聖ロッコ」(1470-80c)


543
アンドレア・コッモディ(フィレンツェ、1560-1638)の「論争するアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1603)


P2170278


548
ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559-フィレンツェ、1638)の「割礼」


545
バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「聖アゴスティーノ」


562
外に出ました。
この後、ぐうたらして午後を過ごしました。


P2170535
出発の朝を迎えました。


P2170538
タクシーで駅に向かいました。駅前からのコルトーナです。


P2170539
次の目的地アレッツォに向かいました。


P2170540
(コルトーナ再び、おわり)

488
動き過ぎて疲れました。


p1067
疲れを感じていたので、要塞が閉まっていたのは幸いでした。


p1068
要塞から降りて、サンタ・マルゲリータ聖堂を通り過ぎました。


489
それでもサン・ドメニコ教会だけはどうしても拝観したいと考えていました。


490
サン・フランチェスコ教会横を進みます。


491
ジュゼッペ・マッフェイ通りです。


492
柱廊はこの街では寧ろ珍しいと思います。


493
この日の夕食を食べることになるレストランです。


494
レプッブリカ広場に戻ってきました。


495
日帰り観光客が去ったようで、人出が落ち着いていました。


496
雨が降り始めました。


497
雨は大したことがないと思っていたら、強烈な稲光と轟音!


498
直ぐに大粒の雨が降ってきました。


563
ホテルに戻ることにしました。
この日はこれで終わりです。


001
翌朝です。


002
ホテルの朝食会場となっている部屋からの景観です。


003
前日の雷雨は、午後9時過ぎに上がりました。


004
この日の予定は、サン・ドメニコ教会など、未だ訪れていない教会と教区美術館にもう一度入館することです。


005
ゆっくりと朝食を楽しんでから外に出ました。


089
コルトーナで二泊する中日なので、のんびりと過ごしました。


091
観光地であるコルトーナの朝は遅いのです。


092
市庁舎の階段から見たグエルファ通り方向です。


093
ルカ・シニョレッリも見たであろう建物群です。


094
何もせずに市庁舎の階段に腰を下ろして広場を眺めていました。


095
シニョレッリ広場です。


096
カザーリ宮の紋章を眺めました。


098
この日は、骨董品などの青空市が開市されていました。


097
次はサン・フィリッポ・ネリ教会です。


099
フィリッポ・ネリ教会はローマ通りに面してますが、目立たないのでうっかりすると通り過ぎてしまいます。


p1069
サン・フィリッポ・ネリ教会です。教会の両隣と後ろにも建物があって、非常に限られた狭い場所にあることから、ファサードと後陣がありません。


p1070
1677年から1738年に建設されたバロック様式のサン・フィリッポ・ネリ教会です。
美術的な見所は3点の祭壇画でしょう。


p1071
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタ(ヴェネツィア、1682-1754)の「天上の聖母子と聖人たち」(1739-43)


p1072
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660-1731)の「キリストの神殿奉献」


p1073
アントニオ・タッデイ通称イル・バッレリーノの「聖フィリッポ・ネリの幻視」(1675)


100
次はサン・ベネデット教会です。


101
サン・ベネデット教会は目立たない路地にあるので、道を迷いそうでしたが、微かな記憶を頼りに道を進むと教会がある路地に着きました。


102
丸い建物がサン・ベネデット教会です。


103
15世紀に建設されましたが、18世紀初頭に教会の土地が削減されることになり、1722年に楕円形で再建されました。


105
美術的な見所は殆どないと思います。


104
珍しく扉が開いていました。


107
中に入りましたが、美術的な見所が乏しいことが再確認できました。


108
(つづく)

480
道を下ります。


481
サン・マルコ教会に出ました。非常にユニークな構造をした教会ですが、全体像をとらえた写真を撮るのが困難です。


486
この場所には巡礼者のための病院がありましたが、1580年に病院を管理していたCompagnia della Santissima Trinita dei Laiciによって建設された教会です。


485
単純な構造をした普通の小さな教会に見えます。


483
実は2つの教会が重なった構造をしており、こちらは上部教会となってます。


018
サンタ・マルゲリータ通りに面している下部教会のファサードです。


019
下部教会ファサードのモザイクは、ジーノ・セヴェリーニ(コルトーナ、1883-パリ、1966)によって1961年に制作された「聖マルコ」です。


484
16世紀末の鐘楼


482
かっては素晴らしい作品が後陣を飾っていましたが、今は美術的な見所が乏しいサン・マルコ教会です。


p1057
主祭壇画はアドリアナオ・ザバレッリの「聖母被昇天」ですが、この画家のことは全く知りません。


P2170029
コルトーナのMuseo Diocesanoで展示されているピエトロ・ロレンツェッティの彩色磔刑像は、この教会の後陣を飾っていたのです。


P2170031


487
下のサンタ・マルゲリータ通りに向かいます。


070
サンタ・マルゲリータ通りを進んでサンタ・マルゲリータ聖堂に向かいます。


071
サンタ・マルゲリータ通りからの景観


068


067
サンタ・マルゲリータ聖堂が見えてきました。


064
サンタ・マルゲリータ聖堂です。


063
この場所には、11世紀に建設されたロマネスク様式のサン・バジリオ教会がありましたが、故郷を追放されたコルトーナの聖マルゲリータ(ラヴィアーノ、1247-コルトーナ、1297)は、1278年にサン・バジリオ教会近くに病院を建設して、貧しい人々の看護介護に当たりました。
1297年、聖マルゲリータが没すると、彼女の遺体を祀る新たな教会を建設することになり、古いサン・バジリオ教会を取り壊し、その上に建設することになりました、そうして1301年に創建され、1304年に完成したのがサンタ・マルゲリータ教会です。


029
最初の建物が荒廃したので、19世紀に再建されました。現在の建物は二代目のものです。
1927年、Basilica Minoreに格付けされました。


052
聖堂内に入りました。


033
三廊式、ラテン十字形、ネオ・ゴシック様式の内部です。


032


058
Presbiterio


054
オルガンが鳴り響いていました。


p1058
ガーノ・ディ・ファツィオ(シエナ、1290-1318活動記録)の「聖マルゲリータの墓」(1310-20c)


035
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ通称ヤコポ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551-1640)の「聖母被昇天と聖ジョヴァンニ・バッティスタとアルカラの聖ディエゴと聖キアーラ」(1610)


p1059
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリは、エンポリ出身と思われますが、フィレンツェ生まれです。ヤコポの父がエンポリ生まれなのです。


038
ピエトロ・ジャンノッティの「嬰児虐殺」(1636)


p1060
ピエトロ・ジャンノッティという画家については全く知りません。


041
オズヴァルド・ビニャーミ(ローディ、1856-チヴァーテ、1936)の「コルトーナを守護する聖マルゲリータ」(1917-20)


p1061


043
礼拝堂天井


044
フランチェスコ・ヴァンニ(シエナ、1563-1610)の「無原罪の聖母と四聖人」(1602)


p1062


047
フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535-1612)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」(1612)


p1063


p1064
ヴィンチェンツォ・パチェッティ(カステル・ボロネーゼ、1746-ローマ、1820)の「コルトーナの聖マルゲリータ」(1781)


059
歴史ある聖堂ですが、古い作品がありません。


p1065
外に出て、サンタ・マルゲリータ聖堂の上にあるメディチ要塞に向かいます。


p1066
メディチ要塞です。
(つづく)

443
サン・ニッコロ教会周辺の修道院に行きます。


444
写真右にサンタ・キアーラ教会が写ってます。


456
サンタ・キアーラ教会です。


459
教会と修道院が建っている場所は城壁外に当たり、ローマ時代に建設された古い建物があって、中世の頃まで羊毛工場や製粉所として使用されていたそうです。ローマ時代の古い建物近くに市営墓地がありました。


453
1470年、コルトーナ市当局は、アッシジのクレア(1193/1194-1253)の女子修道会に、現在の修道院教会が建っている場所を与えました。直ぐに修道院教会の建設計画が持ち上がりましたが、資金難のため、中々具体化しませんでした。修道女たちは近くの建物に寝起きして活動していました。


458
しかし、16世紀前半に建設計画が具体化して、1555年、ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の設計、建築家ルカ・ベッレッティーニの工事監督によって創建され1581年に完成しました。
1581年、修道女全員が修道院に移住しました。


p1056
現在でも活動を行っている女子修道院です。


P2170483
教会の中には入れますが、修道院の方は一般公開されていないようです。


454
教会の入り口


445
中に入りました。


P2170487
詳細不知の磔刑と聖フランチェスコと聖キアーラ


P2170489
主祭壇


P2170492
主祭壇画は、17世紀のトスカーナ派逸名画家作「聖母子と聖フランチェスコと聖キアーラ」


447
ピエトロ・ダ・コルトーナの作品です。


P2170494
ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596-ローマ、1669)の「十字架降下とアリマテアのジュゼッペとニコデモ」(1625c)


p1054


P2170495
アンドレア・コッモディ(フィレンツェ、1560-1638)の「無原罪の御宿リ」(1609)


455
外に出ました。


457
修道院には行けないようになっていました。


P2170501


P2170502
塀の向こうが修道院の建物です。


P2170499
ピエトロ・ダ・コルトーナの作品が必見のサンタ・キアーラ教会です。


460
この辺は古い建物ばかりが建ち並んでます。


461
道を下ります。


462
次はサンティッシマ・トリニタ女子修道院です。


463
14世紀前半に建設されたサンタ・カテリーナ女子修道院が前身らしいです。


464
15世紀にシトー女子修道会の所有となりました。
礼拝堂、修道院、教会、病院として、1545年に増築拡大されました。


476
現在での女子修道士が活動している修道院ですが、一部の建物は観光客向けの宿泊設備に転用されてます。


468
扉が開いていたので拝観します。


469
中に入りました。


475
美術作品が数点ありますが、それらの詳細が分かりません。


471
聖母被昇天


473


472


465
外に出ました。


466
教会横の道路からの景観


467


477


478
城壁沿いの道を下ります。


479
(つづく)

405
サン・フランチェスコ教会から更に上に上ります。


406
坂道を何度も上り下りするので、コルトーナ観光は疲れます。


407
旧市街はかなり広いので、起伏に富む道路を徒歩で歩き回らねばなりません。


408
この辺では通りの名称が変わってベッレッティーニ通りとなります。


409
この辺ではサン・マルコ通りに変わっているもしれません。


410
コルトーナでは地図を必要としていない私です。


411
丘の頂上近くにある公園を目指します。


413
ドン・アントニオ・メンカンニ公園に出ました。


412
寄り道をしないでサン・ニッコロ教会に向かいます。


414
公園横のサン・トゥッチェ通りを進みます。サン・トゥッチェ通りにサン・ニッコロ教会があります。


415
サン・ニッコロ教会の主祭壇画はルカ・シニョレッリの作品です。


416
サン・ニッコロ教会の門が開いていたので、ホッとしました。


442
現在は、拝観有料のMuseo扱いになってますが、この当時は扉が開いていることが少ない教会でした。


417
1440年に建設されたサン・ニッコロ教会です。


418
ファサード前の庭とファサードに向かって右側は墓地になっていたそうです。


419
ファサード左横の柱廊は15世紀のものです。


437
碑文があります。


420
1930年に復元された柱廊玄関です。


438
創建時の鐘楼が残されてます。


441
宗教活動を停止した旧教会です。


421
中に入りました。
荒廃したので、17世紀から18世紀にかけてバロック様式で再建された内部です。


431
主祭壇に向かいます。


429
主祭壇画は、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1445c-1523)によって1510年頃に制作されたものです。
実は、表裏両面に描かれてます。


426
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1445c-1523)の「嘆き」(1510c)
この当時は裏面が見えないようになっていました。


P2170457
現在は作品が前に開く装置が付けられ両面が見えるようになってます。


P2170455


p1049


p1051


P2170454
裏面に描かれた、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1445c-1523)の「玉座の聖母子と聖ピエトロと聖パオロ」(1510c)


p1050


428
詳細不知


432
詳細不知


434
1768年に制作された格子天井


435


436


423
ルカ・シニョレッリ工房によって制作されたフレスコ画が残されてます。


p1052


p1053
カウンターファサード


440
外に出ました。


439
(つづく)

383
ピエトロ・ベッレッティーニ通称ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596-ローマ、1669)の「受胎告知」(1669)


P2170400
フレスコ断片


p1038
トスカーナの逸名画家によるフレスコ断片(14世紀)


P2170397
このフレスコがある壁下の床をあちこち見回します。


P2170398
これがあるので、シニョレッリの墓がある筈と思うのですが、見つかりません。


P2170399
トスカーナの逸名画家によるフレスコ断片(14世紀)


P2170402


p1039
トスカーナの逸名画家による「司教聖人」(1390-1410c)


P2170404
トスカーナの逸名画家による「聖母子と聖レオナルドと聖ミケーレ」(1390c)


p1040


401


402



385


P2170368


P2170370


387
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ルチアの殉教」


P2170375


P2170378


390
ヤコポ・ディ・ミーノ・デル・ペッリチャイオ別称ジャコモ・ディ・ミーノ(シエナ、1315/1319-1396以降没)の「聖母戴冠」(14世紀)


p1037


P2170382


P2170381


P2170388
次の礼拝堂です。


394
ラッファエッロ・ヴァンニ(シエナ、1587-1657)の「ご誕生」(17世紀)


P2170390
ラッファエッロ・ヴァンニはピエトロ・ダ・コルトーナの追随者でした。


P2170392


P2170341
コルトーナ最初の司教ラニエーリ・ウンベルティーニの墓です。


P2170342
アンジェロ・ディ・ピエトロとフランチェスコ・ディ・ピエトロによって1360年に造られた墓です。


p1041


p1042


p1043


p1044


P2170408
残念ながら今回もルカ・シニョレッリの墓が見つからなかった。


346
外に出ました。


403
坂を上り、更に道を下って城壁に出ます。


p1045
モンタニア門です。


p1046
この辺は雑木林になってます。


p1047
サンタ・マルゲリータ門です。


p1048
サンタ・マルゲリータ門近くは高い城壁になってます。


404
(つづく)

349
中に入ったらツアーのご一行様の拝観中でした。ガイドさんが長々と説明しているので、外に出て暫し時間潰し。


337
しかし、外では次のご一行様が待機中でした。中のグループと入れ替わりで拝観するようです。


339
回りが静かになったようなので、中に入ることにしました。


350
再び中に入ったら、誰もおらず、私一人でゆっくりと拝観出来ました。
観光客に人気の教会とは言えませんが、この日だけは例外だったようです。


351
フランチェスコ会特有の構造と造りの内部です。17世紀に大掛かりな改修を経て、バロック様式の色濃い内部となってます。


P2170331
Presbiterio
美術作品を見て回ります。


353
ニッコロ・モンティ・ディ・ピストイア(ピストイア、1781-コルトーナ、1864)の「スルタンの前の聖フランチェスコ」(1842)


354


P2170394


355
オラツィオ・フィダーニ(フィレンツェ、1606-1656)の「アウレア門での聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」(1645)


357


P2170383


358
アンドレア・コッモディ(フィレンツェ、1560-1638)の「無原罪の御宿リと聖人たち」(1609)


360


P2170373


361
ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559-ローマ、1613)の「パドヴァの聖アントニオとの壁の奇跡」(1597)


363


P2170362


365
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「天上の聖母子とバーリの聖二コラと聖フランチェスコとコルトーナの聖マルゲリータ」(1625)


366


P2170352


367
逸名画家作「聖母子」(14世紀)


P2170347
ブオナミーコ・ブッファルマコ通称ブオナミーコ・ディ・マルティーノ(フィレンツェ、1290c-1340c)の帰属作品説も有力です。


P2170342


P2170339


p1031


371
チーロ・フェッリ(ローマ、1634-1689)の「天上の聖母と聖ルイージと聖ルドヴィーコとコルトーナの聖マルゲリータとコルトーナのベアート・グイド」(1657)


P2170344


372


374
詳細不知


376
詳細不知


378
詳細不知


379
「磔刑と聖フランチェスコ」と、「聖マルゲリータ」の制作者が異なります。


380


P2170357
ジュゼッペ・ピアモンティーニ(フィレンツェ、1664-1742)の「磔刑と聖フランチェスコ」
フランチェスコ・ファッブルッチ(1687-1767)の「聖マルゲリータ」


p1032
磔刑されたキリスト


p1035
聖フランチェスコ


p1033
聖マルゲリータ


p1034


p1036
聖水盤


P2170350
詳細不知
(つづく)

308
ドゥオーモ広場下の城壁に向かいました。


p1025
コロニア門です。


p1024
城壁の下は見どころがありません。


310
ドゥオーモ広場に戻りました。


309
ドゥオーモの鐘楼が見えました。


311
ドゥオーモ広場にある、ジュゼッペ・ポンピリオ・ティチャーティ(フィレンツェ、1706-1777)の「聖マルゲリータの記念碑」(1749)です。
聖マルコと並んでコルトーナの共同守護聖人である聖マルゲリータ・ダ・コルトーナ(ラヴィアーノ、1247-コルトーナ、1297)が、1728年に当時の教皇、第245代教皇ベネデット13世(在位:1724-1730)によって列聖されたのを記念して、コルトーナ市当局がティチャーティに注文して、1749年に作品が完成してコルトーナに運ばれました。
現在のドゥオーモ広場に置かれるようになったのは、1776年から出現在に至ってます。


314
Via Vagnottiを通らずにシニョレッリ広場に向かいました。


315
Vicolo della Carcelliを通りました。


316
シニョレッリ広場に戻りました。


317
写真左奥の建物は市庁舎です。
シニョレッリ広場の青空市が終わって、綺麗に掃除されていました。


319
カザーリ宮の前もいつも通りになりました。


318
青空市の撤去完了は午後2時くらいのようです。


320
シニョレッリ劇場です。


323
公演では一度も入ったことがありません。


321


322


324
サン・フランチェスコ教会に向かいます。


325
振り返って撮った写真です。


326


328
サン・フランチェスコ教会はシニョレッリ広場よりも高い丘にあります。


329
坂を上ります。


330
坂を上り下りしなければならないコルトーナは、老人には居住するのが困難でしょうか?


331


332
ジュゼッペ・マッフェイ通りです。


333
サン・フランチェスコ教会が見えてきました。


334
サン・フランチェスコ教会です。


336
教会と修道院が建っている場所は、ローマ時代に造成された広いテラスでした。
1245年、アッシジから訪れた修道士Frate Elia da Cortona(アッシジ、1178-コルトーナ、1253)に対して、コルトーナ市当局から広いテラスだった土地が与えられました。修道院と教会が1246年に創建され、1254年に一応の完成を見て非公式の献堂式が行われました。


340
私にとって、サン・フランチェスコ教会が重要な場所です。


p1026
ルカ・シニョレッリの胸像があります。


p1027
1523年10月16日にコルトーナで死去したルカ・シニョレッリはサン・フランチェスコ教会に葬られました。
そのことを示す碑文があります。


341
修道院だった建物と庭です。


342
鐘楼


p1030
かって修道院には柱廊があって、柱廊の床にシニョレッリの墓があったようなのです。


343
シニョレッリの墓の痕跡でも、と思い丁寧に見て回ります。


344
今回も見つかりませんでした。


345
教会の方に戻ります。


p1028
建物は数度改造されたので、墓がなくなったようです。


347
サン・フランチェスコ教会の入り口です。


p1029
入口扉の彫刻
(つづく)

P2160992
サッセッタ(コルトーナ?、14世紀末-シエナ、1450c?)の「聖母子と四聖人」(1434)


P2160999


P2170001
ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417-1491)の「聖フランチェスコとシエナの聖ベルナルディーノとパドヴァの聖アントニオ」(1450-60)


P2170005


P2170105
ベアート・アンジェリコの作品が目立ちます。


P2170093
ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知」(1434-36)


P2170027


P2170094


P2170095
裾絵


P2170097


P2170100


P2170102


P2170103


P2170030
ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280c-1348)の「彩色磔刑像」(1320-30)


P2170031


P2170034
ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」(1438)


P2170054


P2170037


P2170038


P2170040


P2170043
裾絵


P2170044


P2170046


P2170048


P2170051


P2170053


P2170067
ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280c-1348)の「カルヴァリオへの上り」(1340-48)


P2170068


P2170089
ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280c-1348)の「聖母子」(1320-30)


P2170090


306
ジェズ教会の下部教会の一部です。


307
フレスコ画が残されてます。


P2170119


P2170121


p1023
外に出る前のもう一度主要作品を見ました。


p1022


278
外に出ました。


267
ドゥオーモ広場は高い城壁の上にあるので、広場から見下ろします。


268


270


271
(つづく)

275
ドゥオーモから外に出ました。


274
教区美術館 Museo Diocesanoが開いてました。安心です。


277
教区美術館はジェズ教会だった建物にあります。


p1021
ジェズ教会は、1498年から1505年に建設されましたが、1740年頃に拡大増築されて、現在の姿になりました。上部教会と下部教会の二重構造です。下部教会の一部がMuseo Diocesanoとして公開されてます。


276
1945年、当時のコルトーナ司教によってMuseo Diocesanoが設立されオープンしました。


279
入口です。
ルカ・シニョレッリ、ベアート・アンジェリコ、ピエトロ・ロレンツェッティ、サセッタ、バルトロメオ・デッラ・ガッタなどの代表作が並び、質の高い展示が特徴です。コルトーナ観光における最重要な訪問地と言えるでしょう。


281
ルカ・シニョレッリ工房作「羊飼いの礼拝」(1522c)


P2160966
ルカ・シニョレッリは律儀な性格だったので、工房の作品であっても手を抜かずに加筆したと伝えられてます。


P2160968


282
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)と弟子による「聖母子と聖人たち」(1510-15c)


P2160961


P2160964


284
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の「嘆き」(1501-02)


P2160950


P2160960


287
ルカ・シニョレッリ工房作「聖母子と聖人たち」(1515c)


P2160940


P2160943


288
ルカ・シニョレッリ工房作「羊飼いの礼拝」(1521-24)


P2160944


P2160947


290
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の「使徒たち聖体拝領」


P2160927


P2160930


292
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)と協力者による「無原罪の御宿リの寓意」(1521-23)


P2160923


P2160926


293
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)とシニョレッリ工房による「聖母被昇天」(1519-20)


P2160920


P2160922


297
ルカ・シニョレッリ工房作「キリストの神殿奉献」(1521c)


P2160932


P2160935


299
ルカ・シニョレッリの「聖ベネデットの生涯の裾絵」(1515-16c)


P2160937


P2160939


301
フェデリーコ・ツッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1540/1541-アンコーナ、1609)に帰属する「聖母被昇天と聖ジョヴァンニ・バッティスタとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


P2160982


P2160984


302
フランチェスコ・カッペッラ通称ダッジュー(ヴェネツィア、1711-ベルガモ、1774)の「パオラの聖フランチェスコの奇跡」(1750)


P2160987


P2160989
(つづく)

233
急に曇ってきたようで、中が薄暗くなってきました。


P2160843
トンマーゾ・ベルナベイ通称マーゾ・パパチェッロ(コルトーナ、1505-1559)の「聖母を囲む聖人たち」
トンマーゾ・ベルナベイはルカ・シニョレッリの弟子です。


234
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の「磔刑」


P2160837
教会の作品紹介板と教会で買い求めた本にルカ・シニョレッリの作品と書かれています。私にはルカの作品には見えないのですが・・・・・
作品帰属は専門家に任せるしかないと思いますが、私の見方が正しかったことが稀にあります。


235
クリストファノ・アッローリ(フィレンツェ、1557-1621)の「チントラの聖母」


P2160836
クリストファノ・アッローリは、アレッサンドロ・アッローリの息子です。


236
ジョヴァンニ・グラディの「聖母子と守護聖人」(17世紀)


P2160854
ジョヴァンニ・グラディという画家は全く知りません。


237
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486-1530)の「聖母被昇天」


P2160852
コピー画ではなく、アンドレアの真作と教会発行の冊子に出ています。


244
Presbiterio


240
後陣の壁に祭壇画が幾つか掲げられてます。


238
さながら美術館のような展示です。


239
Presbiterio天井


P2160827


241
サルヴィ・カステッルッチ(アレッツォ、1608-1672)の「聖マリア・マッダレーナの聖体拝領」


P2160909
サルヴィ・カステッルッチはピエトロ・ベッレッティーニの弟子です。


P2160915


246
ロレンツォ・ベッレッティーニ(コルトーナ、1620-1672)の「聖母子と聖人たち」


247
これがあるのは有り難いですが、時々間違っていることがあるので要注意です。


P2160904


248


p1020
詳細不知


249
アンドレア・セッラーリ(コルトーナ、1600-1672)の「磔刑」


P2160901


P2160902


250
ピエトロ・ベッレッティーニ(コルトーナ、1597-1669)の「ご誕生」


P2160895


P2160894


P2160896


254
ロレンツォ・バルディ(ピストイア、1624-1730)の「聖セバスティアーノ」


255


P2160887


264
説教壇


P2160881


P2160883


P2160884


P2160912
ミーノ・ダ・フィエゾレ(ポッピ、1429-フィレンツェ、1484)の「聖体容器」


P2160916
詳細不知


p1019
ジョヴァンニ・アルベルティ司教(1540-1596)の墓


265
拝観が終わりました。


273
外に出ました。
(つづく)

201
カザーリ宮から外に出ます。


202
コルトーナの最大の見所である教区美術館は昼休み中なので、時間潰しのために、左折してギベッリーナ門に向かいました。


p1012
ギベッリーナ・ビフォーラ門です。


p1013
門を潜って城壁外に出ました。コルトーナの旧市街を囲む城壁に設けられた7つの門の一つ、ギベッリーナ・ビフォーラ門です。


p1011
城壁沿いの道を歩いてサンタ・マリア門に向かいます。


p1014
サンタ・マリア門です。


p1015
サンタ・マリア門を潜って城壁内に入りました。


203
次はドゥオーモです。


204
ドゥオーモ広場です。


205
ドゥオーモの向かいにお目当ての教区美術館がありますが、未だ昼休み中なので、ドゥオーモの拝観を先に行います。


206
コルトーナのドゥオーモ、Concattedrale di Santa Maria Assuntaです。1507年から1986年まで司教座教会でした。
1986年に行われた司教区再編によって、それまで独立した司教区だったコルトーナはアレッツォ₌コルトーナ₌サンセポルクロ司教区に合区されました。その結果、Concattedraleに格下げされたのです。


272
この場所には異教の寺院がありましたが、その遺跡の上に5世紀から6世紀に建設された初期キリスト教会が前身です。11世紀に教区教会となりました。
最初の建物が経時劣化したので、1262年にニコラ・ピサーノ(ピサ、1220-1284)の設計によって再建された建物が現在の原形です。アレッツォ司教区に属していたコルトーナですが、それを不満に思っていました。アレッツォ司教区の管理を離れ、コルトーナ司教区を新設して、その司教座教会にするとの意図のもとに建設されました。


p1016
写真はコルトーナ郊外カルチナイオにあるサン・ヴィンチェンツォ・イン・サンタ・マリア・アル・カルチナイオ教会です。
1325年、コルトーナ司教区が新設されましたが、予てからコルトーナと軋轢があったアレッツォ司教は、積年の恨みを晴らすべく、コルトーナ司教座をこの教会に置く妨害行為に成功したのです。


p1017
コルトーナ城壁内の居住者にとっては、郊外にある司教座教会は不便極まりないことでした。


207
再建された建物は司教座教会としては若干小さかったので、1481年から1507年に増築され、司教座教会として相応しい、現在の規模になりました。
その増築完成を待って、コルトーナは教皇庁に対して司教座の移転を願い出たのです。
1507年、当時の教皇ジュリオ2世(第216代教皇 在位:1503-1513)の裁定によって、サン・ヴィンチェンツォ教会から司教座が移され、この教会に司教座が置かれるようになりました。


209
入口扉横の浮彫


208


210
中に入りました。


212
三廊式、ルネサンス様式の内部です。


211
コリント式列柱が目立ちます。


P2160876
美術的には見所が豊富な教会と言えるでしょう。


213
作品を見て回ります。


214
ラッファエッロ・ヴァンニ(シエナ、1587/1590c-1673)の「キリストの変容」


216
ラッファエッロ・ヴァンニはピエトロ・ダ・コルトーナの追随者でした。


P2160871


219
逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(16世紀)


220


P2160868


222
ロレンツォ・ベッレッティーニ(コルトーナ、1620-1672)の「聖ジュゼッペの死」


223


P2160862


P2160910
右後陣の礼拝堂です。


224
「ピエタのテラコッタ」


226


p1018


229
フランチェスコ・シニョレッリ(コルトーナ、1495c-1553)の「聖トンマーゾの不信」


P2160834
フランチェスコ・シニョレッリは、ルカ・シニョレッリの甥です。


231
ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559-ローマ、1613)の「ロザリオの聖母」


P2160849


232
アンドレア・コッモディ(フィレンツェ、1560-1648)の「サン・サルヴァトーレ聖堂の献堂式」(1559)


P2160845
(つづく)

036
サンタゴスティーノ修道院だった建物から外に出ました。


040
町の中心、レプッブリカ広場にやってきました。


041
観光客が多い日でした。


045
時間の有効利用のため、少し早いですが写真右の店で軽い昼食を食べました。


046
市庁舎です。


048
12世紀に建築され、16世紀に改築、拡大された市庁舎です。鐘楼は、その改築拡大の際、追加されました。


043
市庁舎ファサード前の階段から撮った写真です。


042


044


050
広場に留まって、おしゃべりをする人たちが多くいました。


051
カザーリ宮前は青空市が開市されていました。


052
衣料品関係の出店が多かったようです。


053
ルカ・シニョレッリ広場です。建物はシニョレッリ劇場です。


057
建築デザイナーのカルロ・ガッテスキの設計によって1854年に建設された劇場です。


056
シニョレッリ劇場の隣にあるカザーリ宮に戻ります。


054
プレトリオ宮とも呼ばれるカザーリ宮は13世紀に建築され、18世紀に現在の形に改修されました。
19世紀にイタリア王国の州庁舎になりました。


055
現在は、エトルリア・アカデミー博物館が置かれると共に、エトルリア・アカデミーの本拠地となってます。また、市立博物館の併設されてます。


063
入館しました。
エトルリア時代の遺跡からの発掘物が展示の中心ですが、絵画など幅広い展示が特徴です。有名画家による作品があるので、美術ファンにとって必訪の博物館と言えると思います。


072
エトルリア・アカデミー博物館については既に紹介しました、ご興味のある方は、そちらをご参照願います。
展示物は行く度に異なることはありません。
ジーノ・セヴェリーニ(コルトーナ、1883-パリ、1966)の「受胎告知」
主な作品を再度紹介します。


080
アントニアッツォ・ロマーノ(コロンナ、1430c-ローマ、1510c)の「聖母子」


084
マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1365c-1424)の「玉座の聖母子と二天使」


086
ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373-1452)の「聖母子と四聖人のトリッティコ」


093
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の「聖母子と聖人たちのトンド」(1512)


095
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の「羊飼いの礼拝」


097
バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「聖母子」


099
ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454-シエナ、1513)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


103
ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559-ローマ、1613)の「荊刑のキリスト」


106
ヤコポ・ディ・ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ(フィレンツェ、1495-1554)の「聖マリア・マッダレーナ」


107
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ(バディア・ディ・パッシニャーノ、1503-フィレンツェ、1577)の「受胎告知」


110
ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559-ローマ、1613)の「ご訪問」


112
ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559-ローマ、1613)の「二人の男の肖像」


162
カザーリ宮のベランダからの景観


179
ベランダを渡り市立博物館に入りました。


180
詳細不知の紋章


184


185


191
武具の展示


192


193


194
コルトーナの聖職者トップだった人たちの肖像画


197
図書館


198


200
シニョレッリの作品をもう一度見てから外に出ました。
(つづく)

p1007
コルトーナは、人口21,404人(2020年8月31日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネで、丘上に旧市街があります。
私が大好きなルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)所縁の地なので、殆ど毎年のように訪れてます。


002
前泊地はペルージャでした。


005
ペルージャ駅に到着しました。


006
ペルージャ駅前の噴水
ペルージャの旧市街からコルトーナの旧市街に行くのは、結構大変です。


004
ペルージャからカムーチャ・コルトーナまで列車で向かいました。


001
理由不明の遅れ30分でカムーチャ駅に到着しました。


002
旧市街の入り口にある広場に行くバスがあり、多少の列車遅れならば接続を待ってくれることがありますが、30分遅れでは流石に無理というもの。
幸運にもタクシーが駅前にいたので、タクシーでホテルに向かいました。


037
この日のお宿です。旧市街の中心にあって便利なので、このホテルに泊まることにしてます。


038
チェックインを済ませて早速外に出ました。
バスで来るはずだったので、バス停があるサンタゴスティーノ門まで戻ります。


p1008
サンタゴスティーノ門です。


p1009
サンタゴスティーノ門を潜ってグエルファ通りに入りました。


007
門を入った所に土産物屋が出てました。


008
先ず、サンタゴスティーノ修道院です。


035
サンタゴスティーノ修道院の入り口です。


110
こちらはサンタゴスティーノ教会です。


034
1273年に遡るサンタゴスティーノ教会です。1481年と1681年の2回の改造を経て、現在の姿になりました。
教会は活動を停止して市の所有となり、建物は修復されて市のコンベンションセンターとして使用されてます。


009
修道院に入ります。


010
サンタゴスティーノ修道院は、14世紀に建設されて、17世紀に大規模な改造を受けました。


011
キオストロ


020
修道院だった建物は学校として使用されてます。


030
キオストロにある古井戸(14世紀)


024
キオストロ回廊の壁のルネッタに描かれたフレスコ画が見所です。


012
フレスコ画のテーマは「聖アゴスティーノの生涯の物語」です。


013
既に15世紀に描かれたフレスコ画があったようですが、劣化したので、17世紀に行われた修道院の大規模改造の際に改めて描き直されたようです。


014
フレスコ画の制作者は、ジュゼッペ・グゥアスパリーニ・ディ・ウンベルティデで、1669年に制作されました。


015
制作者のジュゼッペ・グゥアスパリーニ・ディ・ウンベルティデについては全く分からないようで、残されている作品も、この修道院のフレスコ画だけです。


016


017


018


019


021


022


023


025


026


027


028


029


032


033
外に出ます。


p1010
サンタゴスティーノ教会修道院の鐘楼
(つづく)

↑このページのトップヘ