サン・ベネデット教会からサンタゴスティーノ教会の鐘楼が見えました。
次はサン・ドメニコ教会です。
サンタゴスティーノ教会前を通り過ぎます。
同じ通りを通っては詰まらないので、違った道を通ります。
そうは言っても狭い旧市街なので、見慣れた家並みばかりになります。
旧市街の中心の広場を経由しないと城壁外のサン・ドメニコ教会には行けません。
トンネルの階段を上ります。
骨董品の青空市が賑わっていました。
骨董品の品定めに忙しい飼い主に置いて行かれて寂しそうなワンちゃん。
サン・ドメニコ教会にやってきました。
1230年、城壁外のこの場所にドメニコ会修道士によって小さな修道院と教会が建設されました。1258年の文書に、サン・ドメニコ修道院と教会の存在が初めて記載されました。
しかし、14世紀後半になると手狭になったので大きな建物の必要性が高まります。小さな修道院と教会に隣接する土地の取得が出来たので、14世紀末に再建工事が着工し、1438年に完成しました。その時の後期ゴシック様式とルネサンス様式折衷の建物が現在の教会の原形となってます。
1557年に改造されて現在の姿になりました。
1797年、ナポレオンの抑圧令によってサン・ドメニコ修道院教会は閉鎖されてしまいました。1817年、修道院だった建物は破壊され、その土地は公園となりました。
教会の方は、1822年に活動が再開されて現在に至ってます。
鐘楼
入口扉上ルネッタのフレスコ画ですが、2012年頃までは微かに識別できました。
ベアート・アンジェリコによる「聖母子と聖ドメニコと聖ピエトロ・マルティーレ」のフレスコ画がありました。
この時は、完全に塗り潰されていたのですが、このフレスコ画のシノピエが残されており、それを基に復元される予定です。(現在は復元されたフレスコ画がルネッタ上にある?ようです。この2年間、行ったことがないので本情報の真贋については分かりません。)
これがベアート・アンジェリコのシノピエです。
コルトーナの教区美術館にあります。
教会の中に入りました。
サン・ドメニコ教会は今も昔も美術品の宝庫です。
主祭壇画です。
ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ディ・マルティーノ(フィレンツェ、1373?-1412)の「聖母戴冠のポリッティコ」
サン・ドメニコ教会の主祭壇画は、当初、ベアート・アンジェリコに発注されましたが、制作に取り掛かる前にローマに旅立ってしまいました。
ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ディ・マルティーノのこの多翼祭壇画はフィレンツェの教会のために15世紀初頭に制作されましたが、ベアート・アンジェリコの主祭壇画の代わりとして、1440年、フィレンツェの支配者だったコジモ・イル・ヴェッキオが寄贈したのです。
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445-1523)の「聖母子と聖人たち」(1515)
後陣左の礼拝堂にあります。
ピエトロ・コロンバーティ(18世紀中頃消息)の「天上の聖母子」
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549-1628)の「聖母被昇天」
バッチョ・ボネッティ(フィレンツェ、1557-コルトーナ、1645)の「嘆き」
バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「聖ロッコ」(1470-80c)
アンドレア・コッモディ(フィレンツェ、1560-1638)の「論争するアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1603)
ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559-フィレンツェ、1638)の「割礼」
バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「聖アゴスティーノ」
外に出ました。
この後、ぐうたらして午後を過ごしました。
出発の朝を迎えました。
タクシーで駅に向かいました。駅前からのコルトーナです。
次の目的地アレッツォに向かいました。
(コルトーナ再び、おわり)