イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:トスカーナ州 > ピエンツァ

251
Via Fontiの聖母子の祠


253
ピエンツァの城壁内に戻ってきました。


254
見たい所、行きたい所には全て行ったので、時間潰しのブラブラ歩きです。


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ピオ2世広場です。


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市庁舎のロッジャ


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Porta al Ciglioです。


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門を潜ります。


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城壁外に出ました。


261
Porta al Ciglioの横に歩行者専用の小門があります。


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堅固に造られた砦と城壁が聳えてます。


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城壁の周りを歩きます。


265
城壁沿いの道の下は、トスカーナの典型的な風景が大きく広がってます。


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カメラのゴミが気になります。


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城壁内に戻ります。


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Largo Roma


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Corso Rossellino


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ピオ2世広場


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ダンテ広場


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昼食を食べたレストラン


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見所が比較的多いピエンツァですが、かなりゆっくりと見て歩いても時間が余るようです。


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Corso Rossellino


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Via dell’Apporito


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モンテプルチャーノ、シエナなどからの日帰り遠足でも十分楽しめるピエンツァと思います。


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サン・フランチェスコ教会をもう一度拝観します。


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後は大体同じなので、この辺で終わりにします。


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(ピエンツァ編 おわり)

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ホテルで一休みしてから、再び外に出ました。


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次はサンタ・カテリーナ教会です。


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Viale Santa Caterinaを進みます。通りの突き当りにサンタ・カテリーナ教会があります。


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丘の裾野を進むViale Santa Caterinaからは、トスカーナの絶景が楽しめます。


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カメラに混入した埃が気になります。


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トスカーナ名物の糸杉


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遠くに見えるのは、サン・クイリーコ・ドルチャでしょうか?


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サンタ・カテリーナ教会が見えてきました。


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コルシニャーノの教区教会の鐘楼が写ってます。下に向かう農道があるのが分かったので、後で教区教会にも行ってみることにしました。


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観光案内所で確認した通り扉が開いていました。


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13世紀頃に建設された小さな礼拝堂が前身とされてます。


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現在のバロック様式の建物は、17世紀末に創建され、1722年に完成しました。1731年に奉献式が執り行われました。


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煉瓦造りの単純な構造の教会です。


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後陣と鐘楼


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シエナの聖カテリーナに捧げる教会です。


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中に入りました。


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翼廊がない、単廊式、バロック様式の内部です。


234
右側壁の祭壇画が取り外されていました。


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詳細不知の「主祭壇画」


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トスカーナの逸名画家作「聖母子」(14世紀)


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制作者情報不知の「シエナの聖カテリーナ」


237
制作者情報不知の「アッシジの聖フランチェスコ」


238
制作者情報不知の「シエナの聖カテリーナ」


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18世紀のトスカーナの逸名画家作「ご訪問」


244
詳細不知


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カウンターファサード


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カウンターファサードのオルガン


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外に出ました。


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後陣の先に下に下りる小道があります。


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後陣に回りました。


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ポピーが咲いてました。


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下に下ります。


250
オリーブ畑とブドウ畑が続きます。


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見上げるとサンタ・カテリーナ教会がありました。


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(つづく)

p1050
引き続き、コルシニャーノの教区教会です。


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1925年に改修された木組みの天井


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祭壇


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出入口方向


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1979年に制作されたオルガン


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外に出ます。


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外に出ました。


113
教区教会はコルシニャーノの中心にありましたが、その周囲にあった人家はピエンツァの完成を機に、コルシニャーノの旧市街から離れピエンツァに移されました。
現在、教区教会は畑と林に囲まれてます。


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教区教会前の栗の木が花をつけていました。


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教区教会の上にあるサンタ・カテリーナ教会です。大回りしないと行けないので、拝観は後にしました。


117
ピエンツァに戻ります。


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コルシニャーノの城壁でしょうか?


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ピエンツァ旧市街の入り口ムレッロ門に戻ってきました。


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ムレッロ門のフレスコ画


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ピオ2世広場です。


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写真右の建物はドゥオーモ、左の建物はPalazzo Piccolominiです。


202
カメラのゴミが入ったようで変な影が写るようになりました。


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Via Gozzante


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ドゥオーモの後陣


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この時の旅で撮った写真ですが、カメラのゴミのため、このような変な写真になりました。


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帰国するまでゴミの混入に気付きませんでした。


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近距離の写真は大丈夫でした。


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ピオ2世広場に戻りました。


210
ムレッロ門を潜ります。


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ムレッロ門を潜ると、門の横に観光案内所があります。


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公園で一休み。


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ニャーゴがいました。


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別のニャーゴがご来訪。


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狭い、小さな町ピエンツァなので、どうしても同じ所に来てしまいます。。


216
午後もあちこち行きましたが、同じ所ばかりでした。


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ゴミ混入カメラの写真を見ると嫌になります。


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ピエンツァ編をやらなかったのは、ゴミ混入写真のためです。


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お腹は空いていないが、何か食べないと夕食まで持ちません。


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適当に軽食を食べます。


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昼食後、ホテルに戻って昼寝をしました。
(つづく)

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次はコルシニャーノ教区教会です。


099
ピエンツァの城壁外に出ました。


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ピエンツァの前身コルシニャーノは、ピエンツァの城壁から約1キロメートル離れてます。


101
コルシニャーノの教区教会は、コルシニャーノのほぼ中央にありました。


102
ピエンツァからコルシニャーノに向かう道、Via Fontiからの景観です。


103
畑の柵の向こうにニャーゴがいました。


105
コルシニャーノの教区教会、サンティ・ヴィトー・エ・モデスト教区教会です。


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教会の歴史は古く、7世紀に遡ると言われてます。714年の文書に、この教会の存在が初めて記載されているそうです。
11世紀の文書に教区教会と記載されたそうです。


114
現在のロマネスク様式の外観は、13世紀に改修された後の建物が原形になってます。


104
左側壁


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11世紀の鐘楼


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右側壁にも扉がありますが、通常閉まっているようです。


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ファサードを見ます。


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砂岩で出来たファサードです。


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メイン扉は12世紀に造られました。


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ファサードの二連窓


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二連窓の彫刻


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メイン扉の彫刻を見ます。


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ルネッタ


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柱頭


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右側壁にあるサイドポータルです。


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サイドポータルの彫刻


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右側壁の扉横の彫刻


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教会内に入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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現在の内部が少し新しく見えるのは、1925年に行われた改修工事のせいです。


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主祭壇


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16世紀の磔刑像


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クリプタに下ります。


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クリプタです。


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クリプタには殆ど何もないので、内陣に戻ります。


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鐘楼を見ます。


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鐘がないようです。


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柱頭の蛇の浮彫


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ピオ2世が将来のピオ3世を洗礼した洗礼盤


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碑文
(つづく)

引き続き、サン・カルロ女子修道院だった建物で行われたIl Buon Secolo della Pittura Seneseと言う展示会の展示作品です。
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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖母子と聖人たち」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖母子と聖人たち」(1622-23)
通常、ピエンツァの教区美術館で展示されてますが、この時は特別展に移されていました。


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「瀕死の聖マリア・マッダレーナ」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖マリア・マッダレーナと三天使」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「絵画と建築の寓意」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖マリア・マッダレーナの改宗」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「磔刑」


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オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「聖母子」


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ニッコロ・トルニオーリ(シエナ、1598以降生まれ-ローマ、1651)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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ドメニコ・マネッティ(シエナ、1609-1663)の「ローマの慈善」


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ドメニコ・マネッティは、ルティリオ・マネッティの次男です。


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p1009
クリストファノ・ルスティーチ通称イル・ルスティコ―ネ(シエナ、1552-1641)の「盲人と癒すキリスト」


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ベルナルディーノ・メイ(シエナ、1612-ローマ、1676)の「レテ川の水で時間と共に癒される愛」


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アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1583-1665)の「リュート奏者」


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アンティヴェドゥート・グラマティカ(シエナ、1571-ローマ、1626)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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アレッサンドロ・カソラーニ(カーゾレ・デルザ、1552-シエナ、1606)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノとシエナの聖カテリーナ」


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17世紀の逸名画家作「カラヴァッジョの『果物を剝く少年』のコピー画」


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ミケランジェロ・メリージ通称カラヴァッジョ(ミラノ、1571-ポルト・エルコレ、1610)の「果物を剥く少年」
ご参考までにカラヴァッジョの作品写真を載せておきます。(イギリスのロイヤル・コレクション)


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アンティヴェドゥート・グラマティカ(シエナ、1571-ローマ、1626)の「純潔の寓意」


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サン・カルロ修道院教会から外に出ました。


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狭い城壁内を歩き尽くすことにしました。


094
16世紀の時代とほとんど変わっていない街並みです。


095


096


097
(つづく)

085
城壁内に戻りました。


086
ピエンツァの城壁内の建物は趣のあるものが殆どです。


087
サン・カルロ女子修道院にやってきました。


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入口のアーチを潜って中に入りました。


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女子修道院の中庭です。


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17世紀前半に建設されたサン・カルロ修道院教会です。1634年、アゴスティーノ女子修道会に与えられ、女子修道院になりました。


089
サン・カルロ教会です。


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既に宗教活動が停止されてますが、修道院と教会だった建物は、ピエンツァ・コムーネの所有となっており、その一部は考古学博物館として一般公開されてます。また、不定期に会議室や様々な展示会場として利用されてます。


091
修道院中庭の古井戸
次は考古学博物館です。


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考古学博物館の展示は、何処の博物館でも大体同じです。ここも、その例外ではなく、石棺、墓石、墓の碑文、骨壺などが展示されてます。
エトルリア時代の墓(紀元前300-紀元前190c)


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エトルリア人の骨壺(紀元前300-紀元前190c)


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墓石の碑文(紀元前250-紀元前225c)


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墓石(紀元前1世紀)


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骨壺(紀元前300-紀元前190c)


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骨壺の一部(紀元前300-紀元前190c)


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次はサン・カルロ教会の内部です。


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主祭壇


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主祭壇画は、フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖母子と聖人たち(聖カルロ・ボッロメオ、聖フランチェスコ、聖クレア、シエナの聖カテリーナ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ)」(1620-25)
この作品は、通常Museo Diocesanoに移されています。その場合は、教会の主祭壇画は複製画となっているようです。


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主祭壇横の「聖アゴスティーノ像」(1620-30)


p1067
「トレンティーノの聖二コラ像」(1620-30)


p1068
この当時、修道院だった建物でIl Buon Secolo della Pittura Seneseというシエナ派画家たちの特別展が開催されていました。
その特別展の展示作品を紹介します。


p1069
ヴィンチェンツォ・ルスティーチ(シエナ、1556-1632)の「幼児を洗礼する聖アンサーノ」
ヴィンチェンツォ・ルスティーチは、フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノの父です。


p1070
ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1639)の「この人を見よ」


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ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1632)の「ギャンブルと欲望の悪徳の寓意」


p1073
蠟燭の明かりと暗部との対比を描いてます。


p1072
ルティリオ・マネッティは、1615年、ローマへの旅に出ましたが、旅先のローマで出会ったカラヴァッジェスキ画家たちとそれらの作品から強い影響を受け、画風を変えたのです。


p1074
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「ご訪問」


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個人蔵の作品です。


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖アグネス」


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若死を惜しまれている画家です。


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖カルロ・ボッロメオ」
紋章はジローラモ・コルセッティによって描かれたそうです。ジローラモ・コルセッティと言う画家については全く知りません。


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと大天使聖ミケーレ」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「若い男の肖像」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「ロザリオの聖母」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)原画のエッチング付きの聖書
(つづく)

引き続きピエンツァの教区美術館です。
184
フィレンツェ派逸名画家作「最後の晩餐」(17世紀)


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ジュゼッペ・二コラ・ナシーニ(カステル・デル・ピアーノ、1657-1736)の「聖母」


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聖職者の法衣は教区美術館の定番展示です。


187
ベルナルド・ラントビク(フランドル、1573c-1596活動記録)の「ナルニからローマへの聖遺物の移送」


p1036


188
ベルナルド・ラントビク(フランドル、1573c-1596活動記録)の「ミルヴィオ橋で聖遺物を受領する教皇」


p1037


191
外に出ました。


075
次はPalazzo Piccolominiです。


194
第210代教皇ピオ2世(コルシニャーノ、1405-アンコーナ、1464 教皇在位:1458-1464)の命によって、ベルナルド・ロッセッリ―ニ(セッティニャーノ、1409-フィレンツェ、1464)に建築が委嘱され、ベルナルドの設計によって1459年以降に建設されたピッコロミーニ宮殿です。


195
ピッコロミーニ宮殿前に井戸があります。


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高さ27メートル、三階建てのピッコロミーニ宮殿です。


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ピッコロミーニ宮殿は映画のロケ地として度々使用されてます。


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中は一般公開されてます。この時は30分毎のガイド付きツアーのみの一般公開で、宮殿室内の写真撮影は不可となっていました。


199
切符を買いました。ガイド付きツアーの出発時間まで中庭で待ちます。


198
この時は、私を含めて9名のツアーになりました。


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外に出ました。


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小さなピエンツァの城壁内を見て回ります。


078
写真左は、Palazzo Comunaleです。


079
グリエルモ・マルコーニ通りです。


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城壁内の建物の多くは15世紀後半に建設されました。


080
スパーニャ広場(スペイン広場)です。


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一旦、ドゥオーモ前に戻ります。


082
ピエンツァの目抜き通りに出ました。


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Corso Rossellinoを更に進みます。


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チーリオ門が見えてきました。


p1048


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チーリオ門を潜ります。


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チーリオ門を潜って城壁外に出ました。
(つづく)

158
グイドッチョ・コッツァレッリ(シエナ、1450-1516/1517)の「聖母子と二天使」


p1021


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グイドッチョ・コッツァレッリ(シエナ、1450-1516/1517)の「聖母子と聖セバスティアーノと聖アントニオ・アバーテ」


p1022


160
シエナ派逸名画家作「Trigramma col Nome de Jesu」
シエナの聖ベルナルディーノが持ってますね。


161
アルカンジェロ・サリンベーニ(シエナ、1536-1579)の「聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」(1580)
欠落したパネルは聖母子でしょうか?


162
ロレンツォ・ブロッツィ通称イル・ルスティーコ(シエナ、1521-1772)の「ピエタのキリスト」「キリストの洗礼」「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


163
ジョヴァンニ・アンドレア・ガッレッティ(シエナ、1499-1539)の「聖ピエトロ」と「聖パオロ」(1535c)


164
バルトロメオ・ネローニ通称イル・リッチョ(シエナ、1532-1571記録)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとシエナの聖カテリーナ」(1570c)


p1023


165
シエナ派逸名画家作「無原罪の聖母と四聖人」(1562)


166
マルコ・ビージョ(シエナ、1523-1550活動記録)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


167
ベルナルド・ラントビク(Rantwyck)(フランドル、1573c-1596活動)の「モレアスのパトラスからの出発」(1583以前)


p1024


168
ベルナルド・ラントビク(フランドル、1573c-1596活動)の「モレアスのアンコーナ到着」(1583以前)


p1025


169
ベルナルド・ラントビク(フランドル、1573c-1596記録)の「サン・ピエトロに向けてローマの通りを進む聖遺物の行進」(1583以前)


p1026


170
交唱唱歌集


171
交唱唱歌集


172
ジョヴァンニ・ビリヴェルト(フィレンツェ、1585-1644)の「聖カルロ・ボッロメオ」(1615c)


p1027


173
マッテオ・ロッセリ(フィレンツェ、1578-1650)工房作「マギの礼拝」(1615-20c)


174
フランチェスコ・ナシーニ(ピアンカスタニャ―イオ、1611-カステル・デル・ピアーノ、1695)の「聖母子とパドヴァの聖アントニオ」


175
フランチェスコ・ルスティーチ(シエナ、1592-1625)の「聖母子と聖人たち」(1620c)


p1029


p1028


176
ヴィンチェンツォ・ルスティーチ(シエナ、1557-1632)の「聖母子とアッシジの聖フランチェスコとシエナの聖カテリーナ」(1610c)


177
ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「フランチェスコ・マリア・ピッコロミーニ司教の肖像」(1596c)


178
フィレンツェ派逸名画家作「死せるキリストを支えるアリマテアのジュゼッペ」(1570c)


179
ニッコロ・ベッティ(フィレンツェ、1571-1617活動記録)の「受胎告知」(1580c)


p1030
表裏両面に描かれてます。


180
「受胎告知」の裏面に描かれたニッコロ・ベッティ(フィレンツェ、1571-1617活動記録)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1580c)


p1031


181
ニッコロ・ベッティ(フィレンツェ、1571-1617活動記録)の「三位一体」(1580c)


p1032
表裏両面に描かれてます。


182
ニッコロ・ベッティ(フィレンツェ、1571-1617活動記録)の「聖母子」(1580c)


p1033


183
フランチェスコ・トレヴィサーニ(カポディストリア、1656-ローマ、1746)の「ロザリオの聖母と聖ベネデットと聖ブルノーネ」


p1034
(つづく)

136
ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、?-1348c)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(1330c)


p1001


p1002


137
シエナ派逸名画家作「磔刑像」


p1003


138
ジョケット・ディ・ベネデット原画のタペストリ(1460c)


139
タペストリ(1470-90)


p1004



140
ピオ2世の法衣


p1005
リネン・シルクに金銀が使われてます。


141
フィレンツェ派逸名画家作「聖アンドレア・アポストロと聖ピオのタベルナコロ」(1460)


142
ロレンツォ・ディ・ピエトロ通称ヴェッキエッタ(シエナ、1410-1480)の「ベネデット会修道士の奇跡的な復活」(1460-62c)


p1006
裾絵のパネル


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ロレンツォ・ディ・ピエトロ通称ヴェッキエッタ(シエナ、1410-1480)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」(1460-62c)


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受胎告知


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裾絵


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シモーネ・ディ・ジョヴァンニ・ギーニ(フィレンツェ、1410c生まれ-1476まで活動確認)の「聖アンドレア の聖遺物箱」(1462-63)


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聖アンドレアの遺骨(聖遺物)が中に入ってます。


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宝石が沢山


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ネロッチョ・ディ・バルトロメオ・デ・ランディ(シエナ、1447-1500)の「聖セバスティアーノの裾絵」


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ディオクレティアヌス帝の前の聖セバスティアーノ


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磔刑


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聖セバスティアーノの殉教


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ベルナルディーノ・フンガイ(シエナ、1460-1516)の「聖母子と二天使」(1490c)


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ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441c-1523)とシニョレッリ工房の「慈悲の聖母と聖セバスティアーノとシエナの聖ベルナルディーノ」(1490)


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フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ(シエナ、1439-1502)と工房の「聖母子」(1485-90)


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フラ・バルトロメオ(ソフィニャーノ・ディ・プラート、1472-フィレンツェ、1517)の「エジプトへの逃避途中の休息」(1497-1504c)


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(つづく)

073
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
コロナのため、イタリアが遠くなりました。
暫く行ってませんが、以前の旅を思い出しながら書いていくつもりです。

次は教区美術館です。


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ピエンツァの教区美術館は美術ファンにとって必見でしょう。展示作品数は多くありませんが、シエナ派画家たちの珠玉の作品が揃ってます。


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教区美術館はPalazzo Vescovileに置かれてます。


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Palazzo Vescovileは、ピオ2世広場の左にあります。


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写真右の建物がPalazzo Vescovileです。


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前述したように、ピエンツァは、第210代教皇ピオ2世(コルシニャーノ、1405-アンコーナ、1464 教皇在位:1458-1464)によって、生まれ故郷コルシニャーノに築かれた新しい町ですが、このPalazzo Vescovileのその一環としてピオ2世の命によってベルナルド・ロッセリーニ(セッティニャーノ、1409-フィレンツェ、1464)の設計によって建設された建物です。


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ピオ2世は、完成した建物を腹心のロドリーゴ・ボルジア枢機卿(後の教皇アレッサンドロ6世)(スペイン、ハティバ、1431-ローマ、1503)に寄贈しました。ボルジア枢機卿は建物を住居に改造しましたが、この改造後の姿が現在の外観の原形となってます。


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1957年に教区美術館がオープンしました。


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鐘楼がある建物はPalazzo Comunaleです。


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ピエンツァに訪れる観光客の多くが入館します。


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Palazzo Vescovileの中に入りました。


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中庭があります。


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中庭の井戸


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展示室は階上にあります。


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展示室に入室しました。


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展示作品が何処にあったのか、については、この当時明示されていなかったと思います。


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ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ(フィレンツェ、1340-1414)の「聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖フランチェスコ」


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14世紀のフィレンツェの逸名画家作「聖母子と聖人たちのトリッティコ」


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Maestro dell’Osservanza(1425-1450活動記録)の「ウミルタの聖母のタベルナコロ」
Maestro dell’Osservanzaはシエナ派の画家です。


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アンドレア・ディ・バルトロ(シエナ、1360c-1428)の「聖母子」(1410-20)


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バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1330-1410)の「慈悲の聖母」(1364)


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シエナ派逸名画家作「キリストの物語」


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カルロ・ディ・ジョヴァンニの「磔刑」
両面に描かれてます。


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カルロ・ディ・ジョヴァンニの「キリストの鞭打ち」


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シエナ派逸名画家作「聖母子」


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ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280-1348)の「聖母子」(1310-20)


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この美術館のシンボルになっている作品です。


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バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337-1378活動記録)の「聖母子」(1450c)


133
セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ(シエナ、1298-1327記録)の「磔刑」(1315-20)


p1053


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ウゴリーノ・ディ・ネリオ(シエナ、1280-1349)と工房の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」(1320c)


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Maestro di 1346の「聖母子」


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(つづく)

引き続きピエンツァのドゥオーモです。
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サーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406-1481)の「聖母子と四聖人とピエタのキリスト」(1460-62)


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四聖人は、左から聖マリア・マッダレーナ、聖フィリッポ、聖ジャコモ、聖アンナです。


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マッテオ・ディ・ジョヴァンニ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1430-シエナ、1495)の「聖母子と聖人たち」


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良い作品が残っているドゥオーモでした。


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外に出ました。
今回は掲載する写真が少ないですが、キリが良いのでドゥオーモ編を終わりにします。


付け足し:写真が少なかったので、被写体を当てるクイズをします。
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幾つお分かりになられましたか?

お付き合いいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
どうぞよいお年をお迎えください。
(つづく)

076
ピオ2世広場です。


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石畳の広場ですが、この時は花壇になっていました。


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ピオ2世広場に面して建つピエンツァのドゥオーモです。


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Concattedrale di Santa Maria Assuntaです。


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ピエンツァの前身コルシニャーノ出身の第210代教皇ピオ2世(コルシニャーノ、1405-アンコーナ、1464 教皇在位1458-1464)は、教皇に選出されると生まれ故郷のコルシニャーノに自分の思い通りの町を造らせようとしました。
フィレンツェから建築家ベルナルド・ロッセリーニ(セッティニャーノ、1409-フィレンツェ、1464)が招聘され、ピエンツァと言う町が出来たのです。
新しい町ピエンツァの象徴たる建物がルネサンス様式のドゥオーモで、ベルナルド・ロッセリーニの設計によって1459年に創建され、1462年に完成しました。
1462年に奉献式が執り行われましたが、その際、ピオ2世の命令によってピエンツァは独立した司教区となり、司教座教会となりました。当時のピエンツァの人口や規模からはピエンツァ司教区の成立は有り得ない状態でした。
1975年の司教区再編によって、ピエンツァはモンテプルチャーノ₌キウージ₌ピエンツァ司教区に合区され、新司教座はモンテプルチャーノのドゥオーモに置かれるようになりました。それに伴い、ピエンツァ大聖堂は、CattedraleからConcattedraleに格下げされました。


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ピオ2世の紋章


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ゴシック様式の後陣


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鐘楼


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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観光客が多い聖堂内です。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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右側廊方向


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交差ヴォールト


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左側廊


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右側廊からの眺め


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見所の紹介板


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ジョヴァンニ・ディ・パオロ(シエナ、1403-1482)の「サンタントニオの祭壇画」(1463)


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「玉座の聖母子と四聖人とピエタ」


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四聖人は、左からシエナの聖ベルナルディーノ、聖アントニオ・アバーテ、聖フランチェスコ、聖サビーナです。


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制作者情報不知の「ピオ2世像」


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オルガン


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15世紀のトスカーナの逸名画家の作品です。


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ロレンツォ・ディ・ピエトロ通称ヴェッキエッタ(カスティリオーネ・ドルチャ、1412-シエナ、1480)の「聖母被昇天と聖人たち」(1460-62)


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(つづく)

ピエンツァは、人口2,058人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネです。
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前泊地はモンテプルチャーノでした。


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モンテプルチャーノのバスターミナルです。


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シエナ行きのバスでピエンツァに向かいました。


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モンテプルチャーノからバスで20分ほどでピエンツァに到着しました。


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ムレッロ門のフレスコ画を見ます。


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この日は晴れたり曇ったりの観光日和でした。


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この日のお宿に向かいます。


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サン・フランチェスコ教会を目指します。この日のお宿はサン・フランチェスコ修道院だった建物です。


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ムレッロ門を潜りました。


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小さなピエンツァを貫く、目抜き通りのCorso Rossellinoです。


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サン・フランチェスコ教会です。教会の拝観は後回しにして、ホテルに行きます。


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ここから中に入りました。


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サン・フランチェスコ教会修道院のキオストロです。


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15世紀に建設されたサン・フランチェスコ修道院です。


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キオストロ回廊のルネッタにクリストファノ・ディ・ビンドゥッチョ(シエナとピエンツァ、1360-1409消息)とクリストファノの工房によって描かれたフレスコ画があったそうですが、全て塗り潰されて残ってません。


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1980年、サン・フランチェスコ修道院だった建物は、民間に管理委託され、ホテルとレストランが開業しました。


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現在は、客室が37室の四つ星ホテルになってます。


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身軽になって外出しました。


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先ずは隣接するサン・フランチェスコ教会です。


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13世紀に創建され、14世紀に完成しました。


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ピエンツァの前身コルシニャーノの旧市街は、現在のピエンツァから500メートルほど離れた場所にありました。サン・フランチェスコ教会は、ピエンツァの城壁内に残るコルシニャーノ時代に存在した唯一の教会です。


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鐘楼


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中に入りました。


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単廊式の簡素な造りの建物です。


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美術的な見所はフレスコ画でしょう。


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側壁のフレスコ画は、シエナ派画家のビンドゥッチョ・マラバルバによって14世紀に制作されました。


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ビンドゥッチョ・マラバルバの「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(14世紀)


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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Presbiterioです。
セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ(シエナ、1280-1331)の「磔刑像」


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後陣のフレスコ画


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後陣のフレスコ画は、クリストファノ・ディ・ビンドゥッチョ(シエナとピエンツァ、1360-1409消息)と弟子のメオ・ディ・ペロ別称メオ・ディ・ピエトロ(シエナ、1356-1407活動記録)によって制作されました。


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後陣のフレスコ画のテーマは「聖フランチェスコの生涯の物語」です。


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036
(つづく)

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