イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ウンブリア州 > オルヴィエート再び

104
多分開いていないと思いながら、ドゥオーモを経由してサン・フランチェスコ教会に向かいました。


107
予想通り、サン・フランチェスコ教会は閉まったままでした。


106
どうしたことか、図書館も閉まったままでした。


105
開く筈の所が閉まったまま、と言うのがイタリア流ですから、こんなことでめげていては、イタリア好きになれません。


108
旧サンタ・キアラ教会でしょうか?


109
この建物は、オルヴィエートの教会リストに掲載されていません。


111
サンタ・キアラ広場です。


110
サンタ・キアラ広場に面して建つサン・ロレンツォ・デ・アラーリ教会です。


112
1000年頃に最初の建物が建設されました。現在の建物は、1291年に再建された二代目のものです。


114
ファサードの入り口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画です。


115
中に入ったらミサ中でした。


113
ミサが始まったばかりのようで、終わるまで待てないので外に出ました。


116
次はブオン・ジェズ教会です。


118
ブオン・ジェズ教会の扉が閉まっていました。
修道院が併設されてます。


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1559年、聖クレア会によって建設されたブオン・ジェズ修道院教会です。


117
現在も聖クレア会尼僧が修道院で活動しています。


120
次は、ドゥオーモ付属美術館分館です。


121
旧サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会のドゥオーモ付属美術館分館は、この日も閉まっていました。


122
共和国広場に向かいます。


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共和国広場に面して建つサンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ教会参事会の特徴ある鐘楼が見えてます。


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共和国広場に出ました。


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拝観しました。


124
サント・ステファノ教会を除いて大体見たようです。


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オルヴィエートの市立劇場 Teatro Mancinelliです。


129
1866年にオープンした市立劇場です。1991年から1993年に大修復されました。


130
次はサント・ステファノ教会です。


131
サント・ステファノ教会です。


143
1156年から1171年に建設されたロマネスク様式のサント・ステファノ教会です。
19世紀に大修復されて現在の姿になりました。


146
鐘楼と後陣


145


144
珍しいことに扉が開いてました。


132
喜び勇んで中に入りました。


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貴重なフレスコ画の断片が残されてます。


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ウンブリア=シエナの逸名画家作「聖人たち」(15世紀)


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ウンブリアの逸名画家作「磔刑」(15世紀)


136
ウンブリア=シエナの逸名画家作「磔刑」(15世紀)


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後陣にある、ウンブリアの逸名画家作「聖ステファノ」(15世紀)


140
逸名画家作「聖母子」(15世紀)


142
19世紀に大修復された天井


141
外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


147
外に出ました。


149
オルヴィエートを去る日になりました。


148
今回も非常に楽しい旅になりました。


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フニコラーレで鉄道駅に出ます。


153
(おわり)

072
次はサン・ドメニコ教会です。


071
聖ドメニコ別称ドメニコ・ディ・グスマン(カレルエガ、1170-ボローニャ、1221)の死後間もなくの1233年にドメニコ会修道士によって創建されました。ドメニコ会によって最初に建設された教会の一つです。


075
修道院と教会から成る大きな複合施設でした。


500
教会の扉が開きました。


501
聖トマス・アクィナス(アクィナス、1225、プリヴェルノ、フォッサノバ修道院、1274)が1263年から1264年にオルヴィエートに滞在しましたが、サン・ドメニコ修道院教会で神学の講義を行ったことで知られてます。


502
ファサードの入り口


073
入口扉上のルネッタに描かれたフレスコ画


074
ウンブリアの逸名画家作「聖母子」(14世紀)


503
実は、このフレスコ画は、サント・スピリト・デリ・アルメニ古代教会(現存しないようです)にあったもので、剥離・移設されたものだそうです。


505
修道院は、18世紀末に閉鎖されました。


504
縦90メートルの大教会でしたが、1932年、女子体育アカデミー建設のため、一部が破壊されると共に、縮小、大改造を受けた教会の建物です。


506
教会内部です。


507
20世紀前半に大改造された内部です。


508
現在の内部は、オリジナルの形には程遠いと言われてます。


509
礼拝堂


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フレスコ画が僅かに残されてます。


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ウンブリアの逸名画家作「聖ドメニコの生涯の物語」(1430)


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剥離して、現在の場所に移設されたフレスコ画です。


364
この教会の主祭壇画は、シモーネ・マルティーニの「サン・ドメニコの多翼祭壇画」でした。


383
現在、この多翼祭壇画は、ドゥオーモ付属美術館で展示されてます。
サン・ドメニコ教会に戻ります。


513
フランドルの逸名彫刻家作「磔刑像」(11-12世紀)


514
サン・ドメニコ教会の創建以前に制作された磔刑像ですが、何処から移設されたのか、分からないようです。


515
Ippolito Barezaによって制作された「ジローラモ・マゴーニ(1530-1596)の墓」


516
アルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の「デブレイ枢機卿の記念墓碑」(1282c)


517
アルノルフォ・ディ・カンビオの代表作の一つと言われてます。


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078
街の中心に戻ります。


079
観光客が増えてきました。


080
(つづく)

084
翌朝です。


081
ホテルで朝食を食べていたら、ドゥオーモ広場から何台もの自動車の音が聞こえてきました。外に出ると、クラシックカーが広場に集結していました。


082
自分の所有者を互いに自慢しているようでした。


083
Im Club Italia?


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折角外に出たので、ドゥオーモの拝観です。


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観光客は拝観有料ですが、地元の人たちの信仰の場なので、朝の早い時間は無料で中に入ることが出来ます。


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外に出ました。


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Museoは、この時間、未だ開いてません。


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099
ホテルに一旦戻り、身支度を整えてから街歩きに出発しました。


103
日帰りの観光客が多いようで、朝の時間は空いてます。


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宿泊する観光客は少ないようです。


067
サンタントニオ教会です。


066
第二次世界大戦中に閉鎖され、その後、一度も活動が再開されていない廃教会です。


068
取り壊される予定と聞いたことがありますが、取り壊し費用の捻出が難しく放置されたままになってます。今頃は取り壊されている?


069
3月19日広場です。


070
サン・ドメニコ教会です。


076
もう直ぐ扉が開きます。


077
(つづく)

022
引き続き、夕日に輝くドゥオーモのファサードです。


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未だ雲が多かったので、夕日が差していたのはラッキーでした。


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午後8時過ぎでした。


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044
未だ観光客がかなりいました。


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雨が落ちてきました。


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傘を差すほどではありませんでしたが、雨が降り続いていました。


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次は夕食です。


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そろそろ日没です。


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雨が止みました。


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049
この日はこれで終わりです。
(つづく)

282
彫刻工房の前を通り過ぎます。


283
ドゥオーモ付属美術館の分館であるサンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会に向かいました。


284
サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会のドゥオーモ付属美術館分館は閉まったままでした。


285
サン・フランチェスコ教会も閉まったままでした。


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サン・フランチェスコ教会の左側壁(写真右)を通り過ぎて、ドゥオーモの方に向かいました。


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ロレンツォ・マイターニ通りを進みます。


288
スグラッフィート彫刻がある建物です。


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ドゥオーモ広場に出ます。


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天気が悪くなってきました。


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雨が落ちてきました。


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ホテルに戻ることにしました。


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少し疲れてきたので、ホテルに戻って一休みです。


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このホテルは有り難い。


312
夕立は直ぐに収まりました。


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再び外出しました。


001


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雨が完全に上がりました。


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晴れてきました。


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夕日が当たるドゥオーモのファサードを見なくては。


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良い具合に夕日が当たってます。


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ホテルから出たばかりでしたが、直ぐにホテルの方に戻ることにしました。


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午後7時45分でした。


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有名なお店です。


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早足でドゥオーモに向かいました。


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サン・ジュゼッペ教会の前を通り過ぎます。


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ファサードに夕日が当たってます。


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(つづく)

243
ポポロ広場近くの路地です。


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カヴール通りに戻りました。


245
気温26度でした。


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花屋さんではありません。


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再び路地へ。


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ポポロ広場に戻ってきてしまいました。


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ポポロ宮外壁のフレスコ画を見ます。


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私には、フレスコ画の帰属が分かりません。


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こちらのフレスコ画はかなり落剝しています。


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城壁に近い場所にポポロ広場があります。


260
城壁の北の方に向かって進みました。


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道の突き当りが城壁になります。


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城壁沿いの道に出ました。


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城壁の上からの景観です。


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Trenitaliaの高速線と在来線の線路が見えます。


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フィレンツェ方向に向かう高速列車が見えました。


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在来線を走る貨物列車が見えました。


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街の中心に戻ることにしました。


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ポポロ広場に戻りました。


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ヒールが相当高いピンヒールを履いた女性が広場を足場らに闊歩していました。


277
ヒールの先が小さいので、ヒールの先が石と石の間に挟まらないか、心配になりましたが、そんなことにはなりませんでした。


280


281
(つづく)

引き続きサンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ参事会教会です。
215
トラスの天井は、16世紀初めに崩落したので、その後に復元されたものです。


202
Presbiterio


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後陣天井の装飾


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196
16世紀に制作されたフレスコ画


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チェーザレ・ネッビア(オルヴィエート、1536c-1614)の「受胎告知」


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後陣左の礼拝堂


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16世紀に制作されたフレスコ画


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アンジェロ・リーギ・ダ・オルヴィエート(オルヴィエート、1587-1605活動記録)の「十字架降下」


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制作者情報不知の「聖母被昇天」


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制作者情報不知の「聖母子と二聖人」


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制作者情報不知の「無原罪の聖母」


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説教壇


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外に出ました。


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ファサード左にロッジャがあります。


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ロッジャの花屋さん


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ドゥオーモの方に向かいます。


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この店でバッグを買いました。


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写真右に彫刻作品を製造販売している工房があります。


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この工房です。


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買いたかった大理石彫刻がありましたが、重いので買うのを断念。


230
ポポロ広場に向かいました。


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ポポロ広場にやってきました。


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12世紀に建設されたポポロ宮です。


233
オルヴィエートが自治都市だった時代、ポポロ宮はカピターノ(隊長)の公邸として使用されていました。


235
サン・ロッコ教会です。


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242
(つづく)

167
城壁沿いの道からの景観です。


168
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会です。


169
この場所にはエトルリア寺院がありましたが、その遺跡の上に916年に建設され、1003年に奉献式が執り行われました。


p1045
17世紀の地震によって崩壊してしまい、その後、放置されました。


p1046
建物が再建されることになり、1687年、地震によって崩壊し建物が取り壊され、1704年に完成しましたが、その二代目の建物が現在の姿になってます。


170
教会は、今なお宗教活動が行われていますが、併設されていた修道院は閉鎖されました。


171
旧修道院のキオストロとキオストロ回廊に入ることが出来ます。


p1044
旧修道院の建物は、現在、Palazzo del Gustoと呼ばれてます。


p1043
Palazzo del Gustoの一部はエノテカになってます。


173
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会から至近の場所にサンタ・マリア・デル・ピアント教会があります。


172
1768年に建設されたサンタ・マリア・デル・ピアント教会です。


174
城壁沿いの道を進みます。


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城壁沿いの道からの景観です。


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城壁下にPorta Romanaがあります。


181
Porta Romanaです。


182
旧市街の中心部に戻ることにしました。


183
サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ参事会教会の鐘楼が見えてます。


184
市庁舎のアーチを潜ります。


185
アーチを潜って共和国広場に出ます。


217
共和国広場です。


186
サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ参事会教会です。


219
ローマ時代、この場所はフォロがありました。


220
6世紀、フォロの上に建てられた初期キリスト教会が前身です。
現在のロマネスク様式の建物は、12世紀に再建されたものです。この教会は、現在のドゥオーモが建設される前は、オルヴィエートで最も重要な教区教会でした。


p1047
特徴ある形状の鐘楼


218
この教会は大体開いてます。


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中に入りました。


188
三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


189
右側廊方向


191
天井


190
教会内を見て回ります。


192
所々に剥離フレスコ画が残されてます。


193
「聖アンドレア像」(14世紀)


194
「聖クリストフォロ」


195
「ピエタ」


p1048
(つづく)

138
サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会です。


139
サンティ・アポストリ教会とも呼ばれてます。


137
1007年に記録に初めて、教会の存在が記載されました。恐らく10世紀頃に建設されたと言われてます。


p1037
1614年、ヴェネツィア商人に資金援助によって、オルヴィエートに公立大学Collegio Cappellettiが設立されましたが、1621年にイエズス会に大学ノン運営が委託されました。
1662年、サンティ・アポストリ教会の建物は、イエズス会によって購入されました。


p1039
イエズス会は、購入した教会の周囲の土地も購入して、その土地に大学、神学校を建設しました。


p1040
購入された教会の建物は、17世紀後半にほぼ現在の外観に改造されました。


p1038
教会の鐘楼とクーポラ


141
現在、サンティ・アポストリ教会は、Museo DODO=Museo Opera del Duomo di Orvieto ドゥオーモ付属美術館の分館として一般公開されてます。
この時は開いていませんでした。


140
サンティ・アポストリ教会外壁にあるタベルナコロに無原罪の聖母があります。


143
チェントロ・ストーリコの西の方に向かいます。


144
Vicolo dei Lattanziを進みます。


145
次は、サン・ロドヴィーコ教会です。


146
16世紀、17世紀の建物が建ち並んでます。


147
サン・ロドヴィーコ教会が写ってます。


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サン・ロドヴィーコ教会です。


p1042
1350年の文書に、サン・ロドヴィーコ教会の存在が初めて記載されたそうです。


148
1778年に行われた大修復の際、現在のファサードに改造されたそうです。


149
複合施設の一部はB&Bになっているようです。


150
西の城壁に向かいます。


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趣のある建物です。


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道を下ります。


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オルヴィエートは、高い崖上に築かれた街ですが、西の城壁高さは少し低くなってます。


154
道を下ります。


155
ジュリオ・チェーザレ・ヴェンティヴォーリオ(1868-1952)の「パードレ・ピオ別名聖ピオ・ディ・ピエトレルチーナ(1887-1968)像」


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城壁沿いの道から見上げたオルヴィエートの景観です。


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城壁の下の景観


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崖を利用した城壁です。


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166
(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
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外に出ました。


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ドゥオーモ広場に出ます。


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ドゥオーモ広場です。


122
ロレンツォ・マイターニ通りを進みます。


120
振り返ると、ドゥオーモが見えます。


123
サン・フランチェスコ教会の後陣が見えてます。


124
写真左の建物はサン・フランチェスコ教会です。


125
サン・フランチェスコ教会のファサードです。


126
この場所に、ベネデット会の修道院がありました。


129
1227年から1240年にかけて、ベネデット会の修道院の一部が取り壊され、その上にフランチェスコ会修道士によってサン・フランチェスコ教会が建設されました。


p1033
修道院の建物が、1262年から1264年に聖ボナヴェントゥーラ・ダ・バニョレージョ(バニョレージョ、1217/1221c-リオン、1274)によって再建されました。


127
1815年まで、フランチェスコ会が所有していましたが、オルヴィエート・コムーネの所有となりました。オルヴィエート・コムーネは、イエズス会の建物を譲渡し、イエズス会の修道院となりました。
1860年、イエズス会からオルヴィエート・コムーネに建物が返還され、研究所などに使用されました。


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入口扉


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入口扉上ルネッタ


128


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鐘楼


130
サン・フランチェスコ修道院だった建物です。1999年から市立図書館として建物が使用されてます。


131
サン・フランチェスコ教会の扉は何時も閉まってます。市立図書館経由で中に入ることが出来るようです。


132
次はサンティ・アポストリ教会です。


133
建物と建物の間に鐘楼が写ってますが、サンティ・アポストリ教会のものです。


134
教会の正式名称は、サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会です。


135
ファサードの方に回ります。


136
ニャーゴがいました。


142
(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
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(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
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(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
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(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
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付属美術館本館に移動します。


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本館は一階(日本の二階)にあります。


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363
(つづく)

114
ドゥオーモ付属美術館に向かいました。


115
ドゥオーモ付属美術館の入り口と切符売り場はこの奥にあります。


304
ルカ・シニョレッリのマグダラノマリアがドゥオーモ付属美術館のシンボルになってます。


305
入り口です。


244
入館しました。


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298
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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110
外に出ました。


111
次はドゥオーモ付属美術館です。


112
美術館はドゥオーモのファサードに向かって右側にあります。


116
ドゥオーモの右側壁です。


117
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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168
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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(つづく)

121
次はドゥオーモですが、先ずファサードを見ます。


086
ドゥオーモについては既に詳しく書きました。


088
聖母戴冠


089
バラ窓とその周囲の聖人たちの彫像


090
無原罪の聖母


091
聖ピエトロ


092


093
聖母の結婚


096


094
受胎告知とキリストの洗礼


097
神殿奉献


099
聖母の誕生


101
ファサード壁の彫刻


102


103


104
入口扉


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081
ここにあるのはレプリカで、本物はドゥオーモ付属美術館にあります。


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中に入りました。


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094
(つづく)

引き続きサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。
034
後陣の装飾


036
詳細不知


038
詳細不知


p1030
この教会の主祭壇画はこれでした。現在は取り外されてます。
コッポ・ディ・マルコヴァルド(フィレンツェ、1225c-1276c)の「聖母子」(1270c)


039
制作者不知の「聖母子」(15世紀)


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042
ベルナルディーノ・ガリアーディ(チッタ・ディ・カステッロ、1609-ペルージャ、1660)の「聖ジョルジョに顕現するキリスト」


043
詳細不知


044
詳細不知


046
外に出ました。


047
Corso Cavour


048
次はサンタンジェロ教会です。


p1032
サンタンジェロ教会にやってきました。


050
おばさん、顔を出さないでよ。


049
6世紀頃、この地にあった初期キリスト教会が前身とされてます。現在の建物は1838年に再建されました。


060
サンタンジェロ教会の左側壁と後陣


052
中に入りました。単廊式の単純な構造の内部です。


054
美術的な見所はありません。


056
制作者情報不知の「無原罪の聖母」


058
制作者情報不知の「磔刑像」


059


051


p1031
カウンターファサードにオルガンがあります。


061
外に出ました。


062
Torre del Moroが見えてきました。


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オルヴィエートの目抜き通りです。


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067
サン・ジュゼッペ教会です。


P2160633
1665年から1693年に建設された八角形のサン・ジュゼッペ教会です。


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中に入りました。


070
中も八角形です。


071


P2160641
主祭壇


P2160643
フィリッポ・ナルディーニ(ウンブリアとローマで18世紀活動)の「聖家族と聖アンナ」


072
聖母と幼きキリストの冠があるときと外されている時があります。


074
ドゥオーモ広場に戻ってきました。


075


076


078
(つづく)

1360
ドゥオーモ付属美術館に入館しました。


1359


1358


1361


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1367


1368
もう夕暮です。


1369
この日はこれで終わりです。


1355
ホテルに戻りました。


1400
翌朝です。フニコラーレに乗車しました。


1402
オルヴィエート駅です。


1401
駅前からの景観


1403
次の目的地フィレンツェに向かいました。


277
前回の旅から2年後です。前泊地はローマでした。


154
オルヴィエート駅に到着しました。


155
ルカ・シニョレッリの作品が観たくて来ました。


012
お馴染みとなったオルヴィエート駅の駅舎


011
フニコラーレ駅


013
旧市街に向かいます。


014


015
途中で上下線のすれ違い


016


083
ドゥオーモ横のお気に入りのホテルにチェックインしました。


017
街歩きに出発しました。


018
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


019
ファサードが新しいので、一見して新しい教会と思われがちですが、オルヴィエートでは古い教会の一つです。
1259年から1265年に建設された、修道院と教会の複合施設です。
新古典様式のファサードは、ローマの建築家ヴェルジニオ・ヴェスピニャーニ(ローマ、1808-1882)の設計によって1857年に再建されたものです。


p1027
ファサードと内装が新しいだけで、教会の全景は創建時の姿を留めていることが分かります。


p1028
修道院は閉鎖されました。


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煉瓦造りの後陣


045
修道院入り口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画


020
教会内に入りました。


021
三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


022
1857年にヴェルジニオ・ヴェスピニャーニ(ローマ、1808-1882)の設計によって改造改修された内部です。


023
祭壇画の多くは19世紀後半に制作されました。


024
制作者情報等詳細不知の「救世主」(16世紀)


026
詳細不知


028
チェーザレ・ネッビア(オルヴィエート、1536-1614)の「無原罪の聖母」


029
詳細不知


032
詳細不知


033
Presbiterio
(つづく)

1312
この日の天気予報は雨でしたが、見事に外れてくれてラッキー。


p1025
サンタゴスティーノ教会です。


1313
機能を停止した旧教会です。サンタゴスティーノ教会だった建物は、ドゥオーモ付属美術館の分館として一般公開されてます。


1315
分館では主に彫刻が展示されてます。


1314
強い日差しが照り付けていましたが、前日の寒さを引きずって非常に涼しかったことを覚えてます。


1317
サン・ジョヴェナーレ教会です。


1316
サン・ジョヴェナーレ教会のファサード前からの景観です。


1319
下から城壁に向かって吹きあがる風は寒いくらいでした。


1321


1320
ここは城壁の上に当たります。


1322
城壁の上に道を進みます。


1323
マッジョーレ門に向かいました。


1324
門の直ぐ傍に出ました。


1325
マッジョーレ門です。


p1026
門を潜って城壁外に出ました。


1327
城壁内に戻りました。


1318
写真左はサン・ジョヴェナーレ教会です。


1326
フィリッペスキ通りです。


1328
前日と全く違った佇まいの共和国広場です。


1330


1332
サン・フランチェスコ教会に向かいました。


1333
サン・フランチェスコ教会です。


1334
この日もサン・フランチェスコ教会の扉は閉まったままでした。


1335
ロレンツォ・マイターニ通りをドゥオーモの方に進みます。


1336
ドゥオーモのファサードに日が当たってます。


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1341
扉がもう直ぐ開きます。


1343
この日はゆっくりと落ち着いて拝観出来ました。


1344
左側壁


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1346


1347


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1348


1349


1351


1353
(つづく)

P2660930
濃霧です。


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写真右は教区教会の柱廊です。


P2660932
オルヴィエートの目抜き通りCorso Cavourです。


P2660933
5月で、このように寒くなるとは全くの想定外でした。


P2660934
長袖の肌着を持参していなかったので、ホテルに戻って何を着込んだら良いのか思案してました。


P2660935
聖母子のタベルナコロ


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サン・ジュゼッペ教会が開いていましたが、拝観する気になれず。


P2660937
夕方のように見えますが、夏時間の午後2時頃でした。


P2660938
後からホテルのスタッフに聞きましたが、アルプスからの寒気が酷いと真夏でも寒くなることがあるそうです。


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流石に雪が降ることはないそうです。


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夕日に照らされてキラキラ輝くファサードが見物ですが、望むべくもありません。


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イタリアでは雨男の私です。


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P2660944
ホテルに戻りました。


1370
ホテルの部屋に籠っていたのでは、折角の機会が勿体ないので、再び外出しました。


1399
もう夕方です。


1372
要塞の隣にあるサン・パトリツィオの井戸を見に来ました。


1373
雨粒が写ってます。ホテルに戻った時に比べると一段と雨脚が強くなっていました。


1374
要塞横から撮った写真です。


1375
風が下から吹き上がってずぶ濡れ。


1376
これでは観光になりません。退散することにしました。


1377
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


1378
頑張って、このフレスコ画を見ましたが、それが精一杯でした。


1379
夕方になって更に寒さが増したようです。


1380
夕食を食べたかったのですが、開店まで、あと1時間ありました。夕食のために、もう一度外出するのが嫌だったので、適当に食べ物を買ってホテルで食べることにしました。


1381
サンタンジェロ教会です。


1382


1371
ホテルに戻る頃には、すっかり日が暮れていました。この日はこれで終わりです。


1383
翌朝です。


1384
霧雨が微かに降っていました。


1385
相変わらず気温が低かった。


1386
この日もダメか、と悲観的になってました。


1388
旧サン・ロッコ教会です。


1389
顔に雨が当たらなくなりました。


1390
雲が切れてきました。


1309
この天気ならば、歩き回れそうです。


1307
雲間から日差しが。


1308
日差しが出ると共に、急速に暖かくなってきました。


1310
それでも地元の人たちは用意周到、冬の服装の厚着でした。


1311
(つづく)

P2660879
ドゥオーモ付属美術館は開いていました。
ロレンツォ・マイターニ(シエナ、1275-オルヴィエート、1330)とウンブリア・シエナの逸名彫刻家による「聖母子と天使たち」


P2660880
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445c-1523)の「聖マリア・マッダレーナ」(1504)


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ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445c-1523)の「自画像とニッコロ・ダンジェリ・フランチェスキの肖像」(1500 o 1503)


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シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284c-アヴィニョン、1344)の「オルヴィエートのポリッティコ」(1321c)


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聖マリア・マッダレーナ


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聖ドメニコ


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聖ピエトロ


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聖母子


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聖パオロ


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シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284c-アヴィニョン、1344)の「聖母子と二天使」(1322-24c)


P2150351
ピエロ・ディ・プッチョ(オルヴィエート、1350c-?)の「聖ジローラモ」(1388)


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ピエロ・ディ・プッチョ(オルヴィエート、1350c-?)の「聖アンブロージョ」(1388)


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スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)の「磔刑」(1390-1400c)


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バルトロメオ・ダ・ミランダ(ミランダ、?-1449以降没)の「聖母子と二聖人」(15世紀中頃)


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外に出ました。


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強い雨と風は一向に衰えていなかった。


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昼食の予約をしていたので、食べることにしました。


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観光客がチラホラ


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テレビで紹介されたラ・パロンバで食べたいと家内が言うので、電話で予約しました。(写真の店ではありません)


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左右の建物に風雨が遮られ、通りを歩くことに困難は感じません。


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悪天にも拘らず、何時も通り開店している店が殆どでした。


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サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ教会です。


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入店しました。


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何時も満席の人気店ですが、この日は悪天とあって空席がありました。


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外では激しい大雷雨のようです。


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外に出ました。


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雨と風は収まっていましたが、霧雨が降っていました。


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教会前の白いものは何と氷です。先ほど雹が降ったようです。


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今度は寒くて観光どころではありません。


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5月の昼過ぎです。ホテルを出るとき、ジャケットを着ていましたが、10度ほど気温が急降下したようで、寒くて風邪を引きそうです。


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ホテルに戻ることにしました。


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アルプスから寒気が下りてきたようです。


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サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ教会の拝観は後回しです。


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(つづく)

オルヴィエートは、人口20,197人(2020年8月31日現在)のウンブリア州テルニ県にあるコムーネです。
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前泊地はローマでした。


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ローマ・テルミニ駅から普通列車(快速)に乗ってオルヴィエートに向かいました。


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このホームが遠いので参りました。
この日のオルヴィエートの天気予報は大雨、強風の嵐だったのですが、ローマでは青空が見えていたので安心していました。


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車内は非常に空いてました。発車してから20分ほど経つと、外は雨でした。


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オルヴィエート駅に到着しました。運悪く天気予報が当たったようです。


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オルヴィエート駅の駅舎です。


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この時は未だ傘を差さずにフニコラーレ駅に行くことが出来ました。気温がローマよりもかなり低くなっていました。


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フニコラーレ駅でケーブルカーを待っていると、急に雨と風が強くなってきました。


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この後、ケーブルカーに乗り、さらにバスに乗り換えて、ドゥオーモ横のホテルにチェンクインしたのですが、嵐のために途中の写真がありません。大きな荷物を引き、傘を差しながら大雨と強風の中、写真を撮るのは無理と言うものです。


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私のオルヴィエート観光は、大好きなルカ・シニョレッリの作品があるドゥオーモとドゥオーモ付属美術館に尽きます。


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嵐の中、先ずドゥオーモに行きました。ホテルからドゥオーモまでは僅か100メートルほどでしたが、それでも濡れました。


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ドゥオーモが開いていました。


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我々(珍しく家内と一緒でした)を除き、観光客がいなかった。また、地元の信者もいなかった。


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ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)の「マエスタ」(1425)


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ドゥオーモについては、既に詳述したので、そちらの方をご参照願います。


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お目当てのCappella di San Brizioです。


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天井フレスコ画の一部がベアート・アンジェリコによって描かれました。


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それ以外は、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445c-1523)によって1499年から1504年に制作されました。


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後陣のフレスコ画です。


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イッポリート・スカルツァ(オルヴィエート、1532-1617)の「ピエタとニコデモ」(1579)


P2660878
外に出ました。


1392
雨が一層強くなりました。


1396
レンズに雨が付きました。


1393
これではどうにもなりません。


1394
ドゥオーモの扉が閉まりました。


1397
観光客がもう来ないと判断して扉を閉めたようです。


1395
ドゥオーモ付属美術館が臨時閉館となっては困ります。慌てて美術館に向かいました。


1398
(つづく)

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