イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:トスカーナ州 > アレッツォ再び

P1030537薬屋の建物にタベルナコロがあります。


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タベルナコロの「聖母子」のフレスコ画


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制作者など詳しいことが分かりません。


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カヴール通りに戻りました。


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ここまで来たからには、ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会に行くことに。


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拝観します。


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中に入りました。


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Presbiterio


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ピエトロ・ロレンツェッティの多翼祭壇画


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繰り返し訪れたい街です。


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カヴール通り


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Palazzo Bacciを見ます。


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ゴシック様式のPalazzo Bacciです。


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フレスコで装飾されてます。


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ドゥオーモを幾度となく拝観しました。


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ファサードの浮彫


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再建されたファサードなので、浮彫は古いものではありません。


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聖堂内に入りました。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画


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出発の日を迎えました。


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中々良いホテルでした。


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この日は鉄道利用ではありません。


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鉄道駅前のバスターミナルに向かいます。


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バスでシエナに向かいます。


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シエナ行きのバス
(おわり)

P1030489教会巡りを続けます。


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市立カルチャーセンターの建物です。


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サンティッシマ・トリニタ教会です。


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1348年に慈悲の兄弟会によって建設されました。
1550年、トスカーナ大公コジモ1世の命によって、サント・スピリト女子修道会に与えられました。


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サンティッシマ・トリニタ教会の内部


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アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535-1607)の「我に触れるな」(1584)


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慈悲の兄弟会に因んでミゼリコルディア教会とも呼ばれてます。


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写真右は、サント・スピリト女子修道院だった建物です。


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女子修道院の入り口だった所に靴屋があります。


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旧女子修道院の入り口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画


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次はサン・ミケーレ教会です。


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ローマ通り


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ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の鐘楼が見えます。


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右折するとサン・ミケーレ教会の前に出ます。


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サン・ミケーレ教会と呼ばれるのが普通ですが、聖アドリアーノにも捧げられているので、サンティ・ミケーレ・エ・アドリアーノ教会が正式名称です。


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11世紀後半にカマルドリ会修道院の教会として建設されました。1095年の文書に、その存在が初めて記載されたそうです。
14世紀後半から18世紀にかけて度々改造されましたが、19世紀にゴシック様式に戻されました。


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入口扉上ルネッタのモザイク「父なる神と聖ミケーレと聖アドリアーノ」は、19世紀に行われた改造の際に制作されたそうです。


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美術的に数点の見所があります。


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教会内に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側壁


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木組みの梁の天井


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Presbiterio


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傑作として有名な主祭壇画


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418/1420-1492)の「玉座の聖母子と四聖人(聖ベネデット、聖ミケーレ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ロムアルド)」(1460)


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アルド・ドラゴ―ニ(Aldo Dragoni)の「聖母子と聖フランチェスコとシエナの聖カテリーナ」(1940)
この画家については、全く知りません。


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アルド・ドラゴ―ニの「三聖人」(1940)


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トスカーナの逸名彫刻家作「磔刑像」(17世紀末)


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1656)の「聖母の誕生」(1640)


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詳細不知


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スピネッロ・アレティーノ派逸名画家作「磔刑」(14世紀末)


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アルド・ドラゴ―ニの「聖心」(1941)


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アンドレア・ディ・ネリオ(アレッツォ、1331から記録-1387以前没)に帰属する「聖母子」(14世紀後半)


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外に出ます。


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外に出ました。
(つづく)

P1030291サン・フランチェスコ聖堂を通り過ぎます。


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一旦ホテルに戻ります。


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郵便局です。


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郵便局の建物の装飾


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新古典様式の郵便局


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「東京」という寿司屋で早飯です。


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広い駅前広場


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午後はポッピへの日帰り遠足です。


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アレッツォ駅です。
鉄道でポッピに行きます。


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写真右端がこの時のお宿でした。


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ホテルに戻って、ポッピへの遠足の用意をしました。


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外に出ました。


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ポッピは、「最も美しい村」にリストアップされてます。


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ポッピの見所は城でしょう。


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天気に恵まれた遠足でした。


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アレッツォに戻ってきました。


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夕食まで時間があったので、サン・フランチェスコ聖堂にやってきました。


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拝観します。


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Museoとしての一般公開は既に終わり、地元の人たちの信仰の場になっていました。


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中の写真は撮りませんでした。


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サン・フランチェスコ聖堂前に立つパスクゥアーレ・ロマネッリ(フィレンツェ、1812-1887)の「Vittorio Fossombrini(アレッツォ、1754-フィレンツェ、1844)像」(1863)
ヴィットリオは、19世紀前半の万能の天才です。


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サン・フランチェスコ聖堂の後陣です。


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そろそろ夕食の時間です。


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アレッツォのレストランの夕食は大体午後7時から営業なので、朝が早い私としては歓迎です。


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これが南イタリアとなると、午後9時オープンの店が珍しくありません。


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行く店は何時も大体同じです。


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この店です。
(つづく)

P2190084引き続きサンテ・フローラ・エ・ルチッラ教区教会です。


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1656)の「聖母子と聖マウロと聖ルチア」


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テオフィーロ・トッリ(アレッツォ、1554-1623)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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主祭壇画をもう一度見ました。


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ジョルジョ・ヴァザーリの作品です。


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この作品は有名です。


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セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ(シエナ、1280?-1331c)の「彩色磔刑像」(1319)


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彩色磔刑像下のフレスコ画(詳細不知)


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制作者情報不知の「竜を退治する聖ジョルジョ」


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16世紀に制作されたオルガン


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次の礼拝堂です。


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パオロ・デ・マティス(Paolo De Matteis)(ピアーノ・ヴェントラーレ、1662-ナポリ、1728)の「病人を治療する聖マウロ」


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制作者情報不知の「無原罪の聖母と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖シルヴェストロ」


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次の礼拝堂です。


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ジュゼッペ・サンティーニ(アレッツォ、17世紀活動)に帰属する「聖ベネデットと聖スコラスティカ」(17世紀)


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ジュゼッペ・サンティーニは、ベルナルディーノ・サンティーニの息子です。
近年、この作品は、マルコ・マッツァロッピ(Marco Mazzaroppi)(カッシーノ、1550-1620)によって描かれたという説が有力になりつつあります。


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上部のフレスコ画は、ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1656)によって制作されました。


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次の礼拝堂です。


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1656)の「天上の聖母子と聖バルトロメオと司教聖人」


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制作者情報不知の「無原罪の御宿リ」


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カウンターファサードにフレスコ画があります。


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バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「聖ロレンツォ」


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外に出ました。


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(つづく)

P1030217ガリバルディ通りをサン・フランチェスコ聖堂に向けて進みます。


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バディーア広場が見えてます。


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バディーア広場に面して建つサンテ・フローラ・エ・ルチッラ教区教会です。


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Badiaとは大修道院という意味です。
教会の隣接して建っている写真右は、修道院だった建物です。
修道院と教会は、修道院の複合施設でした。


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こちらが修道院だった建物で、現在は高等教育研究所や現代芸術のギャラリーとして使用されてます。


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修道院だった建物の入り口前に柱廊があります。


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旧修道院入り口扉上ルネッタの彩釉テラコッタ


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アレッツォのベネデット会は、城壁外の要塞化された場所に修道院がありました。
しかし、アレッツォ市当局は、城壁外にあって強大な影響力を発揮するベネデット会を恐れ、その影響力を制限させるために、1196年に城壁内に本拠地を移転するように命じました。


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1209年、簡易的な修道院が現在地に完成し、移転が完了しました。
移転後、直ぐに教会と修道院の本格的な建物の建設が検討され、教会は1278年にゴシック様式で創建されました。修道院の建物が1315年に完成しました。
教会の方は、改造増築が行われました。1489年、建築家ジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)の設計によって、新たな改造工事が行われました。
その後、工事は、1565年にジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)に引き継がれ、マニエリスム様式に改造されることなりました。その改造工事は17世紀まで続きました。
ナポレオンのイタリア侵攻に伴う抑圧令によって、1810年に修道院が閉鎖されました。


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現存する鐘楼は、1650年に完成しました。


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拝観します。


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教会内に入りました。


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三廊式、ルネサンス・マニエリスム・バロックの折衷様式の内部です。


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翼廊がありません。


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美術的に見所が幾つかある教会です。


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主祭壇


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主祭壇は「ヴァザーリの祭壇」とも呼ばれてます。


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主祭壇は元々この教会にあったものではありません。


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サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会がジョルジョ・ヴァザーリに注文した祭壇は、1565年に完成し、それ以来、200年間同教会にありましたが、1865年にこの教会の主祭壇として移されたのです。


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クーポラ


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クーポラの装飾(1701-02)は、イエズス会の僧だった画家アンドレア・ポッツォⅧトレント、1642-ウィーン、1709)によるものです。


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ジョルジョ・ヴァザーリの作品です。


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「聖母被昇天」(1567)


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ジョヴァンニ・アントニオ・ラッポーリ(アレッツォ、1492-1552)の「ご訪問」(1524-26)


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ジョヴァンニ・アントニオ・ラッポーリは、画家だったマッテオ・ラッポーリの息子です。父から画家の手ほどきを受けてから、ドメニコ・ペコリに師事しました。


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Cappella del Crocifisso


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バッチョ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ・フィオレンティーノ、1469-ルッカ、1523)の「磔刑像」


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Cappella del Crocifissoのフレスコ画は、ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1656)の「預言者たち」です。


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(つづく)

P1030487次はサン・ロレンツォ教会です。


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サン・ロレンツォ教会です。残念ながら扉が閉まっていました。


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11世紀初めに創建されたロマネスク様式の教会で、1025年の文書に、その存在が初めて記載されたそうです。


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13世紀に再建され、1583年に修復されました。


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現在の建物は、1705年に再建された三代目となるものです。


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この部分は創建時のものと言われてます。


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16世紀に行われた修復の際に、紀元前三世紀の「ミネルヴァ像」がサン・ロレンツォ教会の地下から発見されました。


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ミネルヴァ像が発見された時、アレッツォはトスカーナ大公国領だったので、ミネルヴァ像はフィレンツェに運ばれ、メディチ家によって保有されることになりました。
現在。ミネルヴァ像はフィレンツェの考古学博物館で見ることが出来ます。


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次はサンタグネーゼ教会です。


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11世紀前半、アレッツォの丘上には四つの教会が建設されました。


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そのうち、サンタンドレア教会とサン・ジュスティーナ教会の2つは取り壊され、現存するのは、サン・ロレンツォ教会とサンタグネーゼ教会です。


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サンタグネーゼ広場です。


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サンタグネーゼ教会(聖アグネス)教会です。残念ながら扉が閉まっていました。


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11世紀前半に建設されました。1025年の文書に、この教会の存在が初めて記載されたそうです。


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17世紀から18世紀に改造されましたが、1932年に元の姿に復元されました。


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丘上の四つの教会のうち、サンタグネーゼ教会が最も格式が高く教区教会となっていました。


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入口扉上ルネッタのモザイク


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1932年に復元されたファサードの一部は、13世紀のものです。


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ドゥオーモの方に向かいました。


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ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の鐘楼


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ドゥオーモ


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ドゥオーモ横に曰く因縁付きのモニュメントがあります。


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アレッサンドロ・ラッツェリーニ(カッラーラ、1860-1942)の「ペトラルカのモニュメント」(1928)
この場所に、ペトラルカの記念碑設置が決まり、1908年、コンペによってアレッサンドロ・ラッツェリーニが制作することになりました。
しかし、その制作費用が膨れ上がった上に、アレッサンドロ・ラッツェリーニの試作モデルの評判が悪く、制作が進捗しませんでした。コンペから20年後に漸く設置されたのです。


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城壁の下の景観


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城壁


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(つづく)

P1030340アレッツォの中心部に向かいます。


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初めは警戒心丸出しでしたが、なでなでしてやると直ぐに慣れてくれたので、しばらく遊びました。


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サンタゴスティーノ教会の鐘楼?


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写真右は城壁です。


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サンタゴスティーノ教会です。


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サンタゴスティーノ教会前はサンタゴスティーノ広場になります。


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エレミターニ・ディ・サンタゴスティーノ托鉢修道会によって1257年に創建されました。


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サンタゴスティーノ教会は、この時間、扉が閉まってます。


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サンタゴスティーノ修道院と教会は非常に大きな建物と広大な敷地を保有していたそうですが、1761年から1766年の改造工事によって、現在の姿に縮小されたそうです。


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写真左手前に古い教会が建ってます。


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サンタ・マリア・マッダレーナ教会です。既に機能を停止した旧教会で、個人所有の不動産となってます。


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別称マドンナ・デル・ドゥオーモ・ヴェッキオ教会です。


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この場所付近に大きな旧ドゥオーモが建っていましたが、1561年、トスカーナ大公コジモ1世の命によって解体されてしまいました。
旧ドゥオーモに葬られていた遺骨などを収容するために、旧ドゥオーモの一部がサンタ・マリア・マッダレーナ教会として残されたそうです。


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旧サンタ・マリア・マッダレーナ教会のタベルナコロ


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現在の姿からは、旧ドゥオーモの存在がとても想像できません。


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次はサン・ジミニャーノ教会です。


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道を進みます。


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サン・ジミニャーノ教会です。


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1030年の文書に、その存在を初めて記載されたロマネスク様式のサン・ジミニャーノ教会です。


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13世紀初めにロマネスク様式で再建され、14世紀の修復工事の際、ゴシック様式に改造された建物が現在の姿の原形だそうです。


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隣接して修道院だった建物が残されてます。


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鐘楼は20世紀に再建されましたが、1220年と記された鐘が使用されてます。


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二本の塔は、サン・ジミニャーノ教会の一部で、改造されて塔に見えるようになったそうです。


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教会の一部だったとは、想像だに出来ません。


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古い通りを進みます。


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Porta Cruciferaです。


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Porta Cruciferaの「ポポロの聖母」のタベルナコロ


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Piazza Porta Crucifera


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14世紀に建設されたPalazzo Albertiです。


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アルベルティ家は、アレッツォ郊外に広大な土地を所有していた貴族です。


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(つづく)

P1030172左側廊


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カウンターファサード


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17世紀の逸名画家作「天上の聖母子と聖フランチェスコ」


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アーニョロ・ディ・ポロ(フィレンツェ、1470-1528)の「玉座の聖母子と聖フランチェスコと聖ロッコ」(1526)


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左翼廊


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右翼廊


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外に出ます。


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外に出る前に、もう一度教会内を見ました。


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名が知られた画家たちの作品があって、かなり楽しめました。


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次はサン・ベルナルド教会です。


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サン・ベルナルド教会です。


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サン・ベルナルド教会に隣接する建物は、サン・ベルナルド修道院でした。修道院だった建物に国立考古学博物館が置かれてます。


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ベネデット会Olivetan会衆によって、1319年に先ずサン・ベルナルド修道院が建設されました。ロマネスク様式の教会は、1340年から1375年に建設されました。


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彩釉テラコッタの聖母子


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教会入り口前の柱廊天井


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教会の扉は閉まっていることが多いようです。


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教会の扉が閉まっている時、修道院の方から教会内に入ることが出来る場合もあります。


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扉が開いている時の写真


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教会内に入ります。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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主祭壇画は、アンジェロ・ディ・ロレンティーノ(アレッツォ、1465c-1527)の「玉座の聖母子と聖ベネデットと聖ベルナルド」(1512)
アンジェロ・ディ・ロレンティーノは、画家ロレンティーノ・ダンドレア(1430c-1506)に息子です。ロレンティーノ・ダンドレアは、ピエロ・デッラ・フランチェスカの弟子で、ピエロのフレスコ画制作などに参画したことで知られてます。


p1013
詳細不知


p1014
詳細不知


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かって教会内には幾つかの傑作がありましたが、それらは国立中世近代美術館に移されました。


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国立考古学博物館については、既に取り上げました。


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考古学博物館の展示は、何処の博物館でも大体同じです。


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修道院だった建物の前に、ローマ時代の円形闘技場遺跡があります。


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この当時、遺跡は非公開となってました。


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117年から138年に建設された円形闘技場です。
遺跡は長い間、放置されたので荒れ果てています。初めて発掘調査が行われたのが、1914年から1915年だったそうです。


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遺跡の中に入ることが出来ません。


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円形闘技場は、121m×68mあったそうです。


P1030338


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サン・ベルナルド修道院教会の鐘楼


P1030336
(つづく)

P1030159サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


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この場所は、旧城壁の西端の城壁外に当たりますが、13世紀頃に建設されたサンティッシマ・アンヌンツィアータ礼拝堂が前身です。


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14世紀、建物が増築され、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会になりました。


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16世紀末、建物の再建が決まり(再建が決められた理由が分かりません)、バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-1502)に委嘱され、バルトロメオの設計と工事監督によって1491年に創建されました。


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しかし、バルトロメオは1502年に没してしまったので、建設工事はアントニオ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ(フィレンツェ、1455-1534)に引き継がれ、1505年に一応の完成を見ました。
引き続きファサード装飾が検討されましたが、工事未着工のままに終わり、1517年に一部手直しされて最終的に完成しました。


p1005
ファサード右端に最初の建物のポータルの一部が残されてます。


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再建される前の建物のポータルの一部が残されているのは、この貴重なフレスコ画があるからです。


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スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1346c-1410)の「受胎告知」(1370c)


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風雨と太陽に晒されて保存状態が懸念されて、現在は建物の中に移されました。


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拝観します。


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教会の中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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美術的に幾つか見所がある教会です。


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控えめな天井装飾


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後陣を見ます。


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ベルナルド・ブオンタレンティ(フィレンツェ、1531-1608)の「主祭壇」(1600)


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これがあるので助かります。


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ミケーレ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1385-1455)の「ラクリメの聖母」(1430c)


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これは写真でしょうね。


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本物はこれです。


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ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596-ローマ、1669)の「法悦の聖フランチェスコ」(1641)


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「十字架降下」(1529)


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ジョルジョ・ヴァザーリの初期の作品です。


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ピエトロ・カステッルッチ(アレッツォ、1653-?)の「聖人たち」(17世紀)


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シエナの逸名彫刻家作「磔刑像」(14世紀)


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マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578-1650)の「受胎告知」(1625)


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ニッコロ・ソッジ(アレッツォ、1480-1552)の「ご誕生」(1521)


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右側廊


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テオフィーロ・トッリ(アレッツォ、1555-1623)の「磔刑」


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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(つづく)

P1030445次は司教区美術館 Museo Diocesanoです。


P1030446
ドゥオーモに戻ります。


P1030443
ムレッロ広場にある「トスカーナ大公ロレーヌのフェルディナンド3世のモニュメント」のモニュメントです。


P1030444
ステファノ・リッチ(フィレンツェ、1765-1837)によって1822年に制作され、グランデ広場に置かれていましたが、1932年に現在のムレッロ広場に移設されました。


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県庁舎 Palazzo della Provinciaです。


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1925年に建設されたネオ・ゴシック様式の県庁舎です。


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ドゥオーモに戻ってきました。


P1030414
Museo Diocesanoは司教館にあります。


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司教館は、ドゥオーモのファサードの向かいにあります。


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司教館です。


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教区美術館に入館しました。


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入館有料です。


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタのステンダリオ」(1549)


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「慈悲の聖母」(1557)


P1030419
ルカ・シニョレッリ工房作「聖母の誕生」(1518-23)


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ルカ・シニョレッリ工房作「聖母の神殿奉献」(1518-23)


P1030421
ルカ・シニョレッリ工房作「聖母の結婚」(1518-23)


P1030422
ルカ・シニョレッリ工房作「聖フランチェスコ」(1518-23)


P1030423
バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)とドメニコ・ペコリ(1480-1527)の「玉座の聖母子と聖ファビアーノと聖セバスティアーノ」(1499-1502)


P1030424
アンドレア・ディ・ネリオ(アレッツォ、1331-1369活動記録)の「受胎告知」


P1030425
ロレンティーノ・ダンドレア(アレッツォ、1436-1506記録)の「玉座の聖母子」(1480-85)


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スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350c-1410)の「受胎告知」


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「キリストの洗礼」


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ドゥオーモの鐘


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外に出ました。


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次はペトラルカの家です。


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ペトラルカ(アレッツォ、1304-アルクァ・ペトラルカ、1374)の生家です。


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博物館として一般公開されてます。


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ペトラルカの家の中庭


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ペトラルカの父は、ダンテと同じ政治派閥に属していましたが、ダンテと同じく抗争に敗れてフィレンツェを追放されてしまいました。その追放中にペトラルカがこの家で生まれたのです。


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この時、中は写真不可でした。


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私にとっては、それ程面白い博物館ではありません。


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この日はこれで終わりです。


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(つづく)

P1030121オルガン周りの装飾は、ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)によるものです。


P1030122
ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)のフレスコ画


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)のフレスコ画


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)による装飾


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の作品


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の作品


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「聖家族と聖ベネデット」(1633)


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ヴィンチェンツォ・ダンディーニ(フィレンツェ、1607-1675)の「聖アンドレア・ゾェラルドと聖カルロ・ボッロメオ」(1658)


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)のフレスコ画


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カウンターファサード


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外に出ました。


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次はサンティ・ロレンティーノ・エ・ベルジェンティーノ教会です。


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サンティ・ロレンティーノ・エ・ベルジェンティーノ教会にやってきました。


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慈悲の聖母友愛同信会によって1363年に建てられた教会です。


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現在の建物は、1702年に再建された二代目となるものです。


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入口扉上の浮彫は、1363年のオリジナルのものが剥がされ、付けられました。


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この教会の主祭壇画は取り外されて、国立中世近代美術館に移されました。


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この教会の主祭壇画です。


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(つづく)

P1030472サン・ロレンティーノ門です。


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城壁外は見どころが無さそうです。


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城壁内に戻ることにしました。


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サン・ロレンティーノ通りです。


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国立中世近代美術館です。


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先ほど拝観しないで先を急いだサンタ・マリア・イン・グラディ教会に向かいます。


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次の四つ角を左折します。


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サンタ・マリア・イン・グラディ教会です。


P1030093
聖ベネデット会カマルドリ会衆によって11世紀前半に、この地に建設された修道院が前身です。その修道院は、1043年のアレッツォの記録に初めて記載されたそうです。


P1030448
16世紀後半、教会再建が決定され、建築家バルトロメオ・マンマナーティ(センティニャーノ、1511-フィレンツェ、1592)に委嘱され、バルトロメオの設計によって1591年に建設工事が開始されました。
しかし、バルトロメオはその翌年に没してしまいました。工事は、ジョルジョ・ヴァザーリ・イル・ジョーヴァネ(1562-1625)に引き継がれ、1611年に完了しました。


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1671年に工事が完了した鐘楼です。


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教会の扉が開いていました。


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教会内に入りました。


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単廊式、ルネサンス様式の内部です。


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美術的な見所が幾つかあります。


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1711年に制作された木製の天井


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主祭壇を見ます。


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ジョルジョ・ヴァザーリ・イル・ジョーヴァネ(1562-1625)によって1607年に制作された主祭壇


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各礼拝堂の装飾を見て回ります。


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アンドレア・デッラ・ロッビア工房作「アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)作『慈悲の聖母』の複製彩釉テラコッタ」


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テラコッタ上部のフレスコ画の詳細が分かりません。


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次の礼拝堂です。


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主祭壇画が欠落してます。


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サルヴィ・カステッルッチ(アレッツォ、1608-1672)のフレスコ画


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サルヴィ・カステッルッチはピエトロ・ダ・コルトーナの弟子です。


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クリプタは立ち入り禁止になっていました。


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次の礼拝堂です。


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アレッサンドロ・ベッティの「マギの礼拝」


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オルガン横のフレスコ画は、ベルナルド・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)によって描かれました。


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ベルナルド・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)のフレスコ画


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ベルナルド・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)のフレスコ画


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ベルナルド・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「磔刑と聖ボニファツィオと聖アンドレア」(1632)


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礼拝堂天井の装飾


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ベルナルド・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「ニカイアの奇跡」


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ベルナルド・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「聖ボニファツィオの祝福」
(つづく)

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引き続き国立中世近代美術館です。


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シニョレッリの作品をもう一度見ました。


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ペリーノ・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1529c-ピサ、1553)の「噴水の口」


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外に出ました。


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サン・ロレンティーノ通りを進みます。


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通りの突き当りに出ます。


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サン・ロレンティーノ門です。


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アレッツォのサン・ピエトロの丘上に11世紀に築かれたサン・ロレンティーノ門です。


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門を潜って城壁外に出ました。


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城壁です。


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(つづく)

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引き続き国立中世近代美術館です。


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(つづく)

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引き続き国立中世近代美術館です。


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ヴァザーリの作品です。


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(つづく)

P1760635
引き続き国立中世近代美術館です。


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ヤコポ・バッサーノとフランチェスコ・バッサーノの作品です。


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(つづく)

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次の部屋です。


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主に絵皿が展示されてます。


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美術館の定番展示品と言える絵皿ですが、どれも同じように見えて、その価値判断が付きません。


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絵皿の表裏両面が見えるように、工夫された展示方法が印象に残ります。


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一階(日本の二階)から二階の展示室に向かいます。


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詳細不知


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詳細不知


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次の部屋です。


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次の部屋です。


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展示されている近代の作品のうち、私が興味がないものの紹介は省略させて頂きます。


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13番の作品です。


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(つづく)

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引き続き国立中世近代美術館です。


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11番の作品です。


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次の部屋です。


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彩釉テラコッタの小品


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プレデッラ


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ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1430c-1502)に帰属する「二兵士」


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フランチェスコ・グラナッチ(ヴィッラマーニャ・ディ・ヴォルテッラ、1469-フィレンツェ、1543)の「受胎告知」


p1013
ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555-1619)の「悔悛の聖ジローラモ」(1593)


p1014
フォンテンブロー派逸名画家作「アドーネの死」(1580-1600)


p1015
フランドルの逸名画家作「ディルク・ボウツ(1410/1420c-1475)作『十字架降下』の複製画」(16世紀)


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フィレンツェの逸名画家作「ピエタのキリスト」(1310c)


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667-1749)の「磔刑と聖フランチェスコ」(1748c)


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ロマーニャ派逸名画家作「聖人たち」(1390c)


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ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551-1640)の「キリストの受難」(17世紀初頭)


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フランチャビージョ(フィレンツェ、1482-1525)の裾絵


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ヤコポ・デル・セッライオ(フィレンツェ、1441-1493)の裾絵


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ロレンツォ・ディ・クレディ(フィレンツェ、1459-1537)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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エッチング
(つづく)

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引き続き国立中世近代美術館です。


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聖書台です。
ミサの時、聖職者がこの台の上に聖書を置きます。


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アンジェロ・ディ・ロレンティーノの作品です。


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(つづく)

引き続き国立中世近代美術館です。
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裾絵


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P1760509


P1760510


p1014


p1015


p1016
(つづく)

P1760420
修復のため、展示されていなかった作品の紹介


P1760421


P1760424
次はガラス製品のコレクションです。


P1760422


P1760423
これらはFraternita dei Laiciにあったものです。


p1001
18世紀前半に造られたもの


p1002
(18世紀前半)


p1003
(18世紀前半)


P1760427
次の部屋です。


P1760425


P1760426


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裾絵


P1760461


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p1010


p1011
(つづく)

P1760367
引き続き国立中世近代美術館です。


P1760369


P1760370


P1760373


P1760374


p1030


p1031
聖バルトロメオ


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聖ドナート


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P1760383
3番の作品です。


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裾絵


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P1760418


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p1040
(つづく)

P1760323
引き続き国立中世近代美術館です。


P1760326
ピエトロ・ロレンツェッティの帰属作品です。


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(つづく)

引き続き国立中世近代美術館の地上階です。
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P1760238
36番の作品です。


P1760277


P1760278
26番の作品です。


P1760283
地上階の展示はこれで終わりです。


P1760286
階上に向かいます。


P1760287
階段踊り場に置かれた作品(詳細不知)


p1001
大広間に出ました。


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ヴァザーリの大作があります。


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p1007
展示室に入ります。


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P1760320


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p1015
(つづく)

引き続き国立中世近代美術館です。
P1030462


P1760224


P1760226
Dietisalvi di Spemeは、シエナ派の画家で、コッポ・ディ・マルコヴァルドとチマブーエの影響を受けた画風でした。


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詳細不知


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4番の作品です。


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6番の作品です。


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8番の作品です。


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14番の作品です。


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P1760235
(つづく)

P2180413
サン・ロレンティーノ通りです


P1030452
サン・ロレンティーノ通りに面して建つPalazzo Bruni-Ciocchiです。


P1030454
ベルナルディーノ・ロッセリーノ(センティニャーノ、1409-フィレンツェ、1464)の設計によって、ブルーニ家の住居として15世紀中頃に建設されました。


P1760204
その後、モンテサンソヴィーノの貴族チョッキ・デル・モンテ家に売却されました。Palazzo Bruni-Ciocchiはその所有者だった家族名に由来します。


P1030453
1816年、建物はトスカーナ大公国に売却され、イタリア統一後にトスカーナ州の所有となりました。
1972年、アレッツォ市立美術館として開館しました。その後、国有となり、Museo Nazionale d’Arte Medievale e Moderno 国立中世近代美術館と改称されました。


P1030455
中に入ります。


P1030456
展示は、1262年に設立されたFraternita dei Laiciのコレクションと、19世紀の抑圧令によって活動が停止された教会や修道院から没収された作品が中心です。


P1030458
中庭です。


P1030459
中庭に置かれた変なもの


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中庭に面したロッジャにある「聖母子」の浮彫


P1760207
詳細不知です。


P1760209
ギリシャ・ローマ時代の列柱と柱頭


p1001
ロッジャに置かれた作品を見ます。


p1002


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柱頭


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柱頭


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水道の口


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水道の口


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紋章


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紋章


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賞碑


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碑文


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不明


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地上階の展示室


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「聖フランチェスコ」


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P1760221


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p1021


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(つづく)

引き続きヴァザーリの家です。
P1770322
ヤコポ・ズッキ(フィレンツェ、1541c-ローマ、1596)に帰属する「猟をするディアナ」(1570-80c)


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ベルナルディーノ・ポチェッティ(フィレンツェ、1548-1612)の「最後の晩餐」(1590c)


P1770328


P1770342
マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1531-1571)と工房の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1560-70c)


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次の部屋のフレスコ画


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の天井画


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「キリストの埋葬」(1532)


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P1770372
ジョヴァンニ・ストラダーノ(ブルージュ、1523-フィレンツェ、1605)の「バーリの聖二コラの奇跡」(1585)


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P1770376
アウレリオ・ローミ(ピサ、1556-1622)の「この人を見よ」(1610-12)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・モッシ(1591-1598消息)の「キリストの鞭打ち」(1591)


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P1770386
ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501-ローマ、1547)の「聖パオロの回心」(1530-40c)


P1770387


P1770389
ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501-ローマ、1547)の「判事と話す聖パオロ」(1530-40c)


P1770391


P1770392


P1770406
次の部屋のフレスコ画


P1770413
最初の部屋に戻りました。


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外に出ました。


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ヴァザーリは、仕事と趣味が同じだったことが分かりました。


P1030087
サンティ・ヴィトー・エ・モデスト教会です。


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13世紀に創建されました。現在の建物は18世紀後半に再建されたものです。


P1030088
何時も扉が閉まっていて、拝観したことがありません。


P1030090
次は国立中世近代博物館です。


P1030091


P1030092
塔のような建物


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P1030446
国立中世近代博物館は旧市街の外れにあります。


P1030447
サンタ・マリア・イン・グラディ教会です。


P1030448
この教会は毎日必ず開くので、拝観を後回しにしました。


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P1030450


P1030451
(つづく)

引き続きヴァザーリの家です。
P1770232
ヤコポ・ズッキ(フィレンツェ、1541c-ローマ、1596)の「アドーネの死」(1577以降)


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P1770236
イタリアの逸名画家作「パリデの判決」(16世紀後半)


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P1770242
トスカーナの逸名画家作「アポロとダフネ」(16世紀第4四半世紀)


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P1770247


P1770248


P1770250
次の部屋のフレスコ画です。


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)によって描かれました。


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P1770260
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「ブロンズィーノ作『コジモ1世の肖像』の複製画」(1560-70c)


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サンティ・ディ・ティートの領域の「アバーニョレージョの聖ボナヴェントゥーラ」(16世紀末-17世紀初め)


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P1770266
アレッツォの逸名画家作「ジョルジョ・ヴァザーリの肖像の複製画」(1600-10c)


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P1770273
フィレンツェの逸名画家作「フランチェスコ・アッチャイオーリの肖像」(16世紀末-17世紀初頭)


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P1770277
フィレンツェの逸名画家作「コジモ1世の肖像」(16世紀末)


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「聖ロッコ」(1540)


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「アレッツォのフラ・グイットーネ」(1550-60c)


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エミリアの逸名画家作「若い男の肖像」(16世紀末)


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P1770293
ジョヴァンニ・マリア・ブッテーリ(フィレンツェ、1540c-1606)の「イサベッラ・メディチ・オルシーニの肖像」(1560-70c)


P1770296


P1770297
サンティ・ディ・ティートとティベリオ・ティートの領域の「フランス王妃マリア・メディチの肖像」(1590c)


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P1770301
ヴィットーレ・カシーニ(フィレンツェ、1567-1572記録)の「ルクレツィア・メディチの肖像」(1558-60)


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P1770312


P1770314


P1770316
ヴェネトの逸名画家作「羊飼いの礼拝」(16世紀第4四半世紀)


P1770317


P1770318
ポール・ブリル(アンヴェルサ、1554-ローマ、1626)の「隠遁の聖パオロ」(1595-1600)


P1770320
(つづく)

引き続きヴァザーリの家です。
P1770149
ロレンツォ・サバティーニ(ボローニャ、1530c-ローマ、1577)の「墓地の聖マリア・マッダレーナ」(16世紀第3四半世紀)


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P1770152
ジョヴァンニ・ストラダーノ(ブルージュ、1523-フィレンツェ、1605)の「磔刑」(1581)


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P1770156
ミラベッロ・カヴァローリ(フィレンツェ、1535-1572)の「聖バルバラ」(16世紀第3四半世紀)


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P1770159
ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547-フィレンツェ、1627)の「悔悛の聖ジローラモ」(1580-90c)


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アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535-1607)の「祈る聖フランチェスコ」(1606)


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P1770167
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500c-パルマ、1569)に帰属する「聖ジローラモ」(1540-50c)


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P1770171
フィレンツェの逸名画家作「アンドレア・デル・サルト作『聖ジョヴァンニ・バッティスタ』の複製画」(16世紀後半)


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P1770175
フィレンツェの逸名画家作「聖エレーナ」(1590-1600c)


P1770177
フィレンツェの逸名画家作「聖ジローラモ」(1590-1600c)


P1770179
フィレンツェの逸名画家作「コルトーナの聖マルゲリータ?」(1590-1600c)


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P1770184
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「ヴァザーリの家のロッジャの模型」(1572)


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P1770187
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「ユダ」(1542c)


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「砂漠のエリア」(1563-64)


P1770191
ジョルジョ・ヴァザーリ(レッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「アベルの犠牲」(1563-64)


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「最後の晩餐」(1563-64)


P1770196
ジョルジョ・ヴァザーリの叔父がルカ・シニョレッリです。


P1770197
アンドレア・コントゥッチ通称アンドレア・サンソヴィーノ(モンテ・サン・サヴィーノ、1470c-1529)の「アルバ帝」(1510-15)


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P1770205
次の部屋のフレスコ画です。


P1770208
ジョルジョ・ヴァザーリによって描かれたフレスコ画


P1770213
ヤコポ・ズッキ(フィレンツェ、1541c-ローマ、1596)に帰属する「マルシアの皮をはぐアポロ」(1570-80c)


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P1770215
ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547-フィレンツェ、1627)の「ミケランジェロ作『フォルトゥーナの寓意』の複製画」(1570-80c)


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P1770220
カルロ・ポルテッリ(ローロ・チェッフェンナ、1538から活動記録-フィレンツェ、1574没)の「慈愛の寓意」(1555c)


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P1770224
ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501-ローマ、1547)に帰属する「ノアの洪水」(1530-40c)


P1770227


P1770229


P1770230
(つづく)

P1030062
引き続きサン・ドメニコ聖堂です。


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この磔刑像の詳細が分かりません。


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フレスコ画に戻ります。


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パッリ・スピネッリ(アレッツォ、1387-1453)の「磔刑」


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「磔刑」のフレスコ画の側壁にも描かれてます。


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パッリ・スピネッリ(アレッツォ、1387-1453)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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次はサンティ・フィリッポ・エ・ジャコモの祭壇です。


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スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)の「サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモの祭壇」


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スピネッロ・アレティーノとパッリ・スピネッリのフレスコ画はカウンターファサードにあります。


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聖体容器


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聖水盤


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大体見たようです。


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見所が豊富でした。


P1030075
外に出ました。


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ファサードをもう一度見ました。


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次はヴァザーリの家です。


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ヴァザーリの家は9月20日通りにあります。


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ヴァザーリの家については既に詳しく触れました。


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旗が掲げられている建物がヴァザーリの家です。


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以前は、こちらの扉が使用されてました。


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ヴァザーリの家はMuseoとして一般公開されてます。


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ヴァザーリの家博物館の入り口です。入館しました。


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ジョルジョ・ヴァザーリが描いたフレスコ画


P1770132
トンマーゾ・マンツゥオーリ通称マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1531-1571)の「受胎告知とバーリの聖二コラと信者」(1560-70c)


P1770135


P1770137
ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチ(フィレンツェ、1560c-ナポリ、1631以降没)の「聖アントニオ・アバーテの奇跡」(1580-90c)


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ジョヴァンニ・マリア・ブッテーリ(フィレンツェ、1540c-1606)の「聖セバスティアーノの殉教」(1570-80c)


P1770145
(つづく)

P1030073
引き続きサン・ドメニコ聖堂です。


P2190221
アーニョロ・ディ・ロレンティーニ(アレッツォ、1465c-1527)の「玉座の聖母子」


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アーニョロ・ディ・ロレンティーニ(アレッツォ、1465c-1527)の「玉座の聖母子」


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P1030045
詳細不知


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P1030046
詳細不知


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ジョヴァンニ・ダーニョロ・ディ・バルドゥッチョ(アレッツォ、1370-1452)のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ダ―ニョ・ディ・バルドゥッチョ(アレッツォ、1370-1452)の「磔刑」


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ジョヴァンニ・ダーニョロ・ディ・バルドゥッチョ(アレッツォ、1370-1452)のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ダーニョロ・ディ・バルドゥッチョ(アレッツォ、1370-1452)の「受胎告知」


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ジョヴァンニ・ダーニョロ・ディ・バルドゥッチョ(アレッツォ、1370-1452)のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ダーニョロ・ディ・バルドゥッチョ(アレッツォ、1370-1452)のフレスコ画


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スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ダーニョロ・ディ・バルドゥッチョ(アレッツォ、1370-1452)のフレスコ画


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P1760956


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P1760960


P1760963
(つづく)

P1030039
引き続きサン・ドメニコ聖堂です。


P2190190
後陣左の礼拝堂です。


P2190191
後陣左礼拝堂の右側壁にあるフレスコ画


p1123
「三聖人」(詳細不知)


P2190187
後陣左礼拝堂の祭壇画です。


P2190188
ジョヴァンニ・ダーニョロ(D'Agnolo)・ディ・バルドゥッチョ(アレッツォ、1370-1452)の「三聖人のトリッティコ」


p1124
左から聖ドメニコ、大天使聖ミケーレ、聖パオロ


P2190193
チマブーエ(フィレンツェ、1240-ピサ、1302)の「彩色磔刑像」(1268-71)


P1760922
アレッツォ司教だったラニエーリ・デリ・ウルバティーニの墓(1297-1300)


P1760924
ガーノ・ディ・ファツィオによる彫刻


p1125
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ派逸名画家によるフレスコ画


p1126
詳細不知


P1760925


P1760926


P1760927


p1127


P1760928
スピネッロ・アレティーノ派逸名画家によるフレスコ画「三聖人(聖ドメニコ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖トンマーゾ)」


P2190207
彩釉テラコッタ


p1130
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469-1529)とジローラモ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1488-パリ、1566)の「聖ピエトロ・マルティーレ」
ジョヴァンニとジローラモは、アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)の息子です。


p1129
聖ピエトロ・マルティーレの殉教


P1030037


P1030038


P2190210


P1760932
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ派逸名画家によるフレスコ画「聖母子」


P2190263


P2190264


P2190266


P1030070
ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ・ダ・フィレンツェ(アレッツォ、1412 o 1428-フィレンツェ、1458)の「ドラゴンデッリの祭壇」


p1128


P1030071
ドラゴンデッリの祭壇のフレスコ画は、ルカ・ディ・トンメ(シエナ、1330c-1389)の「教会博士たちとの問答」


P1760934


P1030072
ルカ・ディ・トンメ(シエナ、1330c-1389)のフレスコ画


P1760935


P2190216
詳細不知


P1030068


P1030069


P2190219


p1132


P1030066
「十字架降下」(詳細不知)


P1030067
(つづく)

P1030003
バディア教会の鐘楼です。


P1030004
次はサン・ドメニコ聖堂です。


P1030005
ロレーナのフェルディナンド3世のモニュメントです。


p5083
ステファノ・リッチ(フィレンツェ、1765-1837)の「トスカーナ大公、ロレーナのフェルディナンド3世のモニュメント」(1822)
ラニエリ・バルトリーニ(1794-1856)も制作に参画したそうです。


P1030006
Palazzo Albergotti detto delle Statueです。


P1760903


P1030009


P1030007
サンティ・ファビアーノ・エ・セバスティーノ教会です。


P1030008
何時も扉が閉まっていて、拝観したことがありません。


P2190160
ファサードのフレスコ画(詳細不知)


P1030010
道の突き当りに広場があり、広場に面してサン・ドメニコ聖堂が建ってます。


P1030011
アレッツォ旧市街の高い所に広場があります。


P2190275
サン・ドメニコ聖堂です。


P1760908
1275年創建、14世紀初めに完成したゴシック様式の教会です。


P1760965
1960年、第261代教皇ジョヴァンニ23世(ソット・イル・モンテ、1881-ヴァティカーノ、1963 教皇在位:1958-1963)によってBasilica Minoreに格付けされました。


p1114
非対称のファサードと鐘楼が目立ちます。


P1030076
14世紀の鐘楼


P1030014
フレスコ画の詳細が分かりません(私が)。


P1030015


P2190170


P1760912
聖堂内に入りました。


P1760914
単廊式、ゴシック様式の内部です。


P1760913
美術ファンにとって必見の教会です。


P1760915
先ず中央礼拝堂に向かいます。


P1760916
非常に貴重な彩色磔刑像があります。


P2190196
チマブーエ(フィレンツェ、1240-ピサ、1302)の「彩色磔刑像」(1268-71)


p1115


p1116


p1117


p1118
刑死したキリスト


p1119
悲しみの聖母


p1120
悲嘆の聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


P1030031
非常に見所が豊富です。


P2190199
後陣右の礼拝堂です。


P2190200
後陣右の礼拝堂のフレスコ画


P1030030
アレッツォの逸名画家作「磔刑」(14世紀)


P1030027
後陣右の礼拝堂の左側壁のフレスコ画


p1122
スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)の「受胎告知」


P2190182
(つづく)

P1750802
引き続きサン・フランチェスコ聖堂バッチ礼拝堂のピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画です。


P2190434
次は第八場面です。


P1750866
第八場面は、上の写真の真ん中にあります。


P2190435
第八場面は、異時同図法によって左右2つのシーンから成ってます。


P1750868
左は、「三つの十字架の発見」です。
キリストが磔刑された時、二人の泥棒と共に処刑されましたが、その時に使用された三つの十字架です。コンスタンティヌス帝の母エレナがその三つの十字架を発見したシーンが描かれてます。


P2190438
第八場面の右は、「聖十字架の検証」です。


P1750869
エレナは、三つの十字架を検証して、キリストが処刑された時の聖十字架を再発見しました。


p1099
第八場面は、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1412-1492)によって描かれました。


p1100


p1101
エルサレム


p1102


p1103


p1104


p1105


p1106


P1750870
次は第九場面です。


P1750876
第九場面は、第八場面の下にあります。


P1750887
第九場面はピエロ・デッラ・フランチェスカの作品ではなく、弟子たちによって描かれたという説が有力です。


P2190470
ビザンチン帝国とペルシャが戦った、西暦627年の「ニネべの戦い」が描かれてます。


P2190432
ペルシャのホスロー2世は、エルサレムを征服して聖十字架を奪いましたが、ビザンチン帝国のヘラクレイオスが「ニオベの戦い」に勝利して、一旦ペルシャに奪われた聖十字架を取り戻しました。


p1107


p1108


p1109


p1110


p1111


P2190439
次は第十場面です。


P1750886
第十場面は「十字架挙栄祭」です。


p1056
ヘラクレイオス一世(カッパドキア、575-コンスタンティノープル、641)は、「ニネべの戦い」で勝利して聖十字架を取り戻し、エルサレムに真の十字架をもたらして、祭事を行いました。


p1057
第十場面は、ピエロ・デッラ・フランチェスカによって描かれました。


p1112


p1113


P1750795
「聖十字架の伝説」を知っていた方が鑑賞が充実したものになるでしょう。


P1770483
外に出ました。


P1020998
教会巡りを続けました。


P1020999
サン・イグナツィオ教会です。


P1030002
何時も扉が閉まってます。


P1030001
(つづく)

P1750857
引き続きサン・フランチェスコ聖堂バッチ礼拝堂のピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画です。


P1750877
第四場面は「受胎告知」です。


p1072
ピエロ・デッラ・フランチェスカ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1412-1492)の「受胎告知」


p1073
父なる神


p1074
受胎告知する大天使ガブリエーレ


p1075


p1076
受胎告知される聖母


p1077


P1750872
第五場面は、正面の壁の右下にあります。


P1750885
第五場面の「コンスタンティヌス帝の夢」です。


p1078
ピエロ・デッラ・フランチェスカによって描かれました。


p1079
テントの中で眠るコンスタンティヌス帝に、天使が十字架の啓示の夢をもたらしました。


p1080
その夢の啓示の通り、やがて戦われるマクセンティウスとの戦闘において勝利を収めることになるのです。


p1081


P1750864
第六場面は、写真下です。


P1750889
第六場面は、コンスタンティヌス帝とマクセンティウスが戦ったミウィウスの戦い(紀元312年)で、夢の啓示の通り、コンスタンティヌス帝の勝利を描いてます。


P1750883
ピエロ・デッラ・フランチェスカによって描かれました。


P2190473


p1082


p1083


p1084


p1085


p1086


P1750878
次は第七場面です。


P1750888
第七場面「ユダの拷問」は、正面壁の左の上から二番目にあります。


P2190446
「ユダの拷問」は、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品ではなく、ピエロの弟子によって描かれたというのが定説となってます。


p1087
キリストの死後、キリストが刑死した十字架は埋葬されました。ユダと言う名前のユダヤ人だけが、その十字架の埋葬場所を知っていたので、ユダを拷問して、埋葬された十字架の行方を問い質したのです。


p1088


p1089


p1090


p1091


p1092
バッチ礼拝堂の場面毎の場所を示した図


p1093


p1094


p1095


p1096


p1097


p1098
(つづく)

P1750873
引き続きサン・フランチェスコ聖堂バッチ礼拝堂のビッチ・ディ・ロレンツォののフレスコ画です。


p1042
天使たち


p1043
バッチ礼拝堂天井のビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373c-1452)の「四福音書記者」(1447-52)


p1044
聖マッテオ


p1045
聖マルコ


p1046
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


p1047
聖ルカと聖ピエトロ


p1048
ジョヴァンニ・ディ・ピアモンテ(1456-1472活動記録)の「聖アンブロージョ」


p1049
聖アンブロージョ拡大顔写真


p1050
ジョヴァンニ・ディ・ピアモンテ(1456-1472活動記録)の「預言者イザヤ」


p1051
ロレンティーノ・ダレッツォ別称ロレンティーノ・ダンドレア(アレッツォ、1430c-1506c)の「シエナの聖ベルナルディーノ」
ロレンティーノ・ダレッツォは、ピエロ・デッラ・フランチェスカの弟子です。


P1750871
バッチ礼拝堂の中に入りました。


P1750872
バッチ礼拝堂のフレスコ画はピエロ・デッラ・フランチェスカ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1412-1492)の代表作です。


p1052
アレッツォを代表する裕福な商人だったバッチ家の個人礼拝堂です。


p1053
1417年、当時のバッチ家当主だったバッチョ・ディ・マーゾ・バッチが没しましたが、その死の前にバッチ礼拝堂をフレスコ画装飾する遺言を残しました。
しかし、その遺言は実行されずに、30年ほど経過しました。


p1054
1447年、当時のバッチ家当主フランチェスコ・バッチは、同家が所有するブドウ園を売却して資金調達してから、ビッチ・ディ・ロレンツォにフレスコ画制作を注文しました。
しかし、ビッチは病を得てフレスコ画制作が進捗しませんでした。ビッチは、1452年に没してしまいました。
1452年、当時の当主はフランチェスコの息子ジョヴァンニ・バッチでしたが、ジョヴァンニは芸術に理解があり、アレッツォとその周辺で活動していたピエロ・デッラ・フランチェスカの評判を聞いていたので、ピエロ・デッラ・フランチェスカに礼拝堂のフレスコ画制作を注文したのです。


p1055
注文を受けたピエロは、ビッチ・ディ・ロレンツォが制作したフレスコ画をそのままにして、描かれなかった壁に「聖十字架の伝説」を描くことになりました。
ドメニコ会修道士で大司教だったJacopo da Varazze detto Jacopo da Varagine(カサノヴァ、1228-ジェノヴァ、1298)は、伝承文学の編纂を行い、1224年から1250年にかけて編纂本を仕上げましたが、その一つである「L’Invenzione della Santa Croce」の編纂本「Leggenda della Vera Croce」が大変な評判となりました。
それを基に「聖十字架の伝説」のフレスコ画が幾つかが制作されました。
ピエロは、フレスコ画の題材を「聖十字架の伝説」に決め、1452年からフレスコ画制作を開始しました。ピエロの弟子数名が制作に関与しました。
途中1458年に、ピエロは教皇ピオ2世からフレスコ画制作を依頼され、ローマに赴き、1459年までローマに滞在したので、バッチ礼拝堂のフレスコ画制作は中断されました。なお、ローマのピエロのフレスコ画は現存していません。
1466年、バッチ礼拝堂のフレスコ画が完成しました。
また、フレスコ画に「キリストの磔刑」がありませんが、バッチ礼拝堂の前にMaestro di San Francescoの「磔刑像」があるので、フレスコ画を改めて描く必要がないとピエロが判断したからだと言われてます。


P1750880
第一場面です。


p1058
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「アダムの死」です。


p1059
アダムの息子は、大天使ミケーレから木の芽を受け取り、アダムの口に置きます。この木が成長して、キリストの磔刑に使用されるようになります。


p1060
順番通りに場面が描かれていません。


p1065
第二場面です。異時同図法によって2場面から成ってます。


P1750862
第二場面の左です。


P1750881
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「シバの女王の聖木礼拝」


p1062


p1063


p1064


p1061


P1750859
第二場面の右側です。


P1750860
ソロモン王とシバの女王の邂逅です。


P1750879
シバの女王が服従の証としてお辞儀をしています。


p1066
この場面もピエロ・デッラ・フランチェスカによって制作されました。


p1067


p1068


p1069


P1750863


P2190475
第三場面は、写真右の上から二番目です。


P2190457
第三場面は、「聖木の埋葬」です。


p1070
ピエロ・デッラ・フランチェスカによって制作されたものではなく、弟子の作品説が有力です。


p1071
(つづく)

P2190422
引き続きサン・フランチェスコ聖堂です。


P2190424
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419-1492)の「受胎告知」


P2190428


p1023
修復用の紙があった時


p1024
受胎告知する大天使


p1025
受胎告知される聖母


p1026
聖ジローラモ、預言者イザヤ


p1027
聖フランチェスコ、預言者ダヴィデ


P2190425
マッテオ・ラッポーリ(アレッツォ、1450-1504)の「受胎告知」
マッテオはフラ・バルトロメオの弟子です。


p1028
長い間、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445c-1523)の帰属作品とされていましたが、近年になって作品帰属がマッテオ・ラッポーリに変更されました。


P1750733
ロ・スケッジャの帰属作品です。


p1029
ジョヴァンニ・デル・セル・ジョヴァンニ・グイディ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)に帰属する「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚と聖クリストフォロ」


p1030


p1031
フィレンツェの逸名画家作「聖母マリアとべテニアの聖マルテ」(1600-15c)


P1750894
フィレンツェの逸名画家作「磔刑」(14世紀後半)


p1032
シノピエが残されてます。


P1750892
シノピエ


P1750728
次は中央礼拝堂です。


P1750798
中央礼拝堂のバッチ礼拝堂です。


P1750793
バッチ礼拝堂の壁はフレスコ画で覆われてます。


P1750801
P1750801
バッチ礼拝堂の前に磔刑像がぶら下がってます。


P1750790
Maestro di San Francescoの「彩色磔刑像」(1270-90c)


p1033


p1034
Maestro di San Francescoは、チマブーエ(フィレンツェ、1240-ピサ、1302)の弟子とされてます。


p1035
キリストと聖母と天使


p1036
聖母


p1037
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


p1038
聖フランチェスコ


p1039


P1750891
バッチ礼拝堂のフレスコ画を見ます。


p1040
礼拝堂のフレスコ画はビッチ・ディ・ロレンツォとピエロ・デッラ・フランチェスカによって描かれました。


P1750890
礼拝堂内部のフレスコ画は、天井を除いてピエロ・デッラ・フランチェスカによって制作されました。それ以外の部分はビッチ・ディ・ロレンツォの作品です。


p1051
ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373c-1452)の「最後の審判」


p1041


P1750865
バッチ礼拝堂の天井


P2190441
ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373c-1452)の「四福音書記者」


P2190469
ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373c-1452)の「聖ジローラモ」


P2190449
ビッチ・ディ・ロレンツォのフレスコ画


P1750882
(つづく)

引き続きサン・フランチェスコ聖堂です。
P1750787
中央がピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画が描かれたバッチ礼拝堂、写真右がCappella Guasconiです。


P1750803
Cappella Guasconiです。


P1750806
Cappella Guasconiはフレスコ画で覆われてます。


P1750810
スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)とアレティーノ工房によって1400年頃描かれました。


P1750807
フレスコ画のテーマは、左側壁が「聖エジーディオの物語」、右側壁が「大天使聖ミケーレの物語」となってます。写真は左側壁です。


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p1016


P2190476
Cappella Guasconiの祭壇画です。


P2190479
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ(アレッツォ、1368-1415記録)の「チントラの聖母と四聖人(聖ジョルジョ、聖グアルベルト、聖ロレンツォ、聖フランチェスコ)」(1413-15c)


P2190480


p1017
チントラの聖母と四聖人


p1018
チントラの聖母


p1021


p1019
聖ジョルジョと聖グアルベルト


p1020
聖ロレンツォとアッシジの聖フランチェスコ


p1022



P2190482


P2190481


P2190484


P2190486


P2190488
(つづく)

P1750729
礼拝堂、フレスコ画や祭壇画がある場所の確認のため、聖堂内の写真をもう一度掲載しておきます。


P1750731
左側壁


P1750730
右側壁


P1750700
天井


P1750718
タヴァンティ礼拝堂です。


P1750724
以前は、サン・バルトロメオ礼拝堂と呼ばれていましたが、20世紀初めに礼拝堂が売り出され、タヴァンティ家が購入したので、名称が変わりました。


p5075
サン・バルトロメオ礼拝堂時代に描かれたフレスコ画が残されてます。


P1750720
フレスコ画は、アントニオ・ディ・アンギアーリ(アントニオ・ダ・アンギアーリ)(ボルゴ・サン・セポルクロ、15世紀中頃活動)に帰属します。


p5074


P1750722
アントニオ・ディ・アンギアーリに帰属するフレスコ画


p5076


P1750725
シニガルディの祭壇です。


P1750727


p5077
逸名彫刻家作「磔刑像」(14世紀)


P1750733
詳細不知


P1750734


P1750736
カドゥーティ礼拝堂です。


P1750738


P1750741
逸名画家作「三聖人」(16世紀)


P1750757


P2190404


P1750760


p5078
聖水盤


P1750764
逸名画家作「チゴリ作『パドヴァの聖アントニオのラバの奇跡」


p5079


P1750767
P1750767
ニッチの磔刑は既に紹介しました。


P1750770


P1750772
ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「光悦の聖フランチェスコ」


p5080


P1750774
ジョヴァンニ・アントニオ・ラッポーリ(アレッツォ、1492-1552)の「マギの礼拝」


P1750776
ロッソ・フィオレンティーノの原画に基づく作品だそうです。


p5081


P1750777


P1750779
アレッツォ派逸名画家によるフレスコ画(16世紀)


p5082


P1750780


P1750782
ミケーレ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1385-1455)の「フランチェスコ・ロッセッリの墓碑」


P1750785


P1750783
(つづく)

引き続きサン・フランチェスコ聖堂です。
P2190384
アレッツォの逸名画家作「聖フランチェスコとウンゲリアの聖エリザベッタと聖ドナート」(16世紀)


P2190387
ロレンティーノ・ダンドレア(アレッツォ、1430c-1506)の「パドヴァの聖アントニオの物語」(1480)


P2190388


p5060
シエナの聖ベルナルディーノ


p5061
ご訪問


p5062
聖セバスティアーノ


p5063
ラバに奇跡を起こさせるパドヴァの聖アントニオ


p5064
魚に説教する聖アントニオ


p5065
パドヴァの聖アントニオ


p5066
制作年が記されてます。


p5067
聖アントニオの奇跡


p5068
聖アントニオの奇跡


p5069


P2190389
スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)の「聖霊降臨」


P2190391


P1750752


P2190395


P2190403
トスカーナの逸名画家作「聖母被昇天」(16世紀前半)


p5070


P2190406
制作者情報不知の「聖心」


P2190409
パッリ・ディ・スピネッロ(アレッツォ、1387-1453)に帰属する、またはスピネッロ・アレティーノ派逸名画家による「磔刑のタベルナコロ」
パッリ・ディ・スピネッロは、スピネッロ・アレティーノの息子です。


p5071
磔刑


p5072
聖フランチェスコ


p5073
聖ミケーレ


P2190411
ゴッツァーリ礼拝堂です。


P1750827
ゴッツァーリ礼拝堂のフレスコ画は、スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)、またはアンドレア・ディ・ネリオ(アレッツォ、1350cから活動記録-1387以前没)の、どちらかに帰属すると言われてます。


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ゴッツァーリ礼拝堂のフレスコ画


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ベアート・ベネデット・シニガルディの墓


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(つづく)

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次はサン・フランチェスコ聖堂です。


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アレッツォに来る目的の一つは、サン・フランチェスコ聖堂にあるピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画を見ることです。


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見所豊富がアレッツォですが、それらが街のあちこちに点在している上に、開館時間がまちまちなので、行ったり来たりしてしまいます。


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城壁内が結構広いので歩き回る距離が長くなります。


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教会の建物です。


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スグラッフィート装飾がある建物です。


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現在はイタリア銀行の建物ではないようです。


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道を下って広場に出ます。


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サン・フランチェスコ広場に出ました。


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サン・フランチェスコ聖堂です。
1955年、第260代教皇ピオ12世(ローマ、1876-カステル・ガンドルフォ、1958 教皇在位:1939-1958)によってBasilica Minoreに格付けされたので、聖堂と呼称すべきでしょう。


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13世紀前半、サン・フランチェスコ教会が城壁外に建設されました。しかし、サン・フランチェスコ修道院の建物が外敵の兵舎に転用されることを懸念した市当局は、1290年、城壁外の教会修道院を破壊して、城壁内の現在地に教会修道院の建物を再建するように命じました。


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そうして、フラ・ジョヴァンニ・ダ・ピストイアの設計によって13世紀末から14世紀に建設されたのが、現在のロマネスク様式の建物です。


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ファサードは未完成のまま現在に至ってます。


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現在でも地元の人たちの宗教施設となってますが、観光客に対しては拝観有料でMuseoとして公開されてます。


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聖堂内に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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左右にニッチ、礼拝堂が設けられてます。


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天井


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ドメニコ・ペコリ(1475c-1527)に帰属する「聖母子」(1520c)


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ニッコロ・ソッジ(アレッツォ、1480-1552)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖アントニオ・アバーテと聖フランチェスコと三天使」


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アレッツォの逸名画家作「三聖人(恐らく聖フランチェスコ、ウンゲリアの聖エリザベッタ、聖ドナート)」


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ジュゼッペ・カッシオーリ(フィレンツェ、1865-1942)の「十字架降下」(1926c)


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(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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グイド・タリアーティの記念碑
グイド・タリアーティは、アレッツォ司教で、1327年、アレッツォで没しました。


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ジョットの原画に基づく、アゴスティーノ・ジョヴァンニとアーニョロ・ヴェントゥーラの「グイド・タリアーティ司教の記念碑(生涯)」(1330)


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「玉座の聖母子」(1270c)


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説教壇


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カウンターファサード


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(つづく)

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引き続きドゥオーモです。


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逸名画家作「聖母子と聖クリストフォロと聖ジャコモ・マッジョーレの生涯の物語」(14世紀後半)


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第二次世界大戦の爆撃によって、従来のステンドグラスが破壊されたので、戦後に新造されたものです。


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Maestro del Vescovado(アレッツォ、14世紀活動)の「磔刑」(14世紀)


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Maestro del Vescovado(アレッツォ、14世紀活動)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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Maestro del Vescovado(アレッツォ、14世紀活動)の「聖ルチア?」
聖ルチアのアトリビュートである目玉が描かれていると思いました。


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主祭壇です。


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14世紀後半のシエナ、フィレンツェ、アレッツォの逸名彫刻家による主祭壇です。「Arco di San Donato」(1362c)と呼ばれてます。


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後陣天井


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もう一度、ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画を見ます。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1415c-1492)の「聖マリア・マッダレーナ」(1466c)


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(つづく)

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プリオーリ宮です。


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トイレに行きたくなりました。ドゥオーモ近くにはバールがありません。


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でも大丈夫です、ドゥオーモ下に観光案内所があり、そののトイレを利用しました。


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次はドゥオーモの拝観です。


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アレッツォ₌コルトーナ₌サンセポルクロ司教区のサンティ・ピエトロ・エ・ドナート司教座教会です。


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この場所はアクロポリスになっていましたが、4世紀、そこにあった神殿を改造した初期キリスト教会が前身とされてます。
現在の建物は、1278年に創建されたものが原形となってます。その後、建物の経時劣化によって幾度となく修復が行われました。


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砂岩のファサードは、1901年から1914年に建設された新しいもので、美術的な見所には欠けると思います。


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右側壁です。


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後陣と鐘楼


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右側壁の入り口です。


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右側壁の入り口扉上ルネッタの彫刻


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右側壁の入り口扉上のフレスコ画


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拝観します。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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見所豊富な内部です。


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何はともあれ、ピエロ・デッラ・フランチェスコのフレスコ画を見ます。


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これです。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1415c-1492)の「聖マリア・マッダレーナ」(1466c)


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「玉座の聖母子」(1270c)


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左側廊


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教皇グレゴリオ10世の墓


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右側廊


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後陣のステンドグラス
第二次世界大戦の爆撃によって従来のステンドグラスが粉々に砕けてしまったので、戦後に造られたものです。


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(つづく)

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Palazzo Camaiani Albergottiです。


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グエルフの貴族カマイアーニ家、サッソ―リ家、アルベルゴッティ家によって13世紀に建設された複合邸宅です。


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14世紀に増設拡大されました。


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ビガッツァの塔と呼ばれるPalazzo Camaiani Albergottiの塔は、13世紀に建設されました。


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Palazzo Camaiani Albergottiは、20世紀初頭に修復され、元の姿に復元されました。(写真左の建物がPalazzo Camaiani Albergottiです)


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フレスコ画があります。


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フレスコ画は古いものではなく、20世紀初頭に行われた修復の際に新たに制作されたものです。


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ガリレオ・キーニ(フィレンツェ、1873-1956)によって1916年に描かれたフレスコ画です。


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Palazzo Camaiani Albergottiの斜め向かいはロッジャの宮殿です。


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メディチ家の紋章


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Palazzo Camaiani Albergottiは、現在、国立公文書館として使用されてます。


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国立公文書館の入り口です。


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Palazzo Camaiani Albergottiの中庭


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外壁に沢山の紋章があります。


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国立公文書館の開館時間


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Palazzo Camaiani Albergottiのフレスコ画


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ドゥオーモの方に向かいます。


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ドゥオーモです。


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ドゥオーモの拝観は後回し。


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プリオーリ宮です。


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市庁舎になっているプリオーリ宮です。


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プリオーリ宮の中庭


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プリオーリ宮のロッジャ


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(つづく)

引き続き、イヴァン・ブルスキ邸博物館です。
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ピエトロ・ベンヴェヌーティ(アレッツォ、1769-フィレンツェ、1844)の「テレーザ・モッツィと息子の肖像」


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逸名画家作「キリストの鞭打ち」(18世紀)


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逸名画家作「高貴な男の肖像」(18世紀前半)


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マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1536-1571)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「聖母子」


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖母子」


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「貴婦人と息子の肖像」


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マッシモ・スタンツィオーネ(ナポリ、1585-1656)の「聖母子」


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チェーザレ・ジェンナーリ(チェント、1637-ボローニャ、1688)の「聖マリア・マッダレーナ」


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詳細不知


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外に出ました。
(つづく)

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次は、イヴァン・ブルスキ邸博物館です。


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ロッジャの宮殿です。


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イヴァン・ブルスキ邸博物館は、サンタ・マリア・アッスンタ教区教会のファサード前にあります。


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イタリア通りに戻りました。


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イヴァン・ブルスキ邸です。


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サンタ・マリア・アッスンタ教区教会の拝観後に入館しなかったのは、あの時間、イヴァン・ブルスキ邸博物館は開いていなかったからです。


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イヴァン・ブルスキ(カスティリオン・フィボッキ、1920-アレッツォ、1996)は、骨董商兼美術品・古書収集家です。毎月第一日曜日のアンティーク市で有名なアレッツォですが、アンティーク市の開催に向けて主宰したのがイヴァン・ブルスキでした。
20世紀初めに、ブルスキ一族がこの邸宅を購入して、家族が居住していましたが、第二次世界大戦の空襲によって大きな被害を受けました。
イヴァン・ブルスキは、骨董品の商談やアンティーク市開催に伴う打ち合わせ場所として、1950年代にこの邸宅を大修復したのです。
イヴァンたちの努力によって、アンティーク市は盛んになりましたが、それに伴って貴重な美術品や古書などが出品され、異常な安値で売買が成立して、美術品や古書などが散逸、流出してしまうという弊害が出てきました。それを防ぐために、イヴァン自身が買い取り、それらをこの場所で展示するようになりましたが、それが現在の博物館の前身です。
イヴァン個人で貴重な美術品や古書などを買い取るには限界があるので、主にエトルリア銀行出資による財団が組織され、財団によって博物館が運営されるようになりました。
博物館では、イヴァン・ブルスキの収集品、骨董市で財団が買い取った作品などが展示されてます。
ソドマ、ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ロ・スパーニョレット)、グエルチーノなどの作品が骨董市に出品されていたとは驚きです。よほどの目利きでないと、それらを発見するのは難しいと思います。


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フランチェスコ・ディ・ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1460-1490活動記録)の「聖母子と聖アゴスティーノとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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ソドマ(ヴェルチェッリ、1477-シエナ、1549)の「聖母の誕生」


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ジュゼッペ・マリア・クレスピ通称ロ・スパーニョレット(ボローニャ、1665-1747)の「聖ルイージ・ゴンザーガ」


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マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578-1650)の「聖ドナート司教」


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アンドレア・ディ・ネリオ(アレッツォ、1331-1369記録)の「聖母子」


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サッソフェッラート工房作「コルトーナの聖マルゲリータ」


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グイド・レーニ工房作「エジプトへの逃避」(17世紀前半)


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逸名画家作「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(17世紀)


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アレッサンドロ・アルガルティ工房作「聖母子」(17世紀)


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ミケーレ・チャンパンティ通称イル・マエストロ・ディ・ストラニーチェ(ルッカ、1463-1510活動記録)の「聖母子と聖ロッコと聖セバスティアーノと二天使」


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ティントレット工房作「最後の晩餐」(16世紀末)


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419-1492)の「幼きキリストを崇拝する聖母」


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(つづく)

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サンタ・マリア・アッスンタ教区教会は、何度訪れても飽きることがありません。


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ピエトロ・ロレンツェッティの多翼祭壇画を見ることが出来て感激しました。


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グランデ広場に戻ります。


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フラテルニタ・ディ・ライチ館のMuseoに入館したいと思いました。


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ロッジャを進みました。


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グランデ広場に戻りました。


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写真右手前の建物が目的のPalazzoです。


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フラテルニタ・ディ・ライチ館です。


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もう直ぐ扉が開きます。


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入口扉上の浮彫は、ベルナルド・ロッセッリ―ニ(セッティニャーノ、1409-フィレンツェ、1464)の「慈悲の聖母」(1435)です。


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フラテルニタ・ディ・ライチ館の鐘楼兼時計塔


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入口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画は、スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)の「ピエタのキリスト」です。


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扉が開きました。


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入館しました。


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アレッサンドロ・フォルツォーリ(1564-1585消息)の「天上の聖母子と聖人たち」(1568)


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クリストフォロ・ディ・ドナート・コンティに帰属する「グランデ広場」(1780-90)


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トスカーナの逸名画家作「聖母被昇天」(16世紀後半)


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パッリ・ディ・スピネッロ(アレッツォ、1387-1453)の「慈悲の聖母」(1448)
パッリ・ディ・スピネッロは、スピネッロ・アレティーノの息子です。


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バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「フラテルニタ・ディ・ライチ館前の聖ロッコ」(1479)


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ラニエーリ・バルトリーニ(アレッツォ、1794-1856)に帰属する「ロレーナのフェルディナンド三世トスカーナ大公の胸像」


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外に出ました。
(つづく)

今回は、Pieve di Santa Maria Assnta o Chiesa di Santa Maria della Pieveです。Pieveとは教区教会と言う意味です。
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教区教会のファサードです。


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5,6世紀に建設された初期キリスト教会が前身とされてます。1008年の文書に教会の存在が初めて記載されたそうです。
現在のロマネスク様式の建物は12世紀から13世紀に建設されました。


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三層のアーチから成るピサ・ルッカ様式のファサードが特徴です。


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鐘楼は14世紀前半に建設されたそうです。


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重々しい感じがするファサードのメイン扉


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拝観します。


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教会内に入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側壁


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Presbiterio


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主祭壇


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主祭壇画を見ます。


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Presbiterioに上ります。


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ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280・1285c-1348c)の「聖母子と聖人たちの多翼祭壇画」(1320)


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アンドレア・ディ・ネリオ(アレッツォ、1331-1369活動記録 1387以前没)に帰属する「聖フランチェスコと聖ドメニコ」


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この磔刑像も有名です。


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Presbiterioから降りました。


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クリプタに入ります。


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クリプタです。


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クリプタにある「聖ドナート・ダレッツォの胸像の聖遺物箱」(1346)
聖ドナート・ダレッツォの遺骨が納められてます。


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内陣に戻りました。


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ビザンチンの彫刻家による作品(11-12世紀)


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左側廊


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ビザンチンの彫刻家による作品(11-12世紀)


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制作者情報不知の「磔刑の傷を示すキリスト」


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洗礼盤


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右側廊


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ミケーレ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1385-1455)の「祈る聖母」


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外に出ます。


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外に出ました。
(つづく)

引き続き、サンタゴスティーノ教会です。
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スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350c-1410)の「聖母子と聖ヤコポと聖アントニオ・アバーテ」(1377)


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「磔刑と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖フランチェスコ」(1642)


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フィレンツェの逸名画家作「聖母子と聖アゴスティーノ」(16世紀初め)


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バラバラになっていたのを、いったん解体して改めて修復された作品です。


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ニッコロ・ソッジ(フィレンツェ、1479-アレッツォ、1551)とドメニコ・ペコリ(アレッツォ、1480c-1527)とフェルナンド・ヤニェス・デ・ラ・アルメディナ(スペイン、アルメディナ、1475-1537)の「割礼」(1506)


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三人の画家がそれぞれどの部分を制作したのか、分からないようです。


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「聖母子と聖アゴスティーノと聖モニカ」(1650)


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詳細不知


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マッティア・デ・マーレ(サン・チプリアーノ・ダヴェルナ、1712-ローマ、1773)の「聖母子とベアータ・クリスティーナ・ヴィスコンティ」


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外に出ました。


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スピネッロ・アレティーノの作品が良かった。


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一旦雲が厚くなりましたが、再び晴れてきました。


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グランデ広場に向かいます。


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アレッツォに来たからには、一度はグランデ広場に行くのが義務みたいなものです。


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街角の「無原罪の聖母」のタベルナコロ


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要修復の建物です。


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アーチの下のタベルナコロ


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愛想なしのニャーゴ


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通りの突き当りがグランデ広場です。


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ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の後陣です。


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グランデ広場です。


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広場は空いてました。


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ファサード側に回って拝観します。


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(つづく)

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