イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > ドッツァ要塞博物館

P1480093引き続き要塞博物館です。
塔からの景色です。


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霧が出てきました。


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塔から屋内に戻りました。


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竈?


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暖炉


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下に下ります。


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見落とした部屋は無さそうです。


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先ほどまでいた塔です。


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地上階に下りました。


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ロッジャのフレスコ画


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残念ながら見所が豊富とは言い難い要塞です。


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厨房です。


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中世の頃は、火災を警戒して厨房は最上階辺りに設けられるのが普通でした。(火は上に向かって燃え広がるので)


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この要塞の厨房は半地下にあるので、昔に設けられた厨房ではないと思います。


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外に出ます。
(つづく)

P1480051引き続きドッツァの要塞博物館です。


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一階(日本の二階)の展示室からの景観です。


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この日のお宿です。


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教区教会の鐘楼です。


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塔に向かいます。


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フレスコ画があった?


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牢獄の入り口


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牢獄


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階段を上ります。


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塔に出ました。


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塔からの景色です。


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(つづく)

P1480016引き続きドッツァの要塞博物館です。


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展示室の多くは階上にあります。


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一階(日本の二階)のロッジャです。


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ロッジャの壁のフレスコ装飾です。


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屋内に入ります。


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小階段を上ります。


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絵画の展示室です。


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現代画ばかりです。


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次の部屋です。家族の食堂でしょうか?


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ルドヴィーコ・ラーナ(コディゴーロ、1597-モデナ、1646)の「女性の肖像」(1630-35)


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「聖母子と聖ベニートと聖スコラスティカ」


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武具の部屋です。


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次の部屋です。


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博物館の展示室ではなく、貸出会場でしょうか?


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展示物の趣が明らかに違います。


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部屋の窓からの景色です。


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(つづく)

P1470982ムラーレスを見ます。


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凧あげ


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人気があるムラーレス


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ムラーレスの人気投票が行われたそうです。


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要塞に向かいます。


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今後ムラーレス大会を開催しても十分なスペースがあります。


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次はロッカです。


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ドッツァの要塞です。


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Rocca SforzescaまたはRocca di Malvezzi Campeggiです。


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現在に要塞が始めて建設されたのは13世紀と言われてます。
その後、戦争によって何度も破壊、再建を繰り返しました。


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15世紀初頭、ドッツァはミラノ領に組み入れられました。
1473年、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの娘カテリーナ・スフォルツァ(・デ・メディチ)(ミラノ、1463-フィレンツェ、1509)は、ジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)と結婚することになり、フォルリ、イーモラと共にドッツァはカテリーナの持参金としてジローラモ・リア―リオ伯爵の領地になりました。


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1488年、ジローラモ・リア―リオはフォルリの宮殿で暗殺されてしまいました。代わって女領主となったカテリーナは、フォルリ、イーモラと共にドッツァの各要塞の整備拡張を行いました。
現在のドッツァ要塞の外観は、カテリーナによる整備拡張後のものです。
Rocca Sforzescaの名称は、スフォルツァ家出身のカテリーナに由来します。


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ドッツァは、チェーザレ・ボルジアの教皇軍に敗れ、後に教皇領となりました。
第219代教皇クレメンテ7世デ・メディチ(フィレンツェ、1478-ローマ、1534 教皇在位:1523-1534)は、1524年、セニガッリア司教のロレンツォ・カンペッジ枢機卿(ミラノ、1474-ローマ、1539)にRocca Sforzescaを与えたのです。
ロレンツォは、堅固な要塞の一部を住居に改造しました。以後、要塞はカンペッジ家の住居になりました。


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1728年、カンペッジ家の男性相続人が途絶えてしまいましたが、カンペッジ家直系相続人の娘フランチェスカ・マリア・カンペッジはマッテオ・マルヴェッツィと結婚し、それを機にマルヴェッツィ・カンペッジ家と称することになり、引き続きドッツァ要塞に居住したのです。
それがRocca di Malvezzi Campeggiの由来です。


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1798年、Roccaはナポレオン軍に接収され、フランス兵の駐屯地になりましたが、ナポレオンの失脚後、マルヴェッツィ・カンペッジ家に返還され、1960年まで同家が居住していました。


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1960年、ドッツァのコムーネが要塞を買収しました。


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この日のお宿の前を通り過ぎ、Roccaの入り口に向かいます。


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現在は、要塞博物館として一般公開されてます。また、要塞の一部はコムーネの様々な用途に使用されてます。


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中に入ります。


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中に入りました。


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要塞内から見た塔


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中庭


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中庭の古井戸


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ロッジャのフレスコ画を見ます。


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フレスコ画の詳細が分かりません。


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(つづく)

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