イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ピエモンテ州 > クーネオ

1合同の建物です。同じ形の建物が3棟あったような。


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公団住宅ような感じです。


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同じ建物を幾つか建てるという事がイタリアでもあるんですね。


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個性が感じられない柱廊。


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ガリンベルティ広場の入り口です。


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何のオブジェでしょうか?


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涼しい風が吹き抜けていました。


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先ほど歩いてきたCorso Nizzaです。


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やれやれホテルが見えてきた。


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無理に時間潰しをして疲れました。


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後ろから見たGiuseppe Barbarouxのモニュメント


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振り返って撮った写真です。


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ホテルに戻っても特にやることがありません。


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ドゥオーモをもう一度拝観することにしました。


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聖堂内に入りました。


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この日は、これで終わりです。


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翌朝です。


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朝の散歩に出ました。


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この日も好天に恵まれました。


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メルカトです。


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青空市が開市されていました。


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朝は冷えて寒いくらいでした。


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朝の散歩を切り上げました。


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ホテルをチェックアウトして駅に向かいます。


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バスで駅に向かう予定でしたが、青空市のため、バスの乗車地が分かりません。


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地元の人に尋ねても、バスの乗車地が良く分からない。人によって違う場所を教えるのです。


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徒歩で駅に向かいました。


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最初で最後のクーネオとなりました。


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駅前広場


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青空市開市日のバスには、何時も戸惑います。


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開市日のバスについては、地元の人でも分かり難いのですから、旅行者がバスの停留所が分からないのはごく自然です。


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駅に到着しました。


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次の目的地アルバに向かいました。


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(クーネオ編 おわり)

1夏至のころ、イタリアに限らずヨーロッパの街では。お祭りが行われるようです。


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クーネオもその例外ではなく、この前週の週末はお祭りだったそうです。お祭り前後の週、博物館、美術館は休館でした。現在はどうなっているのでしょうか。


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夏至の頃は、日が長いので夜遅くまで観光が楽しめます。


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その反面、どうしても寝不足になりがちです。零時を回っても辺りは賑わっています。


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鉄道駅の方に行ってみます。特に用事があるわけではありません。


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駅前広場


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クーネオに到着時、大きな荷物があったので、取り敢えずホテルに急ぐことを考えていて、駅周辺を殆ど見ていなかったからです。


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駅周辺も見所なし。


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駅周辺は、街の中心地よりも一段と新しい建物ばかり。


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駅前広場のベンチで一休み。


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クーネオ駅の駅舎です。


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駅前広場から見えた山の頂。


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駅のホームにも行ってみました。当然、何もなし!


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中心街に戻ることにしました。


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違った道を選びました。


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カルフールで果物を買いました。


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影が長くなってきました。


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共同住宅ばかりで退屈です。


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シンガポール料理も出す不思議な日本料理店。得体が知れない店。


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戸建ての住宅がありません。


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私には共同住宅が合いません。


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アパートばかり。


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口が裂けてもアパートをマンションなんて呼べません。


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それにしても見所が皆無。


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日が陰って、夕涼みをする人がいました。


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日本と違って、クーネオの夏は涼しいのです。


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観光に訪れては、いけない街です。


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退屈でした。


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夕方になって、人出が多くなってきました。


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共同住宅ばかり。


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(つづく)

1これからどうしようか。


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足の赴くままのブラブラ歩きです。


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これだけ見所が乏しいとは全くの想定外でした。


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私の場合、失敗の旅が少なからずあります。この当時、今のようにインターネットで多くの情報が得られる訳ではなかったので、情報不足で無駄足を踏んだ経験が少なからずありました。


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サン・フランチェスコ修道院教会に来てしまいました。


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メルカト横のポルティコです。


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夏至を過ぎたばかりの強烈な日差しにも拘らず涼しかったので、ブラブラ歩きが苦にならない日でした。


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それにしても新しい建物ばかりで、ウンザリ。


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ここで水の補給です。


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時間が全然潰れません。


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この日は水曜日でした。クーネオの博物館、美術館は毎週月曜日が定休日の筈で、水曜日は開館と思っていました。


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ホテルに戻った時、フロントで聞いたら、この週と次の週は博物館と美術館が夏休みということでした。


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博物館、美術館でも夏休みがあるんですね。


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職員が交代で夏休みを取れば、夏休み休館が避けられる筈ですが、ここはイタリアですから。日本とは違うのです。行ってみて初めて分かるのがイタリアです。


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同じ場所に何度も来てしまいます。


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クーネオとほぼ同じ規模の街で、博物館や美術館に行っても入館者の姿を見ることは滅多にありません。という事は、クーネオの博物館、美術館でも開館していても閑古鳥が鳴くばかりですから、臨時休館しても実質あまり変わらないのでしょう。


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開館すれば、照明費、冷房費などが必要ですからね。


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面白い店がありました。


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一旦ホテルに戻って暫し休憩。


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再び外へ。


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ガリンベルティ広場です。


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非常に広い広場です。


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広さが約24,000㎡あるそうです。


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1797年、クーネオはナポレオンのイタリア侵攻に伴い、フランス軍の占領下に置かれました。進駐してきたフランス軍は、クーネオの城壁を取り壊して、1800年にこの広場を作ったそうです。


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Giuseppe Barbarouxのモニュメント


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広場に面した建物の殆どは、広場が造られてから建設されたそうです。


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味気ない広場ですが、写真を撮ったのは単なる暇つぶしからでした。


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やることがありません。


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住宅地に行ってみました。


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見所なし!


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小学校です。


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小学校の入り口です。


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(つづく)

引き続きサンタンブロージョ教区教会です。
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Presbiterio


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Presbiterioのフレスコ画


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祭壇画を見て回ります。


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聖母子と聖人たち


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次の礼拝堂


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聖バルトロメオの殉教


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次の礼拝堂です。


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カウンターファサード上部にオルガンがあります。


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オルガン上のニッチに描かれたフレスコ画


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次の礼拝堂です。


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幼き聖母と聖アンナ


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洗礼盤


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クーポラのフレスコ画


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Presbiterioのフレスコ画


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聖母の神殿奉献


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磔刑の礼拝堂


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プレセーペ


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大体見終わりました。


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外に出ました。


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県庁舎の建物です。


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県庁舎の向かいにあるのは、警察本部の建物です。


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パトカーが駐車していました。


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ローマ通り


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ガリンベルティ広場の方に進みました。


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(つづく)

1ローマ通りです。


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市の塔です。


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市の塔を支えるPalazzo Torreです。


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Palazzo Torreの外壁に描かれたフレスコ画です。


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Palazzo Torreに隣接して市庁舎が建ってます。


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市庁舎の建物は、イエズス会によって1711年に建設された神学校でした。


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しかし、1773年、イエズス会の解散によって神学校は閉鎖されてしまったので、1775年から旧神学校の建物は市庁舎に転用されることになり、現在に至ってます。


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市庁舎のファサード入り口の左右に噴水がありますが、1837年にクーネオの市営水道が敷設された記念に造られたそうです。


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市庁舎内に観光案内所があります。


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ローマ通りのポルティコ


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市庁舎辺りが街の中心でしょう。


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市の塔です。


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澄んだ空にアルプスの山々が良く見えます。


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Palazzo Torreのフレスコ画を見ながら、サンタンブロージョ教区教会に向かいました。


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サンタンブロージョ教区教会は、ローマ通りに面した小さな広場に建ってます。


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サンタンブロージョ教区教会です。


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13世紀初めに建設されたロマネスク様式のサンタンブロージョ教会は、現在地よりも後陣の奥20mほどの場所にあったそうです。建設当初は、サン・ダルマッツォ・ディ・ペドーナ修道院の修道士たちによって運営管理されていたそうです。


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度重なる戦争によって教会の建物は大きな被害を受けましたが、初代の建物があった場所に城壁が築かれることになり、16世紀後半に最初の建物は取り壊され、現在地に再建されることになりました。
そうして、1599年に二代目の建物が完成しました。
しかし、二代目の建物は強度不足のため危険となったので、18世紀初めに解体され、再建されることになりました。
建築家フランチェスコ・ガッロ(モンドビ、1672‐1750)が起用され、ガッロの設計によって1703年に創建され、1710年に完成した三代目の建物が現在の姿の原形です。


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クーポラは1733年から1736年に建設されました。1743年に建設された鐘楼です。


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ファサードの装飾


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バロック様式のファサードは19世紀に漸く完成したそうです。


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ポータル上の彫刻「聖心」は、カルロ・ポンゾ(クーネオ、1847‐1902)によって1890年に制作されました。


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柱頭


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フランチェスコ・ビアンキーニのファサード壁龕の彫刻「聖ヴィンチェンツォ・フェッレール」(1814)


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フランチェスコ・ビアンキーニの「聖アンブロージョ」(1814)


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教会内に入りました。


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単廊式、ギリシャ十字形、バロック様式の内部です。


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右側壁


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クーポラのフレスコ画は、ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「栄光の聖アンブロージョ](1765)です。


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Presbiterio天井のフレスコ画は、カルロ・ビアンコによって1765年に制作されました。


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主祭壇


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(つづく)

1次はサン・フランチェスコ修道院教会の複合建物です。


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退屈!!!!


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今回の旅程にクーネオを入れた自分が悪いのです。


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気を取り直して教区教会に向かいました。


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昼下がりなので、教会は閉まっているに違いない。


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ダメ元です。


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この道は先ほど通りましたが、突き当りに教会があります。


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教会のファサードが見えました。

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サン・フランチェスコ教会です。
13世紀末、フランチェスコ修道会によって建設された礼拝堂が前身です。その後、14世紀、15世紀に拡大され、1470年に完成したそうです。


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ファサードのポータル上のルネッタです。ルネッタにはフレスコ画があったと思いますが、その痕跡すら見ることが出来ません。


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1797年、ナポレオンのイタリア侵攻によって、修道士は追放され、修道院教会の建物はフランス軍に接収されて兵舎、倉庫などに転用されたそうです。


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ナポレオン失脚後、建物は放置されていましたが、1821年、修道士が戻り活動が再開されました。


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19世紀末に修道士の多くが去り、修道院は閉鎖状態になったものの、教会としての活動は継続されました。


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第二次世界大戦後、教会の活動が停止されました。
1960年、修道院教会だった建物はクーネオ市当局の所有となり、修復後、建物の一部は市立博物館や各種催事場に転用されるようになりました。


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後陣


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鐘楼


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市立博物館に行きました。


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休館でした。


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ここには入館したかった!


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この日、開館日でしたが何故か休館でした。イタリアでは、このようなことは頻繁に起きますが、遠路はるばる折角訪れたクーネオですから、ガックリ度は半端ではなかった!


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Museo自体の展示は冴えないのがせめてもの慰めです。


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Museoで1時間ほど過ごす予定だったので、時間潰しが必要となりました。


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ぶらぶら歩きで時間潰しでしたが、時間が潰れない!


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写真左はメルカトです。


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サンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教区教会です。


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ローマ時代末期の5世紀頃に創建されたサンタ・マリア・デイ・パドーナ教区教会が前身です。


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1557年、クーネオ包囲戦に際に完全に破壊されたので、1578年から1600年にかけて再建されました。


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しかし、2代目の建物が構造上の問題があったようで、1656年から1664年に三代目の建物がイエズス会によって再建されると共に、教会の名称が現在名に改称されました。


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1773年、イエズス会に解散によって、司教区の一般教会となりました。


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ファサード壁龕の彫刻


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鐘楼


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教区教会の扉は予想通り閉まっていました。


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サン・フランチェスコ教会が見えます。


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市の塔です。


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市の塔は1317年に建設されたという説がありますが、実際は16世紀のもののようです。


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高さ52mの市の塔です。


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市の塔のフレスコ画


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(つづく)

1次はサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


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鐘楼が見えてきました。


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15世紀から16世紀にかけて設立されたサンティッシマ・アンヌンツィアータ修道院の教会として建設されました。


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現在の建物は1689年から1701年に再建された2代目となるものです。
長らく孤児院の教会でした。


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教会としての機能は1960年に停止されました。旧教会の建物は、現在シアター・アカデミーの本拠地となっており、俳優養成が行われているそうです。


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中はギリシャ十字形になっているそうです。


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鐘楼


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旧サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会の扉が閉まっていたのは予想通りでした。


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例え、扉が開いていたとしても、拝観する価値があるとは到底思えないサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


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次はサンタ・クローチェ教会です。


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サンタ・クローチェ教会も扉が開いているとは思えませんでしたが、ここまで来たからにはダメ元でも行ってみます。


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この日は6月30日でした。日差しは強烈でしたが、涼しかったのを覚えてます。


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アルプスに近いクーネオなので、夏でも涼しいのでしょう。


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通りの突き当りに教会のような建物が見えてます。


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やはり教会ですね。サンタ・クローチェ教会でしょう。


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こちらはサンタ・クローチェ修道院だった建物です。


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修道院だった建物は、病院として使用されてます。


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病院は2018年に近代的な建物に移転したそうです。現在、修道院だった建物は修復改造工事中で、工事完成後、クーネオ市立博物館がオープン予定となっているようです。


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写真右端がサンタ・クローチェ教会です。


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サンタ・クローチェ教会です。


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最初の建物は14世紀に建設されたそうです。
現在のバロック様式の建物は、1709年から1715年に再建された2代目です。


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ファサード上部


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ファサードのフレスコ画(詳細不知)


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詳細不知のフレスコ画


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詳細不知のフレスコ画


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扉が閉まっていました。


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ファサードに向かって左側にある広場に進みます。


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サンタ・クローチェ教会の左側壁です。


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サンタ・クローチェ教会の鐘楼とクーポラ


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サンタ・クローチェ教会横にある広場です。


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広場は駐車場になってます。


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この時、サンタ・クローチェ教会の内部は修復工事が行われていたようです。


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(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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制作者等詳細不知の「聖ジュゼッペの死」


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サンタンドレア礼拝堂です。


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制作者等詳細不知の「聖アンドレア」


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暗くてよく見えません。


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磔刑礼拝堂


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ジュゼッペ・ディーニの「聖ミケーレ」(1860)


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これで大体見終わりました。


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カウンターファサード


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外に出ました。


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ガリンベルティ広場です。


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広場の先に雪を抱いている山が見えました。


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ローマ通りを進みます。


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振り返るとドゥオーモが見えました。


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この先は何もなさそうです。


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先ほど昼食を食べたレストランです。


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裏通りをぶらぶら歩き。


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Via Seminario


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見所がなさそうな。


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元々期待していなかったけれど、もう少し古い建物があってもよさそうです。


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新開地ではないと思いましたが、歴史的建造物はゼロのようです。


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空振りに終わりそうなクーネオです。


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もう少し見所があっても、と思いながら歩き続けました。


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これは参りました。


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もう少し事前調査すれば良かったと思っても後の祭りです。


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(つづく)

1ローマ通りです。


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ローマ通りに面して教会が建ってます。


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クーネオのドゥオーモです。


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クーネオ司教区の司教座が置かれている教会で、正式名称はサンタ・マリア・デル・ボスコ司教座教会となってます。


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この場所は非常に深い緑地になっていました。8世紀頃、現在のクーネオから10㎞程離れた場所にあったベネデット会のサン・ダルマッツォ・ディ・ペドーナ修道院の修道士の支援を受けて、緑地を切り開いて小さなサンタ・マリア教会が建設されましたが、それが前身です。


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創建時の経緯から、サンタ・マリア教会は、13世紀頃までサン・ダルマッツォ・ディ・ペドーナ修道院に依存していました。
クーネオの経済発展によって人口が増えるに従って、教会の周囲にも建物が建つようになり、それに伴って教会は拡大を重ねて、15世紀頃にはほぼ現在の規模の教会になったそうです。


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初代の建物は、1470年と1560年の2度にわたる大修復工事が行われて、維持されていましたが、1656年、部分的に屋根が崩落して危険になったので、建物が再建されることになりました。
そうして、建築家ジョヴェナーレ・ボエット・ダ・フォッサーノ(フォッサーノ、1604‐1678)が起用され、ジョヴェナーレの設計と工事監督によって17世紀に再建された2代目の建物が現在の姿の原形になってます。
18世紀と19世紀に行われた改造工事を経て現在の姿になりました。
1774年のクーネオ包囲戦の戦闘によって被害を受け、修復と改造が行われたそうです。
1817年、クーネオは独立した単独の司教区になりましたが、その際、司教座教会となって現在に至ってます。


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ファサード下に柱廊が設けられてます。1863年から1866年に、ローマ通りの柱廊との一体化工事が行われ、通行が可能になりました。


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4本のコリント式柱が目立つファサードです。


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ファサード下柱廊に置かれたアントニオ・ボーノ作「聖マッテオ像」


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アントニオ・ボーノの「聖アンドレア」


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ファサード・ポータル上部の装飾


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聖堂内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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右翼廊方向


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礼拝堂などを見て回ります。


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クーポラ


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クーポラのフレスコ画は、ジュゼッペ・トセッリの「聖母被昇天」(1834)
この画家については全く知りません。


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サンタ・ツィーテ礼拝堂です。


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ドメニコ・グイドボーノ(サヴォーナ、1668‐ナポリ、1746)の「天上の聖母子と聖ツィータ」


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詳細不知


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制作者等詳細不知の「聖母の教育」


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制作者等詳細不知の「キリストの鞭打ち」


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詳細不知


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ルイージ・モルガリ(トリノ、1857‐1935)の「マリアの聖心」


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ルイージ・モルガリ(トリノ、1857‐1935)の「マリアの献心」


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右翼廊礼拝堂


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詳細不知


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制作者等詳細不知の「磔刑像」(18世紀初頭)


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主祭壇


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主祭壇画は、アンドレア・ポッツォ(トレント、1642‐ウィーン、1709)の「聖母子と2聖人」
この聖堂で観るべき作品を選ぶとすれば、これⅠ点になるでしょう。


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詳細不知


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詳細不知
(つづく)

1前泊地はアスティでした。


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アスティ駅から鉄道でクーネオに行きます。


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トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ行普通列車に乗車します。


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車内は非常に空いてました。


5
車内から撮った写真


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アスティからクーネオ行の直通列車はありません。Torino Lingotto駅で乗り換えます。


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クーネオ行の列車が入線してきました。


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クーネオ行列車の車内から雪を抱いたアルプスの山々が見えました。


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クーネオ駅に到着しました。


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クーネオ駅の駅舎です。


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街の規模にしては、立派な駅舎です。


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駅前にある緑地の噴水です。


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この日のお宿まで徒歩で行きます。


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クーネオは、人口55,859人(2022年5月31日現在)のピエモンテ州クーネオ県の県都です。


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アルプスの麓に大きく広がる平地の街があります。街の所々にある広場からはアルプス山脈が見えるのです。


16
ローマ時代起源ではない、比較的新しい街と言われてきましたが、近年に行われた歴史的中心部の建築工事において、ローマ時代の遺跡が発見されたことにより、中世に新しく築かれた街という説が覆され、ローマ時代、またはそれ以前にできた街ということになったそうです。


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街の中心にあるPiazza Galimbertiにやってきました。


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かなり広い広場です。


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広場の端にある、このホテルがこの日のお宿です。


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チェックインを済ませて、荷物を自室に置いてから外出しました。


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Piazza Galimbertiに面して建つPalazzo Osascoです。ここにMuseoがあります。


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喉が渇いたので、Piazza Galimbertiに面した、このカフェで一休みしました。


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適当にぶらぶら歩きを始めました。


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クーネオは、緑多い街として知られてます。


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クーネオに訪れる観光客の多くは、アルプスへの入り口として訪れるとされてます。


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川の方に行ってみることに。


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登山には全く興味がなく、山に登れば疲れるだけ、と思ってます。冬山で遭難のニュースを聞くと、家の炬燵に入ってごろ寝していなかった愚者、と思います。


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街の横を流れる川です。


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川に行っても特に見所がなさそうです。


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川沿いの道に戻りました。


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昼食の時間は過ぎつつありました。食欲があまりなかったけれど、昼食抜きでは体がもちません。


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メルカト近くに行けば、食べるところがあるだろう。


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この店に入りました。


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先ずビールを注文。


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簡単に食べるならピザが良い、と思って注文したら、大きなピザだったので食欲不振の私には稍々ウンザリでした。


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やっとの思いでピザを半分食べて、外に出ました。


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少し歩いた感じでは見所があまりなさそうです。


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新しい建物が多い。


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ホテル近くの歴史的中心部に戻ります。


40
(つづく)

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