イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ヴェネト州 > モンセリーチェ

1丘の下に下ります。


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ヴェネツィアの統治下に置かれるようになると、住民は次第に安全性を謳歌するようになって町の中心が丘上から丘下に移ったそうです。


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丘下です。


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サン・ルイージ教会だった建物です。


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現在、Cinema Coralloと言う映画館になってます。教会だった建物が映画館に転用されているのを、イタリアではよく見かけます。


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トルトリーニ通りです。


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トルトリーニ通りに面して、サント・ステファノ教会が建ってます。


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13世紀から14世紀に建設されたサント・ステファノ修道院教会の教会です。修道院はナポレオンのイタリア侵攻に伴って抑圧され閉鎖されてしまいました。教会の方は細々と活動が続けられていましたが、1810年に閉鎖されました。


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教会としての機能停止後、兵舎として使用されていました。その後、モンセリーチェの自治体の所有となり、倉庫として使用されていました。


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2017年になって漸く修復工事が行われるようになりました。教会閉鎖から200年間、ほとんど放置されていたので、痛みが相当あると言われてます。


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次はサンタ・ローザ教会です。


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門の手前にサンタ・ローザ教会があります。


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1683年、ドメニコ会によって建設されたサンタ・ローザ教会です。


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通りを挟んでファサード前に、ヴェネツィア貴族のベンボ家の別荘が建っていました。そのため、ベンボ家が教会に対して多額の寄付を行ったそうです。


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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翼廊がなく、単純な構造をしています。


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この教会の祭壇画などについては全く知りません。


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主祭壇画


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Porta di Sacro Riposoです。


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門を潜りました。


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次は新ドゥオーモ Duomo Nuovoです。


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ドゥオーモに行く前にサン・マルコ広場にあるBar Sportで一休みしました。


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サン・ジュゼッペ・オペライオ教区教会、モンセリーチェの新ドゥオーモです。


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1950年から1957年に建設された新しい教会です。


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建物は新しいドゥオーモですが、モンセリーチェの古い教会から集められた作品が祭壇画として使用されており、さながらMuseo Diocesanoのようです。美術的な見所が多い教会です。


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ローマ通りです。


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次は市の塔です。


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振り返ると新ドゥオーモが見えました。


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市の塔です。


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市の塔は1239年に建設されました。


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大体見終わったようです。


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市壁(城壁)を見ながら運河沿いの道を進みます。


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鉄道駅に向かいました。


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日帰り遠足に最適なモンセリーチェでした。


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結構歩き疲れました。


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(おわり)

1引き続きドゥオーモ・ヴェッキオです。


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17世紀のヴェネツィア派逸名画家作「十字架降下」


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この作品はヤコポ・バッサーノ作品のコピー画です。


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マッティア・ボルトローニ(カンダ・ディ・ロヴィーゴ、1696-モンドヴィ、1750)の「磔刑」


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後陣


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ジャンバッティスタ・クロサート(トレヴィーゾ、1697-ヴェネツィア、1758)の「聖ジュゼッペの死」


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フランチェスコ・ブリオーニ(ヴェネトで18世紀活動)の「聖ピエトロ](1730c)


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フランチェスコ・ブリオーニ(ヴェネトで18世紀活動)の「聖パオロ](1730c)


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16世紀のヴェネトの逸名画家作「永遠なる父」


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17世紀のヴェネツィアの逸名画家作「聖ジュゼッペとファラオの夢」


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カウンターファサード


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外に出ました。


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次は聖域です。


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聖域はドゥオーモ・ヴェッキオよりも少し高い場所にあります。


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ドゥオーモ・ヴェッキオ後陣の左を進みます。


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聖域の入り口です。


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Santuario Giubilare della Sette Chieseが正式名称です。


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聖域の入り口前から見たモンセリーチェの町です。


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聖域内に入りました。写真左に小さな礼拝堂が6つ建ってます。6番目の礼拝堂が7番目の礼拝堂を兼ねており、7つの教会と称します。
6つの礼拝堂が建っている場所は、ロッカの丘の斜面に当たります。写真の道路の先にヴィッラと教会がありますが、その場所には古いサン・ジョルジョ教会がありました。
16世紀第4四半世紀、ヴェネツィア貴族デュオド家のフランチェスコとドメニコの兄弟がロッカの丘斜面と荒廃したサン・ジョルジョ教会を購入しました。その場所に別荘と私有教会を建設するためとされてます。
土地を購入した直後から、ヴィッラの建設が建築家ヴィンチェンツォ・スカモッツィ(ヴィチェンツァ、1548-ヴェネツィア、1616)の設計によって始まったそうです。
1592年、第231代教皇クレメンテ8世(ファーノ、1536-ローマ、1605 教皇在位:1592-1605)は荒廃したサン・ジョルジョ教会を取り壊し、その上にデュオド家の私立教会建設を許可しました。


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ヴィッラと私立のサン・ジョルジョ・マルティーレ教会です。
サン・ジョルジョ・マルティーレ教会は、建築家ヴィンチェンツォ・スカモッツィの設計によって1592年に創建され、1597年に完成しました。


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6つの礼拝堂は、ヴィンチェンツォ・スカモッツィの設計によって、1605年から1615年に建設されました。6つの礼拝堂の祭壇画を見ます。


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サンタ・マリア・マッジョーレ礼拝堂の祭壇画


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂の祭壇画


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聖十字架礼拝堂の祭壇画


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サン・ロレンツォ礼拝堂の祭壇画


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サン・セバスティアーノ礼拝堂の祭壇画


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サンティ・ピエトロ・エ・パオロ礼拝堂の祭壇画
この礼拝堂が6番目と7番目を兼ねてます。


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ヴィッラと私立教会に向かいます。


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サン・ジョルジョ・マルティーレ教会です。今も私立教会のようで、簡単に中に入ることが出来ないようです。


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デュオド家のヴィッラ


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聖域には巡礼路が設けられてますが、巡礼路の扉が閉まっていました。


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巡礼路です。


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道を下ります。
(つづく)

40次はサンタ・ジュスティーナ教区教会です。


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1957年、モンセリーチェの新しいドゥオーモとしてサン・ジュゼッペ・オペライオ教区教会が建設され、奉献されましたが、それまでは、このサンタ・ジュスティーナ教区教会がモンセリーチェのドゥオーモでした。


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そのため、ドゥオーモ・ヴェッキオと呼ばれてます。


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先史時代に遡るモンセリーチェですが、6世紀から8世紀にかけて、侵略や洪水の脅威から逃れるために、丘の斜面に定住するようになった住民によって建設された小さな教会が前身です。


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人口の増加と建物の経時劣化に対応するために、1122年に建物の再建が決定され、二番目の建物が1155年に完成し、奉献式が執り行われたそうです。最初の建物と二番目の建物は現在地よりも少し下にあったようです。


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1239年、イタリア王を兼ねる神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(イエージ、1194-トッレ・マッジョーレ、1250)がモンセリーチェにやってきて、要塞と町の中心を堅固な城壁で囲むことを決めました。それに伴い二番目の教区教会は取り壊され、現在地に新しいサンタ・ジュスティーナ教区教会が建設されることになりました。
1256年に完成したロマネスク様式の建物が現在の姿の原形となってます。


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後陣


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後陣前にライオン像があります。


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左右のライオン像


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鐘楼


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ファサードの入り口上ルネッタに描かれたフレスコ画「聖母子と聖サビーノと聖ジュスティーナ」(詳細不明)
聖サビーノはモンセリーチェの守護聖人です。


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ファサードの柱廊


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中に入りました。


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左側壁
単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側壁


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翼廊はありません。


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Domenico Finaciの「十字架降下」(18世紀)


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Domenico Finaciと言う画家については全く知りません。


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バルトロメオ・リッテリーニ(ヴェネツィア、1669-1731)の「キリストの神殿奉献」(1774)


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バルトロメオ・リッテリーニの署名と制作年が記されてます。


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Lodovico Vernasal(パドヴァで1713-1729活動記録)の「マギの礼拝」


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Lodovico Vernasal(パドヴァで1713-1729活動記録)の「羊飼いの礼拝」


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制作者情報等詳細不知の「チントラの聖母」


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Presbiterio


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後陣右の礼拝堂


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Presbiterioの多翼祭壇画


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15世紀のヴェネツィア派逸名画家作「サンタ・ジュスティーナの多翼祭壇画」


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14世紀前半にヴェネツィア派逸名画家によって描かれた中央礼拝堂左側壁に残るフレスコ画


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中央礼拝堂右側壁のフレスコ画


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後陣左の礼拝堂
15世紀のヴェネツィア派逸名画家作「授乳の聖母」


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17世紀のヴェネツィア逸名画家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


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(つづく)

1マッツィーニ広場です。


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旧サン・パオロ教会が広場の端に建ってます。


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ロッカの丘は雲の中でした。


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マッツィーニ広場に立つ時計塔です。


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マッツィーニ広場が町の中心に当たります。


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次はカステッロです。


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モンセリーチェ城 Castello da Monseliceです。


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11世紀から14世紀に建設されたモンセリーチェ城です。


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城は主な四つの建物と要塞から成ってます。


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モンセリーチェは、1405年にヴェネツィア共和国領になりました。ヴェネツィア領になってから間もなく、城はヴェネツィア貴族のマルチェッロ家の所有となりました。


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15世紀末、マルチェッロ家は住宅への改造工事を行い、現在の姿の原形になりました。


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エゼリーノの塔と呼ばれている建物です。


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第一次大戦において、城はイギリス軍に接収され、1919年に破壊されてしまいました。


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エゼリーノの塔にある紋章の浮彫


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城の前に置かれたライオン像


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1933年、モンセリーチェ伯爵でイタリア王国上院議員で大臣を務めたヴィットリオ・チーニ伯爵は、破壊された城を買収したのです。破壊された城を復元して元の姿に戻す計画を持っていました。


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1935年から復元工事が行われ、1942年に完成した複合施設が現在の姿です。


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ほぼ元の姿に戻されたと言われてます。
チーニ伯爵に因んで、別名チーニ城と呼ばれてます。


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写真左の建物は、城を構成する四つの建物のうちの一つです。


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現在、この建物は図書館と博物館になってます。


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Museo della Raritaです。


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城内にある礼拝堂です。


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城らしく見える場所から撮った写真です。


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この辺は高い城壁に囲まれてます。


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道を下ります。


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下り道から振り返って撮った写真です。


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邸宅に改造されたので、堅固な城とは異なる雰囲気があります。


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下り道の途中で近代的なドゥオーモが見えました。


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さらに道を下ります。


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ツタが絡まった家


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下り道の左に階段があります。


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階段の先に聖域 Santuarioがありますが、そこに行くのは後回しにして重要な教会の拝観を先にします。


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写真の教会の拝観を先にします。
(つづく)

1この日はパドヴァに泊まっていました。


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パドヴァからモンセリーチェへの日帰り遠足です。


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鉄道でモンセリーチェ駅に向かいました。車内は非常に空いてました。


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モンセリーチェ駅に到着しました。


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モンセリーチェ駅の駅舎です。


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モンセリーチェは、人口17,330人(2021年8月31日現在)のヴェネト州パドヴァ県にあるコムーネです。


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鉄道駅からトレント・トリエステ通りを少し進むと、直ぐに教会が見えてきます。


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この辺は城壁(市壁)外に当たります。


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マドンナ・デル・カルミネ教会です。単にカルミネ教会と呼ばれることが多いようです。


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建設された年が明らかになっていませんが、1421年の司教区の文書にこの教会の存在が初めて記載されたそうです。1421年以前に存在したカルメル会修道院の隣に建設された教会と記されているそうです。


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鐘楼


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ファサード側のメイン扉


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サイドポータルだった場所。


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1652年、隣接するカルメル会修道院が閉鎖されましたが、その数年後、教会は火災に遭い消失sh他ので、再建され1791年に完成した新古典様式の二代目の建物が現在の姿の原形となってます。


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1953年に宗教活動が停止された旧教会となってます。


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町の中心を目指して進みます。


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ビサット運河 Canale Bisattoです。


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運河の横に城壁(市壁)があります。


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ビサット運河は、1175年から1318年に存在していたパドヴァ共和国によって、1209年から1314年に掘削されて完成したそうです。


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商業面と軍事面で重要な運河でした。


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モンセリーチェは、五重の城壁に囲まれた堅固な要塞都市として知られていました。


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運河沿いの城壁は、五重の城壁のうち、もっとも外側に当たります。


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カステッロがロッカの丘上にあります。


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市壁内に入りました。この辺はチェントロ・ストーリコの入り口に当たります。


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モンセリーチェの歴史は古く、既に先史時代に集落があったそうです。


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この町が要塞都市になったのは、ビザンチン帝国がロッカの丘に初めて要塞を築いた5,6世紀と言われてます。


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1405年、モンセリーチェはヴェネツィア共和国領になりましたが、それ以降、軍事的重要性が薄められ、ヴェネツィア貴族のヴィッラが建設される保養的色彩が強い町に転じました。


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旧サン・パオロ教会です。


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7世紀頃に建設された町で最古の教会の一つでした。


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その後、幾度となく改築、改修が繰り返されたそうです。


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町の中心にあったので、信者が多い教会でした。


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鐘楼は三代目となるものです。


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現在の鐘楼は、三代目となるのもので、19世紀末に再建されました。


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1836年、サン・パオロ教会に隣接して市庁舎が建設されました。市庁舎の隣にある教会だったので、増築してドゥオーモにする計画が持ち上がりましたが、ドゥオーモは別の場所に新築されることになり、サン・パオロ教会の地位は急速に衰えました。


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1965年から1966年に隣にあった市庁舎の建物が取り壊されましたが、それと共に教会は活動が停止されてしまいました。1956年、サン・パオロ教会だった建物はモンセリーチェ自治体の売却されました。


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建物は暫く放置されましたが、20世紀末に建物が博物館として再出発することが決定され、大掛かりな改造工事を経て、Museo San Paoloが2001年にオープンしたのです。
写真はMuseoの入り口です。


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Museo San Paoloの実態は考古学博物館です。


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先史時代、ローマ時代の遺跡からの出土品が展示の中心です。


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考古学博物館の展示はどこでも似たり寄ったりです。


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(つづく)

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