イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ロンバルディア州 > ローディ

1サン・フランチェスコ教会から外に出ました。


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サン・フランチェスコ教会の前にある病院です。


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15世紀に建設されたサント・スピリト修道院教会の複合施設です。修道院活動の一環として病院が設けられており、その病院が現在の病院の前身なので、ヴェッキオ病院と呼ばれてます。


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今なお現役?の病院ですが、建物の一部に博物館が設けられてます。


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病院の中庭です。元々は修道院のキオストロでした。


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キオストロ回廊に薬局があります。


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回廊にある銘板


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薬局の天井や壁にフレスコ画があります。


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これらのフレスコ画は、19世紀にジュリオ・チェーザレ・フェッラーリ(ボローニャ、1818-1899)によって描かれました。


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ヴェッキオ病院の博物館


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個人的には不気味な展示ばかりで、お勧めしません。


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サント・スピリト教会です。


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宗教活動はやっていないと思います。


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教会の入り口


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城壁(市壁)


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聖母子のテラコッタがある建物


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サン・ロレンツォ教会に向かいます。


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サン・ロレンツォ教会です。


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ファサード


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鐘楼


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入口扉上ルネッタにあるフレスコ画


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教会内に入りました。


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ローディでは最古の教会の一つです。


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城に向かいます。


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有名な門です。


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Castello Visconteo


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城の中には入れません。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会


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この辺にしておきます。
(ローディ編 終わり)

1引き続きサン・フランチェスコ教会です。


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礼拝堂を回りながら、フレスコ画、祭壇画などを見ます。


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主祭壇


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贖いの聖母礼拝堂


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磔刑礼拝堂


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エネア・サルメッジャ通称イル・タルピーノ(ネンブロ、1565/1570‐ベルガモ、1626)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1555-パルマ、1619)の「パドヴァの聖アントニオとエゼリーノ・ダ・ロマーノの邂逅」


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エネア・サルメッジャ通称タルピーノ(ネンブロ、1565/1570-ベルガモ、1626)の「聖母子」


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次の礼拝堂


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詳細不知


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フランチェスコ・ソンチーニ(ローディ、16世紀後半活動)


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聖フランチェスコ


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聖ボナヴェントゥーラ


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パドヴァの聖アントニオ


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聖バルトロメオ


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聖母子と聖ボナヴェントゥーラと信者


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聖母子


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聖母子


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聖母子


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聖母子


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聖母子


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聖痕を受ける聖フランチェスコ


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(つづく)

1市立博物館に入館する前に、サン・フィリッポ・ネリ教会を拝観としたときの続きです。


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セバスティアーノ・アレオッティ(フィレンツェ、1675-モンドヴィ、1741)の作品でしょうか?


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セバスティアーノ・アレオッティの作品がある筈ですが・・・・


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見つかりません。


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カルロ・インノチェンツォ・カルローニ(スカリア・ディンテルヴィ,1687-1775)によって描かれた後陣天井のフレスコ画


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カルロ・インノチェンツォ・カルローニのフレスコ画


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カルロ・インノチェンツォ・カルローニのフレスコ画


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カルロ・インノチェンツォ・カルローニのフレスコ画


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一旦外に出ました。


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市立博物館に入館しました。
この当時、写真禁止だったので作品写真がありません。今でも写真不可?


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フランチェスコ・アイエツ(ヴェネツィア、1791-ミラノ、1882)の自画像があるようですが、覚えていません。


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市立博物館から外に出ました。


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次はサン・フランチェスコ教会ですが、写真に写っている教会のような建物ではありません。


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修道院教会だった建物を利用した劇場です。こちらの方は外観は劇場に見えます。


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こちらは完全に教会の建物です。


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Teatro alle Vigneです。
サン・ジョヴァンニ・エ・オーニッサンティ・アッレ・ヴィンニェ修道院教会の複合施設が前身です。


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サン・ジョヴァンニ・エ・オーニッサンティ・アッレ・ヴィンニェ修道院教会は、1810年に閉鎖され、その建物は倉庫、体育館として活用されました。
一方、ローディの劇場は別の場所にありましたが、建物が劣化したので、1939年に取り壊されたそうです。その後、小さな演奏会場が市庁舎内に設けられたまでした。ローディ市民はミラノに行けば、高品質の演劇やオペラを楽しむことが出来たので、地元の劇場に対する関心が低かったようです。
1975年、修道院教会だった建物を改造して劇場を造ることが決定され、1976年に改造工事が開始され、1985年から公演が開始されたそうです。


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サン・フランチェスコ修道院だった建物にあるColleggio San Francescoです。保育園、幼稚園、小中学校、高校がある学校の複合施設です。学生のための寄宿舎もあるそうです。


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サン・フランチェスコ教会にやってきました。


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13世紀後半のローディ司教ボンジョヴァンニ・フィッシラガ(?、?‐ローディ、1289 ローディ司教の在位:1252-1289)の主導によって、1280年から1307年に建設されたゴシックロマネスク様式のサン・ニコロ教会が前身です。
ボンジョヴァンニ・フィッシラガ司教はローディの名門貴族フィッシラガ家出身だったことから、サン・ニコロ教会の建設と教会運営に当たって、フィッシラガ家が多大な寄付を行ったそうです。


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1527年、フランチェスコ修道士会にサン・ニコロ教会の管理が委ねられ、教会名称がサン・フランチェスコ教会と変更されました。


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しかし、教会の所有権はローディ司教が所有していました。今なお、ローディ司教が所有権を有する教会となってます。


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ファサード下に柱廊付きの入口扉があります。


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柱廊天井のフレスコ画


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ローディのサン・フランチェスコ教会は、イタリアの国定記念物に指定されてます。


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鐘楼


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鐘楼は、現在のColleggio San Francesco(修道院だった建物)の方に立ってます。


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翼廊外観


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拝観します。


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教会内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ゴシックロマネスク様式の内部です。


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右側廊方向


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美術的な見所はフレスコ画でしょう。


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欠落しているフレスコ画が多いが、それでも、数多くのフレスコ画が残されてます。


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各フレスコ画断片毎の作品帰属はよく分かっていないようです。


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毎日開く教会なので、拝観しやいと思います。


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(つづく)

41引き続きインコロナータ教会です。


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次はオルガンです。


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ルネサンス期の有名なオルガン師ドメニコ・ダ・ルッカによって1507年に制作されたオルガンがオリジナルです。


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オリジナルのオルガンは経時劣化してしまったので、1775年にオリジナルのリメイクされたオルガンが制作されました。現在はこのリメイクされたものが使用されてます。


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次の礼拝堂です。


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ファルヴィオ・ピアッツァの「十字架降下」


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次の礼拝堂です。


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有名な多翼祭壇画があります。


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マルティーノ・ピアッツァ(ローディ、1475/1480-1533)とアルベルティーノ・ピアッツァ(ローディ、1490-1529)のピアッツァ兄弟による「Polittico Berrinzaghi」


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先に紹介させて頂いたファルヴィオ・ピアッツァもピアッツァ兄弟の一人です。


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次は聖具室です。


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聖具室です。


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内陣に戻りました。「聖パオロの召命」は既に紹介済みです。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂です。


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カッリスト・ピアッツァ(ローディ、1500-1561)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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カッリスト・ピアッツァ(ローディ、1500-1561)の「サロメ」


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カッリスト・ピアッツァ(ローディ、1500-1561)の「キリストの十字架への釘打ち」


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フルヴィオ・ピアッツァの作品


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沢山の祭壇画があります。


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大体見終わりました。


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美術ファンにとって必見の教会です。


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外に出ました。


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次は市立博物館です。


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アーチを潜ります。


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サン・フィリッポ・ネリ教会にやってきました。


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ここで良いのです。
市立博物館と図書館はフィリッポ・ネリ修道院だった建物にあるからです。博物館に入館する前に教会の拝観をします。


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この場所には、サンタ・マリア・アッスンタ教区教会がありましたが、荒廃してしまったので、17世紀後半には放置された廃教会になっていました。
廃教会を取り壊して、建築家ジョヴァンニ・アントニオ・ヴェネローニ(パヴィア、1683/1686‐ブローニ,1749)の設計によって、1740年から1758年に建設されたロココ様式のサン・フィリッポ・ネリ修道院教会の複合施設です。


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しかし、ナポレオンのイタリア侵攻によって複合施設は抑圧閉鎖されてしまいました。ナポレオンの失脚後、教会のほうだけ活動が再開されましたが、修道院は閉鎖されたまま、倉庫などに転用されました。


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ファサードは、2008年に復元されました。


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ポータルの装飾


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教会内に入りました。


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単廊式、ギリシャ十字形、ロココ様式の内部です。


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壁がフレスコ画で覆われてます。


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ジュゼッペ・コドゥーリ通称イル・ヴィニョーリ(コモ、1720-1802)の「天上の聖母子と聖フィリッポ・ネリ」


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(つづく)

1次は鐘楼が見える教会です。


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Via Solferinoを進みます。


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聖母子のテラコッタ


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インコロナータ教会にやってきました。


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正式名称はTempio Civico della Beata Vergine Incoronataとなってます。インコロナータ聖域と呼ばれることもあります。


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ファサードが面している道幅が狭いので、ファサード全体の写真がうまく撮れません。


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教会の全景です。


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この場所には、ローディの売春婦たちに人気の酒場があり、酒場の壁に14世紀に描かれた戴冠した聖母に抱かれる幼きキリストとアレッサンドリアの聖カテリーナのフレスコ画がありました。
1487年10月7日の夜、大勢の売春婦を含む常連客が酒場で楽しんでいると、聖母が泣き始める奇跡が起きました。
それを目にした信者は聖母マリアに捧げられた新教会ッ建設を呼びかけました。


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それを受けて、市当局と市の有力者は酒場だった場所に新教会建設を決定し、ベラマン手の弟子で地元の建築家ジョヴァンニ・バッタージョ・ダ・ローディ(ローディ、15世紀第4四半世紀‐15世紀初頭活動)が起用され、1488年5月29日に着工されました。奇跡を起こしたフレスコ画は新教会の主祭壇画として保存されることになりました。


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当時のローディ司教は教会建設費用捻出に尽力したが、司教区管理下には拘泥せず、市当局所有の教会と言う立場を是認したそうです。


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1494年に完成した八角形、ルネサンス様式の建物です。
1501年に奉献式が執り行われました。


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ファサードの完成は遅くなり、1879年に完成しました。


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鐘楼は1503年に完成しました。


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ローディの建築家ロレンツォ・マッジの設計による鐘楼ですが、この建築家についての記録が殆ど残されていないようです。


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ファサードの左横に入り口があります。


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教会内に入りました。


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主祭壇


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主祭壇画は、教会設立の切っ掛けとなった、奇跡を起こしたフレスコ画が残されてます。


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「聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナ」(14世紀)


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奇跡を起こしたフレスコ画の制作者は不明とされてます。


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後陣のフレスコ画


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クーポラ


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クーポラのフレスコ画は、エンリコ・カルロ・アウグスト・スクゥーリ(ベルガモ、1806-1884)によって、1840年に制作された「ローディの聖人たちの勝利」です。


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スクゥーリのフレスコ画がクーポラに初めて描かれたものとは思えないのですが、如何でしょうか。


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16世紀までにはクーポラのフレスコ画があって、落剝したので描き直されたような気がするのですが。


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美術的な見所豊富な教会として有名です。


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アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1522/1523)の「マギの礼拝」


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アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ,1453-ミラノ、1522/1523)の「キリストの神殿奉献」


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アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ,1453-ミラノ、1522/1523)の「ご訪問」


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サン・パオロ礼拝堂です。


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カッリスト・ピアッツァ(ローディ、1500-1561)の「聖パオロの召命」


40
(つづく)

1ローディの中心であるヴィットリオ広場にある建物を見ます。


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先ずは、ドゥオーモのファサードに向かって左側に隣接している建物です。


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市庁舎です。


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市庁舎の建物は、ブロレットと呼ばれてますが、1284年に建設されました。


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幾度となく改修改造されましたが、1778年に改造された後の姿が現在の外観となってます。


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ブロレットの上に紋章があります。


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ローディの紋章です。


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ブロレットの壁龕に置かれた胸像


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ブロレットの中庭


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銀行の建物です。


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16世紀に建設されました。


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銀行の建物壁にある聖母子


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広場に面した建物の殆どに柱廊が設けられてます。


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1922年から1923年に建設されたCasa Presazziです。


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建物の名前が分かりません(私が、です)。


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次はPalazzo Vistariniです。


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14世紀に建設されたPalazzo Vistariniです。


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1698年に改造されて、従来の約半分の大きさになりました。現在の姿は、1698年の改造後のものです。


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Palazzo Vistariniの壁にあるものです。


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(つづく)

1引き続きローディのドゥオーモです。


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「最後の審判」のフレスコ画(15世紀)


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「嘆き」(16世紀)


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「タルチショ・ヴィンチェンツォ・ベネデッティ司教の胸像」
ベネデッティ司教は、1952年から1979年までローディ司教を務めました。


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ベネデッティ司教の銘板


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主祭壇


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浮彫の一部


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身廊の柱の彫刻


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アダムとイヴ(身廊柱の彫刻)


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靴職人ギルドの彫刻(身廊柱)


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聖パシアーノ像


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次はクリプタです。クリプタ入り口の壁にある「最後の晩餐」


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クリプタ


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墓が多数あります。


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クリプタに代々のローディ司教の墓があります。


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カノンの中庭の回廊に出ました。


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回廊天井


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回廊は1484年に建設されたそうです。


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回廊に置かれた墓石


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詳細不知


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中庭


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回廊の壁


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後陣


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ブロレットの通路


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ドゥオーモの右側壁に当たります。


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(つづく)

1引き続きドゥオーモです。


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柱廊付きの入口扉です。


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入口扉上ルネッタの彫刻


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入口扉横の彫刻


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入口扉の柱頭


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扉の大理石彫刻


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柱頭


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入口扉の柱


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柱頭


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ライオン像


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聖堂内に入ります。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側廊方向


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見所が多いと思います。


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Presbiterio


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Presbiterioのフレスコ画


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カウンターファサード


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(つづく)

1前泊地はミラノでした。


2
前夜、スカラ座でトスカを見たので、起床するのが辛かったのを覚えてます。


3
ローディは、人口44,692人(2022年9月30日現在)のロンバルディア州ローディ県の県都です。


4
ミラノ中央駅からローディに向かいます。


5
列車は頻発してます。


6
ローディは、イタリア史上、2つの出来事で有名です。
1454年、この地で結ばれた「ローディの和」が特に有名です。
中世の時代、イタリアは都市国家間で絶えず戦争に明け暮れていました。しかし、長く続いていた東ローマ帝国がオスマン帝国によって滅亡されると、オスマン帝国が都市国家共通の脅威と見做されるようになりました。最早都市国家間で争う時代ではなく、共同してオスマン帝国の脅威に対抗すべきと言う認識のもとに「ローディの和」が結ばれたのです。
ローディの和に参加したのは、フィレンツェのメディチ家、ヴェネツィア共和国、ヴァティカン、ミラノのスフォルツァ家、ナポリ王国の5か国でした。


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車内は非常に空いてました。


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ローディ駅に到着しました。


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1796年5月10日、ナポレオン将軍に率いられたフランス軍がこの地でオーストリア軍を破った「ローディの戦い」でも有名です。


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ローディの戦いを描いた絵画
フランス軍とオーストリア軍がローディで戦ったわけで、今なら相当な違和感がありますが当時では普通です。


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ローディ駅の駅舎です。


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この日のお宿は駅前のここです。


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大きな荷物をホテルに預けて、身軽になって街歩きに出発しました。


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ローディはチーズの名産地です。


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カステッロ広場です。


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カステッロ広場の端に立つヴィットリオ・エマヌエーレ2世のモニュメント


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ヴィットリオ広場に向かいます。


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Corso Vittorio Emanuele 2


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街角の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ヴィットリオ広場の入り口にやってきました。


21
ヴィットリオ広場です。


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ローディのドゥオーモです。


23
正式名称は、Basilica Minore e Cattedrale della Vergine Assuntaとなってます。ローディ司教区の司教座教会です。
1970年、第262代教皇パオロ6世(1897-1978 在位:1963-1978)によってBasilica Minoreに格付けされました。


24
ローディのドゥオーモは、城壁外にありました。市域が拡大すると共に、街の中心が現在のドゥオーモが建っている場所に移動したので、新しいドゥオーモ建設が具体化したのです。


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城壁外にあった古いドゥオーモの残骸です。


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古いドゥオーモ、サンタ・マリア・ヴェッキオ聖堂は5世紀に建設されました。司教座が現ドゥオーモに移転するまで司教座教会でした。
移転後も城壁外の最大教会として存続しましたが、1811年に活動が停止されました。建物が危険になったので、旧教会は1879年にダイナマイトで爆破されたそうです。


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共和制ローマ時代の紀元前3世紀頃に建設された神殿の遺跡の上に、1158年から1284年に建設されたロマネスク様式の教会です。


26
1284年に完成したファサードです。


25
画家カッリスト・ピアッツァ(ローディ、1500-1554)の設計によって1538年から1554年に建設された鐘楼です。


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鐘楼の先端


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鐘楼の時計


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ファサードを見ます。


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中央扉


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中央扉上ルネッタの彫刻


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左右のライオン像


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38
バラ窓


37
柱頭


39
ファサードの彫刻


40
(つづく)

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