イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ピエモンテ州 > アレッサンドリア

P1290020次は市立博物館です。


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市立博物館と音楽学校が置かれているPalazzo Cutticaです。


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入館します。


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この時は写真不可でした。


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Palazzo Cutticaの中庭


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リベルタ広場に戻ります。


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お馴染みのPalazo Ghiliniです。


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Palazo Ghiliniの正面ファサードです。


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リベルタ広場です。


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広場に面して建つPalazo Ghiliniです。


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市庁舎


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午後5時過ぎですが、日差しが強烈です。


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日曜日の夕方なので人出が多い。


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流石に疲れてきました。


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ローマ大通りです。


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銀座通りが何処にでもあるようにイタリアではローマ通りがそれに相当します。


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突き当りはサン・ロレンツォ教会です。


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ガリバルディ広場近くです。


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駅前の公園が見えてきました。


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ガリバルディ広場です。


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ホテルに戻りました。


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翌朝です。


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鉄道で次の目的地に向かいました。


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(アレッサンドリア編おわり)

P1290007観光客が殆ど訪れないアレッサンドリアです。


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アレッサンドリア市当局も観光に力を入れていない気がします。


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リベルタ広場に向かいます。


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ドゥオーモの鐘楼が見えてます。


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県庁舎として使用されているギリーニ宮殿です。18世紀に建設されたピエモンテ・バロック様式の建物で、1869年にアレッサンドリア県議会によって購入されたそうです。


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アレッサンドリアの有力貴族ギリーニ侯爵家の邸宅として建設されました。


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Palazzo Ghiliniの入り口


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ドゥオーモの直ぐ傍にギリーニ宮殿が建ってます。


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ドゥオーモに向かいます。


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見所が乏しいドゥオーモですが、ここまで来たからには外せません。


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ギリーニ宮殿を通り抜けます。


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パルマ通りです。


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市立博物館の入館を後回しにしてドゥオーモの拝観を先にします。


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ドゥオーモにやってきました。


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サンティ・ピエトロ・エ・マルコ司教座教会です。


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扉が開いていました。


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中に入りました。


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中央礼拝堂


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Presebiterio天井


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フレスコ画の帰属は分かってます。


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クーポラ


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アレサンドロ3世と縁が深いアレッサンドリアです。


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身廊天井の装飾


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外に出ました。


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(つづく)

P1280973サン・ジョヴァンニーノ教会です。


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後陣天井のフレスコ画


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外に出ました。


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外に出ましたが、特に見たいところがありませんでした。


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この日は日曜日だったので、夕方前でも人出がかなりありました。


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ピエモンテの夏は、晴天でも涼しく過ごしやすいのが特徴です。


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サン・ロレンツォ通りです。


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サン・ロレンツォ通りとモデナ通りとの交差点です。


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Via Luigi Testore


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Via Giuseppe Verdiにあるレストランはかなり美味でした。


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石畳の道が続きます。


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何処を歩いても同じ感じがします。


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(つづく)

P1270229翌朝です。


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この日は、他のコムーネへの日帰り遠足をしました。


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アレッサンドリアに帰ってきました。


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一旦ホテルに戻ります。


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一日中歩いたので、足が棒のよう。


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駅前公園にある戦勝のモニュメント


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天気が良い暑い日でした。


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ガリバルディ広場は駐車場になっていました。


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青空市の開市日は一般車の駐車禁止です。


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この後ですが、夕食のためにホテルを出ただけで終わりました。


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翌日です。この日も日帰り遠足でした。


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夕方、アレッサンドリア駅に到着したら国際列車が停車中でした。


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ホテルに戻ります。


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ホテルに戻りました。


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疲れていましたが、頑張って外出しました。


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見所が乏しい街ですが、折角来たからには街歩きをすることに。


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何か新しい発見があるかも知れないと思いました。


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この街に来るのは、これが最後ですから。


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サン・ジョヴァンニーノ教会が開いていました。


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拝観します。


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中に入りました。


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(つづく)

P1270200ジュゼッペ・アントニオ・チェンナ通りの先に教会があります。


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サンタ・ルチア教会です。昼下がりのこの時間帯には扉が閉まってます。


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この場所には、13世紀に建設されたサン・ジョヴァンニ・デッレ・レーン教会が建っており、15世紀には約50人の修道士が住む修道院教会となっていました。16世紀末から17世紀初めにかけて、修道院教会はサンタ・カテリーナ、サンタ・ルチア、サン・パオロ、サン・ウルバーノ同信会の本拠地になりましたが、18世紀になると建物の経時劣化が進み、危険となったので、建物の再建が決まりました。しかし、資金難によって修道院教会としての複合施設の建設は難しいと判断されました。そうして、1751年に最初の建物の取り壊し工事が開始され、1759年に完成した二代目の建物が現在の姿となってます。
1759年11月1日に再建された教会の奉献式が執り行われましたが、それを機に教会の名称がサンタ・ルチア教会となりました。


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サンタ・ルチア小広場に面してファサードがあります。


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ミラノ通りです。


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Via Migliara


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Via dei Martiriになります。


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この先にあるタベルナコロを見ます。


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タベルナコロ


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人通りが少なくなりました。


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Via Vochieriです。


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この先に教会があります。


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受胎告知教会 Chiesa dell'Annunziataです。


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14世紀にアゴスティーノ会修道士によって建設された修道院教会が前身です。


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最初の建物が経時劣化によって危険になったので、1759年から1761年に再建された二代目の建物が現在の姿となってます。


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現在の外観は相当劣化していると思われ、恐らく宗教活動を停止した廃教会になっているように見えます。


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受胎告知教会から直ぐの場所に、もう一つ教会があります。


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サンティ・アレッサンドロ・エ・カルロ教会です。


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1742年9月9日創建、1758年5月7日に奉献されたバロック様式の教会です。


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中に取り壊された古いドゥオーモの祭壇画があるようです。


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ファサードの聖ルイージの彫刻


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教会の後陣は修復工事中でした。


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鉄道駅近くの公園です。


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市立劇場です。


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(つづく)

P1270189引き続きサン・ジョヴァンニーノ教会です。


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Presebiterio天井のフレスコ画


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礼拝堂を見て回ります。


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聖ジョヴァンニーノ


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聖カルロ・ボッロメーオ


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カウンターファサードにあるオルガン


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外に出ます。


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外に出ました。帰属が分からない作品ばかりでした。


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酔い覚ましのブラブラ歩きを続けます。


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先ずはトイレ休憩です。


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ワイン、ビール、ミネラルウオーターを飲めば、トイレが近くなるのは当然です。


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お昼過ぎは教会の扉が閉まってます。


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映画館がありました。


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教会らしき建物が見えてきました。


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ローマ通りです。


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写真右の教会の建物はベネトンです。


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(つづく)

P1270150経済的にアレッサンドリアは裕福とされている人たちが多いとされてます。


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我が家近くのこの店があればバジルの鉢を買いたかった。


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お馴染みのガリバルディ広場です。


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この店で昼食です。


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この店の営業時間です。


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昼の開店直後だったので、空席ばかりでしたが、直ぐに満席になりました。


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ワインを飲みながらフルコースで食べたと思いますが、写真を撮ったのが二枚だけ。


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お腹が空いていたので、食べることに夢中で、写真に気が回らなかったようでした。


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お腹一杯になりました。


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酔い覚ましの散歩です。


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グリエルモ広場です。


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青空市は間もなく閉市時間を迎えます。


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サン・ジョヴァンニーノ教会に向かいました。


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レニャーノ通りです。


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サン・ジョヴァンニーノ教会にやってきました。


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奉献する聖人は、幼き洗礼者ヨハネです。余計ですが、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会とどう違うのか、私にはよく分かりません。


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13世紀に懺悔運動の一環としてアレッサンドリアに設立された最も神聖な十字架同胞団 Veneranda Confraternita del Santissimo Crocifissoの本拠地です。
同同胞団によって、1484年に教会の建設が決定され、1524年創建、1529年に完成しました。ところが、1706年10月14回、近隣にあった倉庫の爆発と火災によって、建物は深刻な被害を受けてしまい、修復不能と判定されました。建物の再建が決まりましたが、資金難によって着工の目途が立たない状況が数年続いたそうです。同胞団の資金集めと当時のアレッサンドリア司教の支持によって、再建が具体化しました。1709年8月29日の聖ジョヴァンニ・バッティスタ斬首の日、最初の建物の取り壊し工事が開始され、その上に新しい建物が建設され、1731年に完成しました。その再建されたバロック様式の建物が現在の姿となってます。


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ファサードの彫刻


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ファサードの壁龕に置かれた彫像


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拝観します。


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中に入りました。


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翼廊がない単廊式、バロック様式の内部です。


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右側壁


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主祭壇


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主祭壇の「磔刑」


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バロック様式とあって、壁の殆どが装飾されてます。


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(つづく)

P1270120折角来たからには、頑張って歩くよりありません。


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古い修道院だった建物です。


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この辺が何処だったのか、思い出せません。


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鐘楼が見えてますが、何処のものか、分かりません。


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雨がかなり降ってきました。


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このまま進むとドゥオーモに出ます。


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右折すればドゥオーモ広場です。


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ドゥオーモに出ました。


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昼食のトラットリアの開店時間が未だなので、ブラブラ歩いて時間潰しをしました。


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雨が小降りになりました。


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特徴がない建物ばかりです。


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サン・ロレンツォ通りです。


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ローマ大通りです。


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ここもローマ大通りになります。


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ローマ大通りを進みます。


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モデナ通りとの交差点です。


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カリオ・カニッジャ通りです。


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ガリバルディ広場に戻ってきました。


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(つづく)

P1270102サン・ジャコモ通りです。


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サン・ジャコモ通りに面して教会が建ってます。


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サン・ジャコモ・デッラ・ヴィットリア教会です。


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1391年7月25日、ヴェローナの指導者で傭兵隊長ヤコポ・ダル・ヴェルメ(ヴェローナ、1350-1409)に率いられたアレッサンドリア市とヴィスコンティの連合国軍は、ジョヴァンニ3世・アルマニャック(フランス語読みではジャン3世・アルマニャック)(アルマニャック、1359c-アレッサンドリア、1391)の率いるフランス軍に勝利しました。ジョヴァンニ3世・アルマニャックはその戦いで戦死しました。また、ヤコポ・ダル・ヴェルメはヴィスコンティ家に雇われた傭兵隊長を務めていました。
7月25日は、聖ジャコモ(聖ヤコブ)の日に当たります。
その勝利の感謝のために、傭兵隊長ヤコポ・ダル・ヴェルメは、アレッサンドリア市に新しい教会建設の建議を行いました。そうして、1392年に創建され、1405年に完成したのがサン・ジャコモ・デッラ・ヴィットリア教会です。完成と同時にサンタゴスティーノ修道会に引き渡されました。1814年までサンタゴスティーノ修道会の修道士所有の教会でした。


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奉献は15世紀初頭に行われました。


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1405年に完成した教会は、時間の経過とともに多くの改造、改修工事が行われ、オリジナルの姿は失われてしまいましたが、再建されたものではありません。ファサードはルネサンス様式です。


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1814年、教会活動は停止され、建物は病院として使用されました。その後、警察署の倉庫、宿舎として使用されるようになりましたが、1871年に教会として機能が復活され現在に至ってます。


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単廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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Maestro di Ada Negriに帰属する「授乳の聖母」(1395)


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主祭壇の贖いの聖母


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例によって地図を見ないで適当に歩きました。


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適当に歩いていては、元々見所が乏しいアレッサンドリアなので、地図を見ました。


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サン・ジョヴァンニーノ教会に向かいます。


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サン・ジョヴァンニーノ教会はローマ大通りに建ってます。


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ここでペッタンコの桃を買いました。この桃は美味なので、この季節に来る時の楽しみの一つです。


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お腹が空きました。


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サン・ジョヴァンニーノ教会は午後も開いているので、拝観を後回しにしました。


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疲れたので、一旦ホテルに戻って一休みしてから昼食に出ることに。


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早朝から動いてばかりだったので、少し疲れました。


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昼近くなって人出が多くなってきました。


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イタリア人は傘が嫌いと思ってますが、雨がポツリポツリと落ちてきた途端、傘をさした人がいたのでビックリ。


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ホテルに戻りました。


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(つづく)

P1270042ドゥオーモから外に出ました。


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この辺は、第二次世界大戦で爆撃を受けたので、戦後に再建された建物が多いそうです。


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サン・ロレンツォ教会に向かいました。


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3時ごろに起床したので、少し眠くなってきました。


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サン・ロレンツォ通りを進みます。


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路上駐車している車列を見ると、戦災を受けた街なので、もう少し都市計画に基づいて復興すれば良かったと勝手に思います。


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サン・ロレンツォ教会にやってきました。


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扉が開いていました。


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13世紀頃に、この場所に既に存在していたサンティ・ロレンツォ・エ・クレメンテ教区教会がありましたが、それが前身です。
1347年から1350年にかけて、教区教会の近くにあったサンタ・マリア・デッラ・コルテ教会と合併され、それを機に修道院教会の複合施設として増築されましたが、それ以降、単にサン・ロレンツォ教会と呼称されるようになりました。合併後、程なくして参事会教会に格上げされました。


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1565年、建物の構造に致命的な欠陥があることが判明し、直ちに大規模な改造工事が着手され、1580年までに工事完了となりました。また、修道院教会の建物は改造によって縮小されました。


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18世紀中頃になると、経時劣化によって建物に危険な箇所が幾つも出てきたことから、最初の建物を取り壊して、その上に新しい建物の建設が決まりました。
地元アレッサンドリア出身の建築家ジュゼッペ・ドメニコ・トロッリが起用され、トロッリの設計によって1770年から1772年にかけて建設された二代目の建物が現在の姿となってます。


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19世紀末に修復されました。


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拝観します。


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中に入りました。


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右側壁


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左側壁


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天井の装飾


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楕円形の単身廊、バロック様式の内部です。


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中央礼拝堂


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後陣とクーポラのフレスコ画は、ピエトロ・アントニオ・ポッツォ(1727-1788)によって1770年に制作されました。


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇画(詳細不知)


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ピエトロ・アントニオ・ポッツォ(1727-1788)の「受胎告知」


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ピエトロ・アントニオ・ポッツォ(1727-1788)の「ご訪問」


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カウンターファサード方向


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カウンターファサードにあるオルガン


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「磔刑像」(詳細不知)


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詳細不知


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詳細不知


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祈るキリストのイコン(詳細不知)


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外に出ました。
(つづく)

P1260998引き続きドゥオーモです。


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主祭壇


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中央扉は普通閉まってます。


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市の名称は、教皇アレッサンドリア3世に因んでいます。


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「聖家族」(詳細不知)


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「聖ジュゼッペ?」(詳細不知)


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サン・ジュゼッペ礼拝堂です。


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フィリッポ・パロディ(ジェノヴァ、1630-1702)の「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(1702)


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サン・ジュゼッペ礼拝堂のフレスコ画


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聖バウドリーノの墓です。


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聖バウドリーノという聖人については初めて知りました。


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Antico altare della Madonna della Salve(18世紀)


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1803年、ナポレオン率いるフランス軍によって破壊された、以前の大聖堂にあった礼拝堂です。


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詳細不知


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かなり多くの作品がありますが、それらの殆どが分かりません。


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贖いの聖母礼拝堂


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拝観を終わります。


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外に出ました。


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ドゥオーモ広場に面して建っている司教館です。今は神学校になってます。
(つづく)

P1260950引き続きアレッサンドリアのドゥオーモ、サン・ピエトロ司教座教会です。


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磔刑の礼拝堂


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木製の磔刑像(15世紀後半)


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)に帰属する「聖母子と聖人たち」


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)に帰属する「キリストの神殿奉献」


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詳細不知の「幼きキリストへの崇拝」


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詳細不知の「マギの礼拝」


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次は左第二礼拝堂です。


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左第二礼拝堂の主祭壇画


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詳細不知


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この「聖母子」は有名です。


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逸名画家作「Madonna dell’Uscetto」(14世紀初頭)


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サンタ・カテリーナ礼拝堂です。


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サンタ・カテリーナ礼拝堂の左側壁にある作品(詳細不知)


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次の礼拝堂です。


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礼拝堂左側壁にある祭壇画(詳細不知)


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木製磔刑像(16世紀後半)


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天井に描かれたフレスコ画「我に触れるな」(詳細不知)


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マドンナ・デッラ・サルヴィ礼拝堂です。


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「聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(詳細不知)


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マドンナ・デッラ・サルヴィ礼拝堂の天井


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(つづく)

P1260928ドゥオーモ広場です。


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アレッサンドリアのドゥオーモです。アレッサンドリア司教区の司教座が置かれてます。


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正式名称は、サンティ・ピエトロ・エ・マルコ司教座教会 Cattedrale dei Santi Pietro e Marcoとなってます。しかし、サン・ピエトロ大聖堂が前身だったことから、一般的にサン・ピエトロ大聖堂と呼ばれてます。


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アレッサンドリア市の創立日は、1168年5月3日とされ、神聖ローマ帝国に対するロンバルディア同盟を支持した第170代教皇アレッサンドロ3世(1100c‐1181 教皇在位:1159‐1181)に敬意を表して、市の名称をアレッサンドリアと命名したとされてます。アレッサンドリアはロンバルディア同盟に加盟していました。
サン・ピエトロ教会は、アレッサンドリア市の創立以前に既にその地域の中心教会として存在していました。恐らく8世紀頃に建設されたとされてます。
市の創立を機に、宗教的だけでなく、市民のため、政治的、戦略的な意味から、大きな教会を建設する必要性が高まり、その建設が決定されました。
そうして、1170年に最初の建物が取り壊され、その上に2番目のロマネスク様式の建物が1175年に完成し、1175年に奉献式が執り行われました。


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2番目の建物の寓意図(13世紀)
左側に2番目の建物のファサードが描かれてます。


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18世紀半ばに描かれたサン・ピエトロ大聖堂
13世紀後半、サン・ピエトロ教会に司教座が置かれることになり、2番目の建物は一部を除いて取り壊され、1288年から1297年にかけて殆ど再建に近い形態で大改造、増築工事が行われました。
18世紀半ばに描かれたサン・ピエトロ大聖堂の姿は、1288年から1297年にかけて行われた大改造、増築後の姿を留めていると言われてます。


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18世紀半ばに描かれたサン・ピエトロ大聖堂


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1797年、ナポレオンのイタリア侵攻によって、サン・ピエトロ大聖堂はフランス軍の本部として接収されてしまいました。そして、1803年、フランスの軍事的理由からサン・ピエトロ大聖堂は破壊されてしまいました。
フランス軍の撤退後、アレッサンドリアの司教座教会の再建が決定され、1807年から1810年に建設された新古典様式の建物が現在の外観の原形となってます。1810年に新大聖堂の奉献式が執り行われましたが、それを機に奉献する聖人が聖ピエトロに加えて聖マルコの二人となって大聖堂の正式名称が前述のように変わりましたが、それにも拘らず依然としてサン・ピエトロ大聖堂と呼ばれるのが普通となってます。


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現在の外観は、1874年から1879年に行われた大改修後の姿となってます。
聖堂内部は、1925年の火災によって大きな被害を受けましたが、その後、直ちに大修復工事が行われ、1929年に完成した新しいものです。
第二次世界大戦で、大聖堂の周囲は激しい爆撃を受けましたが、大聖堂自体の被害は幸いにも非常に軽微にとどまったそうです。
ファサードは1820年から1822年に建設されました。


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クーポラは1875年から1879年にかけて建設されました。


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1889年に建設された鐘楼です。


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ファサードのフレスコ画は、1889年と1922年に制作されました。


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ファサードのフレスコ画


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ファサードのフレスコ画ですが、私には分かりません。


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中央扉上ルネッタに描かれたフレスコ画


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ファサードに置かれた彫刻は、1803年に取り壊された建物にありました。


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1803年に取り壊された建物のファサードにあった彫刻


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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右側廊方向


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身廊天井の装飾


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クーポラ


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クーポラ


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Presebiterio


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Presebiterio前から見たカウンターファサード方向


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後陣天井


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主祭壇


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詳細不知


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詳細不知


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右側廊


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比較的新しい建物なので、若干見所に欠けます。


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取り壊された建物にあった作品が注目に値します。
(つづく)

P1260903アレッサンドリアは観光客が滅多に行かない街と思います。


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ギリシャ美術館です。この時間は開いていません。


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1931年から1932年に建設されたPalazo della Camera di Commercioにギリシャ美術館が置かれてます。


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Palazo della Camera di Commercioは第二次世界大戦で爆撃を受けましたが、戦後に修復されました。


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この辺は新しい建物が多い地区です。


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カルドゥッチ広場です。


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北に向かって進んでます。


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右折すると直ぐに大きな広場が見えてきました。


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早朝にボローニャを出発したので、未だ9時前でした。早い時間にアレッサンドリアに到着する必要は全くありませんでしたが、その後になると列車の接続が悪くなるばかりか、大回りしないとアレッサンドリアに来ることが出来なかったのです。
街の中心リベルタ広場に来ました。


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この建物は市庁舎です。


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市庁舎は1772年に創建され、途中、工事が中断されましたが、1830年に完成しました。ファサードの色からPalazzo Rossoとも呼ばれてます。3連時計が特徴です。
1944年、連合国軍によって爆撃され、大きな被害を受け、戦後に殆ど再建に近い形で大修復されました。


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かって宮殿内に市立劇場が設けられ、オペラが上演されていました。1944年、爆撃された宮殿内の市立劇場は壊滅的に破壊されてしまい、戦後になって復興計画が立案されたものの、実行されることはなく現在に至ってます。


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リベルタ広場


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リベルタ広場に面して建つ市立劇場です。


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市立劇場


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リベルタ広場は駐車場になってます。


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1732年に創建され、19世紀半ばに完成したPalazzo Ghiliniです。


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アレッサンドリアのギリーニ侯爵家の住居でしたが、19世紀にサヴォイア家の宮殿になりました。1869年に州議会が買収され、アレッサンドリア県の県庁舎として使用されるようになりました。


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県庁舎近くのドゥオーモに向かいます。


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この通りの突き当りにドゥオーモがあります。


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アレッサンドリア司教区の司教座が置かれているサン・ピエトロ大聖堂です。


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アレッサンドリア大聖堂については、(その3)で詳しく触れることにします。


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ナポレオンの命令によって建物が破壊されてしまったので、ナポレオンの失脚後に再建されました。そのため、現在の外観は新しく見えます。


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次は市立美術館です。


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18世紀に建設されたPalazzo Cutticaです。


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Palazzo Cutticaに市立美術館が置かれてます。


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ファサード柱の彫刻


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入館します。
この時、館内が写真禁止だったので、私の写真がありません。以下は外部サイトから拝借した作品等の写真です。


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ガンドルフィーノ・ダ・ロレートの「聖母戴冠」


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ガンドルフィーノ・ダ・ロレートの「受胎告知」


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天井の装飾


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外に出ました。
(つづく)

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朝早い時間の旅立ちだったので、ボローニャ駅前のホテルに泊まっていました。


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時刻は4時31分、季節は夏でした。


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ボローニャ駅です。


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車内は非常に空いてました。


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途中駅でアレッサンドリア行きの列車に乗り換えました。


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アレッサンドリア駅に到着しました。


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アレッサンドリアは、人口91,257人(2023年8月31日現在)のピエモンテ州アレッサンドリア県の県都です。


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アレッサンドリア駅の駅舎です。


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駅前の公園を通り抜けて、この日のお宿に向かいました。


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ガリバルディ広場です。


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ガリバルディ広場は青空市の開市日でした。


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この日のお宿はガリバルディ広場の裏手にあります。


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北イタリアの3つの主要都市であるトリノ、ジェノヴァ、ミラノの三角形のほぼ中心に位置しているアレッサンドリアは、鉄道と高速道路のハブとして重要です。


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この日のお宿です。


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大きな荷物をホテルに預けて身軽になって、街歩きに出発しました。


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ガリバルディ広場の柱廊


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ガリバルディ広場全体の写真は青空市の撤去後に撮った方が良いようです。


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時計がある建物は郵便局です。


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交通の要衝のアレッサンドリアは、第二次世界大戦中に徹底的に爆撃されました。ムッソリーニ時代には米英軍に、そして連合国側となった第二次世界大戦後期にはドイツ軍によって爆撃されたのです。


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そのため、多くの建物は大戦後に建設された、比較的新しいものが多いのです。


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街の中心部に向かいます。


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アレッサンドリアの中心はドゥオーモがあるリベルタ広場でしょう。


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サン・ロレンツォ通りです。


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この通りの先にサン・ロレンツォ教会があります。


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平日の朝でした。


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アレッサンドリアに来た目的は、鉄道が便利なのでアレッサンドリアを起点にピエモンテの各地に行くためのベースにするためでした。


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サン・ロレンツォ教会が見えてきました。


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サン・ロレンツォ教区教会はサン・ロレンツォ通りとモデナ通りとの交差点にあります。


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13世紀頃に、この地に既に存在していたサンティ・ロレンツォ・エ・クレメンテ教区教会が前身です。1347年から1350年にかけてサンタ・マリア・デッラ・コルテ教会との合併を機に修道院教会の複合施設として増築され、それと共に参事会教会に格付けされました。
この時は扉が閉まっていたので、後で拝観することにしました。


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1565年、建物の構造に致命的な欠陥があることが分かり、1580年まで大規模な改造工事が行われ、修道院教会の規模が縮小されました。


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街角のタベルナコロ
(つづく)

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