イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:シチリア州 > タオルミーナ

320この時、タオルミーナに二泊しましたが、退屈で時間潰しが大変でした。


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景色は良いのですが、芸術が乏しいと思いました。


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イタリアで泳いだことは滅多にありません。


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この日も快晴で、エトナ山が良く見えました。


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町外れの高台からの景観です。


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町の中心に戻ります。


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カルミネ教会です。扉が開くことは少ないように思います。


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中心に戻ってきました。


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ホテルに戻ります。


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ホテルに戻りました。


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夕暮れです。


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暗くなってきました。


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夜が明けました。


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鉄道で次の目的地メッシーナに向かいました。


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メッシーナ自体は地震と津波後に築かれた退屈な新しい街ですが、カラヴァッジョの作品があるので私の好みです。
(タオルミーナ編 おわり)

325次はドゥオーモです。


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タオオルミーナのドゥオーモ、サン・二コラ・ディ・バーリ聖堂です。


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タオルミーナはメッシーナ・リパーリ・サンタ・ルチア・デル・メーナ大司教区に属しており、大司教座はメッシーナ大聖堂に置かれてます。タオルミーナは、かって独立した司教区でした。その辺のところは複雑ですが、触れてみましょう。


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タオルミーナのサン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会です。現存している、タオルミーナ最古の教会ですが、タオルミーナ司教区の司教座が置かれていました。
1世紀、タオルミーナ司教区が設けられ、司教座がサン・フランチェスコ・ディ・パオラの原始教会に置かれました。9世紀になると、タオルミーナはアラブ人の攻撃を受けるようになり、904年、アラブ人に包囲され、2年間持ちこたえましたが、906年、タオルミーナは陥落して当時の司教だった聖プロコピウスは斬首されるとともにタオルミーナ司教区は廃止されてしまいました。
その後、タオルミーナは独立した司教区になることはなく、現在に至ってます。


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12世紀になると、タオルミーナの町の中心は現在のドゥオーモ広場になってきました。町の中心に相応しい新しい教会建設の機運が高まり、13世紀にシチリアのロマネスク・ゴシック様式で建設されたのがサン・二コラ・ディ・バーリ教区教会でした。住民はドゥオーモと呼称するようになりました。


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15世紀から16世紀にかけて一部が再建され、17世紀の改造を経て現在の姿となってます。


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ファサード


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1969年、Sede Vescovile Titolale、名目上の司教というべきでしょうか、サン・二コラ・ディ・バーリ教区教会にいるようになり、正式のCattedraleではありませんが、司教区教会と呼ばれるようになりました。


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1980年、Basilica Minoreに格付けされました。


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聖堂の入り口


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三廊式、ラテン十字形の内部です。


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柱の一部はギリシャ遺跡の柱を転用したとされてます。


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左側壁


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主祭壇


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祭壇前飾り


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注目されるべき美術作品が幾つかあります。


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アントネッロ・ガジーニ(パレルモ、1478-1536)の「聖母子」


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サクラメント礼拝堂


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サン・二コラ礼拝堂


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サン・二コラ礼拝堂の祭壇画です。
ガロファロ(カナーロ,1476-フェラーラ,1559)の作品とされている「バーリの聖二コラ、または聖ビアージョ」です。私にはガロファロとは筆が違うように見えます。


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サン・パンクラツィオ礼拝堂


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カウンターファサードにあるもの


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詳細不知


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アルフォンゾ・フランコ(メッシーナ、1466-1523)の「聖母子と2聖人」


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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アントネッロ・デ・サリバ(1466-1535)の「サンタゴスティーノの多翼祭壇画」(1504)
現在、タオルミーナの図書館となっているサンタゴスティーノ教会の主祭壇に置かれていました、同教会の閉鎖に伴い、この教会に移されたそうです。


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(つづく)

299引き続きサン・ジュゼッペ教会です。


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サン・ジュゼッペ教会の左側壁です。


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主祭壇前から見たカウンターファサード方向の左側壁です。


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右側壁です。


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主祭壇前から見たカウンターファサード方向の右側壁です。


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後陣


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カウンターファサードに聖歌隊席があります。


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20世紀に描かれたフレスコ画


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クーポラのフレスコ画(20世紀)


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左翼廊礼拝堂


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右翼廊礼拝堂


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詳細不知の「幼きキリストと聖ジュゼッペ」


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詳細不知の「聖ボスコ」


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外に出ました。


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次はドゥオーモです。


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ウンベルト1世通りを進みました。


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ドゥオーモ広場にやってきました。


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ドゥオーモ広場に有名なフォンターナがあります。


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写真右はドゥオーモです。


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ドゥオーモの拝観前にここで一休みしました。ワインを少し飲んだらエンジンがかかってしまって、早い昼食になってしまいました。


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(つづく)

2984月9日広場に向かいます。


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4月9日広場です。


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4月9日広場に面して教会が建ってます。


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サンタゴスティーノ教会です。


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1486年に建設された後期シチリア・ゴシック様式のサン・セバスティアーノ教会が前身です。


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1530年にサン・セバスティアーノ教会はアゴスティーノ修道士会に譲渡され、教会の名称がサンタゴスティーノ教会と改称されました。また、同年から修道院建設、教会の増設工事が開始されました。


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1866年、抑圧令によってサンタゴスティーノ修道院教会は閉鎖され、その建物はタオルミーナ自治体の所有となり、絵画館として使用されるようになりました。


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一度は開館した絵画館は19世紀末に閉鎖され、建物は改造されて20世紀初頭に小学校として使用されるようになりました。1950年代に小学校は別の場所に移転しました。
21世紀初頭に図書館へと改造され、タオルミーナ自治体図書館が2011年にオープンしました。サンタゴスティーノ修道院教会、サン・ドメニコ修道院教会、カプチン会修道院などタオルミーナにあった宗教施設所有の貴重な資料が集められ、展示されてます。


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サンタゴスティーノ教会の鐘楼


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教会だった内部の図書館


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かってサンタゴスティーノ教会の主祭壇を飾っていたアントネッロ・デ・サリバ(1466c-1535)の多翼祭壇画(1504)
現在、この多翼祭壇画はタオルミーナのドゥオーモに移されてます。


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4月9日広場は崖上にあって、広場からの眺望が良いことで知られてます。


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4月9日広場からの眺め


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4月9日広場に面して、教会がもう一つあります。


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サン・ジュゼッペ教会です。


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煉獄の魂の同信会 Confraternita della Anime del Purgatorioによって、17世紀末に創建され18世紀円半に完成したバロック様式の教会です。


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1911年、サン・ジュゼッペ教会はサレジオ会 Ordine Salesianoの所有となり現在に至ってます。


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鐘楼


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ファサード


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ファサードの彫刻


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開いていることが多い教会です。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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主祭壇


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(つづく)

277夕食を終えてホテルに戻りました。


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翌朝です。


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この日も晴天でした。


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町歩きに出発しました。


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ホテル近くの祠


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タオルミーナの砦です。


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Madonna della Roccaと呼ばれてます。


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近世になって海岸沿いの道路が通じましたが、それ以前、現在のウンベルト1世通りがメッシーナ、カターニア、シラクーザを結ぶ街道でした。その街道の防御の点で要塞は重要な役割を果たしていたそうです。


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ウンベルト1世通りです。


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メッシーナ方向の海岸線


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マッツァーロが見えました。


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この時には、エトナ山の噴煙を見ることが出来ませんでした。


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イタリア半島が見えました。


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眼下を走る貨物列車


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ウンベルト1世通りです。


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この町の目抜き通りになります。


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(つづく)

253引き続き市民公園です。


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市民公園は海岸線を一望できる絶景スポットです。


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イソラ・ベッラ


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タオルミーナの鉄道駅


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市民公園から見える今回の旅のお宿


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ホテルに戻ります。


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ホテルの部屋からの眺め


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二泊することを後悔し始めました。


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私にとってはあまり見所が無い様な。


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夕食に出ました。


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(つづく)

2264月末でしたが、暑い日でした。


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ギリシャの遺跡に然程興味がありませんが、タオルミーナに来た以上、敬意を表して来ました。


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ギリシャ人と一緒に仕事をした時の経験が何時までも思い出されて、ギリシャ遺跡への興味が急速に薄れています。言うことだけは一人前どころか、千人前以上で、やることになるとからっきしダメでしたから。議が多くて閉口しました。


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紀元前3世紀にギリシャ人によって建造され、2世紀にローマ人によって改造されたそうです。


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城壁内に戻りました。


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市民公園です。ここからの眺望が楽しめます。


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雪を頂いたエトナ山


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市民公園から良く見える、この日のお宿です。二泊しました。


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眼下に鉄道駅が見えました。


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園内にはレモン、ブーゲンビリア、ハイビスカスなどが咲き乱れてます。


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建物には立入禁止となっていました。


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(つづく)

221アレッサンドリアの聖カテリーナ教会の続きです。


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右側壁の磔刑礼拝堂です。


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15世紀の逸名画家による「天上の聖母子と四聖人」


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左側壁にある礼拝堂


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アントニオ・アルベルティ別称アントニオ・バルバロンガ(メッシーナ、1600-1649)の「聖母子とカルメル会四聖人」


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逸名彫刻家による「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1493)
城壁外にあった売却されたサンタ・カテリーナ教会にあった彫刻です。


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アレッサンドリアの聖カテリーナ教会の隣にあるコルヴァヤ宮殿 Palazzo Corvajaです。


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タオルミーナを支配していたノルマン人が12世紀から14世紀にかけて要塞を築きました。コルヴィア宮殿は、現在地にあった、その要塞を改造して14世紀末に建設されました。その目的は知事兼司法長官のための執務と住居を兼ねていました。


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1538年から1945年までタオルミーナの有力貴族であるコルヴァヤ家が邸宅として使用していたことから、コルヴァヤ宮殿と呼ばれるようになりました。


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現在、コルヴァヤ宮殿は観光案内所と展示センターとして使用されてます。


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宮殿の窓


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宮殿の中庭と階段


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メッシーナ門を潜って城壁外に出ます。


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メッシーナ門は、タオルミーナの城壁に築かれた門の中で新しく、1808年に建造されたそうです。


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メッシーナ門を潜ると、直ぐにサン・パンクラツィオ教会が見えます。


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ローマの遺跡近くにサン・パンクラツィオ教会があります。


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サン・パンクラツィオ教会に行くことにしました。


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この場所には、ギリシャ神殿があったそうですが、ビザンチン帝国の支配下にあった6世紀から世紀にかけて、教会はその廃墟の上に建設されたと考えられてます。


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現在のバロック様式の建物は17世紀後半に再建されたものです。


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ファサード側に入るための扉があります。


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ファサード


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入口左に聖パンクラツィオ像、右側に聖プロコピウス像があります。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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主祭壇


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天井


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左側壁


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磔刑礼拝堂


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右側壁の礼拝堂


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(つづく)

156前泊地はシラクーザでした。


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シラクーザ駅から鉄道でタオルミーナに向かいました。


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乗車したのはシラクーザ駅始発の列車でした。


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シラクーザ駅に駐機していた蒸気機関車です。


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ローマ発の寝台列車がシラクーザ駅に到着しました。


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タオルミーナ駅に到着しました。


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駅は海岸沿いにあります。


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タオルミーナ駅前には何もないと言っても過言ではありません。


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タオルミーナはタウロ山の段丘の岩戸海に囲まれた海抜約200メートルの丘の上にあります。


366
タオルミーナ駅と町のバスターミナルを結ぶバスがありますが、この日のお宿はバスターミナルから更に上った所にあるので、駅からタクシーでホテルに向かいました。
観光地として有名なタオルミーナなので、駅にタクシーが常駐しています。


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この日のホテルです。


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ホテルの自室からの眺め。


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ホテル下にバスターミナルがあります。


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私の部屋からはエトナ山が見えません。


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ホテルの部屋で少し休み、それから町歩きに出発しました。


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タオルミーナのような典型的な観光地は好みではありませんが、有名な場所には取り敢えず行ってみようと思ってました。今考えると無駄なことをしたものだ、と後悔してます。


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タオルミーナは、人口10,473人(2022年12月31日現在)のシチリア州メッシーナ県にあるコムーネです。


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アレッサンドリアの聖カテリーナ教会 Chiesa di Santa Caterina d'Alessandriaです。


2
16世紀半ば、カプチン・フランシスコ修道会 Ordine dei Frati Minore Cappucciniの修道士たちがタオルミーナにやってきて、メッシーナ門先の城壁外にあったサンタ・カテリーナ教会が修道士たちに与えられ、教会横に修道院を建設して活動を始めたそうです。


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17世紀初頭、カプチン・フランシスコ修道会の修道士は、城壁内に新しい修道院教会の建設を決め、そのための資金捻出のために従来のサンタ・カテリーナ修道院教会の売却を決めました。


3
そうして、建設場所が現在地に決められ、1610年頃に建設されたのがバロック様式の現在の教会です。
なお、教会が建設された場所は、ローマ劇場、オデオン神殿の遺跡の上でした。


4
1936年、建物の劣化が進んで危険となったので、教会が閉鎖されてしまいました。


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約40年間、閉鎖されたままとなっていましたが、修復されて1977年に教会としての機能が再開されて現在に至ってます。


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ファサードの彫刻


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毎日開く教会のようです。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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主祭壇


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(つづく)

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