イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: カンパニア州

836
広大なので、予め見たいところを決めてから見学すると良いと思います。


837
全部を見ようとすると一日では足りないと思います。


838


1
Casa di Octaviusのフレスコ画の続きです。


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次はCasa del Larario di Achilleです。


6
Casa del Larario di Achilleの中に入ることが出来ます。


7
Casa del Larario di Achilleの見どころは壁に描かれたフレスコ画でしょう。


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Casa del Larario di Achilleのフレスコ画


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840
(つづく)

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832
居酒屋?


834
フレスコ断片


1
次はCasa del Citaristaです。


2
道の突き当りにCasa del Citaristaがあります。


3
Casa del Citaristaです。


4
Casa del Citaristaの門です。


5
中に入って見ることが出来ます。


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Casa del Citaristaのフレスコ画です。


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居酒屋です。


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次はCasa di Octaviusです。


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Casa di Octaviusです。


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Casa di Octaviusの壁です。


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細い通りを進みました。


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Bottega di Tyrsus


18
Casa del Criptporticoです。


19
Casa del Criptporticoは鮮明なフレスコ画があることで知られてます。


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フレスコ画があるCasa del Criptporticoです。


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836
広い場所に出ました。


835
(つづく)

828遺跡の家は同じように見えます。


827
壁に描かれたフレスコ画


829
神殿?


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Casa di Anicetus


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Casa di Anicetusのフレスコ画


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パン屋です。


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パン焼き窯


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831
(つづく)

824やはり火山が気になります。


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貴族の家


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Casa degli Archi


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Casa del Naviglio


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ブドウの栽培者は誰?


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825
(つづく)

817遺跡には住所や家の名前が割り振られてます。


812
遺跡の地図を見ながら見学すれば、通りや家の名称が分かります。しかし、撮った写真が何処かについては、それらの名称を控えるのを怠ったために殆ど分かりません。


814


1
この遺跡は有名です。


2
蛇のフレスコ画があります。


3
蛇のフレスコ画


4
「蛇のフレスコ」の家の庭


5
庭でブドウ栽培が行われています。


6
「蛇のフレスコ」の家の外観


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別の家です。


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アポッロの家


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アポッロの家の庭


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Casa di Olconio Fufo


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別の家です。


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二階建てです。


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保存状態が良い家です。


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ジュリア・フェリーチェのヴィッラ


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(つづく)

813メイン通りの一つです。


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1
墓です。


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ポンペイの有力者の墓です。


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新しい発掘現場です。遠回りして中を見ることが出来ました。


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816
(つづく)

807この建物は良く目立ちます。


808
名前があったと思いますが調べる気が起きません。


809
居酒屋シリーズの最終回になります。


1
居酒屋です。エノテカ、バール、オステリアなどを居酒屋に含めてます。


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別の店に移ります。


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ここから別の店になります。


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次の居酒屋です。


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次の居酒屋に移ります。


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この店の壁に描かれたフレスコ画


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別の店になります。


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別の店に移ります。


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811
(つづく)

803ポンペイ遺跡には番地が表示されてます。


802
撮った写真の場所ですが、写真毎に番地を控えておくと後の整理が便利になります。


804
番地を控えることが無かったのでこの写真も何所だったのか、サッパリ分かりません。


1
この居酒屋の場所が分かりません。


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別のお店です。


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別のお店です。


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同じ店の壁


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同じ店


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別のお店です。


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ここから別の店になります。


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805
轍です。


806
(つづく)

797ポンペイ遺跡の見学ですが真夏にするのは避けるのが無難でしょう。


798
この時は4月中旬でしたが快晴でした。恐らく30度以上の気温だったと思います。


799
その中を恐らく15キロほど歩いたと思います。遺跡は広大なので疲れます。


1
居酒屋巡りです。


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こちらはオステリアになります。


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オステリアの壁のフレスコ画


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居酒屋です。


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別の居酒屋


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ここから別の店になります。


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801
(つづく)

792引き続きポンペイ遺跡です。


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ヴェスヴィオ火山


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1
居酒屋です。


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別の居酒屋です。


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居酒屋の壁


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前とは別の居酒屋


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別の居酒屋


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別の居酒屋


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796
(つづく)

7862010年頃までポンペイが大好きでした。


787
噴火が起きる前に逃げた人が大勢いるようです。


788
ポンペイ遺跡からの重要な出土品の多くはナポリの国立考古学博物館で展示されてます。


1
修復中の遺跡


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居酒屋です。


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居酒屋が多かったことが分かります。


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居酒屋です。


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791


789
(つづく)

771前のポンペイから約1年後、再びポンペイに。この時もナポリからの日帰り遠足でした。


779
この頃、何故かポンペイが好きだったのです。


782
ポンペイに到着しました。


1
何時もの落書きだらけの車両


780
予定を特に立てずに適当に歩き回りました。


781
疲れるのは覚悟の上でした。


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遺跡からの発掘物をまとめて展示されている場所


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786
(つづく)

1532主な見所については、それぞれ名称が付けられ、その由来などが分かっています。


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歩き通しで疲れてきました。


1555
そろそろ嫌になってきました。


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切り上げ時でした。


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出口に向かいました。


1558
ポンペイ遺跡見学は完全な体力勝負です。


1559
案内板が整備されているので迷うことはありません。


1560


1561
この時のポンペイ遺跡はこれで終わりです。
(つづく)

1502円形闘技場の外に出ました。


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遺跡内でブドウの栽培が行われてます。


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(つづく)

1475居酒屋です。


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酒壺


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円形闘技場


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(つづく)

1552引き続きポンペイ遺跡です。


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1
広大過ぎて何処から見学すればよいのか、迷うところです。


2
丹念に見学するならば丸一日必要と思いますが、疲れるので体力に合わせて見て回るのが良いと思います。


3
遺跡の原因となったヴェスヴィオ火山を背景に遺跡の写真を撮りました。


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居酒屋です。


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1471
(つづく)

1442ナポリからヴェスヴィオ周遊鉄道に乗ってポンペイにやってきました。ポンペイ遺跡が目的ならば、FS利用はお勧めできません。


1443
この日は、ポンペイ遺跡が旅の目的でしたがポンペイ宿泊ではなくナポリからの日帰り遠足でした。


1
遺跡の前に現在のポンペイについて少し触れましょう。


2
ポンペイは、人口23,807人(2023年5月31日現在)のカンパニア州ナポリ県にあるコムーネです。町外れにポンペイ遺跡があります。写真はポンペイの市庁舎です。


4
遺跡ではなく、ポンペイ(コムーネ)のチェントロ・ストーリコに行くのであればFSのポンペイ駅下車の方が便利と思います。


3
現在のポンペイ中心地は見所に欠けます。


7
ポンペイのドゥオーモ Basilica Minore e Santuario della Beata Vergine del Santo Rosarioです。


5
19世紀末に創建され、1901年に完成、同年奉献式が執り行われた新古典様式の教会です。


6
鐘楼


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ドゥオーモの内部


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ポンペイの遺跡に戻ります。


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1462
(つづく)

643アマルフィの最終回です。


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ホテルに戻ります。


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昼食の写真を撮り忘れました。


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夕食を終えて外に出ました。


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午後8時過ぎでした。


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翌朝のホテルの部屋からの眺め


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バスに乗ってサレルノに向かいました。


671
サレルノから鉄道でナポリに向かいました。


672
(アマルフィ編終わり)

614前の旅で泊まったホテルです。


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(つづく)

584レモン畑に食傷気味。


582
町の中心に戻ることにしました。


585
藤の花をイタリアでよく見かけます。


586
山を下りました。


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町中に戻りました。


590
ドゥオーモを拝観しました。


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拝観が終わりました。


593
海岸に再び出ました。


594
単なる暇つぶしの海岸です。


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(つづく)

553山の南斜面のレモン畑の散策です。


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時計草


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583
(つづく)

525夕食を楽しみました。


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528
ホテルの部屋からの眺め。未だドゥオーモに照明が。


527
ドゥオーモの照明が消えました。


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翌朝です。


530
この日の予定はドゥオーモの拝観と教区博物館だけでした。


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天国の回廊


535
ドゥオーモと教区博物館については既に触れたので、ここでは省略します。


536
海岸に行きました。


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この辺で海岸を切り上げました。


539
ドゥオーモの前を通り過ぎました。


540
タベルナコロ


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レモン畑に向かいました。


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山の南斜面がレモン畑になってます。


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レモンの葉は蝶の大好物です。特にアゲハ蝶の食害防止用ネットがレモン栽培に必要不可欠です。


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(つづく)

500この時2泊しました。今思うのは「なんとむだなことをしたものよ」です。


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詰まらないのでホテルに戻ります。


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ホテルに戻りました。


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ホテルの部屋からの眺め


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やることがないので昼寝しました。


524
疲れていたのか、ぐっすり眠ってしまい気が付いたら夜になっていました。


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529
(つづく)

469
約1年後のアマルフィです。ホテルの自室からの眺めです。


470
自室からドゥオーモが見えました。


472
町歩きに出発しました。


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海に向かいました。


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海に来たけれど特にやることがありません。


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499
(つづく)

1715引き続きドゥオーモです。


30
Museo Diocesanoの定番というべき展示です。


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司教が被るもの


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聖杯


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象牙製の貴重品箱


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石棺


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崩落した以前のファサードの装飾


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1613
これでドゥオーモを終わります。
(つづく)

595引き続きドゥオーモです。


1
教区博物館 Museo Diocesanoの続きです。


3
サン・ジャコモ・ミノーレ礼拝堂です。


2
1335年に建設されたサン・ジャコモ・ミノーレ礼拝堂です。15世紀前半に制作されたフレスコ画が残されてます。


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次はアラネオ礼拝堂です。


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1486年に建設されたアラネオ礼拝堂です。


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14世紀から15世紀にかけて制作されたフレスコ画で覆われてます。


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14世紀から15世紀にかけて制作されたフレスコ画の下層に描かれていたフレスコ画です。


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27
16世紀の彫刻


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29
(つづく)

492引き続きドゥオーモです。


30
教区博物館として使用されているEx-Basilicaの構造図です。


35


31
ペルジーノの追随者による「ピエタ」(1506c) 


32
アールト・マイテンス(ブリュッセル、1556-ローマ、1602)の「ロザリオの聖母」(1587)
本作品には聖人などが描かれていましたが、保存状態が悪かったので聖母子以外の部分は切り取られたとされてます。切り取られた時期などの詳細は不明とされてます。


34
マッシモ・スタンツィオーネ(ナポリ、1585-1656)に帰属する「聖ルチアの殉教」(1630-40c)


33


36
次は多翼祭壇画です。


37
16世紀のナポリの逸名画家作「受胎告知の多翼祭壇画」(16世紀)


38
頭頂部の「聖母被昇天」


39
メインパネルの「受胎告知」


40
プレデッラの「ご誕生」


41
「ご訪問」


42
トンマーゾ・マルヴィート(コモ、1420c-ナポリ、1508c)の「聖母子」(15世紀)


43
墓石断片(1462)


44
トスカーナの逸名彫刻家作「玉座の聖母」(15世紀)


45
ピサ、ルッカで活動した逸名彫刻家による「磔刑像」(14世紀初頭)


46


47
北欧出身のジュウダ・テデスキによる「イドリアの聖母」(1490)


48
ジュウダ・テデスキの生涯等は不明のようです。


49
ヌンツィオ・マレスカ(ナポリ、1588-1629活動記録)に帰属する「聖ピエトロ」(1595)


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詳細不知


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詳細不知


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逸名彫刻家作」聖アンドレア」(13世紀中頃)


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56
セラッシ兄弟作「パイプオルガン」(1871)
セラッシ一族はオルガンの制作者として有名でした。


57
ドゥオーモのクリプタの聖歌隊席に設置されていたオルガンです。


58
(つづく)

471引き続きドゥオーモです。


1
天国の回廊の続きです。


2
マッダレーナ礼拝堂です。


3
マッダレーナ礼拝堂のフレスコ画です。


4
殆どの部分が落剝してしまってます。


5
サンタンドレア礼拝堂です。


6
サンタンドレア礼拝堂のフレスコ画


7
ごく一部のフレスコ画が残されてます。


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9
次は教区博物館 Museo Diocesanoです。


10
教区博物館はこの聖堂 Basilica del Crocifissoと隣接する天国の回廊の一部に設けれてます。入館料は3エウロでしたが今は値上げされているかも。


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Ex-Basilicaの後陣


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13
色々な展示物があります。


14
Maestro di Antonio e Onoflio Penna(マルケ出身の15世紀初頭にナポリで活動)の「聖母子」


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16
聖遺物を保管するキャビネットに描かれた「聖人たち」(1649-1678)


17
聖ステファノ、聖ロレンツォ、聖ビアージョ、聖グレゴリオ・マーニョ、聖ピエトロ、聖トロフィメーナ、聖ルチア、聖アンドレアが描かれてます。


18
制作者は17世紀の逸名画家とされてます。


19
イッポリート・ボルゲーゼ(シジェロ、1568-ナポリ?、1627c)の「磔刑」(1605)


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21
Maestro dell’Agro Nolanoの「デ・パルネオ家の祭壇画」(1505)


22
チマーザは「ピエタのキリストと聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」、メインパネルは「聖母子と聖アンドレアと聖ジャコモ・マッジョーレ」


25
天井のフレスコ


26
次はEx-Basilicaのフレスコ画です。


27
Maestro della Leonessa della Chiesa di San Pietroの壁龕のフレスコ画(14世紀)


28
アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚


29
(つづく)




1583引き続きドゥオーモです。


533
天国の回廊の続きです。


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次は礼拝堂です。


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サンティ・コズマ・エ・ダミアーノ礼拝堂です。


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サンティ・コズマ・エ・ダミアーノ礼拝堂のフレスコ断片


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サンティッシモ・サルヴァトーレ礼拝堂です。


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次の礼拝堂です。


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Cappella della Crocoffisoneです。


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聖アンドレア


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58
(つづく)

653引き続きドゥオーモです。


1
クリプタの彫刻に移ります。


2
聖人の彫刻です。私には制作者等が分かりません。


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クリプタの聖歌隊席


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内陣のオルガンを見ます。


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オルガンを見てからキオストロに出ます。


534
次は天国の回廊 Chiostro del Paradisoです。


8
この場所は最上流階級の墓地として13世紀に建設されました。


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修道院回廊でもありました。


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回廊に置かれた墓、フレスコ画、彫刻などを見ることが出来ます。


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回廊の説明板


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回廊の構造図


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墓のモザイク装飾


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石棺


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壁龕と石棺


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フレスコ画


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(つづく)

648引き続きドゥオーモです。


1
次はクリプタです。


2
13世紀初頭に造られたクリプタですが、その後、二回改造と修復が行われたそうです。


3
壁、梁、天井などがフレスコ画で覆われてます。


4
クリプタの天井


5
フレスコ画の大部分は16世紀に制作されたものです。


6
フレスコ画のテーマは「聖アンドレアの物語」、「キリストの物語」となってます。


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フレスコ画の制作者ですが、私には分かりませんが聖堂側は分かっていると思います。


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クリプタの主祭壇です。


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主祭壇の彫刻が有名です。


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ミケランジェロ・ナッケリーノ(フィレンツェ、1550-ナポリ、1622)の「聖アンドレア(ブロンズ像)」
ミケランジェロ・ナッケリーノはジャンボローニャの弟子と言われてます。師匠ジャンボローニャと意見の相違があって、1573年にフィレンツェを離れナポリに移住してナポリ王国で活動した彫刻家でした。


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聖アンドレアのブロンズ像の左右に「聖ロレンツォ」と「聖ステファノ」の大理石像が置かれてます。それらはピエトロ・ベルニーニ(セスト・フィオレンティーノ、1662‐ローマ、1629)の作品です。ベルニーニ一家は彫刻家一家として有名ですが、中でもピエトロの息子ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが特に優れた彫刻家でした。


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クリプタの礼拝堂


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礼拝堂の祭壇画


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クリプタの礼拝堂


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29
(つづく)

649引き続きドゥオーモです。


1
洗礼礼拝堂です。


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洗礼盤


3
左後陣礼拝堂です。


4
左後陣礼拝堂の祭壇画「聖母子と聖人たち」


13
シルベストロ・ミッラ(カンパニアで18世紀活動)の作品です。この画家の作品がドゥオーモにありますが、彼のことについては全く知りません。


6
右後陣礼拝堂です。


5
右後陣礼拝堂の祭壇画はシルヴェストロ・ミッラ(カンパニアで18世紀活動)の「最後の晩餐」


7
左右の側廊にそれぞれ4つの礼拝堂があります。


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詳細不知の「ご誕生」


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右第三礼拝堂


10
シルヴェストロ・ミッラ工房の「聖母子と二聖人」


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右側廊の礼拝堂


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シルヴェストロ・ミッラ(カンパニアで18世紀活動)の「聖ミケーレ」


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次の礼拝堂です。


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シルヴェストロ・ミッラ(カンパニアで18世紀活動)の「無原罪の聖母」


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左側廊の礼拝堂に映ります。


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シルヴェストロ・ミッラ(カンパニアで18世紀活動)の「聖人に顕現する聖母子」


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次の礼拝堂です。


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シルヴェストロ・ミッラ(カンパニアで18世紀活動)の「聖母子と聖人たち」


21
次の礼拝堂です。


22
シルヴェストロ・ミッラ(カンパニアで18世紀活動)の作品ですが、聖人が誰なのか私には特定できません。


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詳細不知


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制作者不知の「クント大司教の墓」(1503)


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18世紀の逸名画家による作品


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142
(つづく)

539引き続きドゥオーモです。


23
入口扉です。


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ポータル上ルネッタのモザイク


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「聖アンドレアの殉教」


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入口扉上部


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「聖母被昇天」のフレスコ画


29
ブロンズの入口扉はコンスタンティノープルで制作されたそうです。


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入口扉の聖人


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次は聖堂内部です。


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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天井の装飾


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「聖アンドレアの殉教」


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説教壇


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次はPresebiterioです。


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中央礼拝堂


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主祭壇画は「聖アンドレアの殉教」です。
アマルフィ大聖堂の主祭壇画はかなり有名ですが、地元の画家による複製画です。名の知れた画家に注文しなかったのは何故?
少し脱線しますが、この複製画の元になった作品に触れておきましょう。


62
ローマにあるサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ聖堂です。


60
サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ聖堂の後陣です。後陣の祭壇画がアマルフィ大聖堂の主祭壇にある複製画の元になった作品です。


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マッティア・プレティ(タヴェルナ,1613-マルタ、ヴァレッタ、1699)の「聖アンドレアの殉教」(1650-51)


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アマルフィ大聖堂に戻ります。これはPresebiterioの装飾です。


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祭壇前飾り


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礼拝堂の彫刻


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15世紀に制作された彫刻


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(つづく)

1716次はドゥオーモです。


1715
聖アンドレアに捧げられたアマルフィのドゥオーモです。


1
アマルフィ=カヴァ・デ・ティッレーニ司教区のサンタンドレア司教座教会です。


2
アマルフィ司教区の起源は不明ですが、596年の文書にアマルフィ司教区の存在が初めて記載されたそうです。そのことによって、6世紀には現在の場所に司教座教会があったと推定されてます。


471
現在の建物は恐らく二代目となるものとされており、アマルフィ公爵マンソン1世(?、10世紀‐アマルフィ、1004)(アマルフィ公爵在位979-1004、サレルノ公爵在位981-983)の命によって、987年に創建され、1065年頃に完成しました。ロマネスク様式の教会です。


591
18世紀にバロック様式に改造されましたが、19世紀になるとロココ様式に改造されました。ところが経年劣化によってファサードなどの一部が崩落したので、19世紀末に新ムーア様式に一部再建と改造が行われ1900年に完成した建物が現在の姿になってます。


592
この地方独特の鐘楼が印象的です。


1583
先端部分が新ムーア様式と呼ばれてます。


3
1108年から1276年の間に建設された鐘楼は、その先端部分が経時劣化によって傷んだので、19世紀に今の形になりました。


4
鐘楼は遠くからでも目立ちます。


5
オリジナルの部分と19世紀再建された部分との境界がよく分かりません。


6
時計が付いてます。


590
ファサードのモザイク


7
1065年頃に完成した建物のファサードは18世紀に崩落してしまいました。


8
現在のファサードは19世紀に建設されたもので、モザイクもその時期に制作されたそうです。


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1608
ドゥオーモに行くには階段を上ります。


10


1612
階段を上ると柱廊に出ます。


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現在の柱廊は19世紀に建設されました。


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柱廊から見たドゥオーモ広場方向


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柱廊の柱頭を見ます。


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二代目の建物の柱廊は残されていないようです。


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新しい柱頭ばかりです。


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柱廊の壁にある銘板


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柱廊のフレスコ画(19世紀)


22
(つづく)

1690町歩きと言っても変化に乏しいと思います。


1691
海で遊ぶ人向きの観光地でしょう。


1692
新鮮な魚介類が自慢です。


1693
崖崩れが心配な箇所が幾つもあります。


1694
海洋都市アマルフィが衰退して理由の一つが崖崩れと聞いてます。


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町の中心の遠望


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遊覧船が出航しました。


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1707
この日のお宿です。


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1709


1710
やることが無くて困りました。


1711
山の頂上にある見張り塔。


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1713
海の水が綺麗です。


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1718


1720


489
場所を移動しました。


490


492
(つづく)

1659山の方は面白くなかった。


1658
道を下ります。


1660
賑やかな方に向かいました。


1661


1662
美術ファンなので、美術豊富とは言えないアマルフィに来たのが問題でした。


1663


1665
岩を刳り貫いた細い道が多い。


1666


1668
町の中心に戻りました。


1669
アマルフィ特産のレモン


1670


1671
海岸に来ました。


1672
海岸に来てもやることがありません。


1673
海水が綺麗です。


1674


1675


1676


1677
この日のお宿です。


1678
昼下がりになって、海水浴を楽しむ人が減りました。


1680


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1687


1689
(つづく)

1629小さなトンネルです。


1628
トンネルの壁の「聖母子と二聖人」


1627


1630
アマルフィはレモンの産地として有名です。


1631
日当たりのよい斜面を利用してレモンの栽培がおこなわれてます。


1632


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1636


1637
特に書くことがありません。


1638
撮った写真を並べてます。


1639
涼しかったけれど、急な細い道を上ったり下りたりの連続で汗だらけ。


1640


1641
「無原罪の聖母」


1642


1643
足腰が弱った老人は困るでしょうね。


1644
車椅子は使えないでしょうね。


1645
バジルでしょうか。


1646


1647
この辺には観光客がいません。


1648


1649


1650


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1654


1656


1657
(つづく)

1597今ならばアマルフィに絶対行かないと思います。


1598
カラヴァッジョの作品巡りをしておけば良かったと後悔しきりです。


1599
この当時、四大海洋国家に全部行きたいと思っていました。


1600


1601
6月でした。


1602
快晴でしたが、6月にしては涼しい日でした。


1603
町の中心来ました。


1604


1605
ドゥオーモです。


1607
拝観することにしました。


1608
観光客(私も観光客ですが)が多いので、嫌な予感がしていました。


1612
ファサード下の柱廊


1609
中に入ってビックリ! 観光客のグループだらけで、拝観どころではありません。


1610
直ぐに外に出ました。聖堂内でガイドさんがマイクを使って説明。そのガイドさんが4,5人いました。聖堂内でマイクで説明というのをあまり見たことが無かったのですが、ここだけは例外でした。


1611
昼下がりに再び拝観にトライすることに。


1613


1606
広場に戻りました。


1614
聖アンドレア像


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魚屋を覗きました。


1667


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近距離バスです。


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1624
階段だらけのアマルフィです。


1625


1626
(つづく)

434前泊地はナポリでした。


467
ナポリ中央駅から鉄道でサレルノに向かいました。


468
車内は非常に空いてました。


1749
サレルノ駅に到着しました。


1751
アマルフィ行バスの発車時間まで時間潰し。


1752
バスでアマルフィに向かいました。


1574
アマルフィに到着しました。


1581
アマルフィのバスターミナル


1575
この日のお宿にタクシーで向かいました。


1594
この日のお宿です。


1655
町の中心に戻ります。


1576
アマルフィは、人口4,645人(2023年10月31日現在)のカンパニア州サレルノ県のコムーネです。


1577
アマルフィは観光地中の観光地です。


1578
美術的にはドゥオーモ以外に見所が乏しいと思います。


1579
イタリアでは海水浴の経験がありません。


1580
ドゥオーモの鐘楼


1582
私にとってアマルフィのMuseo Civicoは魅力がありません。


1583
何故かアマルフィに3回来たことがあります。


1584


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1586
撮った写真を並べるだけ?


1587


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1589


1590


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1595


1596
(つづく)

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