イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:トスカーナ州 > ポンテデーラ

1引き続きポンテデーラのドゥオーモです。


2
次の礼拝堂です。


3
フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「天上の聖母子と聖人たち」


4


5
カウンターファサード


7
外に出ました。


6
次はミゼリコルディア教会です。


8
ミゼリコルディア教会です。


9
ドゥオーモの直ぐ傍にあります。


10
慈悲慈善同信会によって1883年創建、1892年に完成しました。


11
ドーム状のクーポラが目立ちます。


12
ファサードのタルガ


13
ファサードの紋章


14
第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によってジダンな被害を受け、長い修復期間を経て蘇った建物です。


15


17
六角形のクポーラの下に6つの礼拝堂があります。


16
中央礼拝堂


18


19
美術的な見所は皆無と言ってよいでしょう。


20
詳細不知


21


22
外に出ました。


23
ポンテデーラの城壁は現存しませんが、城壁外に行ってみることに。


24
城壁外にあるマドンナ・ディ・リパイア祈祷所(オラトリオ)です。


25


26
やることがないのでホテルに戻ることに。


27
現代美術品が置かれていました。


28
翌朝です。
天気予報が見事に当たって、前夜半から雷雨となり、気温が下がって氷雨の日になりました。
ストは継続中のようで駅は閑散としていました。


29
ホームにとまったままの電車。


30
ヴォルテッラ行きのバスですが、ストのため学校が臨時休校となったとの事で、学校がある時だけ運行されるバスが運休となりました。
(ポンテデーラ編 おわり)

1プレトリオ宮です。


2
ドゥオーモに向かいます。


3
ジェラート屋のエンブレム


4
ポンテデーラのドゥオーモです。


5
Propositura dei Santi Jacopo e Filippoです。Propositura とは聖堂参事会の権威を持つ、或いは司祭長の権威を持つという意味ですが、教会の格式における適当な日本語訳が私には分かりません。ポンテデーラはピサ大司教区に属してます。

ポンテデーラのドゥオーモは、1193年の文書にその存在が記述された、城壁外にあったサン・マルティーノ教区教会でした。城壁内に新しい教会が欲しいとの要望によって、1270年から1272年にかけて建設されたサンティッシモ・クローチフィッソ教会が長らくポンテデーラ城壁内の主要教会の地位を占めていましたが、人口の増加に手狭となり、19世紀になると大きな教会建設の機運が高まりました。それを受けて建設されたのが、1842年創建、1864年に完成した新古典様式のサンティ・ヤコポ・エ・フィリッポ教区長職教会です。



6
ファサード前にフォンターナがあります。


7
ファサード柱廊壁龕に置かれた彫刻


8


9


10


11
左側壁


12
後陣


13
左翼廊


14
右側壁


15
拝観します。


16
三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


18
Presbiterio


17
クーポラ


19
洗礼盤


20


21
観るべき価値がある祭壇画が幾つかありますが、それらはサン・マルティーノ教区教会にあったものです。


22
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551-1640)の「受胎告知」


23


24


25


26


27
詳細不知


28
ヴァザーリの強い影響を受けた逸名画家による「十字架降下」(1590-1610c)


29


30
(つづく)

1サンティッシモ・クローチフィッソ教会の続きです。


2
祭壇画などを見て回りました。


3
中央礼拝堂


4
ガスパーレ・マリオットの主祭壇の彫刻(19世紀)


5
左側壁の礼拝堂


6
17世紀の逸名画家による「守護天使」


7
チゴリ(チゴリ、1559-ローマ、1613)の「ロザリオの聖母」(1595)


8


9
16世紀の逸名画家による「聖アポロニアと聖アガタ」


10
ベネデット・ルーティ(フィレンツェ、1666-1724)の「天上の聖母子と煉獄の人々」(1687-89)


11
次の礼拝堂


12
トゥリーノ・ヴァンニ(リゴリ、1348c-ピサ、1438以降没)に帰属する「カルミネの聖母」(14世紀)


13


14
詳細不知の「キリストの洗礼」


15
右側壁の礼拝堂


16
17世紀の逸名画家による「磔刑」


17
詳細不知


18
改造前の建物にあったもの


19


21


22
タベルナコロ


20
カウンターファサード


23
外に出ました。


24
クルタトーネ広場


25


26


27


28
プレトリオ宮が見えてきました。


29


30
(つづく)

2前泊地はピサでした。


3
当初、この日もピサで泊まり、次の目的地であるヴォルテッラに向かう予定でした。ポンテデーラからバスに乗ってヴォルテッラに行くつもりでした。ところがFSのストが予定され、翌朝は豪雨になるとの天気予報だったので、安全を考えて前夜のうちにポンテデーラに行き、ポンテデーラ宿泊に予定変更した次第です。


1
ポンテデーラに行くならば、チゴリなどの作品を観るために少し早めに行こうと思いました。


4
ポンテデーラ駅に到着しました。翌朝大雨の天気予報が信じられないくらいの好天でした。


6
ポンテデーラ駅の駅舎です。


7
駅前広場です。
ポンテデーラは、人口29,779人のトスカーナ州ピサ県にあるコムーネです。
アルノ川とエラ川の合流点にあり、ピサとフィレンツェを結ぶ街道に位置し、中世まで川に架かる唯一の橋があったことから、交通の要衝として繁栄しました。
また、交通の要衝という事で、フィレンツェとピサが領有権を争いました。そのため、フィレンツェ、ピサの戦勝によって度々フィレンツェ領になったり、ピサ領となった歴史がありました。


8
ポンテデーラのバスターミナルです。ヴォルテッラ行きのバスが発着します。


5
この日のお宿です。


9
街歩きに出発しました。


10
20世紀になるとポンテデーラは兵器などを生産する軍事産業都市でした。そのため、第二次世界大戦中、ポンテデーラは徹底的に爆撃され破壊されました。そのため、戦後に再建された建物が大半を占め、街並みが新しく見えます。


11
少し足を延ばして北に向かいました。


12
エラ川に架かる橋


13


15
アルノ川です。


14
旧市街のアンドレア・ダ・ポンテデーラ広場に戻りました。


16
教会巡りをします。


17
カヴール広場です。


18
市庁舎


19


20


21
鐘楼が見えてきました。


22
クルタトーネ広場に面して建つサンティッシモ・クローチフィッソ教会です。


23
13世紀後半になるまでポンテデーラの城壁内に教会が無く、城壁外にあったサン・マルティーノ教会が宗教活動の中心でした。ポンテデーラ住民は城壁内に教会を建てたいとして、当時ポンテデーラを支配していたピサに請願したのです。請願を受け入れられ、1270年に創建され、1272年に完成したのがサンティッシモ・クローチフィッソ教会です。
城壁内にある最古の教会ということで、Chiesa Vecchia 古教会とも呼ばれてます。


24
1612年の火災によって大きな被害を受けたので、1633年に改造工事が行われました。
第二次世界大戦の爆撃によって壊滅的な被害を受けました。1956年から1959年にかけて大規模な修復工事が行われ、建物は映画館として使用されるようになりました。2006年まで映画館でした。その間、教会としての活動は細々を続けられていましたが、2006年以降本格的な宗教活動が再開され、現在に至ってます。


25
外壁の銘板


26
鐘楼


28
紋章


27
拝観できます。


29
翼廊がない単廊式のシンプルな造りです。左右の側壁にそれぞれ三つの礼拝堂が設けられてます。ポンテデーラにあっては美術的に必見の教会でしょう。


30
(つづく)

↑このページのトップヘ