イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:トスカーナ州 > ピサ再び

1相変わらずの賑わいでした。


2


3
ドイツ人が多かったと思いました。


4
日本人はほとんど見かけません。


5


6


7


8
ドゥオーモ博物館です。


9
展示が何時も同じです。この時は入館せず。


10
人出が多過ぎてウンザリ。


30



11
次は大司教館です。


12
Palazzo Arcivescovile 大司教館です。
ピサが独立した司教区になったのは4世紀頃と言われてますが、1092年にピサ大司教区となりました。


13
現在、大司教館が建っている場所にはトスカーナ辺境伯の小さな宮殿があり、カノッサの屈辱で有名なトスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ボンデーノ・ディ・ロンコーレ、1115)が小さな宮殿を所有しており、時々住んでいました。
1115年、マティルデは全財産を教皇庁に遺贈するとの遺言を残し没しましたが、それによって小さな宮殿も教皇庁の所有となり、1207年までフィレンツェのピサ総督の宮殿として使用されていました。


14
その後、宮殿は荒廃して危険になったので、高位聖職者でメディチ家のフィリッポ・ディ・メディチによって1472年に建設され、ピサ大司教館となりました。それから約30年後の1503年、ほぼ全焼する火災に遭い、16世紀前半に再建に近い形で大修復された外観が今の姿の原形とされてます。


19
大司教館の入り口です。


15
中に入ります。


20
キオストロに出ます。


16
キオストロ


17


18
キオストロ中央に彫像が置かれてます。


21
アンドレア・ヴァッカ(カッラーラ、1660/1665-1745)の「モーゼ像」


22
柱廊
大司教館には幾つかの作品があります。


23
トスカーナの逸名画家作「玉座の聖母子と四聖人」(1516)


24
タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362-1422)の「聖母子と四聖人」(1396-97c)


25


26


27
外に出ます。


28


29
(つづく)

1教会扉が閉まる時間になったので午前中の教会巡りは終わりです。


2
そうは言ってもドゥオーモは例外で、夕方まで開いてます。


3
柱廊のフレスコ画


4


5
「斜塔に行ってみるか」


6
青空市はそろそろ終わりです。


7



8
一休みします。


9
ここで一休み。


10
ローマ遺跡に来ました。


11
遺跡の左に進みます。


12
ドゥオーモ広場はもう直ぐです。


13


14


15
斜塔に上ります。


16
斜塔の階段


17
斜塔に上ったのは久し振りでした。


18


19
ドゥオーモの後陣は修復工事中でした。


20


21


22


23


24


25


26


27


28


29


30
(つづく)

1サン・ミケーレ・イン・ボルゴ教会です。


2
教会が建っている場所には、エトルリア人やローマ人の遺跡があったそうです。1016年以前にベアート・ボーノによって建設された、聖ミケーレに捧げられたベネデット会修道院教会が前身で、1016年に文書に初めて記載されました。


3
1105年から1111年の間にカマルドリ修道会の所有となり、その所有は1782年まで続きました。1783年から世俗的な管理となり現在に至ってます。


4
現在の建物構造の原形は13世紀から14世紀初頭にかけて行われた一連の拡張と改修の結果と言われてます。
ファサードはフラ・グリエルモ・アニェッリによって建設されたとされてます。


5
1944年に爆撃を受けて、建物の多くが戦後に再建されました。現在の姿は1989年から1990年に行われた最終修復の結果です。


8
メインポータル上にタベルナコロがあります。


6
タベルナコロの彫刻は、ルーポ・ディ・フランチェスコ(ピサ、13世紀から14世紀)の「聖母子と天使と修道院長」(14世紀)のコピーです。
本物はサン・マッテオ国立美術館にあります。


7


9
修道院の扉


10
メインポータル


11
左ポータル


12
右ポータル


13
右ポータル上ルネッタ


14
三廊式、ロマネスク様式の内部です。


15
左側廊


16
右側廊


17
聖水盤


18
中央礼拝堂


21


19
ルネッタの聖ミケーレのフレスコ画


20
フレスコ断片


22
聖ミケーレ


23
カウンターファサード


24
扉が開いていることが少ない教会です。


25
教会巡りを続けました。


26


27


28


29


30
(つづく)

1サン・マルティーノ教会を後にして、サン・ミケーレ・イン・ボルゴ教会に向かいました。


2
アルノ川沿いのガリレオ・ガリレイ通りをメッツォ橋方向に進みます。


3
メッツォ橋です。


4
橋の手前の9月20日広場です。


5
Logge dei Banchi


17



6
旗が掲げられた建物は市庁舎です。


8
Palazzo Gambacorti


14


15


16
Palazzo Gambacortiにある聖母子のモザイク


18
メッツォ橋です。


13
メッツォ橋から見たPalazzo Gambacortiです。


7
橋の下を流れるアルノ川


9


10


11


12


19
橋を渡ってガリバルディ広場に出ました。


20
ガリバルディ広場に立つガリバルディ像


21



22
写真右の柱廊上のルネッタに注目です。


23
聖母子の浮彫があります。


24
Borgo Strettoを進みます。


25
写真右奥に教会があります。


26
サン・ミケーレ・イン・ボルゴ教会です。


27
アルノ川沿いの少し下流にサン・ミケーレ・デリ・スカルツィ教会があります。直ぐ近くに2つのサン・ミケーレ教会があるので、区別するためにイン・ボルゴとデリ・スカルツィの呼称が必須です。


29
参考までにサン・ミケーレ・デリ・スカルツィ教会の写真を載せておきます。


28
ゴシック様式の影響を受けたピサ・ロマネスク様式のファサードです。


30
(つづく)

1引き続きサン・マルティーノ教会です。


2
ジョヴァンニ・ダンドレア通称イル・ソルドの「受胎告知」(1606)


3


4


5


6


7
トスカーナの逸名画家による「聖ボーナ」(1690c)


8


9


10


11
フレスコ断片


12
ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属する「キリストの神殿奉献」


13


14


15
ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属する「ご誕生」、「マギの礼拝」


16


17


18


19


20


21


22


23
シエナの逸名画家作「聖母子」(1410c)


24
トスカーナの逸名画家による「聖マルティーノ」


25
詳細不知


26
アンドレア・グアルディ(フィレンツェ、?-ピサ?、1476)の「聖母子」


27


28


29
外に出ました。


30
(つづく)

1引き続きサン・マルティーノ教会です。


2
教会内の作品を見て回ります。


3


4
ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(フィレンツェ、1560-1638)の「聖母と聖クリストフォロと聖フランチェスコ」


5


6


7


8


9


10


11


12
アントニオ・ファスチェッティの「聖ボーナ」
アントニオ・ファスチェッティは現代の彫刻家です。


13
オルガン


14


15
説教壇


16


17
告解室


18
オラツィオ・リミナルディ(ピサ、1594-1631)の「聖ボーナの着衣式」(1627-29)
着衣式とは修道女になるための儀式です。


19


20


21


22


23


24
ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547-フィレンツェ、1627)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


25


26


27


28


29


30
(つづく)

1引き続きサン・マルティーノ教会です。


2
内部の美術作品を観て回ります。


3


4


5
エンリコ・ディ・テディーチェ(ピサ、1254記録)の「磔刑像」(13世紀)


6


7


8


9


10


11


12


13


14
アウレリオ・ローミ(ピサ、1556-1622)の「聖アンドレア」


15


16


17


18
アントニオ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、?-フィレンツェ、1388)のフレスコ画


19


23


24


25


26


27


28


29
ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属するシノピエ


30


20
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549-1628)の「聖ベネデット」(1614)


21



22
(つづく)

1次はサン・マルティーノ教会です。


2
サン・マルティーノ広場に建つサン・マルティーノ教会です。


3
1067年からChiesa di San Martino in Cuazzolongo(川の最長の浅瀬という意味)の存在が記録されているそうです。1103年の文書には「教会には病院が含まれている」と記録されたそうです。


4
1135年、聖アウグティヌスの修道士たちに譲渡されました。その後、建物の荒廃が進んだので、1331年に再建されたピサ・ロマネスク様式の建物が現在の外観の原形となってます。
15世紀にクララ会に譲渡されると共に、女子修道院が教会に隣接して建設されました。1786年、クララ会女子修道士たちが退去したそうです。


5
ファサードは大掛かりな修復工事が完了した1610年の姿のままとなってます。


6
ファサードの出入り口上ルネッタに浮彫があります。


11
ルネッタ上の浮彫はアンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348)作「貧者にマントを与える聖マルティーノ」の複製です。


8
後陣


7


9
写真左は鐘楼です。


10
左側壁に柱廊が設けられてます。


16
左側壁


15
煉瓦積みの左側壁


14
左側壁にサイドポータルが設けられてます。教会への出入りはファサードのメインポータルではなくサイドポータルが担ってます。


12
紋章


17
サイドポータルです。


13
サイドポータル上ルネッタにフレスコ画があったとされてます。


18
中に入りました。


19
単廊式、ロマネスク様式の内部ですが、17世紀に改装されました。


20
右側壁


21
天井


22
彫刻、祭壇画、フレスコ画などを見て回ります。


23
右側壁にある礼拝堂


24
礼拝堂ルネッタ上の浮彫はアンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348)の「貧者のマントを与える聖マルティーノ」


25
ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属する「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


26


27
ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属する「受胎告知、ご訪問」


28


29
聖水盤


30
(つづく)

1次はサント・セポルクロ教会です。


2
サント・セポルクロ教会です。


3
アルノ川の対岸からも良く見えます。


4
聖ヨハネ病院の騎士団によって1113年に建設されました。この教会の存在が1138年の文書に初めて記載されたそうです。


5
教会に隣接して聖ヨハネ病院があったそうです。


6
後にマルタ騎士団の本拠地となりました。


7
鐘楼


8


9
アルノ川の横に、以前は河原だった場所に建設されたので、地盤が弱く、建物が沈降しまい、大掛かりな工事が行われました。


10
中央ポータル


11
ルネッタの彫像


12
中央ポータル横の浮彫


13


14
左サイドポータル


15
右サイドポータル


17
右サイドポータルの装飾


16


18
中に入りました。


25
17世紀に一部バロック様式に改造されましたが、19世紀に元の姿に戻されました。


19
主祭壇


20
過って主祭壇後方に彩色磔刑像がありましたが、サン・マッテオ国立美術館に移され展示されてます。


32
サン・マッテオ国立美術館の彩色磔刑像の展示室です。ピサの古い教会から集められた磔刑像が展示されてます。


30
サント・セポルクロ教会にあった彩色磔刑像


31


21
装飾が殆どない内部です。


22


23
天井


24


26
詳細不知


27
詳細不知


28


29
外に出ます。


33
(つづく)

1サンタ・マリア・デル・カルミネ教会の続きです。


2
バッチョ・チアルピ(バルガ、ルッカ、1574-ローマ、1654)の「聖エリア」、「聖エリセオ」


3


4


5


6
説教壇


8


7


9
1613年に制作されたオルガン


10
ジュゼッペ・二コラ・ナシーニとトンマーゾ・ナシーニの作品


11
ジュゼッペ・二コラ・ナシーニとトンマーゾ・ナシーニの作品


12
カウンターファサード


14
外に出ました。


15
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会の後陣を見ながら川沿い方向に進みます。


13
直ぐに教会があります。


16
写真右手前にサン・ベネデット教会が、通りの突き当りにサン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ教会が写ってます。


17
サン・ベネデット通りです。


18
先ずはサン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ教会です。


19
12世紀前半にこの地に建設されたサン・ジョヴァンニーノ教会が前身です。
17世紀初めに聖ヨハネ騎士団の所有となり、1614年に現在の姿に改造しました。それを機にサン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ教会と改称されました。


20
ファサードの紋章


21
現在、アドベンチズムの教会となっていることからChiesa Avventista del Settimo Giornoと呼ばれてます。


22
サン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ修道院のキオストロ


23


27
次はサン・ベルナルド教会です。


24
サン・ベルナルド教会です。


25
シトー会修道士によって11世紀に建設された修道院教会が最初の建物でした。最初の建物は1189年に破壊されたので、1279年に再建された建物が現在の外観の原形となってます。


26
1400年、シトー会修道女に与えられ、サン・ベルナルド女子修道院教会となりました。


28
1808年に閉鎖され、それ以後、聖別されてません。


29
後陣


30
修道院だった建物です。
現在、旧サン・ベルナルド教会の建物は若いアーチストの活動拠点として使用されてます。


31
(つづく)

1引き続きサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の祭壇画を観て回りました。


2
ジローラモ・マッキエッティ(フィレンツェ、1535-1592)の「磔刑」(1581)


3


4


5
ドメニコ・ブオンジュンティ(ピエトロサンタ?、?‐ピサ、1582)の「妊娠した聖母」


6


7


8


9
詳細不知


10
アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535-1607)の「キリストの昇天」(1581)


11


17


18


12


13


14
17世紀の逸名彫刻家作「聖セバスティアーノ」


15


16


19
アウレリオ・ローミ(ピサ、1556-1622)の「天上の聖母と聖人たち」(1590c)


20



21


22
ラニエーリ・ボルゲッティ(ピサ、1609-1642活動記録)の「天空のアヴィーラの聖テレーザ」


23


24
クーポラのフレスコ画は、トンマーゾ・トッマージ(ピサ、1700-1749)の「永遠なる父」


25
フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「聖アンドレア・コルシーニに顕現する聖母」(1629)


26


27


28


29
ジョヴァンニ・ドメニコ・ピアストリーニ(ピストイア、1680-ローマ、1740)の「聖家族と二聖人」


30
(つづく)

1引き続きサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


2
内部の祭壇画などを見ます。


3
Crescenzio Gambarelli(シエナ、1591-1622活動記録)の「アヴィーラの聖テレーザの幻視」(1622)


4


8


5


6
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ?、1560-ローマ、1608)の「受胎告知」(1593)


7


9


10
ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492-1544)の「聖母子と聖ピエトロと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


31



12


13


14
サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536-フィレンツェ、1603)の「聖母被昇天」(1579)


15


16


17


18


19
バッチョ・ローミ(フィレンツェ、1540c-ピサまたはルッカ、1581)の「聖母子と聖人たち」(1576)


20


21


22


23
詳細不知


24


25
後陣左礼拝堂


26
中央礼拝堂


28


27
後陣右礼拝堂


29
磔刑礼拝堂


30
(つづく)

1次はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


2
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


3
カルメル会によって1324年から1328年に建設されました。


4
16世紀から17世紀に拡張され、現在の大きさになりました。また、17世紀に一部バロック様式に改造されました。


5
歴史ある教会にしては少し新しく見えるファサードです。それは当然で、19世紀になるとファサードの劣化が進んだので、1835年に再建された比較的新しいファサードです。


7
ファサードの前に彫像が置かれてます。


6
サルヴィーノ・サルヴィーニ(リヴォルノ、1824-アレッツォ、1899)の「二コラ・ピサーノ(プーリア,1220c-ピサ、1284c)像」(1862)


13
ピサを代表する彫刻家二コラ・ピサーノを記念する彫像があるのは当然ですが、カルミネ教会のファサード前に設置された理由が分かりません。
この彫刻は元々カンポ・サントに置かれていました。今でもカンポ・サントに置かれていてもまったく問題がないと思われます。


14
ファサードの壁龕に置かれた彫像を見ます。


8
カッラーラの逸名彫刻家作「聖エリア」(1697)
再建される以前のファサードにあった彫刻です。


9
カッラーラの逸名彫刻家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1697)
再建以前のファサードにありました。


10
後陣と鐘楼


11


12


15
拝観します。


16
中に入りました。


17
単廊式、ルネサンス様式、一部バロック様式の内部です。長さが約70メートルあります。


18
右側壁


19
美術的に見どころ豊富な教会として有名です。


20
過去にこの教会にあった有名な作品がありました。


21
この教会にあった作品です。
マザッチョ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1401-ローマ、1428)の「ピサの多翼祭壇画」(1426)

サン・ジュスト出身の公証人セル・ジュリアーノ・ディ・コリーノ・デル・スカルシが所有するカルミネ教会の礼拝堂の祭壇画としてマザッチョに注文した作品です。作品注文にかかわる契約書が残されます。
17世紀から18世紀にかけて分解され、パネル毎に販売されました。現存するパネルは上の写真の通りです。失われたパネルがかなりあることが分かります。
現存するパネルですが、「聖母子」がロンドン・ナショナルギャラリー、「磔刑」がナポリのカポディモンテ美術館、「聖パオロ」がピサのサン・マッテオ国立美術館、「聖アンドレア」がアメリカのゲッティ美術館、サイドパネルとプレデッラがベルリン国立美術館にあります。


22
マザッチョの「聖母子と音楽天使」
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵


23
マザッチョの「磔刑」
ナポリのカポディモンテ美術館蔵


24
マザッチョの「聖パオロ」
ピサのサン・マッテオ国立美術館蔵


25
マザッチョの「聖アンドレア」
アメリカのゲッティ美術館蔵


26
多翼祭壇画を分解してパネル毎に販売する気が知れません。


27
全パネルが揃っての多翼祭壇画ですから。


28
聖具室


29


30
(つづく)

1サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の続きです。


2


3
後陣


5


6
左側壁は対岸から見ることになります。


7


4
中に入ることが出来ます。


8
単廊式、ゴシック様式の内部です。聖別されていない教会です。現代美術品の展示場として使用されることが多いようです。


9
左側壁


10
天井


11
カウンターファサード


12
彫刻が置かれてます。


13
フレスコ装飾が残されてます。


14
オリジナルのものではないと思います。


15


16


17


18
授乳の聖母礼拝堂


22
アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348c)作「授乳の聖母」のレプリカ
本物はサン・マッテオ国立美術館にあります。


23
サン・マッテオ国立美術館で展示されているアンドレア・ピサーノの「授乳の聖母」


24


19
後陣と主祭壇


20
アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348/1349)とニーノ・ピサーノ(ピサ、1315c-1370c)の「聖母子」
恐らくレプリカと思います。


21


25
アンドレア・ピサーノとニーノ・ピサーノによる「聖ピエトロ」のコピー彫刻


26
アンドレア・ピサーノとニーノ・ピサーノによる「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」のレプリカ


27
タベルナコロ


28
サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会はこれで終わりです。
オリジナルの構造とは異なる、彫刻はレプリカと割り切って鑑賞すれば、結構楽しめます。


29
教会巡りを続けました。


30
(つづく)

1引き続きサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会です。


4
右側壁です。


5
じっくり見たい右側壁ですが、交通量が多い道路に沿って右側壁があるので事故に遭わないように注意します。





2
見所は彫刻でしょう。


3
しかし、オリジナルの作品はここにはありません。


6
レプリカの出来栄えを見ましょう。


7
この教会を見学している、多くの人はここにはオリジナルの作品が無いのをご存じないようです。


8


9


10


11


12


14
サン・マッテオ国立美術館です。
サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の彫刻はここで展示されてます。


15
サン・マッテオ修道院回廊に無造作に置かれたサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の移設の際に使用されなかった教会オリジナルの石材


13
サン・マッテオ国立美術館内のサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会にあった彫刻がこの部屋で展示されてます。


16


17


18


19


20


21


22


23


24


25


26


27


28


29


32


33


30
サン・マッテオ国立美術館の彫刻展示はこのぐらいにしておきましょう。
(つづく)

1アルノ川沿いの道を進みます。


2
サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会が見えてます。


3
川向こうからも良く見えます。


4
良くも悪くも川横に建っているのが特徴です。


5
ピサの有力貴族だったグアランディ家によって1230年に建設されたピサ・ゴシック様式の教会ですが現現在地とは数メートル違った場所に建っていました。アルノ川に架かる橋が教会に繋がっていたことから、サンタ・マリア・デイ・ポンテノーヴォ教会と呼ばれていました。
1333年、荊刑を受けたキリストが被っていた荊の一部が聖遺物として教会に持ち込まれました。


6
1323年から1376年にかけて拡張工事が行われましたが、拡張工事後の姿が現在の外観の原形とされてます。しかし、後述する理由によって現在の姿は当時とはかなり異なるようです。


7
15世紀、教会と繋がる橋が大水によって崩落してしまいました。それ以降、聖遺物に因んで何時しかサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会と呼ばれるようになりました。


8
当時、堤防がありましたが、アルノ川の河原に建設されたと言っても過言ではない場所に建設されたことから、元々地盤が弱く土地の沈下に伴う構造の強化、アルノ川の洪水に伴う深刻な被害の両面から度々修復工事が行われました。
イタリア統一後、ピサ市議会と美術アカデミーを中心とする教会に関する委員会が設置され、教会の抜本的存続策が検討されました。その結果、教会を解体して安定した安全な場所に移設することが決定されました。そうして1871年から1875年にかけて移設工事が行われました。
東に数メートル移動させ、高さを1メートル高くして工事が完了しましたが、階段が新設され、解体されたものの、そのまま残骸として残された部分が数多くあったり、彫刻は修復不十分で設置された一方、移設されない彫刻が数体残るなど、解体前の姿とは大幅に異なるようです。
移設工事後の教会を見た美術史家や美術アカデミーの専門家が怒ったり、呆れた記録が残されてます。


9
それでも一見の価値が十分ある教会です。


10
彫刻などの装飾はピサで活躍した彫刻家が多数参加して行われました。


11
ジョヴァンニ・ピサーノ(ピサ、1248c-シエナ、1315c)、アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348/1349)、アンドレアの息子ニーノ・ピサーノ(ピサ、1315c-1370c)、アンドレアの息子トンマーゾ・ピサーノ(ピサ、14世紀活動)、ジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョ(ピサ,1300c-1365?)などの彫刻家、それらの工房によって装飾されました。
20世紀後半になると彫刻などの劣化進行が深刻になったので、徐々にレプリカに置き換えられ、1996年までにすべての彫像がサン・マッテオ国立美術館に移設されました。


12
移設前のオリジナルの彫像


13
サン・マッテオ国立美術館で展示されているサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の彫像


14
サン・マッテオ国立美術館における展示


15


16
教会のファサード


19


20



17
ファサードの入り口


18


21


22


23


24


25


26


27


28


29



30
(つづく)

4アルノ川の下流方向です。


1
塔が見えます。


2
チッタデッラ、グエルファ塔です。


3
グエルファ塔が建っている場所は13世紀になるまで城壁外でした。
1261年、経済の拡大と人口増に伴って市域の拡張が図られ、新しい城壁が築かれました。1261年、アルノ川岸辺は軍事的に重要な場所であり、塔が築かれることになり、そうして建設されたのがTorre Ghibellinaでした。
1320年、Torre Ghibellina横にアルノ川に架かるデガシア橋が架けられました。


5
1406年、ピサはフィレンツェの支配下に入りました。1440年、フィレンツェは、塔を要塞化することを決定し、建設されたのが現在の塔の外観原形となりました。何時から塔の名称が変わったのか明確ではありませんが、グエルファ塔と呼ばれるようになりました。


6
塔に繋がってデガシア橋が架かっていました。


7



8
ジャック・ギオー(フランス、シャンベリー、1810-パリ、1874)の「橋」(1858)
風景画を得意にしたジャック・ギオーの作品で、デガシア橋とグエルファ塔が描かれてます。


12
1890年のアルノ川洪水によってデガシア橋が崩落流失してしまいました。それを伝える1890年に制作された木版画です。


9


10


13
Torre Ghibellinaの遺跡


14
Ponte Degathiaの残骸


16
グエルファ塔横の城壁


15


11
グエルファ塔は一般公開されており、上ることが出来ます。塔からの景観


17
次はサン・ベネデット教会です。


18
アルノ川沿いのサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会近くにサン・ベネデット教会が建ってます。


19
サン・ベネデット教会です。


20
14世紀末に創建された、小さなゴシック様式の建物でした。現在の建物は17世紀に再建された二代目となるものです。


21



23
この教会は長らくサン・ステファノ騎士団によって所有されていました。そのためポータル上にサン・ステファノ騎士団の紋章があります。


22
サン・ステファノ騎士団の紋章


25
サン・ベネデット教会に隣接して建っている建物です。


24
サン・ベネデット女子修道院だった建物です。


26
女子修道院は18世紀末に閉鎖されたそうです。


27


28


29


30
(つづく)

1引き続きサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会です。


2
教会の内部です。


3
ローマ時代の石棺(4世紀)


4
彩色磔刑像です。


5
Maestro della Croce di Calciの「彩色磔刑像」(13世紀前半)


6
数々の墓があります。


7


8


9


10


11


12
碑文


13


14
フレスコ断片(13世紀)


15
オルガン


16
カウンターファサード


17
トゥリーノ・ヴァンニ(リゴーリ、1348c-ピサ、1438c)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1397)


18


19


20


21


23
彫刻断片


24


25
ドメニコ・ディ・ニッコロ(シエナ、1362-1453c)の「受胎告知」


26


22


27


28
教会横の道路


30
教会脇を流れるアルノ川


29
(つづく)

1引き続きサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会です。


2
左側壁


3
左翼廊


4
右翼廊


5


6
写真左はサンタガタ礼拝堂です。


7
12世紀前半に建設されたサンタガタ礼拝堂です。


8
写真手前は修道院回廊の残骸です。サンタガタ礼拝堂は修道院回廊にありましたが、第二次世界大戦の爆撃によって大きな被害を受け、長らく放置されていましたが、破壊されて回廊は残されていません。サンタガタ礼拝堂は爆撃による被害を奇跡的に免れました。


9
礼拝堂の中に入ることが出来ます。


10
長らく放置されて劣化が進みましたが、2020年から2022年に大掛かりな修復工事が行われました。


11
礼拝堂天井


12
Trifora


13
紋章


14
礼拝堂祭壇


15
Trifora


16
柱頭


17
修復された新しい柱頭?


18


19


20


21


22


23
長らく閉鎖されていましたが、修復を経て中に入ることが出来るようになりました。


24
三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


25
フレスコ画が残されてます。
ブオナミコ・ブッファルマッコ(フィレンツェ、1262c-1340c)に帰属する「聖フランチェスコ」


26
ブオナミコ・ブッファルマッコ(フィレンツェ、1262c-1340c)に帰属する「聖バルトロメオ」


27
列柱の柱頭


28


29


30
(つづく)

1前泊地はラ・スペツィアでした。


2
ラ・スペツィア駅から鉄道でピサに向かいます。


3
普通列車でのんびりと行きました。


4
車中は意外にも混雑していました。


5
ピサ中央駅に到着しました。


6
ピサ中央駅の駅舎


7
この時のお宿です。駅前にあります。


8
ホテルに荷物を預けてから教会巡りに出かけました。


9
斜塔がある地域は敬遠の一手です。


10
歴史的建造物のようですがバスターミナルです。


11
バスターミナルとして使用されている歴史的建造物?


13
この建物の詳細が分かりません。


12
バスターミナル横は城壁です。


14
古い教会です。


15
ファサードの方に回ります。


16
サン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会です。


17
教会の横にアルノ川が流れてます。


18
ベネデット会修道士によって9世紀、または10世紀に創建されたそうです。1032年の文書にこの教会の存在が初めて記録されたそうです。
12世紀前半に拡張され、1149年に奉献されました。現在の外観はこの拡張後の姿が原形となってます。ファサードは1148年から1165年に建設され、14世紀に完成しました。ピサ・ロマネスク様式教会の傑作とされてます。
12世紀末に教会の南側と後陣の後方に2つの回廊とサンタガタ礼拝堂を中心とする修道院の建物が完成しました。


19
古いドゥオーモ、Duomo Vecchioとも呼ばれてます。


20
ファサードの彫刻


21
ファサードの中央扉


22
向かって左側の扉


23
右扉


24
左翼廊


25


26


27
ファサードの彫刻


28


29


30
(つづく)

↑このページのトップヘ