イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:トスカーナ州 > ピサ再び

1サン・マッテオ国立美術館の続きです。


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サン・マッテオ国立美術館はこれで終わりです。


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次はサン・マッテオ修道院教会です。


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この場所に10世紀に建設された小さなサン・マッテオ教会がありました。
1027年、ベネデット会修道女の修道会がピサに設立され、その本拠地としてサン・マッテオ教会が与えられ、小さな教会は改造、拡大されると共にロマネスク様式の修道院教会の複合施設が建設されました。


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1610年に建設されたファサード


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修道院の建物

1556年、教皇ピオ5世は修道女の外部接触を禁じる法令を発布しましたが、それに従ってサン・マッテオ修道院教会も改造されました。


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アルノ川対岸からのサン・マッテオ修道院教会の景観

1787年、修道院の建物の一部に音楽院が設けられましたが、それに伴い修道院活動は徐々に衰退していき、1808年には遂にサン・マッテオにおけるベネデット会女子修道会が解散されました。しかし、修道女は建物内に留まりました。


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1866年、修道女全員がサン・マッテオ修道院教会の複合施設から退去して、建物は内務省の所有となり、刑務所に転用されるようになりました。
第二次世界大戦後、刑務所が閉鎖され、建物は1949年から博物館とピサ大学美術史学部の学舎として使用されるようになりました。


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サン・マッテオ教会の内部


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天井のフレスコ画


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主祭壇画


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聖水盤


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盛り沢山の一日の終わりです。


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流石に疲れました。


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ホテルに戻ります。


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ピサは斜塔、ドゥオーモだけではありません。


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(ピサ再び編おわり)

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交唱唱歌集


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(つづく)

31サン・マッテオ国立美術館前から見たアルノ川対岸


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(つづく)

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不明


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不明


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(つづく)

サン・マッテオ国立美術館の続きです。
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表裏両面に描かれてます。


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(つづく)

1サン・マッテオ国立美術館です。


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この裏面にも描かれてます。


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(つづく)

1サン・マッテオ修道院教会複合施設のキオストロ


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(つづく)

1サン・マッテオ教会です。


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リッポ・メンミ?の作品


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(つづく)

1前身はMuseo Civicoでした。


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両面に描かれてます。こちらは表


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裏面


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詳細不明(説明板無し)


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詳細不明(説明板無し)


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(つづく)

1対岸から見たサン・マッテオ国立美術館です。


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過ってピサ市立美術館でした。


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(つづく)

1次はサン・マッテオ国立美術館です。


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サン・マッテオ国立美術館については、既に詳しく触れました。ピサに行けば必ず行きますが、訪れるたびに展示作品が変わります。


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サン・マッテオ国立美術館にやってきました。


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美術館の入り口


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サン・マッテオ女子修道院(後に刑務所だった)の建物に美術館があります。


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キオストロ


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キオストロ回廊


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(つづく)

1未だサン・フランチェスコ教会の続きです。


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屋根が危険なので、2018年から立ち入りが禁止されてますが、閉鎖後の写真です。


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信者席が撤去されてます。


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閉鎖後のファサード


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キオストロ


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キオストロ回廊


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外に出ました。


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共和国広場に向かいました。


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市域の拡大によって築かれた新しい城壁(実際は古いですが)


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突き当りが共和国広場です。


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広場にやってきました。


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広場に面して教会が建ってます。ファサードではありません。


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サンタンドレア・フォリスポルタム教会の後陣です。


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ファサード側に回ります。


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ファサード側に出ました。


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サンタンドレア・フォリスポルタム教会です。建設された当時、この場所は城壁外でした。


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1104年の文書に、その存在が初めて記録されたそうですが、11世紀末にはあったとする確実な証拠があるそうです。
1191年、隣接して病院が建設されたそうですが、教会の主たる機能は病院の運営だったそうです。
1839年に聖別されなくなり、建物は魚市場に転用されましたが、1847年に再び聖別されたそうです。
第二次世界大戦の爆撃によって壊滅的な被害を受けて閉鎖されましたが、大修復工事を経て1948年に活動が再開されました。
1986年に聖別されなくなり、建物が劇場に転用されることになり、改造工事後の1987年からサンタンドレア劇場となりました。


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現在のファサードの姿です。


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2011年に修復工事が行われ、ファサード上部が写真のようになりました。バラ窓はバラ窓に見えるように作られたフェイクです。


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鐘楼


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かなり前衛的な演目を上演するようです。


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(つづく)

31引き続きサン・フランチェスコ教会です。


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祭壇画を観て回りました。


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比較的新しいでしょう。


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作品帰属は後の写真で


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作品帰属は後の写真で


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作品帰属は後の写真で


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ナポレオンに盗まれた作品のコピー画でしょう。


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ナポレオンに盗まれた作品のコピー


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詳細不知


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中央礼拝堂


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中央礼拝堂のフレスコ画


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主祭壇


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(つづく)

1サン・フランチェスコ教会です。


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長年の風化によって屋根の損傷が顕著となって、中に入るのは危険とされて2018年に閉鎖されました。2019年から修復と一部再建の工事が開始されましたが、資金難のために工事が進捗せず、扉が閉まったままのようです。


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1233年の文書に、現在地にサン・フランチェスコ教会の存在が初めて記載されたそうです。


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1261年、当時のピサ大司教フェデリーコ・ヴィスコンティ・ディ・リコヴェランツァ(ピサ、1200c-1277)がサン・フランチェスコ教会の拡大を命じ、建築家ジョヴァンニ・ディ・シモーネ(ピサ、1245から活動記録-1298以前没)が起用され、ジョヴァンニの設計、工事監督によって、1265年に工事着工、1270年に一応の完成を見たゴシック様式の建物が現在の外観の原形となったそうです。
ファサード(ルネサンス様式)は未完成のまま放置され、1603年に漸く完成したのです。


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当然大修道院が併設されていました。


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ジョヴァンニ・ディ・シモーネ設計による鐘楼


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左側壁


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左翼廊


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後陣


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ナポレオンによる抑圧令によって、修道士が追放されると共にサン・フランチェスコ修道院教会の複合施設は閉鎖されましたが、ナポレオンの失脚後、宗教活動が再開されました。
1861年、イタリア政府の抑圧令によって建物はピサ市の所有となって聖別されなくなりました。1866年から倉庫として使用されるようになりました。
1899年、ピサ市は礼拝のみに教会を使用する条件でピサ大司教区に譲渡しました。

ナポレオンのイタリア侵攻の際、多くの貴重な作品がフランスに盗まれてしまいました。ナポレオンの失脚後、美術品の返還交渉が行われましたが、サン・フランチェスコ教会の作品は返還されることがありませんでした。
それらは今でもルーブル美術館にありますが、ルーブルに行くと不愉快極まりない私です。
ルーブルで展示されている、サン・フランチェスコ教会にあった作品を3つ紹介しておきます。


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チマブーエ(フィレンツェ、1240-ピサ、1302)の「マエスタ」(1289c)


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ジョット(ムジェッロ、1267-フィレンツェ、1337)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1295-1300)


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ベノッツォ・ゴッツォーリ(スカンディッチ、1420-ピストイア、1497)の「聖トマス・アクィナスの勝利」(1470-1475)


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。
フランスに盗まれた作品があるものの、今でも多くの美術作品があります。


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ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551-1640)の「キリストの洗礼」(1620)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554-1627)の「キリストの復活」(1599c)


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ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559-フィレンツェ、1638)の「点後のカギを聖ピエトロに託すキリスト」


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詳細不知


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サンティ・ディ・ティート(フィレンツェ、1536-1603)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1592c)


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アレッサンドロ・カソラーニ(カーゾレ・デルザ、1552-シエナ、1606)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの奇跡」(17世紀初頭)


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(つづく)

32引き続き旧サン・パオロ・アッオルト教会内部に設けられた古代美術ギャラリーの展示です。


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ピサ大学の古文書館でもあるので、本があります。


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写真右の多翼祭壇画はタッデオ・ディ・バルトロ作品の複製画です。本物はナポレオンのイタリア侵攻の際にフランス軍に強奪され、現在はグルノーブルにあります。


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外に出ました。


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次はサン・フランチェスコ教会でしたが、この時間は扉が開いていないので暫し時間潰し。


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遠回りしました。


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(つづく)

1次はサン・パオロ・アッオルト教会です。


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サン・パオロ・アッオルト教会 Chiesa di San Paolo all'Ortoです。最早聖別されていない旧教会です。


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1068年の文書にChiesa di San Paolo in Burgoの存在が初めて記載されたそうです。
教会がある地域は当時市の郊外に当たり野菜畑が多かったことから、1120年の文書に初めてChiesa di San Paolo all’Ortoとして記載されたそうです。(Orto=野菜畑、菜園という意味)1120年以降、教会名は常にChiesa di San Paolo all’Ortoとして記載されました。
14世紀になると、市域が拡大され、教会は城壁内の教区教会となり、参事会教会 Collegiataに昇格しました。


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1472年、教会はアウグスティヌス会修道女に託され、女子修道院が併設されました。1472年から1481年に教会は大改修され、現在の外観の原形となりました。


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18世紀なると修道院活動は徐々に縮小されるようになりましたが、その縮小に伴い遂に1785年、女子修道院だった建物はピサ女子大学の学舎として使用されるようになりました。


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1789年、教区教会から格下げされ、参事会教会の地位を失いました。


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1808年、ナポレオンの抑圧令によって活動が停止されたものの、1819年に活動が再開されました。
1950年、聖別停止となり、教会だった建物はピサ市の所有となりました。ピサ市による修復工事が行われ、工事が完了した2005年からピサ大学古文書館として使用されると共に、建物内に古代美術ギャラリーが併設されるようになりました。


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鐘楼


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12世紀に完成した鐘楼は幾度となく修復工事が行われました。


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ファサードを見ます。


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ビドゥイーノ(ピサ、ルッカなどで1173-1194活動記録)による装飾(12世紀)


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中に入りました。


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18世紀に後期バロック様式に改造された内部です。
過って、この教会にあった美術作品を紹介します。


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彩色磔刑像


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サン・マッテオ国立美術館にあります。


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362-1422)の「サン・パオロ・アッオルト教会の多翼祭壇画」(1395)
ナポレオンのイタリア侵攻の際、フランスに持ち去れられ、一時はルーブル美術館で展示されました。ナポレオンの失脚後、返還交渉が行われましたが、フランス側は作品は行方不明と主張して、イタリアに戻る事はありませんでした。現在はグルノーブルのグルノーブル美術館で展示されてます。


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三廊式の内部です。


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教会としての見どころは皆無と言ってよいかと思います。


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(つづく)

1サンタ・チェチリア教会です。


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大体閉まってます。


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ファサードの装飾を見ます。


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単廊式のシンプルな内部です。第二次世界大戦後に再建に近い形で大修復されたので、オリジナルの姿は垣間見ることさえ困難です。


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銘板


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ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「聖チェチリアの殉教」(1607)


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16世紀のタベルナコロ


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17世紀のトスカーナの逸名画家作「聖家族と聖フィリッポ・ネリ」(17世紀)


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詳細不知


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カウンターファサード方向


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ここで一休みしました。


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街角のタベルナコロ


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街角のメディチ家の紋章


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サン・ジョルジョ・デイ・テデスキ教会です。


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1316年、モンテカティー二の戦いで戦死したドイツ兵を悼むために建設された教会です。


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ファサードルネッタのフレスコ画
(つづく)

33サン・フレディアーノ教会の続きです。


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聖水盤


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クーポラのフレスコ画


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カウンターファサード方向


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外に出ました。


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Via Cavalcaの突き当りに塔があります。


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1406年に建設されたTorre del Campanoです。建設された当時はTorre dei Casciaiと呼ばれていたそうです。


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ピサ大学の講義開始、終了などに鐘が鳴らされてます。


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この付近にはユダヤ人街があり、1570年までこの塔はシナゴーグの一部になっていました。


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1785年、ピエトロ・レオポルド大公はピサ大学の時を知らせるために塔を買収し、改修工事を経てピサ大学の所有となりました。


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現在もピサ大学の時鐘です。


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次はサンタ・チェチリア教会です。


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サンタ・チェチリア教会にやってきました。


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1103年、聖ベネデット会カマルドリ修道会によって創建され、1107年に奉献されました。1236年に完成しました。


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幾度となく改造、修復が繰り返されましたが、第二次世界大戦の爆撃によって壊滅的な被害を受け、戦後に殆ど再建と言ってよいほどの大修復工事が行われました。そのため、鐘楼を除いて創建時の姿は全くとどめていないとされてます。


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1236年に建設された鐘楼


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(つづく)

1引き続きサン・フレディアーノ教会です。


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中の祭壇画などを見て回りました。


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翼廊がありません。


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中央礼拝堂


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木製の磔刑像はCosimo Arrighiによって1570年に制作されたそうです。サント・ステファノ・デイ・カヴァリエーリ教会のために制作され、19世紀まで同教会にありましたが、19世紀にサン・フレディアーノ教会に移されました。


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後陣に置かれているパイプ・オルガンは1910年に制作されたものです。


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後陣天井のフレスコ画


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ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1639)の「父なる神」(1612)


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ルティリオ・マネッティのフレスコ画


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無原罪の聖母礼拝堂


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制作者不明


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ペショリーニ家礼拝堂です。


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12世紀中頃に制作された磔刑像


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制作者が不明です。


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ペショリーニ家礼拝堂左側壁にあるヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「栄光のペショリーニ家の人々」


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ペショリーニ家礼拝堂右側壁にあるヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「ペショリーニ家の黄金時代」


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ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「受胎告知」(1607)


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ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「ご誕生」(1607)


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ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1639)のフレスコ画


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後陣右礼拝堂


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詳細不知


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アウレリオ・ローミ(ピサ、1556-1624)の「マギの礼拝」


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クレメンテ・ボッチャルド(ジェノヴァ、1620-ピサ、1658)の「天上の聖母を崇める聖カルロ・ボッロメーオ」(17世紀中頃)


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(つづく)

1カヴァリエーリ広場を後にしました。


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ピサ大学の学生が歩いていました。


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次はサン・フレディアーノ教会でしたが、少し遠回りしました。


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道に迷うことはありません。


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路地に入りました。


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突き当りがダンテ広場です。


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ダンテ広場です。


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銀行の建物です。


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ダンテ広場に面したバールで一休み。


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この鐘楼が目立ちます。


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サン・フレディアーノ教会の鐘楼です。


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ファサード側に回ります。


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後陣からファサード側に行きました。


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サン・フレディアーノ教会です。


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1999年からピサ市の大学教会になったので、正式名称がChiesa Universitaria di San Fredianoとなりました。


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11世紀中頃に建設されたロマネスク様式の教会です。1061年の文書に教会の存在が初めて記録されたそうです。


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1076年から1561年までサン・ベネデット会カマルドリ修道会の管理下に置かれました。1561年から1594までサントステファノ騎士団の本拠地でした。
2014年からはイエズス会の教会になっているそうです。


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13世紀に建設された鐘楼が現存します。


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ルネッタのフレスコ画


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拝観します。


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中に入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側廊方向


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修復された天井


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左側廊


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右側廊


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コリント式列柱


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(つづく)

1広場に面して教会が建ってます。


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サント・ステファノ・デイ・カヴァリエーリ教会です。


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ジョルジョ・ヴァザーリの設計による建物です。


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ミサの時だけ扉が開くようです。


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扉が開きました。


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中に入りました。


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左側壁


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右側壁


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天井


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主祭壇


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外に出ます。


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(つづく)

1引き続きカヴァリエーリ広場です。


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Palazzo della Carovanaの続きです。


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ファサードの彫刻


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ピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577-フィレンツェ、1640)の「コジモ2世の胸像」(1633c)


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リドルフォ・シリガッティ(フィレンツェ、1553-1608)の「コジモ1世の胸像」(1590-96c)


7
リドルフォ・シリガッティ(フィレンツェ、1553-1608)の「フランチェスコ1世の胸像」(1690-96c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・フォッジーニ(フィレンツェ、1652-1725)の「フェルディナンド2世の胸像」(1681-82c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・フォッジーニ(フィレンツェ、1652-1725)の「コジモ3世の胸像」(1718)


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中庭に入ります。


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中庭です。


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中庭の井戸


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次は写真右端の建物です。


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Palazzo del Collegio Puteanoです。


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Palazzo del Collegio PuteanoはPalazo dell’Orologioに向かって左にあります。


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この場所には3つの別々の建物が建っていましたが、1594年から1598年にかけて、3つの建物を一つにする改造工事によって出来ました。


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1605年、当時のピサ大司教がサント・ステファノ騎士団に与えました。それから直ぐの17世紀初頭にピエモンテからの学生を受け入れるために建物が使用されるようになりました。


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ファサードにフレスコ装飾があります。


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ファサードの紋章


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Palazzo del Collegio Puteanoに隣接して教会があります。


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サン・ロッコ教会です。教会と思わないで通り過ぎそうです。


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1028年の文書に記録されているサン・ピエトロ・イン・コルテヴェッキア教会が前身です。1575年に現在の姿にほぼ近い形に改造されましたが、それを機に教会の名称が変更されたそうです。
1782年に活動中止しましたが、1899年に聖別されて現在に至ってます。


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単廊式の小さな教会です。


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主祭壇
(つづく)

1サン・シスト教会を後にしました。


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カヴァリエーリ広場に向かいました。


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時計がある建物のアーチを潜ります。


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アーチを潜れば目的の広場に出ます。


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カヴァリエーリ広場です。写っている教会はサント・ステファノ・デイ・カヴァリエーリ教会です。


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この場所にはローマ帝国のフォロがあったとされてます。それ以降、中世ピサの政治の中心でした。ロンゴバルド時代にはカスタルドの邸宅がありました。


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1140年からPiazza delle Sette Vieと呼ばれていたそうです。


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1406年、ピサはフィレンツェに破れ、フィレンツェの支配下に置かれるようになりましたが、広場と広場にあった建物はフィレンツェから派遣された執政官によるピサ支配の中心地となりました。


9
1558年、トスカーナ大公コジモ1世(フィレンツェ、1519-1574)は、この地をサント・ステファノ騎士団に与える決定を行い、ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)に命じて、広場の改造と広場にあった建物の改造や新築に当たらせました。1562年から工事が開始され、17世紀前半に完成した広場や建物が現在見ることが出来る姿の原形になりました。


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19世紀末、ピサに路面電車が敷設されることになりました。カヴァリエーリ広場は、路面電車システムの本部と車両基地が置かれることになり、20世紀初頭から広場の改造工事が行われ、1912年から1952年までピサ路面電車網の中心地となりました。
1952年に路面電車が廃止されたものの、広場には線路が敷かれ車両が置かれたままになっていました。
2012年から2013年に広場の修復工事が行われ、現在の姿となりました。
広場に面して建つ建物を見て回りました。


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先ほど、この建物のアーチを潜って広場に出ました。


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Palazzo dell’Oroligio、またはPalazo del Bonomoと呼ばれてます。
中世に建てられた古い建物で、1357年からCapitano del Popoloが居住するようになりましたが、後にピサの有力貴族グゥアランディ家に買収され、同家の邸宅となりました。
1554年に改造工事が開始され、1607年から1609年にかけて行われた大修復工事を経て、現在の姿になったと言われてます。
1566年以降、サント・ステファノ騎士団の病院として使用されました。1919年、同騎士団が抑圧され、個人所有となりました。
1982年、ピサ高等師範学校に譲渡され、現在は同学校の図書館として使用されてます。


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ファサードのフレスコ


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時計


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アーチ天井のフレスコ


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次はこの建物です。


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Palazzo della Carovana、またはPalazzo dei Cavalieriと呼ばれてます。


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中世のアンツィアーニ宮が前身です。サント・ステファノ騎士団の本部として使用されることになり、ジョルジョ・ヴァザーリの設計によって、1562年から1564年に大改造されて、現在の姿になりました。


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1846年にピサ高等師範学校の学舎として使用されるようになりました。


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現在、ピサ高等師範学校の本拠地となってます。


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建物の前にコジモ1世像があります。


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外壁のスグラフィート装飾


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(つづく)

1次はサン・シスト教会です。


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写真左の鐘楼はサン・シスト教会のものです。


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サン・シスト広場です。


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広場に面してファサードがあります。


5
この場所には、ピサにおけるロンバルディア時代、カロリング朝時代に重要な存在だったサン・ピエトロ・コルテ・ヴェッキア教会がありましたが、経時劣化によって荒廃して、10世紀頃には活動が停止されていました。
その古い建物を取り壊して、その土地に1087年創建、1133年完成したピサ・ロマネスク様式の建物がサン・シスト教会です。


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1133年に奉献式が執り行われました。


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15世紀、17世紀、19世紀に改造や修復が行われましたが、20世紀に元の姿に戻されました。


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もう少し経つと扉が開くはずですが、今日はどうでしょうか。


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扉が開きました。


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現在の外観は創建時の姿にほぼ近いと言われてます。


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拝観します。


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中に入りました。


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20世紀に修復された天井


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側廊方向


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右側廊


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マウロ・ソデリーニ(フィレンツェ、1704-1746)の「光悦のアヴィーラの聖テレーザ」(18世紀)


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ジョヴァンニ・ドメニコ・ピアストリーニ(ピストイア、1680-ローマ、1740)の「聖イグナツィオに顕現するキリスト」(18世紀)


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詳細不知の磔刑像


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ピサの逸名画家作「聖母子」(1290-1300)


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主祭壇


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詳細不知


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詳細不知


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外に出ます。


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(つづく)

1相変わらずの賑わいでした。


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ドイツ人が多かったと思いました。


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日本人はほとんど見かけません。


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ドゥオーモ博物館です。


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展示が何時も同じです。この時は入館せず。


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人出が多過ぎてウンザリ。


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次は大司教館です。


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Palazzo Arcivescovile 大司教館です。
ピサが独立した司教区になったのは4世紀頃と言われてますが、1092年にピサ大司教区となりました。


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現在、大司教館が建っている場所にはトスカーナ辺境伯の小さな宮殿があり、カノッサの屈辱で有名なトスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ボンデーノ・ディ・ロンコーレ、1115)が小さな宮殿を所有しており、時々住んでいました。
1115年、マティルデは全財産を教皇庁に遺贈するとの遺言を残し没しましたが、それによって小さな宮殿も教皇庁の所有となり、1207年までフィレンツェのピサ総督の宮殿として使用されていました。


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その後、宮殿は荒廃して危険になったので、高位聖職者でメディチ家のフィリッポ・ディ・メディチによって1472年に建設され、ピサ大司教館となりました。それから約30年後の1503年、ほぼ全焼する火災に遭い、16世紀前半に再建に近い形で大修復された外観が今の姿の原形とされてます。


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大司教館の入り口です。


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中に入ります。


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キオストロに出ます。


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キオストロ


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キオストロ中央に彫像が置かれてます。


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アンドレア・ヴァッカ(カッラーラ、1660/1665-1745)の「モーゼ像」


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柱廊
大司教館には幾つかの作品があります。


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トスカーナの逸名画家作「玉座の聖母子と四聖人」(1516)


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362-1422)の「聖母子と四聖人」(1396-97c)


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外に出ます。


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(つづく)

1教会扉が閉まる時間になったので午前中の教会巡りは終わりです。


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そうは言ってもドゥオーモは例外で、夕方まで開いてます。


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柱廊のフレスコ画


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「斜塔に行ってみるか」


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青空市はそろそろ終わりです。


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一休みします。


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ここで一休み。


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ローマ遺跡に来ました。


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遺跡の左に進みます。


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ドゥオーモ広場はもう直ぐです。


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斜塔に上ります。


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斜塔の階段


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斜塔に上ったのは久し振りでした。


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ドゥオーモの後陣は修復工事中でした。


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(つづく)

1サン・ミケーレ・イン・ボルゴ教会です。


2
教会が建っている場所には、エトルリア人やローマ人の遺跡があったそうです。1016年以前にベアート・ボーノによって建設された、聖ミケーレに捧げられたベネデット会修道院教会が前身で、1016年に文書に初めて記載されました。


3
1105年から1111年の間にカマルドリ修道会の所有となり、その所有は1782年まで続きました。1783年から世俗的な管理となり現在に至ってます。


4
現在の建物構造の原形は13世紀から14世紀初頭にかけて行われた一連の拡張と改修の結果と言われてます。
ファサードはフラ・グリエルモ・アニェッリによって建設されたとされてます。


5
1944年に爆撃を受けて、建物の多くが戦後に再建されました。現在の姿は1989年から1990年に行われた最終修復の結果です。


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メインポータル上にタベルナコロがあります。


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タベルナコロの彫刻は、ルーポ・ディ・フランチェスコ(ピサ、13世紀から14世紀)の「聖母子と天使と修道院長」(14世紀)のコピーです。
本物はサン・マッテオ国立美術館にあります。


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修道院の扉


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メインポータル


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左ポータル


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右ポータル


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右ポータル上ルネッタ


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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左側廊


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右側廊


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聖水盤


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中央礼拝堂


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ルネッタの聖ミケーレのフレスコ画


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フレスコ断片


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聖ミケーレ


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カウンターファサード


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扉が開いていることが少ない教会です。


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教会巡りを続けました。


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(つづく)

1サン・マルティーノ教会を後にして、サン・ミケーレ・イン・ボルゴ教会に向かいました。


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アルノ川沿いのガリレオ・ガリレイ通りをメッツォ橋方向に進みます。


3
メッツォ橋です。


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橋の手前の9月20日広場です。


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Logge dei Banchi


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旗が掲げられた建物は市庁舎です。


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Palazzo Gambacorti


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Palazzo Gambacortiにある聖母子のモザイク


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メッツォ橋です。


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メッツォ橋から見たPalazzo Gambacortiです。


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橋の下を流れるアルノ川


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橋を渡ってガリバルディ広場に出ました。


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ガリバルディ広場に立つガリバルディ像


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写真右の柱廊上のルネッタに注目です。


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聖母子の浮彫があります。


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Borgo Strettoを進みます。


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写真右奥に教会があります。


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サン・ミケーレ・イン・ボルゴ教会です。


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アルノ川沿いの少し下流にサン・ミケーレ・デリ・スカルツィ教会があります。直ぐ近くに2つのサン・ミケーレ教会があるので、区別するためにイン・ボルゴとデリ・スカルツィの呼称が必須です。


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参考までにサン・ミケーレ・デリ・スカルツィ教会の写真を載せておきます。


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ゴシック様式の影響を受けたピサ・ロマネスク様式のファサードです。


30
(つづく)

1引き続きサン・マルティーノ教会です。


2
ジョヴァンニ・ダンドレア通称イル・ソルドの「受胎告知」(1606)


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トスカーナの逸名画家による「聖ボーナ」(1690c)


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フレスコ断片


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ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属する「キリストの神殿奉献」


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ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属する「ご誕生」、「マギの礼拝」


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シエナの逸名画家作「聖母子」(1410c)


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トスカーナの逸名画家による「聖マルティーノ」


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詳細不知


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アンドレア・グアルディ(フィレンツェ、?-ピサ?、1476)の「聖母子」


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外に出ました。


30
(つづく)

1引き続きサン・マルティーノ教会です。


2
教会内の作品を見て回ります。


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4
ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(フィレンツェ、1560-1638)の「聖母と聖クリストフォロと聖フランチェスコ」


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アントニオ・ファスチェッティの「聖ボーナ」
アントニオ・ファスチェッティは現代の彫刻家です。


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オルガン


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説教壇


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告解室


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オラツィオ・リミナルディ(ピサ、1594-1631)の「聖ボーナの着衣式」(1627-29)
着衣式とは修道女になるための儀式です。


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ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547-フィレンツェ、1627)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


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30
(つづく)

1引き続きサン・マルティーノ教会です。


2
内部の美術作品を観て回ります。


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エンリコ・ディ・テディーチェ(ピサ、1254記録)の「磔刑像」(13世紀)


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アウレリオ・ローミ(ピサ、1556-1622)の「聖アンドレア」


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アントニオ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、?-フィレンツェ、1388)のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属するシノピエ


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549-1628)の「聖ベネデット」(1614)


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(つづく)

1次はサン・マルティーノ教会です。


2
サン・マルティーノ広場に建つサン・マルティーノ教会です。


3
1067年からChiesa di San Martino in Cuazzolongo(川の最長の浅瀬という意味)の存在が記録されているそうです。1103年の文書には「教会には病院が含まれている」と記録されたそうです。


4
1135年、聖アウグティヌスの修道士たちに譲渡されました。その後、建物の荒廃が進んだので、1331年に再建されたピサ・ロマネスク様式の建物が現在の外観の原形となってます。
15世紀にクララ会に譲渡されると共に、女子修道院が教会に隣接して建設されました。1786年、クララ会女子修道士たちが退去したそうです。


5
ファサードは大掛かりな修復工事が完了した1610年の姿のままとなってます。


6
ファサードの出入り口上ルネッタに浮彫があります。


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ルネッタ上の浮彫はアンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348)作「貧者にマントを与える聖マルティーノ」の複製です。


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後陣


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写真左は鐘楼です。


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左側壁に柱廊が設けられてます。


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左側壁


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煉瓦積みの左側壁


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左側壁にサイドポータルが設けられてます。教会への出入りはファサードのメインポータルではなくサイドポータルが担ってます。


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紋章


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サイドポータルです。


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サイドポータル上ルネッタにフレスコ画があったとされてます。


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中に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部ですが、17世紀に改装されました。


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右側壁


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天井


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彫刻、祭壇画、フレスコ画などを見て回ります。


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右側壁にある礼拝堂


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礼拝堂ルネッタ上の浮彫はアンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348)の「貧者のマントを与える聖マルティーノ」


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ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属する「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


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ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属する「受胎告知、ご訪問」


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聖水盤


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(つづく)

1次はサント・セポルクロ教会です。


2
サント・セポルクロ教会です。


3
アルノ川の対岸からも良く見えます。


4
聖ヨハネ病院の騎士団によって1113年に建設されました。この教会の存在が1138年の文書に初めて記載されたそうです。


5
教会に隣接して聖ヨハネ病院があったそうです。


6
後にマルタ騎士団の本拠地となりました。


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鐘楼


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アルノ川の横に、以前は河原だった場所に建設されたので、地盤が弱く、建物が沈降しまい、大掛かりな工事が行われました。


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中央ポータル


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ルネッタの彫像


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中央ポータル横の浮彫


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左サイドポータル


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右サイドポータル


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右サイドポータルの装飾


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中に入りました。


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17世紀に一部バロック様式に改造されましたが、19世紀に元の姿に戻されました。


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主祭壇


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過って主祭壇後方に彩色磔刑像がありましたが、サン・マッテオ国立美術館に移され展示されてます。


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サン・マッテオ国立美術館の彩色磔刑像の展示室です。ピサの古い教会から集められた磔刑像が展示されてます。


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サント・セポルクロ教会にあった彩色磔刑像


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装飾が殆どない内部です。


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天井


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詳細不知


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詳細不知


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外に出ます。


33
(つづく)

1サンタ・マリア・デル・カルミネ教会の続きです。


2
バッチョ・チアルピ(バルガ、ルッカ、1574-ローマ、1654)の「聖エリア」、「聖エリセオ」


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説教壇


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1613年に制作されたオルガン


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ジュゼッペ・二コラ・ナシーニとトンマーゾ・ナシーニの作品


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ジュゼッペ・二コラ・ナシーニとトンマーゾ・ナシーニの作品


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カウンターファサード


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外に出ました。


15
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会の後陣を見ながら川沿い方向に進みます。


13
直ぐに教会があります。


16
写真右手前にサン・ベネデット教会が、通りの突き当りにサン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ教会が写ってます。


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サン・ベネデット通りです。


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先ずはサン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ教会です。


19
12世紀前半にこの地に建設されたサン・ジョヴァンニーノ教会が前身です。
17世紀初めに聖ヨハネ騎士団の所有となり、1614年に現在の姿に改造しました。それを機にサン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ教会と改称されました。


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ファサードの紋章


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現在、アドベンチズムの教会となっていることからChiesa Avventista del Settimo Giornoと呼ばれてます。


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サン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ修道院のキオストロ


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次はサン・ベルナルド教会です。


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サン・ベルナルド教会です。


25
シトー会修道士によって11世紀に建設された修道院教会が最初の建物でした。最初の建物は1189年に破壊されたので、1279年に再建された建物が現在の外観の原形となってます。


26
1400年、シトー会修道女に与えられ、サン・ベルナルド女子修道院教会となりました。


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1808年に閉鎖され、それ以後、聖別されてません。


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後陣


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修道院だった建物です。
現在、旧サン・ベルナルド教会の建物は若いアーチストの活動拠点として使用されてます。


31
(つづく)

1引き続きサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の祭壇画を観て回りました。


2
ジローラモ・マッキエッティ(フィレンツェ、1535-1592)の「磔刑」(1581)


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4


5
ドメニコ・ブオンジュンティ(ピエトロサンタ?、?‐ピサ、1582)の「妊娠した聖母」


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詳細不知


10
アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535-1607)の「キリストの昇天」(1581)


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14
17世紀の逸名彫刻家作「聖セバスティアーノ」


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16


19
アウレリオ・ローミ(ピサ、1556-1622)の「天上の聖母と聖人たち」(1590c)


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22
ラニエーリ・ボルゲッティ(ピサ、1609-1642活動記録)の「天空のアヴィーラの聖テレーザ」


23


24
クーポラのフレスコ画は、トンマーゾ・トッマージ(ピサ、1700-1749)の「永遠なる父」


25
フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「聖アンドレア・コルシーニに顕現する聖母」(1629)


26


27


28


29
ジョヴァンニ・ドメニコ・ピアストリーニ(ピストイア、1680-ローマ、1740)の「聖家族と二聖人」


30
(つづく)

1引き続きサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


2
内部の祭壇画などを見ます。


3
Crescenzio Gambarelli(シエナ、1591-1622活動記録)の「アヴィーラの聖テレーザの幻視」(1622)


4


8


5


6
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ?、1560-ローマ、1608)の「受胎告知」(1593)


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9


10
ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492-1544)の「聖母子と聖ピエトロと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


31



12


13


14
サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536-フィレンツェ、1603)の「聖母被昇天」(1579)


15


16


17


18


19
バッチョ・ローミ(フィレンツェ、1540c-ピサまたはルッカ、1581)の「聖母子と聖人たち」(1576)


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23
詳細不知


24


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後陣左礼拝堂


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中央礼拝堂


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後陣右礼拝堂


29
磔刑礼拝堂


30
(つづく)

1次はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


2
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


3
カルメル会によって1324年から1328年に建設されました。


4
16世紀から17世紀に拡張され、現在の大きさになりました。また、17世紀に一部バロック様式に改造されました。


5
歴史ある教会にしては少し新しく見えるファサードです。それは当然で、19世紀になるとファサードの劣化が進んだので、1835年に再建された比較的新しいファサードです。


7
ファサードの前に彫像が置かれてます。


6
サルヴィーノ・サルヴィーニ(リヴォルノ、1824-アレッツォ、1899)の「二コラ・ピサーノ(プーリア,1220c-ピサ、1284c)像」(1862)


13
ピサを代表する彫刻家二コラ・ピサーノを記念する彫像があるのは当然ですが、カルミネ教会のファサード前に設置された理由が分かりません。
この彫刻は元々カンポ・サントに置かれていました。今でもカンポ・サントに置かれていてもまったく問題がないと思われます。


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ファサードの壁龕に置かれた彫像を見ます。


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カッラーラの逸名彫刻家作「聖エリア」(1697)
再建される以前のファサードにあった彫刻です。


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カッラーラの逸名彫刻家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1697)
再建以前のファサードにありました。


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後陣と鐘楼


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拝観します。


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中に入りました。


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単廊式、ルネサンス様式、一部バロック様式の内部です。長さが約70メートルあります。


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右側壁


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美術的に見どころ豊富な教会として有名です。


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過去にこの教会にあった有名な作品がありました。


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この教会にあった作品です。
マザッチョ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1401-ローマ、1428)の「ピサの多翼祭壇画」(1426)

サン・ジュスト出身の公証人セル・ジュリアーノ・ディ・コリーノ・デル・スカルシが所有するカルミネ教会の礼拝堂の祭壇画としてマザッチョに注文した作品です。作品注文にかかわる契約書が残されます。
17世紀から18世紀にかけて分解され、パネル毎に販売されました。現存するパネルは上の写真の通りです。失われたパネルがかなりあることが分かります。
現存するパネルですが、「聖母子」がロンドン・ナショナルギャラリー、「磔刑」がナポリのカポディモンテ美術館、「聖パオロ」がピサのサン・マッテオ国立美術館、「聖アンドレア」がアメリカのゲッティ美術館、サイドパネルとプレデッラがベルリン国立美術館にあります。


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マザッチョの「聖母子と音楽天使」
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵


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マザッチョの「磔刑」
ナポリのカポディモンテ美術館蔵


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マザッチョの「聖パオロ」
ピサのサン・マッテオ国立美術館蔵


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マザッチョの「聖アンドレア」
アメリカのゲッティ美術館蔵


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多翼祭壇画を分解してパネル毎に販売する気が知れません。


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全パネルが揃っての多翼祭壇画ですから。


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聖具室


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(つづく)

1サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の続きです。


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後陣


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左側壁は対岸から見ることになります。


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中に入ることが出来ます。


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単廊式、ゴシック様式の内部です。聖別されていない教会です。現代美術品の展示場として使用されることが多いようです。


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左側壁


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天井


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カウンターファサード


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彫刻が置かれてます。


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フレスコ装飾が残されてます。


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オリジナルのものではないと思います。


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授乳の聖母礼拝堂


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348c)作「授乳の聖母」のレプリカ
本物はサン・マッテオ国立美術館にあります。


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サン・マッテオ国立美術館で展示されているアンドレア・ピサーノの「授乳の聖母」


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後陣と主祭壇


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348/1349)とニーノ・ピサーノ(ピサ、1315c-1370c)の「聖母子」
恐らくレプリカと思います。


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アンドレア・ピサーノとニーノ・ピサーノによる「聖ピエトロ」のコピー彫刻


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アンドレア・ピサーノとニーノ・ピサーノによる「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」のレプリカ


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タベルナコロ


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サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会はこれで終わりです。
オリジナルの構造とは異なる、彫刻はレプリカと割り切って鑑賞すれば、結構楽しめます。


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教会巡りを続けました。


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(つづく)

1引き続きサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会です。


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右側壁です。


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じっくり見たい右側壁ですが、交通量が多い道路に沿って右側壁があるので事故に遭わないように注意します。





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見所は彫刻でしょう。


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しかし、オリジナルの作品はここにはありません。


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レプリカの出来栄えを見ましょう。


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この教会を見学している、多くの人はここにはオリジナルの作品が無いのをご存じないようです。


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サン・マッテオ国立美術館です。
サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の彫刻はここで展示されてます。


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サン・マッテオ修道院回廊に無造作に置かれたサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の移設の際に使用されなかった教会オリジナルの石材


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サン・マッテオ国立美術館内のサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会にあった彫刻がこの部屋で展示されてます。


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サン・マッテオ国立美術館の彫刻展示はこのぐらいにしておきましょう。
(つづく)

1アルノ川沿いの道を進みます。


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サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会が見えてます。


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川向こうからも良く見えます。


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良くも悪くも川横に建っているのが特徴です。


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ピサの有力貴族だったグアランディ家によって1230年に建設されたピサ・ゴシック様式の教会ですが現現在地とは数メートル違った場所に建っていました。アルノ川に架かる橋が教会に繋がっていたことから、サンタ・マリア・デイ・ポンテノーヴォ教会と呼ばれていました。
1333年、荊刑を受けたキリストが被っていた荊の一部が聖遺物として教会に持ち込まれました。


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1323年から1376年にかけて拡張工事が行われましたが、拡張工事後の姿が現在の外観の原形とされてます。しかし、後述する理由によって現在の姿は当時とはかなり異なるようです。


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15世紀、教会と繋がる橋が大水によって崩落してしまいました。それ以降、聖遺物に因んで何時しかサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会と呼ばれるようになりました。


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当時、堤防がありましたが、アルノ川の河原に建設されたと言っても過言ではない場所に建設されたことから、元々地盤が弱く土地の沈下に伴う構造の強化、アルノ川の洪水に伴う深刻な被害の両面から度々修復工事が行われました。
イタリア統一後、ピサ市議会と美術アカデミーを中心とする教会に関する委員会が設置され、教会の抜本的存続策が検討されました。その結果、教会を解体して安定した安全な場所に移設することが決定されました。そうして1871年から1875年にかけて移設工事が行われました。
東に数メートル移動させ、高さを1メートル高くして工事が完了しましたが、階段が新設され、解体されたものの、そのまま残骸として残された部分が数多くあったり、彫刻は修復不十分で設置された一方、移設されない彫刻が数体残るなど、解体前の姿とは大幅に異なるようです。
移設工事後の教会を見た美術史家や美術アカデミーの専門家が怒ったり、呆れた記録が残されてます。


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それでも一見の価値が十分ある教会です。


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彫刻などの装飾はピサで活躍した彫刻家が多数参加して行われました。


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ジョヴァンニ・ピサーノ(ピサ、1248c-シエナ、1315c)、アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348/1349)、アンドレアの息子ニーノ・ピサーノ(ピサ、1315c-1370c)、アンドレアの息子トンマーゾ・ピサーノ(ピサ、14世紀活動)、ジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョ(ピサ,1300c-1365?)などの彫刻家、それらの工房によって装飾されました。
20世紀後半になると彫刻などの劣化進行が深刻になったので、徐々にレプリカに置き換えられ、1996年までにすべての彫像がサン・マッテオ国立美術館に移設されました。


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移設前のオリジナルの彫像


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サン・マッテオ国立美術館で展示されているサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の彫像


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サン・マッテオ国立美術館における展示


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教会のファサード


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ファサードの入り口


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(つづく)

4アルノ川の下流方向です。


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塔が見えます。


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チッタデッラ、グエルファ塔です。


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グエルファ塔が建っている場所は13世紀になるまで城壁外でした。
1261年、経済の拡大と人口増に伴って市域の拡張が図られ、新しい城壁が築かれました。1261年、アルノ川岸辺は軍事的に重要な場所であり、塔が築かれることになり、そうして建設されたのがTorre Ghibellinaでした。
1320年、Torre Ghibellina横にアルノ川に架かるデガシア橋が架けられました。


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1406年、ピサはフィレンツェの支配下に入りました。1440年、フィレンツェは、塔を要塞化することを決定し、建設されたのが現在の塔の外観原形となりました。何時から塔の名称が変わったのか明確ではありませんが、グエルファ塔と呼ばれるようになりました。


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塔に繋がってデガシア橋が架かっていました。


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ジャック・ギオー(フランス、シャンベリー、1810-パリ、1874)の「橋」(1858)
風景画を得意にしたジャック・ギオーの作品で、デガシア橋とグエルファ塔が描かれてます。


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1890年のアルノ川洪水によってデガシア橋が崩落流失してしまいました。それを伝える1890年に制作された木版画です。


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Torre Ghibellinaの遺跡


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Ponte Degathiaの残骸


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グエルファ塔横の城壁


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グエルファ塔は一般公開されており、上ることが出来ます。塔からの景観


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次はサン・ベネデット教会です。


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アルノ川沿いのサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会近くにサン・ベネデット教会が建ってます。


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サン・ベネデット教会です。


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14世紀末に創建された、小さなゴシック様式の建物でした。現在の建物は17世紀に再建された二代目となるものです。


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この教会は長らくサン・ステファノ騎士団によって所有されていました。そのためポータル上にサン・ステファノ騎士団の紋章があります。


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サン・ステファノ騎士団の紋章


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サン・ベネデット教会に隣接して建っている建物です。


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サン・ベネデット女子修道院だった建物です。


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女子修道院は18世紀末に閉鎖されたそうです。


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(つづく)

1引き続きサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会です。


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教会の内部です。


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ローマ時代の石棺(4世紀)


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彩色磔刑像です。


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Maestro della Croce di Calciの「彩色磔刑像」(13世紀前半)


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数々の墓があります。


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碑文


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フレスコ断片(13世紀)


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オルガン


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カウンターファサード


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トゥリーノ・ヴァンニ(リゴーリ、1348c-ピサ、1438c)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1397)


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彫刻断片


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ドメニコ・ディ・ニッコロ(シエナ、1362-1453c)の「受胎告知」


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教会横の道路


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教会脇を流れるアルノ川


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(つづく)

1引き続きサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会です。


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左側壁


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左翼廊


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右翼廊


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写真左はサンタガタ礼拝堂です。


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12世紀前半に建設されたサンタガタ礼拝堂です。


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写真手前は修道院回廊の残骸です。サンタガタ礼拝堂は修道院回廊にありましたが、第二次世界大戦の爆撃によって大きな被害を受け、長らく放置されていましたが、破壊されて回廊は残されていません。サンタガタ礼拝堂は爆撃による被害を奇跡的に免れました。


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礼拝堂の中に入ることが出来ます。


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長らく放置されて劣化が進みましたが、2020年から2022年に大掛かりな修復工事が行われました。


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礼拝堂天井


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Trifora


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紋章


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礼拝堂祭壇


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Trifora


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柱頭


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修復された新しい柱頭?


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長らく閉鎖されていましたが、修復を経て中に入ることが出来るようになりました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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フレスコ画が残されてます。
ブオナミコ・ブッファルマッコ(フィレンツェ、1262c-1340c)に帰属する「聖フランチェスコ」


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ブオナミコ・ブッファルマッコ(フィレンツェ、1262c-1340c)に帰属する「聖バルトロメオ」


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列柱の柱頭


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(つづく)

1前泊地はラ・スペツィアでした。


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ラ・スペツィア駅から鉄道でピサに向かいます。


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普通列車でのんびりと行きました。


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車中は意外にも混雑していました。


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ピサ中央駅に到着しました。


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ピサ中央駅の駅舎


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この時のお宿です。駅前にあります。


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ホテルに荷物を預けてから教会巡りに出かけました。


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斜塔がある地域は敬遠の一手です。


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歴史的建造物のようですがバスターミナルです。


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バスターミナルとして使用されている歴史的建造物?


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この建物の詳細が分かりません。


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バスターミナル横は城壁です。


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古い教会です。


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ファサードの方に回ります。


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サン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会です。


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教会の横にアルノ川が流れてます。


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ベネデット会修道士によって9世紀、または10世紀に創建されたそうです。1032年の文書にこの教会の存在が初めて記録されたそうです。
12世紀前半に拡張され、1149年に奉献されました。現在の外観はこの拡張後の姿が原形となってます。ファサードは1148年から1165年に建設され、14世紀に完成しました。ピサ・ロマネスク様式教会の傑作とされてます。
12世紀末に教会の南側と後陣の後方に2つの回廊とサンタガタ礼拝堂を中心とする修道院の建物が完成しました。


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古いドゥオーモ、Duomo Vecchioとも呼ばれてます。


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ファサードの彫刻


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ファサードの中央扉


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向かって左側の扉


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右扉


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左翼廊


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ファサードの彫刻


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(つづく)

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