イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ピエモンテ州 > アックイ・テルメ

1サン・フランチェスコ教会から外に出ました。


2
再建前にあった古い作品は何処に?


3
残念ながら見所に欠けるサン・フランチェスコ教会でした。


4
Municipioの前を通り過ぎます。


5
大体見終わってしまったようです。


6
これでは時間の潰し様がありません。


7
青空市は未だやっていました。


8
アックイ・テルメで2泊するのは大失敗と痛感!


9
後の祭りです。
仕方がないので、一旦ホテルに戻って日帰り遠足で適当な場所を探すことにしました。


10
このような旅の仕方はもう止めないといけないと思いました。時間とお金の無駄ですから。


11
La Bollente


12
ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ、ミラノならば見所が多過ぎて時間が足りません。このような旅に懲りて有名観光地専念に改めることにしたのです。


13
この道は通りました。


14
ドゥオーモに向かう道です。


15
ホテルがドゥオーモ横にあるので、この道を通るのは当然です。


16
この門に見覚えがあります。


17
ドゥオーモです。


18
ホテルに戻りました。


19
カザーレ・モンフェッラートに行くことにしました。


20
カザーレ・モンフェッラートには、この2年前に行ったばかりでした。


21
駅に向かいます。


22
カザーレ・モンフェッラートならば、見所が幾つかあるので、それなりに楽しめます。


23
城にもう一度入る気がしません。


24


25
城の城壁


26


27


28


29


30
下れば駅に出ます。


31


33
駅前広場


32
アックイ・テルメ編終わり

さて、次回からは、私が大好きなルカ・シニョレッリの作品を訪ねることと、その生涯を辿る編に移ります。それらを書くに当たり、数多くの文献、資料、公文書などを読みました。事実の裏付けがないことには触れないことにしました。ただ、それらの文献資料リスト表記はしないつもりです。

1引き続きサン・フランチェスコ教会です。


2
教会内の礼拝堂を見て回ってます。


3
グリエルモ・カッチャ通称モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「無原罪の御宿り」


4
詳細不知の主祭壇画


5
中央礼拝堂前から見た出入口方向


6
左側壁


7
右側壁


8
詳細不知の「最後の晩餐」


9
ラッファエル・アンジェロ・ソレーリ(アレッサンドリアで16世紀後半消息)の作品


10
詳細不知の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


11
パドヴァの聖アントニオ礼拝堂


13


12
ピエトロ・ベッカリア(カザーレ、16世紀末‐17世紀前半活動)の「エジプトへの逃避」


14
次の礼拝堂


15
礼拝堂天井


16


17
詳細不知


18


20
逸名画家作「聖母の結婚」(18世紀)


19


21
15世紀のフレスコ画


22
詳細不知


23


29
右側壁の礼拝堂


24


25


26
Presbiterio


27


28


30
(つづく)

1Municipioから数歩歩けばサン・フランチェスコ広場に出ます。


2
広場に面して建つのはサン・フランチェスコ教会です。


3
この場所は城壁外のボルゴ・サン・ピエトロです。


4
7世紀頃に、キリスト教会の埋葬地として建設されたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会が前身とされてます。


5
13世紀中頃、アックイ・テルメにもフランチェスコ会修道士が現れ定住するようになりますが、1244年に現在地が与えられ、それに伴い教会名がサン・フランチェスコ教会と改称されました。修道院が併設されました。


6
1410年頃に建物の再建工事が開始され、広大なサン・フランチェスコ修道院教会の複合施設が16世紀初頭に完成しました。


7
1802年、ナポレオンの抑圧令によってフランチェスコ会修道士は追放され、修道院が閉鎖されました。修道院だった建物は温泉施設の一部として整備されてしまいました。
また、教会はサン・ジュゼッペ修道会に与えられ、サン・ジュゼッペ教会に改称されました。


8
ファサード横の白っぽい建物は旧修道院です。
1824年、教会は再びフランチェスコ会の所有となり、名称も元に戻されました。


9
新古典様式のファサードは、1835年から1854年に建設されたものです。この際、教会内部も新古典様式に改造されました。


10
ファサードを見ます。


11
壁龕のシエナの聖カテリーナ


12
聖ピエトロ


13
ファサードのフレスコ画


14
「玉座の聖母子と聖人たち」
私には制作者が分かりません。


15
メインポータルは開かないようです。


16
15世紀に建設された鐘楼


17
メインポータル


18
聖ピエトロ像下の扉から教会内部に入ります。


19
中に入りました。


20
単廊式、新古典様式の内部です。


21
礼拝堂を結ぶ通路が設けられてます。


22
天井


23
身廊天井に描かれたフレスコ画


24
Pietro Ivaldi detto il Muto di Toreto(ポンツォーネ、1810-アックイ・テルメ、1885)のフレスコ画


25


26
中央礼拝堂


27


28
後陣のフレスコ画


29


30
(つづく)

1教会巡りを続けました。


2
次はサンタ・マリア・デッラ・コルテ教会です。


14
サンタ・マリア・デッラ・コルテ教会です。


15
1005年の文書にその存在が初めて記載されたそうです。
最初の建物は13世紀に拡大され、その後幾度となく修復を繰り返しました。しかし、1647年の洪水によって大きな被害を受けたところに、1651年にフランス軍によって放火されてしまいました。


16
現在の新古典様式の建物は1676年に再建された二代目となるものです。


17
ファサードの彫刻


18
三廊式、新古典様式の内部です。


19


20
中央礼拝堂


21
磔刑礼拝堂


22
聖職者席


23
サン・マルコの有翼のライオン像があります。


24


25
クーパ門


26
サン・グイド門


27


28
次は市庁舎です。


29
市庁舎にやってきました。


30
ルーピ・ディ・モイラーノ伯爵が住居として17世紀に建設したPalazzo Lupiです。19世紀に市庁舎として使用されるようになりました。


32


33


31
Torre di Palazzo Lupi


34


35


36
市庁舎の中庭


37
市庁舎内に観光案内所があります。


39
観光案内所で地図を頂戴しました。


40


38


41
(つづく)

1人出が多くなってきました。


2
青空市の開市日なので賑わっています。


3
この通りが町の目抜き通りでしょうか?


4
教会巡りを続けます。


5


6
サンタンドレア・アバーテ教会です。この教会は開くと聞いていたので、後でもう一度来る予定です。


7
旧サンタ・マリア教会です。


8
建物は劇場として使用されてます。


9
サント・スピリト教会です。


10
サント・スピリト教会のクーポラ
この教会は日曜朝のミサの時だけ開くようです。


11
坂上に出ました。


12
新しい建物ばかりの所に出てしまいました。


13


24
次はアドロラータ教会です。


25
アドロラータ教会です。


26
この教会はこの町で重要な教会となってます。
6世紀後半に建設された初期キリスト教会が前身で、当時の町の住民の大部分を埋葬する地下墳墓がありました。


27
11世紀前半にバジリカ様式で再建されました。この建物に隣接して10世紀に建設されたベネデット会の修道院がありましたが、11世紀後半に教会はベネデット会の所有となって、それを機に教会と修道院が一体化され、サン・ピエトロ修道院教会の複合施設となりました。


36
やがてアックイ・テルメは独立した司教区となりましたが、その際、サン・ピエトロ教会に司教座が置かれるようになりました。この町の最初の司教座教会でした。後に司教座が現在のサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂に移されました。それを機にアドロラータ教会と呼ばれるようになったそうです。


40
写真は修復前のアドロラータ教会です。改造されて、今の外観とは違うことが分かります。
19世紀になると、建物の荒廃が進み、立ち入りが危険とされて廃教会の一歩手前になりました。


39
20世紀に元の姿に復元されました。


28
後陣


29
鐘楼


30


34


35


37


38


33


31
内部
20世紀に大修復されたので新しく見えます。


32
磔刑像
(つづく)

1次はLa Bollenteです。


2
La Bollenteはドゥオーモの直ぐ傍にあります。


3
通りの先にLa Bollenteが見えてます。


4
bollenteとは沸騰という意味です。


5
アックイ・テルメはその名の通り温泉の町ですが、74.5℃の源泉が毎分560ℓ湧き出ているのがLa Bollenteです。


6
ボッレンテ広場にやってきました。


7
ボッレンテ広場の中央にあるのがLa Bollenteです。


8
La Bollente上部のEdicola(小神殿、小礼拝堂の意味)は、ジョヴァンニ・チェルーティ(ヴァルピアーナ、1842-ミラノ、1907)によって1879年に建設されました。


9
温泉の噴出口


10
源泉温度は74.5℃とされてますが、時々それよりも高温の源泉が出る場合があります。


11
飲料として温泉を汲む場所が設けられてます。


13
イタリアの温泉は日本の習慣とはかなり違います。飲む人が非常に多いと思います。


14


12


15
ボッレンテ広場


16
広場の一角に時計塔があります。


17
市の塔です。


18
12世紀から13世紀に築かれた市壁に設けられた門の上に1763年に時計塔が建てられたそうです。


19


20


21


22


25
ボッレンテ広場


26


27


28


29


23


30
市の塔の門を潜って城壁外に出ます。


P1270467
(つづく)

1次はドゥオーモ広場に建つ建物です。


2


3
ドゥオーモ広場に出ます。


4


5
1755年から1772年に建設された神学校です。以前の神学校の建物が現存しており、そちらの方はSeminario Vecchioと呼ばれてます。


6
写真中央の建物は司教館です。1460年から1476年に建設されました。


16
司教館です。


17
司教館内部の大広間に代々の司教の肖像画が置かれてます。


7
ドゥオーモ


8
神学校


9


10


14


15


11
神学校の柱廊


20


21


12
柱廊から見た神学校のファサード


13


18


19


22


23
神学校の建物の一部はホテルになってます。自室に戻ってトイレ休憩


24
再び外に出ました。


25


28


26


27


29
Casa del Seminario Vecchio


30
(つづく)

1次はドゥオーモのキオストロです。


10
キオストロの入り口


2
キオストロに入りました。


3


4


5


6


7


8


9


11
キオストロ上階回廊


12
キオストロ上階回廊からの景観


14


13
次はドゥオーモ広場に面して建っている建物です。


15
16世紀に建設された病院だった建物です。現在、老人ホームとして使用されてます。


16


17
サンタ・マリア修道院だった建物の一部はレストランになってます。


18


19


20
病院だった建物の柱廊


21
サンタ・マリア修道院


22


23


24


25


26


27


28


29


30
(つづく)

1ドゥオーモ内部の礼拝堂を見て回ってます。


2
詳細不知


3
フレスコ断片


4


5


6
次の礼拝堂です。


7
1933年に建造された磔刑礼拝堂


8
1932年に制作された磔刑像


9
磔刑礼拝堂天井


10
「聖ジローラモ」


11
告解室


12


13


14
次の礼拝堂です。


15
1621年に建造されたカルロ・ボッロメーオ礼拝堂


16


17
制作者不知の「聖カルロ・ボッロメーオ」


18
カウンターファサード


19
1874年に制作されたオルガン


20


21
左側廊


22


23


24
洗礼堂


25
ポータル


26
聖マッジョーレ像


27
聖グイド像


28


29


30
(つづく)

1ドゥオーモの礼拝堂を見て回ってます。


2
次の礼拝堂です。


3
ロザリオの聖母礼拝堂です。


4
彫刻はジュゼッペ・ガルツォーニの「ロザリオの聖母」(1766-67)
彫刻を囲む15枚の小絵画は、ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「ロザリオの秘儀」です。


5
ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「ロザリオの秘儀」


6


7


8


9


10
次の礼拝堂に移ります。


11
1766年に設けられた無原罪の御宿り礼拝堂です。


12
次はサン・グイド礼拝堂です。アントニオ・フェッラーリによって1730年に建設された礼拝堂です。


13
祭壇下に聖グイドの遺体が置かれてます。


14
聖グイド(メラッツォ、1004c-アックイ・テルメ、1070)の遺体


15
祭壇画は、ダヴィッド・コルテ(ジェノヴァ、1602-1657)の「聖グイドに顕現する聖母子」(1645)


17


16
サン・グイド礼拝堂天井のフレスコ画


18
サン・グイド礼拝堂左側壁のフレスコ画


19
サン・グイド礼拝堂右側壁のフレスコ画


20
サン・グイド礼拝堂のステンドグラス


21


22


23
次の礼拝堂です。


24
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


28


25
あれ、どこかで見たことがある。
でも不完全な形です。
ピエモンテの逸名画家による「ラッファエッロ作『フォリーニョの聖母』のコピー画」です。完全なコピー画ではなく、天上の聖母子のみのコピー画です。


26
これがラッファエッロの『フォリーニョの聖母」です。


27
ヴァティカン絵画館にあります。


29
洗礼堂です。


30


32
洗礼盤上部に「キリストの洗礼」の彫刻があります。


31
(つづく)

1引き続きドゥオーモです。


2
中央礼拝堂を見ます。


3
主祭壇


23
主祭壇の浮彫


4
後陣半ドーム


5
ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「聖グイド」、「聖マッジョリーノ」、「聖アンブロージョ」(1668)


6


7


8
中央礼拝堂左側壁


9
ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「聖グイドの奇跡的治癒」(1668-70c)


10


11
中央礼拝堂右側壁


12
ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「水の上を歩くキリスト」(1668-70c)


13


14
クーポラのフレスコ画はピエトロ・イヴァルディ通称イル・ムート・ディ・トレート(ポンツォーネ、1810-1885)によって1862年から1864年に制作されました。


15
主祭壇後方に聖職者席があります。


16
聖職者席後方上に祭壇画があります。


17
ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「聖母被昇天」(1668)


18


19


20


21
聖職者席左上方のステンドグラス


22
聖職者席右上方のステンドグラス


24


25
サン・カルロ・ボッロメーオ礼拝堂です。


26
祭壇画についての詳細が分かりません。


27


28


29
説教壇


30


31


32
(つづく)

1引き続きアックイ・テルメのドゥオーモです。


2
クリプタから内陣に戻りました。


3
礼拝堂を見て回ります。


4
礼拝堂天井


5
クーポラ


6
1786年に行われた修復の際に描き直されたフレスコ画の詳細が分かりません。


9
次の礼拝堂


7
ロベルト・ボネッリ(トリノ、1862-1894消息)の「最後の晩餐」(1880)


8


10
礼拝堂左側壁


11
右側壁


12


13


14
次は聖具室に置かれている有名な祭壇画を見ます。


15
有名な祭壇画とは、この作品のことです。


16
聖具室です。


17
バルトロメ・ベルメホ別名バルトロメ・デ・カルデナス(スペイン・コルドバ、1440c-バルセロナ、1500c)の「モンセラートの聖母の三連祭壇画」(1480-90c)
バルトロメ・ベルメホは15世紀で最も重要なスペインの画家です。
しかし、バルトロメが描いたのは中央パネルだけのようです。当時、バルトロメは多くの仕事に追われており、中央パネルの完成後にアラゴンに去り、左右のパネル、およびその裏面はバレンシアのフランチェスコ・オソナなどによって制作されたとされてます。


27
祭壇画を閉じると、裏面に描かれた「受胎告知」を見ることが出来ます。


18
油彩で描かれた15世紀第4四半世紀のヨーロッパ絵画の傑作です。
当時のアックイの大商人フランチェスコ・デッラ・キエーザが1470年頃に注文して描かれた作品です。
フランチェスコは、アックイと仕事先であるバレンシアを往復しており、バレンシアにも家を持っていました。バレンシアの教会に置くために注文し、完成後、一旦はバレンシアの教会に設置されました。1510年頃、フランチェスコ・デッラ・キエーザは死去するのですが、この作品をアックイの大聖堂に移すとの遺言を残しました。1987年にその遺言書が発見され、事実関係が明らかにされたそうです。16世紀初頭、フランチェスコはアックイ大聖堂に家族礼拝堂を建設中でした。遺言に基づき、フランチェスコの死後に完成した家族礼拝堂に設置されたのです。


19


20
聖母の左に注文主であるフランチェスコ・デッラ・キエーザが祈りの彩色本を手にして描かれてます。


21
フランドル絵画の影響を受けた聖母の下の完璧な表現


30
フランチェスコの肖像画と聖母の間の下に制作者の署名が挿入されてます。


22
幼きキリストはゴシキヒワが結びつけられた紐を持ってます。


23


24
フランチェスコ・デッラ・キエーザが所有していた商船が描かれてます。


25
左パネルの「聖母の誕生」と「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


26
右パネルの「キリストの神殿奉献」と「聖セバスティアーノ」


28


29


31
扉が閉じられた状態
(つづく)

1引き続きアックイ・テルメのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ司教座教会です。


2
教会内に入りました。


3
三廊式、ラテン十字形の内部です。


4
ロマネスク様式の構造をしてますが、創建後1000年以上を経て改造、修復が何度も行われたので、様式的には一概に言えません。


5
新古典様式でしょうか。


6
左翼廊


7
右翼廊


8
天井


9


10
観て回ります。


11
説教壇


18
1847年に制作された説教壇ですが、その大理石彫刻の大部分は1513年と1520年に制作された、以前の説教壇にあったものが使用されてます。


12
Presbiterio


13
Presbiterioの下にクリプタの入り口があります。


14
クリプタに入りました。


15
11世紀に建設されたクリプタです。


16
98本の大理石柱があります。


17


25
クリプタの主祭壇


28


19
クリプタのフレスコ画


20
制作者不明の「聖アントニオ・アバーテ」(1400c)


21


22
詳細不知


23
クリプタの彫刻


24


26


27


29
不明


30
聖グイドの棺
(つづく)

1パレオロギ城からドゥオーモに向かいます。


2
通りの左側にある教会風の建物はMostra delle Attivitaです。


3
パレオロギ城の城壁沿いの道を進みます。


4
Via Domenico Barone


5
Via Domenico Baroneの右側に教会が建ってます。


6
サンタ・マリア教会です。


7
サンタ・マリア教会の詳細が分かりませんが、聖別されていない旧教会となってます。


8
現在、旧サンタ・マリア教会だった建物は劇場として使用されてます。


9
主に室内楽などのコンサートが行われているようです。


10
旧サンタ・マリア教会の道路向かいにドゥオーモの後陣が建ってます。


11
ドゥオーモのファサード側に回ります。


17
ドゥオーモ広場に出ました。


12
アックイ・テルメのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ(聖母被昇天)司教座教会です。


13
アックイ・テルメが独立した司教座の所在地になったのは、非常に古く4世頃とされてます。最初の司教は聖マッジョリーノ(アックイ・テルメ、4世紀)とみなされてます。当時の司教座教会の正確な場所が不明ですが、現在のドゥオーモが建っている場所、またはそれに非常に近い場所だったと信じられてます。


22
ドゥオーモの案内板


14
現在の司教座教会は、11世紀の聖プリモ司教によって創建され、1067年11月11日に聖プリモ司教の後任聖グイド司教(司教在位:1034-1070)によって奉献されました。創建当時はロマネスク様式の教会でした。
このことについては、1845年にアックイ・テルメの司祭館で発見されたモザイクに記載されており、確実な記録として認められてます。


15
創建以来、拡大、改造、修復を何度も繰り返しました。


16
ファサード前の新古典様式の柱廊は17世紀初頭に建設されました。


18
鐘楼


19
現在目にする鐘楼は1479年に再建されたものです。


31
後陣


33
ゴシック様式の後陣


34


35


32
左翼廊


36
ファサードの丸窓


38
ファサードの柱廊に入ります。


20
メインポータル


21
ポータル上ルネッタの彫刻は、ジョヴァンニ・アントニオ・ピラコルテ(カローナ、1455c-ポルデノーネ、1531)の「聖母被昇天」(1481)
中に入ります。


23
(つづく)

1パレオロジ城の城壁です。


2
現在地に城の存在が1056年の文書に初めて記録されたそうです。


3
城建設の由来が明確になっていないようですが、13世紀半ばまでアックイ司教伯爵の居城だった記録が残されているので、アックイ司教、中でもアックイ・テルメの守護聖人でアックイ司教だったエックエザーナ伯爵家のグイド・ダックイ(聖グイド)(メラッツォ、1004c-アックイ・テルメ、1070)が建設したと思われています。他の北イタリアの多くの都市と同じように、当時、公権力は司教によって主導されていました。


4
1168年、ジェノヴァとロンバルディア同盟によって新都市アレッサンドリアが作られました。アレッサンドリアは司教座をアックイから奪おうとして、アックイと敵対するようになりました。
1234年、シュヴァーベン公フリードリッヒ2世の調停によって、アックイとアレッサンドリアとの抗争は一先ず終結したものの、アックイの中で内紛が生じてしまい、国力低下を招きました。


5
内部抗争によってアックイはいくつかの勢力に分裂してしまい、アレッサンドリアや他の敵対勢力に抗しきれず、1278年、遂にアックイはモンフェッラートの支配下に置かれてしまいました。


6
一方、城ですが、アレッサンドリアとの抗争が始まったころに、この城の持ち主グイド家はアックイから立ち去り、城はアックイの政庁舎として使用されました。
1278年、アックイがモンフェッラートの支配下に入ると、城はモンフェッラート侯爵家が派遣する代官の政庁舎兼公舎として使用されたそうです。


7
1306年、モンフェッラート侯爵家は、アックイをパレオロギ家に託すことにして、アックイ侯爵位はパレオロギ家に引き継がれました。パレオロギ家はビザンチン帝国皇族の分家に当たります。
アックイ侯爵パレオロギ家は、この城に居住することになりました。城の名称は1306年のことに由来します。
以降、アックイはモンフェッラートの一部として存在するようになりました。


8
現在の城は、パレオロギ家とはあまり関係がありません。
1430年から1431年にかけてミラノのヴィスコンティ家によって、アックイと近隣の侯爵領地は攻撃占領され、その際、城は破壊されてしまいました。1436年にサヴォイア家の援助を受けて、モンフェッラートとその一部だったアックイもミラノからの支配を脱することが出来ました。
モンフェッラート侯爵家はパレオロジ城を再建しましたが、現在の城はこの再建されたものではありません。


9
1533年、後継者がいなかったパレオロギ家は断絶し、それと共にモンフェッラート全域がマントヴァのゴンザーガ家に引き継がれました。
しかし、16世紀から17世紀にかけて、スペイン、フランスからの攻撃を受けて、再建された城は幾度となく破壊され、その都度修復を繰り返しました。17世紀半ばには修復不能となってしまいました。


10
17世紀半ば、モンフェッラート地区はサヴォイア家の影響が強まっていました。1633年、サヴォイア家はアックイ城の再建工事を開始しました。1708年、アックイを含むモンフェッラート地区はサヴォイア・ピエモンテに併合されました。
パレオロギ城は工事がなかなか進捗しませんでしたが、1815年、ヴィットリオ・エマヌエーレ1世によって完成したのです。この三代目となる建物が現在のパレオロギ城です。


11
城の入り口です。


22
博物館の入り口に向かいます。


12
現在、パレオロギ城は考古学博物館として一般公開されてます。


13
博物館の入り口


14


30


15
中の庭園にある展示物


16


17


18


19


20


21


23
博物館の扉


25
扉が開きました。


26
考古学博物館の展示は大体どこでも同じです。


27



28


29


24
(つづく)

3前泊地はアレッサンドリアでした。


4
アレッサンドリアから鉄道でアックイ・テルメに向かいました。


5
アレッサンドリアは第二次世界大戦で徹底的に爆撃されてしまい、見所が乏しいのですが、交通の要衝なので時々訪れます。


6
アックイ・テルメに向かう列車の車中は空気を運んでいるようでした。


7
車窓の景色を楽しむにはあまりにも短時間でアックイ・テルメ駅に着いてしまいます。


8
アックイ・テルメ駅に到着しました。


9
アックイ・テルメは、人口18,973人(2024年11月30日現在)のピエモンテ州アレッサンドリア県のコムーネで、温泉で有名です。
紀元前5500年頃には温泉で魅了された人たち、伝説によればギリシャ人と言われてますが、が住み着いたとされてます。


31


11
駅舎


10
駅前広場


12
この日のお宿に向かいます。


13
戦没者慰霊の記念碑?


14
この日のお宿はドゥオーモの横にあります。


15
ドゥオーモの横ですから簡単に行けると思ってました。


16
道が違うことに気付き、振り出しに。


17
駅からやり直し。


18
地図を見たら、駅前に林があって、林を上るのが最も簡単にドゥオーモに行けそうです。


19
大きな荷物を引いて上ります。それは結構大変で、ドゥオーモまでの写真がありません。


20
ドゥオーモです。


1
このホテルで2泊します。


2
大きな荷物を預かって貰いました。早速町歩きに出かけました。


21
城壁です。


22
面白そうな建物


23
保険局の建物?


24


25
街角のタベルナコロ


26
城に行くことにしました。


27
この町の高いところに城があります。


28
城です。


29
(つづく)

↑このページのトップヘ