写真はアンギアーリです。1484年、ルカ・シニョレッリはアレッツォからボルゴ・サン・セポルクロに向かいましたが、その途中でアンギアーリに立ち寄りました。
52.パリ ルーブル美術館

ルーブル美術館は、私にとって曰く言い難しの存在です。

傑作秀作の宝庫なので必訪ですが、ナポレオン嫌いなのでイタリアからの略奪品の宝庫とも言えるのです。カラヴァッジョ作品を見るために何度も行きました。
例によって脱線してカラヴァッジョの作品です。

カラヴァッジョの「聖母の死」

カラヴァッジョの「マルタ騎士団長アロフ・ド・ヴィニャクルの肖像」
本題のルカ・シニョレッリの作品に戻ります。

ルカ・シニョレッリに帰属する「改悛の聖ジローラモ」

一時期、ルカ・シニョレッリと一緒に仕事をすることが多かったバルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448‐アレッツォ、1502)の作品説も有力でした。
この作品の出所や所有の経緯が明確になっていませんが、1913年にルーブル美術館の所有となりました。

ペルージャのドゥオーモです。
「サントノフリオの祭壇画」のメインパネルは聖堂内から隣接する大聖堂付属美術館に移されました。

ペルージャのサン・ロレンツォ大聖堂付属美術館の入り口

サントノフリオの祭壇画(メインパネル)です。

祭壇画は1484年にサントノフリオ礼拝堂に設置されました。1608年にサントノフリオ礼拝堂が改修されましたが、それを機にドゥオーモ内の別の場所に移設されました。

オリジナルの額縁は1648年までは残っていた記録が残されており、メインパネルとプレデッラは分離されていなかったと思われます。
プレデッラの「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」は、1824年にルイ18世のコレクションからルーブル美術館の所有となりました。

ルカ・シニョレッリの「人物群像」

「人物群像」は祭壇画の断片と思われてますが、元となった祭壇画については全く分かってません。
ギリシャ、ローマ時代の彫刻や古代美術に関する19世紀最大のイタリアの美術収集家と言われたジャンピエトロ・カンパーナ(ローマ、1808-1880)のコレクションがありましたが、1863年、その一部をルーブル美術館に売った中の一枚が「人物群像」です。

ルカ・シニョレッリの「マギの礼拝」
この作品は、縦326㎝横243㎝の大サイズであり、祭壇画のメインパネルです。何処にあったのか、また所有の変遷も明らかになってます。

チッタ・ディ・カステッロのサンタゴスティーノ教会です。
サンタゴスティーノ教会の主祭壇画として、ルカ・シニョレッリによって1493年から1494年に制作されたのが「マギの礼拝」です。完成した祭壇画は1494年に中央礼拝堂に設置されました。
1789年に地震によってサンタゴスティーノ教会の建物が大きな被害を受けたので、建物が再建されることになりました。現在の教会外観はその再建されたものです。
再建に際して、ルカ・シニョレッリの祭壇画はパネル毎に分解され、売りに出されました。
メインパネルの「マギの礼拝」は、教皇庁に売却されました。その後、前述のジャンピエトロ・カンパーナが手に入れ、1863年に他の作品と共にルーブル美術館に収蔵されました。
分解されたプレデッラですが、そのうちの一つである「受胎告知」がフィラデルフィア美術館にあります。
「マギの礼拝」のプレデッラの一部です。
53.バーミンガム バーバー研究所美術館 Barber Institute of Fine Arts

イギリス、バーミンガム大学のキャンパス内にあるハーバー美術研究所です。この建物はイギリスの美術史研究に特化した建物として、1939年にメアリー女王によって開所されました。

バーミンガムjの広大な郊外の不動産業で財を成したヘンリー・バーバーの未亡人マーサ・バーバーは、記憶に残る形でバーミンガム市に恒久的な貢献を行うことに決め、1932年にバーバー研究所が設立され、その資産と共にバーミンガム大学に寄贈されました。
1933年、バーバー未亡人が亡くなり、その遺産全てが大学の芸術と音楽の研究に委ねられました。譲渡を受けたバーバー夫妻による資産は、研究所向けに最高品質の美術品のみを購入することに費やされました。
そうして購入された美術品がハーバー研究所の展示の核となってます。
ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。

ルカ・シニョレッリの「ニッコロ・ヴィテッリの肖像」
ニッコロ・ヴィテッリ(チッタ・ディ・カステッロ、1414‐1486)は、有名な傭兵隊長であり、チッタ・ディ・カステッロのシニョーリ(領主)でした。ニッコロの息子たちの肖像画描いており、そのうちカミッロとヴィテッロッツォの2点がフィレンツェのイ・タッティにあります。
ニッコロの肖像画は息子たちの肖像画を一緒に描かれたと思われることから、ニッコロの肖像画はニッコロの死後に描かれたという説が定説になってます。
54.スコットランド グラスゴー ポロックハウス Pollok House

ポロック・ハウスは、1725年に建設されたスターリング=マクスウェル家の邸宅です。1966年、建物と広大な敷地や絵画などを所有していた同家によって、グラスゴー市に寄贈されました。

ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。

ルカ・シニョレッリの「嘆き」
「嘆き」は、シエナのサンタゴスティーノ教会Cappella BichiにあったPala Bichiのプレデッラの一部です。

シエナのサンタゴスティーノ教会です。
「嘆き」はプレデッラ3枚の中央にあったと考えられてます。
Pala Bichiについては、既に何度も触れました。

Cappella Bichiの壁に描かれたルカ・シニョレッリのフレスコ画
(つづく)






写真はロレートのドゥオーモです。



























ルカ・シニョレッリが同業者の中で最も親密だったのはピントゥリッキオだったと思います。一緒に仕事をしたのは勿論のこと、ピントゥリッキオの息子の洗礼を行い名付け親になったことでも良く分かります。ルカ・シニョレッリがシエナに行けば、彼と会っていたようです。





























1480年代後半、ルカ・シニョレッリはフィレンツェのメディチ家の庇護を受けるようになりました。1490年代初頭、フィレンツェ、ヴォルテッラからコルトーナに戻ったルカ・シニョレッリは、ロレンツォ・イル・マニーフィコの支援を受けて、過ってフィレンツェのゲルフ派が所有していたコルトーナのポポロ宮の地下に工房を構えました。




























ルカ・シニョレッリは、過って1441年生まれとされていた時代がありました。今では1441年から1445年の間に生まれたというのが定説になってます。





























写真はアレッツォです。





























写真はアレッツォです。























































































































































































































































































サン・ジュリアーノ教区教会です。























































































































































































































































































































































































































写真はチッタ・ディ・カステッロです。










































































































































































































































引き続きコルトーナです。





























































































